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響く爆発音、始まる悪夢 放射能汚染が現実に
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1098/20120313_01.htm
2012年03月13日 河北新報
<生きて帰れないかも>
「生きて帰れないかもしれない」。東京電力福島第1原発自衛消防隊に所属する男性社員は、思った。
昨年3月12日午後3時36分、1号機原子炉建屋が爆発した。同じ現場で注水作業をしていた協力企業の社員が、血を流して免震重要棟に運び込まれた。
早朝から注水作業に駆け回っていた。津波で全電源を失い、通常の手段ではもう原子炉を冷やせない。ポンプ車の水は底を突く寸前だった。
第1原発の緊急時災害対策本部からの指令は「水を探せ。海水でなく真水を」。1〜3号機の防火水槽を見て回り、訓練用の模擬原子炉も調べた。
<無責任なこと言うな>
最初はポンプ車で水を集め、ホースを1号機タービン建屋の送水口に取り付けて原子炉に送ったが、効率が悪い。次に、かき集めたホースをつなぎ、水源−消防車−送水口のラインをつくった。放射線量が高くなり、作業は交代制になった。
「免震棟に戻ってちょっと休憩したら、またすぐ現場へ。寝てるんだか起きてるんだか、訳が分からない状態だった」
12日午後2時55分ごろに真水が尽き、津波で構内にたまった海水を注入するラインに切り替えた。1号機爆発は、その数分後。爆発でホースが損傷し、海水注入は夜までずれ込んだ。
「ドーンという建物が倒れるような音だった」と証言するのは、免震棟にいた別の協力企業の男性作業員(32)。直後、「全員、2階の会議室に入れ」と指示を受けた。400〜500人いた。
午後4時すぎ、テレビで1号機の爆発を知った。「うそだろ」。近くにいた原子力関連メーカーの社員がつぶやく。
腹が立った。「おまえらが造ったのに、無責任なことを言うな」
前日は3号機の原子炉建屋で働いていた。会議室には対策本部が置かれ、吉田昌郎所長らが詰めた。夜、所長と東電本店などとのやりとりを耳にした。
「水がない。冷却できなくなる」
「ポンプ車を送った」
「ポンプ車はある。水がない。すぐそこにある水(海水)を使っていいなら、すぐ入れる」
「待ってくれ」
<何で防護服なんだ?>
免震棟は寒かった。12日未明、男性作業員が自分の車で暖まろうと外に出ると、防護服姿の人が放射線を測定している。
「何で防護服なんだ?」と構内用の携帯電話で東電社員に聞くと、それには答えず「すぐ免震棟に戻れ」。対策本部から「水素を抜かなくては」という声が聞こえた。
免震棟の喫煙室にいた14日午前11時ごろ、腹に響く重低音を聞いた。「3号機だ」と周囲が口々に言った。対策本部の様子から、3号機が危ないと知っていた。爆発後、「退避命令が出る」とささやかれ始めてもいた。
午後8時ごろ、吉田所長は協力企業に伝えた。「これ以上お願いすることはない。各社の判断で逃げてくれ」
政府の事故調査・検証委員会中間報告によると、吉田所長は1〜3号機が「チャイナ・シンドローム」に陥ると考えたという。
炉心溶融(メルトダウン)した核燃料は原子炉も格納容器も突き破り、とめどなく地中を下りていく。「米国で事故が起きると、地球の裏側の中国に達してしまう」。チャイナ・シンドロームは、例え話で最悪の原子力事故を指す言葉として使われてきた。
翌15日、4号機も爆発し、福島県内の放射線量が急上昇した。膨大な放射性物質による深刻な汚染。悪夢が、現実となった。
◇ ◇
1〜3号機が相次いでメルトダウンした福島第1原発事故は前例のない放射能汚染をもたらし、多くの人々に痛みを押し付けている。東北には国内全原発の約4分の1に当たる14基が立地し、その全てが東日本大震災で被災した。これまで「安全」を信じ、立地による地域振興に期待してきた東北は、これから原子力とどう向き合っていけばいいのか。空前の事故を検証しながら考える。(原子力問題取材班)
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