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浜岡原発停止10日間の攻防 (中日新聞)
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投稿者 虎丸花蜂 日時 2012 年 4 月 17 日 00:09:47: ZoHfPWCwONHuo
 

【浜岡原発停止10日間の攻防】

2012年4月11日

1.シナリオ

 当時の菅直人首相の要請で、昨年5月に全面停止した中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)。福島第一原発事故の直後とはいえ、特に事故や不祥事を起こしていない運転中の原発を超法規的措置で止めるのは国内の原発史上初めてだ。しかし、水面下では、浜岡停止と引き換えに他の原発の再稼働をもくろむ経済産業省と、これに抵抗する官邸との間で激しい攻防があった。東海地震の震源域に立地する「世界一危険な原発」(英紙インディペンデント)はどのようにして止まったのか。停止要請に至る10日間の舞台裏を、関係者の証言から再現する。(敬称略、肩書は当時)

◆止めて、他の原発を立ち上げる

 昨年4月27日午後5時すぎ、東日本大震災後初となる政府の中央防災会議が首相官邸2階小ホールで開かれた。

 「あすで東日本大震災から49日になります」。首相の菅直人(65)があいさつした。東北から太平洋沖の地震対策が議題となり、関係閣僚や学者らが顔をそろえた。経済産業相の海江田万里(63)は菅の正面に座った。

 地震が専門の東大名誉教授、阿部勝征(67)らが説明役を務めた。「3ページ目をご覧ください」。海江田が配布された資料を一枚めくると、「東海地震 30年以内の発生確率87%」とあった。原発所管の大臣として、震源域に中部電力の浜岡原発が立っているのは前から知っていた。しかし、福島事故を目の当たりにした直後。「87%の数字は衝撃だった」

 散会後、海江田は席を立った官房副長官の仙谷由人(66)に歩み寄った。「やっぱり、浜岡は危ないよね」。独り言のようにつぶやく海江田に、仙谷は「そうやなぁ」。2人は黙って会場を後にした。

 官邸から経産省に戻る車中。海江田は資料を再びめくった。「東海地震」「87%」「南海トラフ」…。浜岡の危険性を連想させるキーワードが脳に刻まれた。秘書官の佐脇紀代志(43)は「大臣は黙って資料に目を落としていた」。

 中央防災会議の翌28日。海江田は、震災復興の補正予算案を審議する衆院予算委員会など国会日程に追われた。夜遅く経産省本館11階の大臣室に戻り、事務次官の松永和夫(60)を呼んだ。時計は午後11時に指しかかろうとしていた。

 海江田は単刀直入に切りだした。「浜岡を止めた場合の影響を、省内の一部の者だけで検討してみてくれ」。官僚の抵抗があるのではないか、と心配したが、松永は意外にもあっさり応じた。「中電は原発依存度が関西電力などと比べて低い。どうしても止めたいのであれば何とかできます」

 松永には、思惑があった。世論の反対が強い浜岡の運転をやめれば、国民の不信感が和らぎ、他の原発の再稼働に道が開ける−。松永は「浜岡を止めて、他を立ち上げるシナリオを詰めてみたいのですが」と申し出る。

 海江田は黙って、うなずいた。ただ、話が少しでも漏れれば、電力業界などの反発でつぶれかねない。官邸の情報管理を疑っていた海江田はこう付け加えた。「サプライズ(驚き)が必要だ。絶対秘匿、官邸には漏らすな」

 夜が明けた29日午前、経産省内で浜岡停止の検討が始まった。参加したのは松永を筆頭に、一握りの大臣官房や原子力安全・保安院幹部だけ。中電社長の水野明久(58)が28日、定期検査で停止中の浜岡3号機を7月に再稼働することを表明し、対応を急がねばならなかった。

 最大の問題は、浜岡を停止させる法的根拠。松永は、保安院幹部から「原子炉等規制法や電気事業法の安全規制法令では、停止命令を出すことはできない」と報告を受けた。

 再び大臣室に足を運んだ松永はこう伝えた。「事故があったり、トラブルがあれば止められます。しかし、それがないので、大臣による行政指導しかありません。中電が従うかどうかは分かりませんが…」

