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株式日記と経済展望
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日本では、原子力発電をおこなっている電力会社に原子力の専門家が
いないのだ。日本物理学会の会員名簿を調べたときに偶然わかったことだ
2012年4月23日 月曜日
◆原発是非論の前に知っておくべき福島原発2つのミス 4月23日 池上彰
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20120416/231067/?P=1
池上:「原発危機の経済学」を書き上げてから齊藤先生は今回の原発事故をどう御覧になっていらっしゃいますか?
齊藤:まず、先に結論を言ってしまいますと、現在主流の軽水炉発電、普通の水で制御する発電ですね、こちらはよほどのことがない限り安全性が保てる技術で、海岸沿いの発電所の場合は、いざという時も海水を注入すれば冷却ができます。前もっての準備と日ごろの管理をしっかりしておけば、安全性はとても高い。
池上:そんな安全な技術が現在あるのにもかかわらず、福島の原発はなぜ事故を起こしたのでしょうか?
齊藤:それは、福島第一原発の原子炉、とりわけ1号炉がものすごく時代遅れの古い施設だったから、というのが第1の理由でしょう。1号炉は、東芝や日立製作所や三菱重工など、日本企業が自主技術として原発を開発できる以前に、米国のゼネラルエレクトリック(GE)社製のプラントがぽんと置かれただけの第一世代の古い設備だったのです。
このため、東京電力やメーカーが自前で、強度から危険性まで様々なリスクマネジメントに必要なデータをちゃんと詰めないまま、使い続けていた。そこに震災と津波があった、というわけです。
池上:時代遅れで、しかもリスクマネジメントが根本のところでなされてなかった原発を地震と津波が襲った結果、未曾有の事故につながったわけですね。
齊藤:「工学」的に考えれば、設備の所有者である東京電力自身がリスク管理を十分していなかった、時代遅れの輸入設備を使い続けてしまう、というのはあってはならないことです。
あらゆる技術はトライ&エラーを繰り返して発達していきます。とりわけ原子力発電のような巨大技術の進歩は著しい。現在の軽水炉は相当安全だ、と申し上げましたが、逆にいえば、古い設備は技術的に見ても、耐用年数を考えても、相対的に危険度が高い、といえます。福島第一原発については、専門家が工学的に見たら、本来は交換しなければならない設備でした。
ところが、原発の実際の運用において、こうしたリアルな工学の視点が欠けていたわけです。
今後の原子力発電の在り方を考える上で、福島第一原発1号炉は歴史的記念物的な象徴になってしまいました。だからこそ、原発に賛成か反対かの前に、まず原発の工学と経営について、冷静に問うべきなのです。
池上:確かに、福島第一原発の事故原因と、原発の是非とがごっちゃになって語られがちです。福島第一原発については、原発の是非以前に、工学的に見て、使ってはいけないものを使い続けていた――というのがそもそもの事故原因である、という見解ですね。
政治家の無能をあげつらう前に、原発の運営そのものを問題
齊藤:本当の意味で参考になるのが政府事故調査委員会の資料です。今年の3月になって民間の事故調査委員会の資料がそろいましたが、こちらは政治家にヒヤリングをしているので、目を通すと政治家の無能さ加減が際立つ。けれども、そちらだけを見てしまうと、何でもかんでも政治家の無能のせいにしてしまう恐れがあります。
池上:事故が起きたあとの政府や政治家の判断のまずさの前に、まず検証すべきことがある…。
齊藤:原発事故当初の判断が正しかったかどうか、政治家の責任はもちろん問われるべきですが、その前に精査しなければならない問題があるはずです。つまり事故を起こした原発そのものの工学的、経営的な見地から見た問題点の洗い出しです。
それを知るのには、2011年末に出された政府の事故調査委員会の報告書の方がはるかに参考になります。とても分厚いのですが、目を通すと、こちらは政治家へヒヤリングする前の報告書なので、原子力発電所の現場に即した極めて工学的な情報がたくさん載っています。
池上:それで、政府事故調の資料から見えてきたのはどんなことですか。
機械は必ず壊れる、というのは工学的には「想定内」
齊藤:1つは、先ほどから述べている工学的な視点で見た時に、様々なミスを犯してきた、ということです。東電福島原発の現場も、東電本部も、政府の原子力規制当局も、ECCS(非常用炉心冷却装置)を余りに過信して、その結果、事故への対応そのものを間違ってしまった。
池上:具体的にどのあたりが間違っていたのでしょうか?
