47. 2012年5月01日 00:08:34
: Mnxczxr6Dw
>>43さん、山本弘は、「インテリ」でも何でもなく、高卒のドキュンちゃんです。 マスゴミ業界のコネでたまたま仕事もらって書いてる馬鹿ですから、 嘲笑して相手にしなきゃいいんです。ついでにいうと、こいつが旗を振ってきた「と学会」というのは 昭和元禄時代の末期に生まれたエセ科学的な冗談集団ですから、 その流れの連中は、今のような危機の時代には、理性も知性もない タイコ持ちでしかないという、貧困なる精神がバレバレです。(笑) と学会には、岩波『科学』(←これも日本の「今そこにある危機」には 正面切った批判が出来ない偽善的な阿呆雑誌ですからネ!)に 雑文を投稿してきた菊地誠なども含まれています。 こういう連中は、権威主義的に自分の頑迷なドグマを突きつけて 自己顕示するだけの犬野郎ですから、騙されずに、あざ笑ってやればいいのです。 以下は、wikipediaから拾った、 犬どものプロフィール。(笑) ↓ ------------------------------------------------------------ 山本 弘(やまもと ひろし)は日本のSF作家、ファンタジー作家、ゲームデザイナーである。京都府出身。最終学歴は京都市立洛陽工業高等学校電子科卒業。 と学会会長として知られる。「山本弘」はペンネームだが、本名も読みは同じで漢字が異なる。[1]日本SF作家クラブ会員。
と学会(とがっかい)は、「世間のトンデモ本やトンデモ物件を品評することを目的としている」日本の私的団体。『トンデモ本の世界』をはじめとする著作で知られる。なお、名称に「学会」とあるが学会やそれに類する学術団体ではないし、そう見せかけているわけでもない。 1992年に設立。 SF作家山本弘が会長を務める“読書集団”であり、「著者の知識の欠如や妄想により、著者の意図とは異なる楽しみ方ができる」トンデモ本を「バード・ウォッチングのように楽しむ」探求・愛好団体である。と学会の目的は「あくまでもトンデモ本を楽しむことにある」と謳われている。だが、実際には出版物は、会長を中心として執筆者らが、超常現象、オカルト、陰謀論、疑似科学を否定的に扱ったりひやかしたりする文章が多い為に、オカルト否定団体だと誤認される場合も多い。元副会長の藤倉珊は、単にそうした分野にトンデモが多いだけで、とくにオカルトを標的にしているわけではないとしている[1]。なお、運営委員の唐沢によれば、会の結成以前からの流れとしてトンデモ本に対する論破・ツッコミを中心にする山本弘と、トンデモ本が存在する現状の観察に重きをおく藤倉珊という二派が存在しているという[2]。また、志水一夫のように超常現象は実在しているとする人、さらには稗田おんまゆらのような占師・オカルティストも会員に含まれている。 運営委員 [編集] 山本弘(会長)「トンデモ本」シリーズの大半の執筆者だが、例会ではカルトな映像作品や玩具の紹介が多い。と学会の名付け親であり、設立の提案者であることから会長となった。本人いわく「当初は会長になる気はなかったが押し付けられた」とのこと[14]。 藤倉珊(副会長、のちに辞任)トンデモ本という概念の生みの親ながら、「つっこみやすい本をえらんでつっこむという手法」に疑問を感じるようになったなどの理由により、と学会へ書評を寄せることは一時少なくなっていたという[15]。活動再開の理由は、内容が明らかにおかしいのにベストセラーになったり、マスコミに好意的に取り上げられたりするものを指摘するためとし、『カルト資本主義』(斎藤貴男)や『奇跡の詩人』、『水からの伝言』シリーズ(江本勝)等を取り上げている。特に『カルト資本主義』などのソニー批判に対して激昂し、他の書評と文体が著しく異なる。似顔絵が美形なのは眠田直いわく「ゴネ得」だという[16]。なお、藤倉と交友があった柳下毅一郎も創立当初は参加していたが、藤倉のその姿勢に共鳴して、退会した。 唐沢俊一 永瀬唯 皆神龍太郎 眠田直「トンデモ本」シリーズで挿絵・漫画担当になることが多い。 