 海江田は、ちょっぴり不安になった。

【浜岡原発】静岡県御前崎市に立地する中部電力唯一の原子力発電所。1号機(発電量54万キロワット)は1971年3月に着工し、76年3月から運転を開始。78年11月に2号機(84万キロワット)、87年8月に3号機(110万キロワット)、93年9月に4号機(113・7万キロワット)、2005年1月に5号機(138万キロワット)が運転を始めた。08年12月に1、2号機は耐震工事に多額の費用がかかり採算が合わないとして廃炉を決めた。中電は津波対策として年内の完成を目指し海抜18メートルの防潮堤を建設している。しかし、内閣府の有識者会議が3月31日に公表した「南海トラフ」の地震想定見直しで、津波の高さが防潮堤を上回る最大21メートルに上方修正し、経済産業省原子力安全・保安院は中電に対策を指示した。


2.手詰まり

 経済産業省が浜岡をスケープゴート(生け贄(にえ))にして、他の原発の再稼働を画策していたころ。官邸でも、浜岡原発の停止に向けた別の動きが出ていた。

◆海江田「絶対、漏らすな」

 4月28日午前7時50分すぎ、官邸で開かれた経済情勢に関する検討会合。前日に経産相の海江田万里(63)から浜岡のことを耳打ちされた官房副長官の仙谷由人(66)が会議の終わりごろ、発言した。「浜岡は大丈夫なのか」

 その場で、突っ込んだやりとりはなかった。会議終了後、官房長官の枝野幸男(47)が仙谷にそっと近づき「その件は、もう、細野さんがやっているので任せてください」と小声で伝えた。仙谷は、自分の知らないところで、浜岡停止の動きがあるのを初めて知る。

 細野豪志(40)。首相補佐官で、浜岡の地元、静岡県選出の衆院議員。福島事故では政府と東京電力の統合対策本部の事務局長を務めるなど原発に詳しく、首相、菅直人(65)の信頼も厚かった。

 経産幹部に「官邸には漏らすな」と指示していた海江田も頼りにしていた。29日夜東電本店2階の対策本部で、細野に「浜岡が気になってしょうがない。経産省にも止めよう、と伝えた」と語っている。

 海江田と細野が会っていたころ、官邸のあるじ、菅は首相公邸で内閣審議官の下村健一(51)と久しぶりに夕食を共にしていた。元TBSアナの下村と菅は30年来の付き合い。下村は、市民運動家から宰相に上り詰めた菅を「夢見るリアリスト(現実主義者)」と評価し、菅も下村は数少ない側近の一人として心を許していた。

 下村も浜岡が気がかりだった。遠回しに「どうして『脱原発』とはっきり言わないんですか」と尋ねると、菅は「言わずに持っていくのが、政治だよ」。

 下村は後日「忠臣蔵の大石内蔵助」状態、と大学ノートに書き留めている。世間にとぼけ通して、討ち入りを果たした内蔵助と菅を重ねてみた。

 このころ、政界では福島事故対応の不手際を理由に「菅降ろし」が激しさを増していた。下村ノートは、こう続ける。

 「こーゆー場合、トボけ続けていいのか? ニオわせるべきなのか?」

 官邸が浜岡の議論を本格的に始めたのは3月下旬から4月初めにかけて。官邸がひそかに国の原子力委員長の近藤駿介(69)に福島事故の「最悪のシナリオ」作成を依頼し、その結果が届いた3月25日と符合する。

 首都圏の住民3000万人が避難する衝撃的な結果に、官邸の誰もが言葉を失った。同じ事故が人口の密集する太平洋ベルトのど真ん中にある浜岡で起きたら「福島の比ではないと背筋が凍った」と、関係者は証言する。

 元首相補佐官の衆院議員の寺田学(35)は、菅と2人だけの席でこう進言した。「今後は原発の再稼働や安全管理という話になる。特に浜岡は対応をお考えになったほうがいい」。官房副長官の福山哲郎(50)も「浜岡はいろいろ問題になってますけど、どうしますかねえ、と尋ねたのは一度や二度ではない」と証言する。

 菅は、側近の助言に耳を傾けながらも「うーん」「そうだなあ」を繰り返し、慎重さを崩さない。潮目が変わったのは5月2日の参院予算委員会だった。

 浜岡への対応を求める社民党党首の福島瑞穂(56)の質問に、菅は「必ずしも福島の問題の結論が出るまで待つことなく、検討したい」と踏み込んだ。答弁を聞いた下村は「いよいよ討ち入りか」と身構えた。

 その夜、議員宿舎に戻った福島は駄目押しの電話をかけている。「菅さん、浜岡を止める裁判が起きますよ。総理が追い詰められてぼろぼろになって止めるのではなく、自分から先手必勝で止めてくださいよ」