齊藤:今回、福島の第二原発は事故を免れましたが、実はかなり危うい状況にありました。原発の冷却システムの根幹である1次冷却系には不可欠なものが2つあります。1つが海水取水ポンプで海から水をどんどん取り込んで熱を吸収する。もう1つは電源です。この両方がないと1次冷却機能は正常に働きません。そこでECCSです。ECCSの役割は何か。
それは万が一、1次冷却系が故障したときに、それが復旧するまでの「時間稼ぎ」なんです。ECCSが冷やしてくれている間に、どうにかこうにか故障した1次冷却系を直せば、原発を冷温停止できるようになる。ただしその猶予は数日間にすぎません。
池上:ということは、結局、本体の冷却系を直さなければ、たとえECCSが稼働していても、時間切れになってしまえば、アウト、というわけですか。
齊藤:その通りです。福島第二原発の場合、電力は確保できたのですが、ポンプの方が部分的にやられました。このポンプは建屋の中にあり、モーターを交換すれば復旧する状態だったので、3日かかってモーターを取り替えて、1次冷却系を再起動させました。その間、ECCSが時間を稼いだわけです。けれども、このモーターの交換があと1日遅れていたら、第二原発も危なかったそうです。
池上:そんなに危なかったんですか。
齊藤:原発施設の下の圧力抑制室には水を張ったプールがあります。ECCSは最後の最後にこのプールの水を引っ張ってきて冷却するんですが、冷却しようにも、その前に冷却できない状況が続いていると沸騰してしまう。沸騰した水では冷却のしようがないですから、ECCSが機能しなくなってしまう。
福島第二原発は、その一歩手前の状態でモーターを取り替えられたためにポンプが動き、半日かけて冷温停止にこぎつけました。ぎりぎりだったんです。モーターがもし取り替えられなかったら、大変な事態が起きていたかもしれません。
池上:ECCSという技術に対する明らかな過信があったわけですね。
齊藤:ECCSの機能を工学的にきっちり見極めていれば、ECCSができることはここからここまで、と考えて「いざというとき」の対応策をあらかじめ講じておく、いうのは自明です。ところが、ECCSの運用に関して、楽観的な思い込みが東京電力本社側にありました。福島第二原発は幸運にして事故に至りませんでしたが、福島第一原発の方は潜在的には工学的な視点を欠いた運用の失敗事例といえるでしょう。
池上:工学的視点を欠いた運営がなされていた、というのは、結局、東京電力の経営陣とガバナンスを行う官僚たちの問題になりますね。
齊藤:原子力発電のような巨大技術を扱うには、現場のみならず、電力会社の経営陣や監督官庁の官僚たちが、工学的なリアリティを持ち続けて、経営や監督をしなければならないはずです。ところが、福島の原発に関しては、工学的なリアリティを持った経営も監督もされていなかった。
池上:事故が起きた時の東電本社と政府の慌てぶりと、「想定外」と度々口にして責任を逃れようとする様は、まさにそれを証明していますね。
現場に権限を渡さなかった東電の経営ミス
池上:事故を起こしてしまった第一原発については、どんな事実が事故調の資料から見えてくるのでしょう?
齊藤:こちらに関しては、経営判断のミスがはっきり事故につながったことが判明します。
福島第一原発は、電源が落ちた上に海水取水ポンプも致命的なダメージを受けました。取水ポンプがほとんどむき出し状態だった。津波でいったん海水をかぶってしまうとポンプは壊れてしまい、動かせません。どんなに時間を稼いでも、1次冷却系の再稼働は難しかったわけです。しかも早い段階で近所のダムから淡水を取り込む施設が破壊され、淡水を確保できなくなりました。
となると、炉心溶融を防ぐには、ECCSが時間を稼いでいる間に、「ベント」によって原子炉内の圧力を下げ、目の前の海から海水を入れるしかありません。
池上:ところが、すぐにやるべき海水注入が遅れていまいました。なぜでしょう?