一般会員 [編集] (以下五十音順) 青井邦夫(イラストレーター) 明木茂夫(中京大学国際教養学部教授) 天羽優子(山形大学理学部准教授) 伊東岳彦(アニメ作家、イラストレーター) 江藤巌 開田あや(作家) 開田裕治(イラストレーター) 川口友万 (サイエンスライター) 菊池誠(大阪大学サイバーメディアセンター教授) 気楽院 バカ宗教愛好結社「埼京震学舎」主宰 桐生祐狩 (作家)数少ない女性の創設メンバー 声(タレント) 「日本トンデモ本大賞」司会進行 近衛秀一(神主) 酒井和彦 公式グッズ製作担当(バッジや半纏、手ぬぐいなど) 瀧川鯉朝(落語家) 立川談之助(落語家) 多摩坂真逆(フリー編集者) 新田五郎 原田実(古代史研究家) 稗田おんまゆら(占い師) 著作が「トンデモ本の逆襲」で紹介されたこともある「逆コウモリ」。と学会の観察対象者をさす呼称のひとつに「鳥」(前述のバードウォッチングの比喩に基づく)があるが、稗田はイソップ童話のどっちつかずのコウモリを引き合いに「ビリーバーに水をかけ、逆に懐疑論者には信じさせようとする」というスタンスを表明している。 本郷ゆき緒 前野昌弘(物理学者、琉球大学理学部教官) 横田順彌(SF作家) と学会設立のきっかけとなった藤倉珊の同人誌『日本SFごでん誤伝』のタイトルの元ネタ『日本SFこてん古典』の著者。このことから入会を勧誘して入ってもらったという[17]。 元会員 [編集] 伊藤剛 柳下毅一郎 岡田斗司夫(元ガイナックス社長、オタキング) 年会費滞納を理由に2008年5月21日に退会処分。メーリングリストでも発言がなく、幽霊会員状態だったという[9]。 植木不等式 2009年に退会したが、2010年の『トンデモマンガの世界2』に非会員として寄稿[8]。 鶴岡法斎 この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 物故会員 [編集] 志水一夫 運営委員。山本、藤倉両名を引き合わせた張本人であり、本人曰く仲人役。2009年7月3日、胃癌の為逝去、55歳没) ------------------------------------------------------------ ちなみに、と学会の会員だった「植木不等式」は、マスゴミで大活躍(?)している 原発慰安婦・木元教子の息子である。 ------------------------------------------------------------ 植木 不等式(うえき ふとうしき、1958年(昭和33年) - )は、東京都出身の日本のお笑いサイエンスライター。東京大学卒。本名は非公開。元早稲田大学客員研究員。名前は植木等のもじりである。駄洒落による導入、博識に基づく素材の選択、意表をつく考察などのスタイルに特徴がある。 ------------------------------------------------------------ 木元教子 木元 教子(きもと のりこ、1932年12月19日 - )は、評論家・ジャーナリスト。北海道苫小牧市生まれ。中国(旧満州)で育つ。都立豊島高校、立教大学文学部英文科、立教大学法学部卒。 目次 [非表示] 1 来歴・人物 2 主な公職 3 家族 4 著書 5 資格 6 テレビ出演 6.1 テレビドラマ 6.2 報道番組 7 外部リンク 来歴・人物 [編集] 4歳の時、父の仕事で旧満州の吉林省敦化に移住。終戦の1年前に、父が南方に出征したため、北朝鮮の羅津から新潟港へ最後の貨客船で帰国している。そのため同年代の中国残留日本人や、北朝鮮による日本人拉致問題に対しては深い思い入れがある。 TBS(当時・ラジオ東京)にアナウンサーとして1956年に入社。1957年、TBS朝の情報・報道番組として、生のニュース番組のはしりとなった「ニュースレーダー」を、時の政治評論家細川隆元とともに出演、話題となる。細川は、今日の木元教子を育てた一人でもある。 1962年に退社し、フリーとなり、二人の子どもを育てながら、フジテレビ「小川宏ショー」(1965年5月〜)、その後、同じくフジテレビ「3時のあなた」(1968年4月〜1969年3月)の、各初代司会者となった。 