 菅は、受話器の向こうで黙っていた。決意の一端を示してはみたが、これといった妙案があったわけではない。官邸の手詰まり感をよそに、経産省はシナリオ実現に向けて着々と歩を進めていた。


3.響く怒号

 5月5日朝、まだ肌寒い東京駅。経済産業相の海江田万里(63)は浜岡原発の視察に向かうため、7時26分発のこだま635号に乗り込んだ。

◆堤防にならない。こりゃ駄目だ

 前日に美浜原発の視察で、福井県を往復したばかり。座席を倒し、目を閉じた。4月末から詰めてきた浜岡停止のシナリオ。視察は経産省が「アリバイ作り」のためお膳立てしたようなものだが、最後は自分の目で確かめたい気持ちがあった。

 JR掛川駅で降り、ワゴン車で浜岡に到着したのは午前10時。ゲート近くの事務本館の会議室で、中部電力社長の水野明久(58)らが緊張した面持ちで迎えた。首相補佐官の細野豪志(40)も同行した。海江田は胸の内を悟られないよう気をつけた。「しっかり見たい」とあいさつする。

 視察はバスで、非常用発電機や川から水を引くポンプの設置場所を巡るコース。問題視されていた海岸の砂丘も入っていた。

 3号機前の海岸でバスを降りた。ヘルメットのつばを上げ、岸沿いに延びる砂丘を眺めた。案内役の中電幹部は「砂丘堤防です」と説明したが、海江田の見方は違った。

 「大きな津波が来れば波が砂丘をはい上がる。堤防にならない。こりゃ駄目だ」

 海江田が停止に傾いた理由はもう一つある。同行した経産幹部は、安全対策に必要なガソリン式ポンプの駆動時間を中電がうっかり間違えたことだった、と証言する。

 「自信がないなら『確認する』って言ってくれ。間違った情報がインプットされてしまうじゃないか」。中電幹部をしかる海江田の怒声が視察現場に響いた。

 側近は「大臣はいつも『現場の人を見れば大体分かる』と言っていた。いいかげんな説明に現場のモラルが低い、と感じたようだ」と話す。

 視察後、海江田は取り囲む報道陣に「結論を出すのは5月初旬」とけむに巻いたが、腹は固めていた。停止中の3号機の再稼働先送りと運転中の4、5号機を止める全面停止だった。

 経産省に戻ると、大臣室に事務次官の松永和夫(60)、原子力安全・保安院審議官の黒木慎一(54)ら幹部を集めた。翌6日に行われる記者会見の段取りを詰めた。

 「午後1時〜1時30分 総理、官房長官、福山副長官、細野補佐官へ説明」

 「午後4時 大臣会見」(緊急対策+浜岡)

 「大臣会見と並行して、与野党幹部他関係者へのご連絡」

 A4判2枚の資料に詳細な時間と役割が記されていた。会見前には、海江田が中電社長の水野と静岡県知事の川勝平太(63)へ直接連絡することも確認した。後は、首相の菅直人(65)にどう切りだし、了承を得るか。それが最も難しいハードルだったことを、海江田は後になって知る。

 海江田と別れた細野はこのころ、官邸で官房副長官の福山哲郎(50)に視察の報告をしていた。「浜岡は止めなきゃだめですよね。海江田大臣も了承ですよ、きっと」。細野の言葉に、福山は驚く。

 「へぇ〜、勝負は早いな」


4.主導権争い

 5月6日、浜岡の長い一日が始まった。

 官邸4階で原子力災害対策本部会議が終わった正午前。経済産業相の海江田万里(63)が首相の菅直人(65)に耳打ちした。「総理、お時間ありますか」。

◆中電に拒否されたらどうするんだ

 総理執務室は、5階の南西側。屋根の採光窓から差し込む日差しを受けながら、180センチを超える海江田がさっそうと入った。保安院審議官の黒木慎一(54)や大臣官房総務課長の柳瀬唯夫(50)が続いた。時計は午後1時を指そうとしていた。

 20畳ほどの執務室。菅はいつもの椅子に座った。海江田は三人掛けのソファの菅に一番近い場所。長方形のテーブルを挟んだ向かいに官房長官の枝野幸男(47)や副長官の福山哲郎(50)が並んだ。