齊藤:ここで経営判断のミスが起きました。1号炉については、事態の進行が余りに速かったので、経営の判断をうんぬんすることは難しいですが、少なくとも、2号炉と3号炉については、経営判断の是非を議論する余地が十分にあると思います。
ECCSそのものは、今申し上げたように、一次冷却系が故障したときに、時間稼ぎとして冷やす行為を代替する装置です。このため、事故に見舞われた福島第一原発の2号炉と3号炉はそれぞれ、ECCSを回しながら、さっさと海水注入を実施しなければなりませんでした。
でも、実際には、この海水注入の準備が遅れに遅れてしまった。政府事故調の記録によると、東京電力本社は、あくまで淡水注水にこだわって、海水注水を最後まで躊躇していたようです。しかも、現場を統率していた吉田所長は当時、本社の躊躇ぶりを伝えられていた。現場として海水注入を行おうにも、原子炉格納容器の圧力を下げるベント作業に着手しようにも、本社の命令がなかなか下らないために、いつまでたっても動きがとれませんでした。
池上:本社と現場との判断のずれで対応が遅れてしまったわけですね。
齊藤:政府の事故調の報告書にはきっちり書かれていますが、そもそもこうした深刻な事故が生じたら、本社から現場にすぐに指揮権を移動させなければなりません。ところが今回、東京電力本社では一切そうした措置をとっていなかったのです。これがベントや海水注入のタイミングを逸してしまった大きな原因となりました。福島原発の現場には作業の最終判断を行う権限が移されていない。このため、何をやるにもいちいち東京の東電本社におうかがいを立てなければなりませんでした。
福島の現地での判断は、事故が起きた早い段階でベント作業と海水注水を行わなければ危機的状況に陥る、というものだったそうです。ところが、東電本社が極めて緊急な事態にもかかわらず、平常時の命令系統を変えなかったわけです。このため判断が決定的に遅れてしまいました。
池上:戦闘のまっただなかで、最前線の部隊が本部に戦い方を聞かなければならないようなものですね。現場で事故が起きているのに、その状況を把握できない東京本社に指揮系統がある。動きたいのに動けない。まさに現場からすると「ベンチがアホやから」といいたい状況が、生じてしまった――。(後略)
(私のコメント)
「株式日記」では福島第一原発災害は人災であると何度も書いてきました。しかし具体的にどこに問題があったかは、今日の池上氏のインタビューを見ればはっきりと人災であることが分かります。措置が適切であればメルトダウンは防ぐことが出来たはずだ。しかし東電の経営陣は廃炉にする決断が付かずに現場に判断を任せることをしなかった。
原発にはECCS(非常用炉心冷却装置)が付いていて、1日か2日は時間稼ぎが出来ますが、その間に廃炉を決断して海水を流し込む作業を全力ですればメルトダウンは防げただろう。1号機もECCSの弁が閉じるなどの不手際がありベント作業も遅れた。その為に翌日の12日に水素爆発が起きて、東電や官邸はびっくりして始めて海水注入を決断したのだろう。しかし間に合わなかった。
当時の混乱状況では状況把握が難しく、東電の会長も社長も出張でいなかった。原発と言う非常に危険な発電所を管理していながら最高責任者の不在は命取りになります。しかし勝俣会長はマスコミOBと一緒に中国に慰安旅行に行っていた。このような緊張感の無さが大災害の原因になっている。森総理がえひめ丸事故が起きた時にもゴルフに出かけていてマスコミに叩かれましたが、東電の経営陣も叩かれるべきだ。
根本的には斉藤氏が答えているように1号機は、「福島第一原発については、専門家が工学的に見たら、本来は交換しなければならない設備でした。」と言うように廃炉にすべき設備だった。原発関係者にはメンテナンスすれば60年でも使えると言う人がいましたが、金属パイプやコンクリートの劣化を考えれば専門家でなくとも危険であることは判断できる。
福島第一と福島第二原発の違いはどこになったのだろうか? 斉藤氏の話によれば、「福島第二原発の場合、電力は確保できたのですが、ポンプの方が部分的にやられました。このポンプは建屋の中にあり、モーターを交換すれば復旧する状態だったので、3日かかってモーターを取り替えて、1次冷却系を再起動させました。その間、ECCSが時間を稼いだわけです。けれども、このモーターの交換があと1日遅れていたら、第二原発も危なかったそうです。」と、僅かな違いが第一と第二の運命を分けた。