その後、フジテレビと契約、初のメイン女性ニュースキャスターとなる。キャスター引退後、評論活動を中心とし、報道番組、社会情報番組等のコメンテーターをはじめ、フリーランスの立場で講演、執筆、シンポジウム等の総合企画・プロデュースを手がけ現在にいたる。 近年は、エネルギー、特に原子力にウエイトを置き発言。一般国民とのパイプ役としての役割を意識し、原子力委員会に「市民参加懇談会」(2001年〜)を立ち上げた。木元の原子力へのかかわりは、「小川宏ショー」特番で毎年「原爆の日」に広島、長崎から生レポートを担当したことや、その後のニュースキャスターで、被爆国なのに「なぜ原子力か」との疑問から始まっている。だがその前の1963年〜1964年に当時のNET(現在のテレビ朝日)で、「マンガのおじさん」という生番組の司会を木元が担当、手塚治虫と週一回の共演をしていた。木元が、エネルギー、原子力に取り組む原点には手塚治虫と『鉄腕アトム』が存在し、原子力委員になった木元の「原子力の平和利用」の主張に、大きな影響を与えている。2002年6月5日朝日新聞の朝刊2面。当時の福田康夫官房長官、また安倍晋三代議士が早稲田大学で、核兵器の保有は日本国憲法に違反しないとか、非核三原則の見直し発言を行ったことにつき、6月4日の原子力委員会で、木元委員が「原子力の平和利用に限っている原子力基本法にもそぐわない」と発言、抗議表明を求めた。しかし委員長は継続して検討するに留まった。その後、6月18日の朝日新聞「私の視点」に、木元の「核論議『平和利用限定』を忘れるな」の原稿が載っており、平和利用の番人とされる原子力委員会でただ一人、その立場を明確にしていた。また、1978年、当時小学5年の次男が学校から社会科の参考として「こわい原子力発電」 というガリ版刷りの資料を持ち帰ってきた事に関心を抱き、自分の目で勉強し、確かめようと考え行動を起こしたと、原子力委員就任(1998年1月5日)の際に語った。またその時に、「見える」「逃げない」「行動する」原子力を委員のモットーとすると言明している。 なお次男は福島原発に勤務しており、東日本大震災当時も福島原発にいたと朝まで生テレビ(2012年3月10日放送分)で明らかにした。 2007年の春、今までの功績から旭日中綬章を受章。 長男である木元俊宏は植木不等式のペンネームまたは本名で著作活動をしている。1979年9月、本名にて『母親への公開状』(青娥書房)を出版している。 主な公職 [編集] 内閣府 原子力委員会委員(1998年1月〜2006年12月) 経済産業省 総合資源エネルギー調査会・委員(1989年1月〜) 文部科学省 中央教育審議会・スポーツ振興特別委員会委員(1998年8月〜) 農林水産省 21世紀村づくり塾 100人委員会委員(1989年10月〜) ETT『フォーラム・エネルギーを考える』運営企画委員(1990年7月〜) 食の教育推進協議会 共同創設者・実行委員(1993年11月〜) 生活構造改革フォーラム・代表(1994年3月〜) (財)社会経済生産性本部・評議員(1994年4月〜) NPO法人『21世紀の食は私達が作る会』代表(2005年12月〜) ほか 家族 [編集] 夫(TBSを経て、現在青森テレビ監査役)、息子二人(内の一人は、お笑いサイエンスライターの植木不等式) 著書 [編集] 「結婚も仕事もしたいあなたに」(大和出版、1980年7月) 「子離れ親離れのすすめ」(経済界、1981年11月) 「キャンパスへの旅」(サンケイ出版、1982年5月) 「結婚・こども、どう考えますか」(三笠書房、1985年5月) 「姑ばなれ、嫁ばなれ」(海竜社、1988年2月) 「わたしの人生、今が一番」(海竜社、1993年10月) 「ちょっと待って!暮らしとエネルギーを考える」(株式会社エネルギーフォーラム、2001年12月) 絵本「100年後の地球」(株式会社エネルギーフォーラム、2003年11月) ほか ------------------------------------------------------------ |