 「昨日、浜岡に行ってきました」。海江田は、単刀直入に切りだした。「中央防災会議でも示されたように、浜岡は危険です。法的な権限はないが、運転を止めたいと思う」

 菅は定期点検中の3号機の再稼働を見送る意味に受け取った。「3号機か」と問い返すと、海江田は「いや、全部です」。

 「本当か。全部で、平気なのか」と念を押す菅。運転中の4、5号機まで止めることを考えていなかった。

 原発を推進する経産省が、なぜ「全面停止」を決断したのか。菅は腹に落ちなかったが、それがかえって「海江田はやるじゃないか」という気持ちに変わった。

 「よしわかった」。意を決した菅。だが、決裁の判はつかなかった。

 「災害確率は、どのデータに基づいているのか」

 「法律で何とかできないのか」

 菅は議論を促し、細かい説明を求めた。

 「早く了承を取り付けて、次の手続きに入ろう」。そう考えていた経産省側の計算が狂い始めた。

 弁護士出身の枝野は分厚い六法全書を持ち出した。原子炉等規制法、電気事業法、原子力災害対策特別措置法…。破れんばかりの勢いでページを繰った。だが、いくら目を凝らしても政府の権限で原発を止める法律はなかった。

 「権限がないなら、要請という形をとるしかないんじゃないか」

 「中電に拒否されたらどうするんだ」

 意見や疑問が飛び交った。今度は「誰が会見するのか」でもめた。枝野と福山は「こんな大事な会見は総理がやった方がいい」と主張した。菅内閣の支持率がじりじりと低下していた。当時官邸にいた誰も認めないが、あわよくば「脱原発」で政権を浮揚させたいという期待は隠しようがなかった。

 官邸と経産省の思惑が交錯し、結論が出ないまま1時間以上が過ぎた。夕方に再び協議することになり、経産省が描いた午後4時の海江田会見は中止に追い込まれた。

 「また捕まったな」。海江田は部下に申し訳なさそうにつぶやき、いったん官邸を離れた。


5.知事の電話

 6日午後1時30分。かかってくるはずの電話がかかってこない。長野県軽井沢の自宅で休んでいた静岡県知事の川勝平太(63)は、受話器を取り、電話をかけた。

◆何をもめているのか

 1時間ほど前、県庁の部下から「一時半に海江田大臣から電話があります。電話口にいてほしいとのことです」と連絡があった。

 川勝が、電話をかけたのは経済産業相、海江田万里(63)の側近。「大臣は会議中なので、終わり次第、電話します」。海江田は、首相の菅直人(65)から浜岡停止の了解がなかなかもらえない。経産省が当初描いたスケジュールは大幅にずれ込んでいたが、川勝はそんな事情を知る由もなかった。「一体、どうなっているのか」

 さらに1時間半後。業を煮やした川勝は、携帯電話を取り出し、登録リストの「細野豪志」に発信した。首相補佐官の細野(40)は、前日5日に行われた浜岡視察で海江田に同行していた。その時、細野が「地元とのパイプ役になる」と話したのを思い出した。短い発信音の後、細野の声が聞こえた。

 細野「私もちょうど電話しようと思っていたところです」

 川勝「経産省から電話をくれると言われたままだが、どうなっているのか」

 細野「まだ会議中です」

 川勝「何をもめているのか」

 細野「浜岡3号機の停止は決まった。4、5号機をどうするかでもめています」

 川勝は5日、視察後の海江田と会談し「津波対策は不十分で、3号機の再稼働を認めるのは難しい」と伝えている。呼吸を整えて、細野に自身の考えを告げた。

 「津波の安全対策が十分でないと、3号機は動かせない。再開を認めないだけで、メッセージは十分だ。4号機は来年1月、5号機は3月に定期検査に入る。3号機を動かせない以上、4、5号機は『自然死』する。夏場の電力需給を考えると、動かしておいた方がいい」

 「知事の意向は分かりました。伝えます」。細野はそれだけ言うと、電話を切った。


6.高まる不信

 午後4時半ごろから、再び総理執務室に同じ顔ぶれが集まった。官房副長官の仙谷由人(66)や経済産業省事務次官の松永和夫(60)らが新たに加わった。

◆菅「おれが会見する」

 経産相の海江田万里(63)は同じ場所、少し遅れてきた仙谷が、その対面に座った。総勢20人を超えた。執務室のソファや椅子がほとんど埋まった。目の前で下される判断の重さを物語っていた。

 「検討しましたが、やっぱり行政指導しかありませんでした」

 原発を止める根拠の確認に当たった経産省の事務方が報告した。「脱官僚」を掲げる民主党政権。「行政指導では、イメージがよくないわな」。仙谷がつぶやいた。

 「金融支援や液化天然ガス(LNG)の確保を考えている」。法に基づかない政府の要請で、浜岡原発を止める異例の措置。海江田は政府支援のメニューを並べ、行政指導での決着に理解を求めた。中部電力が停止を受け入れやすくする配慮だった。