「株式日記」でも何度も書いてきたことですが、原子力発電と言う巨大で危険なシステムを管理するには、東電の経営者では工学的な事が分かる人材がおらず、非常時の対応に出来る経営者ではなかった。だから原発を民間会社に任せること事態が間違いなのだ。斉藤氏も、「原子力発電のような巨大技術を扱うには、現場のみならず、電力会社の経営陣や監督官庁の官僚たちが、工学的なリアリティを持ち続けて、経営や監督をしなければならないはずです。ところが、福島の原発に関しては、工学的なリアリティを持った経営も監督もされていなかった。」と指摘しています。
これは電力会社だけではなく、日本企業全体にも言えることですが、創業者はホンダやソニーなども技術者が社長であり新製品を次々と作る能力があった。しかし時間が経つにつれて日本企業は営業や総務などの分野からの社長が多くなり技術が分かる社長が少なくなってしまった。企業内の出世競争においてはどうしても口達者な営業や総務部門の役員が有利になり、技術部門の役員は出世競争に敗れてしまう。東電の社長も総務の役員でありコストカットで業績を上げた人物だった。
民間会社では原子力発電の専門家を社長にすることは難しいだろう。だから「株式日記」では原子力発電は国有化して、原子力発電の専門家を経営者にするくらいの体制でないと非常事態に対応が出来ない。日本の総理大臣も経済の事が分からず、松下政経塾といった促成栽培の政治家が首相になっていますが、世間知らずが首相になると官僚の言いなりになってしまう。
普通の民間会社なら経営と研究開発の分離があってもおかしくはありませんが、原子力発電は最高責任者がトップにいないと再び事故を起こすことになるだろう。東電も今度は弁護士さんが社長になるようですが、弁護士は金で犯罪者の弁護をするのが仕事だから人間の屑のような人物が多い。仙谷政調会長代理も枝野経済産業大臣も弁護士上がりですが、電力会社から金をもらえば喜んで電力会社のために尽くすのは弁護士だからだ。
技術者はどうしても専門分野に閉じこもりがちで、一般のマネジメントに疎いから大学などの研究所に固まってしまう。電力会社に原子力の専門家がいなくなってしまうのも、民間会社では当然なのだろう。「もんじゅ」の事故でもナトリウムを扱う科学者がいなかったということですが、これでは事故ばかり起こすのは当然だ。
◆これが電力会社の優先順位なのか? 22月28日 西岡昌紀のブログ
http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/5251010.html
最近の「もんじゅ」の事故で、私が腹が立つのは、現地にナトリウムを取り扱う専門の化学者が一人もいなかったため、どう対応してよいかわからず、事故を危険に近くなるまで拡大させてしまったということである。
この問題は、すでに「もんじゅ」の事故以前から非常に気になっていた。あるとき、ある電力会社に原子力関係のことでコンタクトしたとき、応対してくれた人の中に一人も物理学を勉強した者がおらず驚かされたことがあった。私の知っているかぎり、ドイツ、スウェーデン等の外国では、かつて原子核物理学の研究をしていた私の同僚たちが電力会社で働いているし、台湾に行ったときも、たまたま訪ねた台湾電力で、上の人に「ちょうどよかった。今度新しい原子核物理学者をやとったから、ちょっと会ってくれないか」と言われて面会させられたことがある。
ところが日本では、原子力発電をおこなっている電力会社に原子力の専門家がいないのだ。この事実に私が気がついたのは、別件で日本物理学会の会員名簿を調べたときに偶然わかったことだ。メーカー、つまり「何々原子力」というような会社にいる者はけっこう多く、数ページに一人くらいの割で見つかるというのに、電力会社に在籍しているものはほとんど見つからなかったのである。
(森永晴彦『原子炉を眠らせ、太陽を呼び覚ませ』(草思社・1997年)64〜66ページ)
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