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原子力安全・保安院(上)震災3日後 独断で撤退
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120424/trd12042408160003-n1.htm
2012.4.24 08:12 産経新聞
「組織が全く消失していた」。内閣府原子力安全委員長、班目(まだらめ)春樹(64)は、東京電力福島第1原発事故直後の経済産業省原子力安全・保安院の対応について、「福島原発事故独立検証委員会」(民間事故調)に聴かれ、そう言い切ったという。
保安院には順守することを定めた4つの行動規範がある。筆頭は「強い使命感」であり、こう続く。《常に国民の安全を第一に考えた任務遂行》《緊急時における安全確保のための積極果敢な行動》。残り3つは「科学的・合理的な判断」「業務執行の透明性」「中立性・公正性」だ。しかし、11年前の保安院設置時に掲げられた崇高な理念は浸透していなかった。
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1号機が水素爆発した昨年3月12日。原子力災害対策本部が置かれた首相官邸は異常な雰囲気に包まれた。飛び交う断片情報に駆け回る関係閣僚や官僚。しかし、そこにいるべき重要な人物がいなかった。
当時の保安院院長、寺坂信昭(59)だ。原子力規制を担う組織のトップで、原災本部事務局長でもある。彼はその前日、つまり東日本大震災発生の当日午後7時すぎ、原災本部初会合終了時には官邸を去り、保安院に戻っていた。
「事務系の人間なので、私が残るよりも技術的により分かった人間が残った方がいいと判断した」。今年2月15日の国会事故調査委員会で、証人として呼ばれた寺坂は、そう弁明した。質問した委員の中央大法科大学院教授、野村修也(50)は「規制行政庁のトップに原子力についての知見を持たない方がなっておられるということか」と言葉を失った。
保安院に戻ってからも、寺坂が官邸に電話したのは「数回程度」(寺坂)。規制機関のトップとして、首相の右腕となり事故対応の中心的役割を担うべき人物は全く機能しなかった。
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“敵前逃亡”は寺坂だけではない。福島第1原発で勤務していた保安検査官らも同様だった。当時、原発敷地内には保安検査官ら職員8人がいた。平時は施設の巡視点検などを行うのが役割だが、緊急時には現場確認や本院への情報提供を行うことになっている。
彼らは、3号機が水素爆発し、2号機でも原子炉内部の放射性物質を含む蒸気を外部に逃す「ベント」ができないなど、状況が悪化する中、事故から3日後の昨年3月14日午後5時には、独断で現地を離れていた。国は現場の情報を得るチャンネルを失い、情報収集は東電に頼らざるを得ない状況が生まれた。
保安検査官らが撤退した日は、東電が政府に「全面撤退」を申し入れたとされる時期と重なる。当時の首相、菅直人(65)は同15日早朝に東電本店に乗り込み「撤退はありえない」と拒否したが、この時すでに政府側が現場から撤退していたのだ。
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■おごりで世界標準から後れ
原子力安全・保安院の行動規範に記された「強い使命感」。ある保安院幹部は「これですよね」と、手帳から二つ折りにされた行動規範の紙を取り出し、文面に目を落としてつぶやいた。「情けないですよね…」
実際、福島第1原発事故での保安院の対応は、その言葉に尽きてしまう。
保安院は平成13年の省庁再編で発足した。11年に茨城県東海村で起きたJCO臨界事故対応で、当時の規制当局だった科学技術庁の隠蔽(いんぺい)体質が批判され、「日本にも原子力規制専門の組織を」との声が高まったことなどが背景にある。
「国民の厳しい負託の中、自分で考え判断できる自立した組織にしなければならないとの思いがあった」。昨年8月、寺坂信昭に代わり保安院長となった深野弘行(55)は当時をそう振り返る。保安院設立準備担当参事官として組織誕生に携わった一人として、自責の念を込めるように語った。「事故への備えが不十分だった。日本の安全水準は高いとのおごりがあり、国際的な流れに目を向けてこなかった」
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日本が見過ごした「国際的な流れ」の一つが、規制組織の改革だ。
国際原子力機関(IAEA)前事務次長で、世界の原子力規制に詳しい東京工業大特任教授の谷口富裕(68)は「世界ではチェルノブイリ事故を契機に、2000年代ごろから規制組織の独立と一元化が進められたが、日本は安全神話が妨げとなり徹底できなかった」と話す。
保安院は原発を推進する資源エネルギー庁とともに、経産省の下に設置されており、同一人物が「推進側」と「規制側」を人事異動で行き来することも少なくない。また、放射線モニタリングなど一部の規制業務を文部科学省が所管するなど、規制の一元化が図られていなかった。
このことは今年2月に公表された民間事故調の報告書も「責任の所在が曖昧で、安全規制ガバナンスの『無責任状態』が生まれた」と指摘。十分に機能が果たせなかった背景として取り上げた。
米国やフランスの規制組織は、特定の行政機関から完全に切り離され、大統領や議会が直接責任を持つ専門組織として存在している。意思決定も委員が自らの責任で行うため、政治からも独立している。
規制組織のあり方を検討する自民党プロジェクトチーム事務局長で、衆院議員の柴山昌彦(46)は「独立性が担保されていれば、海水注入やベントで混乱を招いた『菅リスク』と呼ばれる事態は起きない。規制組織を考える上で独立性は最も重要なポイントだ」と話す。
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しかし、海外のモデルをそのまま当てはめても、必ずしも十分に機能するとはかぎらない。日本独自の事情があるからだ。
谷口はその例として、官僚の人事制度や専門性軽視の風潮を挙げる。「1、2年で担当が変わる現状の制度では、専門性は身につかないし使命感も育たない」。福島の事故で露呈した保安院の無責任な対応も、こうしたことが背景にあるという。
日本原子力学会副会長の沢田隆(65)は「最大の課題は人材をいかに確保するかだ」と指摘する。規制を行うには専門性の高い優秀な人材が不可欠だ。しかし、国民の反発が根強く、エネルギー政策でも原子力の位置づけが定まらない現状では、人材が集まらずに、再び規制が形骸化する恐れがあるという。
政府は1月、原子力規制庁の設置法案を国会に提出した。しかし、野党は「対策は不十分」と反発を強めており、設置予定日の4月1日を過ぎた今も、先行きは全く見えていない。(敬称略)
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福島第1原発事故で、存在感を示せず非難された保安院は廃止され、業務は新設される原子力規制庁が引き継ぐ。なぜ有事にその役割を果たせなかったのか。保安院のあしきDNAを伝えぬためにはどうすればいいのか。組織の実態を検証し、規制庁の課題を探る。
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