 「大臣に言われる前から、浜岡のことは考えていた」。終始、黙って聞いていた菅が口を開いた。「おれが会見する。下村君を呼んでくれ」

 5時ごろ、4階の自室にいた内閣審議官の下村健一(51)の電話が鳴った。「総理がお呼びです」。首相秘書官の声を聞いて、階段を駆け上った。

 下村が総理執務室に着くと、官房長官の枝野幸男(47)が単刀直入に言った。「浜岡を止めることにしました。総理が発表するから、用意してください」

 「今日発表でいいよね、寺田君」。枝野は菅側近の衆院議員、寺田学(35)に確認を求めると、寺田は意外にも反対した。

 「どうして、そんなに急ぐのか。大事な話なのだから、もっと練ってから発表した方がいいのではないか」

 寺田は、菅が今から急に会見すれば「いつもの思いつき発言」と、受け止められると考えた。本来の意図が矮小(わいしょう)化され、逆に政権批判につながることを心配した。

 ここで、経産省大臣官房総務課長の柳瀬唯夫(50)が寺田に反論する。「何としても今日、発表すべきです」

 柳瀬は、原子力政策課長時代、将来的に原発比率を最大40%以上にする「原子力立国計画」を取りまとめていた。「その柳瀬が、なぜ原発停止に賛成なのか」。寺田は、次官松永の顔色を見ながら話す柳瀬の態度を見逃さなかった。

 菅のブレーンで、会議に出席した内閣官房参与の田坂広志(60)も「海江田さんと経産官僚との、ある合意した方向感覚があった」と証言する。

 「ここまで議論した。今日やらないと、浜岡停止はマスコミや電力業界に漏れて、つぶされる」。枝野の発言を受け、仙谷が口を開いた。「下村さん、今から準備したら何時にできるかな」

 下村は執務室の壁掛け時計に目をやった。針は6時前。「7時10分です」。NHKのニュースで生放送されることを意識した。

 隣の秘書官室で、首相会見の草案づくりが始まった。部屋に入る前、枝野は「経産が事前に作った文案が一応ある」と下村に紙を差し出した。

 「すべての原発で安全対策が適切に措置」「津波で電源を失っても、炉心損傷を防ぎ、冷温停止ができる」「浜岡は、中長期対策が必要」…。

 一読した官房副長官の福山哲郎(50)は「これじゃ原発を動かすというメッセージだよ」。下村を中心に田坂や秘書官ら数人がパソコンの画面を囲んだ。「純粋に『浜岡を止める』というだけの内容に書き直す」。下村はそう決めてパソコンに向かった。

 そのころ、海江田は静岡県知事の川勝平太(63)と中電社長の水野明久(58)への事前連絡に追われた。川勝は「英断だ」とたたえ、水野は「えっ、ちょっと待ってください」と動揺を隠せなかった。

 「国民の皆さんに重大な発表があります」。午後7時10分に始まった菅の記者会見は時間にして八分41秒。記者からの質問もわずか2問で打ち切った。官邸の神経質ぶりがうかがえた。

 下村が菅へ最終稿を渡したのは会見の15分前だった。「いつもはアドリブ(即興)を入れる総理が、あの時だけは原稿通り読んでいた」

 保安院原子力発電検査課長の山本哲也(52)は菅の発言が経産省の用意した原稿と大きく異なっていたことに驚いた。他の原発の再稼働へ道筋がつくどころか、「脱原発」の序章になってしまった。

 「浜岡停止を再稼働に生かせなかった。ていねいにシナリオづくりできなかったのは残念だ」。海江田側近の1人は悔しさを隠さなかった。

    ◇

 この特集は、寺本政司、北島忠輔、鈴木龍司、細井卓也、加藤隆士が担当しました。

中日新聞:1.シナリオ:浜岡原発停止10日間の攻防(CHUNICHI Web)
中日新聞:2.手詰まり:浜岡原発停止10日間の攻防(CHUNICHI Web)
中日新聞:3.響く怒号:浜岡原発停止10日間の攻防(CHUNICHI Web)
中日新聞:4.主導権争い:浜岡原発停止10日間の攻防(CHUNICHI Web)
中日新聞:5.知事の電話:浜岡原発停止10日間の攻防(CHUNICHI Web)
中日新聞:6.高まる不信:浜岡原発停止10日間の攻防(CHUNICHI Web)


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