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4/11 「福島の子供達は避難すべきか? 」 マリークレール part1
http://blog.livedoor.jp/ryoma307/archives/6091675.html
2012年04月11日00:00 Nuclear F.C : 原発のウソ
フランスの雑誌マリークレール3月号にふくしまの記事が載りました。 「福島の子供達は避難すべきか? 」
Faut-il évacuer les enfants de Fukushima?
福島原発の事故から1年が経つ今も、福島に住む人たちは放射能のある中で生活を続けてる。彼らが直面している恐ろしいジレンマ、それは国や県の言っていることを信じるか、それとも危険性を指摘する医者たちが言うように、避難をするべきなのか・・・
新幹線で福島駅に着いてみると、普段より呼吸を控えようとしている自分に気が付いた。けれど、チェルノブイリの事故以来、最大級の原発事故で有害物質がまき散らされた空気の中で、そんなことをしようとするのは馬鹿げた試みなのだった。
そのことを話すと2児の母のAさんは笑いながらこう言った。「私たちも始めはそう思ってました。呼吸してもいいの?って。だけどすぐに呼吸しないなんて無理だってことに気が付くんです。
爆発の後から日常のほんの些細なことですら、いちいち疑問に思うようになりました。この水は飲んでもいいの?食べ物は?外でもう干せなくなった洗濯物は?ちょっと窓を開ける時ですら、風向きを確認してから開けるんです。」
とはいえ、原発から60キロの福島市は他の都市と大して変わらない雰囲気で、一見すると日常を取り戻したかに見えてしまう。ここには津波や地震による痕跡はほとんど残ってないし、すれ違い様にマスクをしている人を見かけることすらまれなのだ。
この街で事故を想起させるのは、ほんの小さなディテールだ。母親のカバンに入ったガイガーカウンター、子供の姿の見えない公園、窓際から離して置かれた子供用のマットレス。
そして雨や雪が降った時、空気中の放射性物質が地上に舞い降りるのではという苦悩。
福島市には別名放射能通りと呼ばれる道もあり、その道では測定器が高い線量を示すらしい。それから家庭の親密な空気の中で、親たちの頭を離れることがない疑問。
「今日の福島は、子供達にとって一体どれほどの危険性があるのだろう?」
大量の鼻血と原因不明の下痢
1月には福島市内で市民主催の子ども健康相談会が開催された。
健康相談会会場には毎月日本中から10名くらいの小児科医や栄養士、心理士たちがボランティアでやって来て、福島の住民たちが無料で身体の調子や悩みについて相談できるようになっている。ここにやってくる両親は、中学生の子供の慢性的疲労や、小さい子の気になる症状、病院での検査結果などを抱えてやってくるという。
チェルノブイリの架け橋という団体のメンバーで、小児科医のHさんは単刀直入にこう言った。「福島の子供達から、大量の鼻血や下痢が報告されています。チェルノブイリ以来、これらは外部から大量の放射線を浴びた結果の初期症状だとわかっています。子供の免疫力は大人の8分の1の強さしかないのです。」
ボランティアチームの医師、Nさんによると、爆発後の急激な外部被曝に加え、呼吸や爆発の後数ヶ月、数年にわたって食べるもので引き起こされる内部被爆が、長い目でみると一番危険なのだという。そういうわけで、放射能の危険性を指摘する医師たちは、今日の日本のコンセンサスとは違った言葉で話を締めくくる。
「福島産の果物や野菜、水や牛乳、米はなるべく避けること。体内の放射性物質を除去する働きがあるペクチンをなるべく摂取すること。子供達の様子を定期的にチェックすること。可能な限り頻繁に、遠く離れた所へ子供を連れて行って保養させること。そしてもし可能なら−−− 避難させること。」
避難・・・愛着のある土地や人から離れて引っ越しをする・・・。
福島県では人口200万人のうち、すでに6万2千人が県外へ避難したという。
25年前のチェルノブイリ同様に、まずはそれが可能だった家庭から。爆発直後、避難区域に指定されたのは原発から20キロ圏内の場所だけだ。この現状に対し、数々の団体が、福島市まで避難区域にすべきだと主張してきた。
というのも、福島市では避難区域で立ち入り禁止の場所よりも高い放射線量を示すところがあるのだから・・・「少なくとも家庭を持つ人や妊婦さんで避難したい人たちは補償をもらって避難できるようにするべきだと思います。20キロの避難区域なんて、当時のチェルノブイリ以下ですよ。」と言うのは福島市に市民放射能測定所を設立したIさんだ。
もちろんお金の問題は避難を妨げる主要な要因だ。けれど問題はそれだけじゃない。
福島に残る方がいいと言う人たちも沢山いるのが現状なのだ。離れよう、と決心すると家族がバラバラになることもあるからだ。30代でエレガントな女性のNさんは台所で3人の娘さんたちの料理を作りながら取材に答えてくれた。
「5月に内閣参与の方が涙ながらに訴えているのをテレビで見たときにすごく衝撃を受けました。彼は政府が子供達の放射線許容量を引き上げようとしているのが許せなかったんです。
それを訴えて彼は辞任しました。その頃長女のリンパ腺は腫れ、大量の鼻血を何度も出しました。鼻血を止めるのにティッシュを一箱使うことすらあったんです。
私のまわりには今までに見たこともないような症状を出した子供達が沢山いました。」
彼女は料理を教える仕事を中断し、住んでいた郡山市から110キロ離れた山形県の借り上げ住宅に移ることにした。3部屋あるアパートの家賃は山形県が払ってくれる。
それ以降彼女は家族の形をなんとか保とうとして努力している。旦那さんは週末に山形にやってくる。「この生活は以前に比べて毎月10万円近い出費がかかります。今のところなんとか節約してやっていますが、この先は? 日々の生活の中で、主人と離れて暮らすのは本当に辛いです。」
事故から1年が過ぎようとしても、この出来事は人間関係を引き裂いている。
カップル間、家族間、世代間、市民間、避難区域に指定された人たちと自主避難者との間でも、放射能の危険性について話を始めた途端、関係性がギクシャクしたものに変わってしまう。
強制避難区域を広げることを拒否した日本政府は「除染」の効果を強調することを選び、福島での生活はもはや危険ではないと言い張っている。福島市役所を訪ねてみると、今後5年間で森林も道路も全ての家も放射線の除染が完了する予定だと説明された。
(続く)フランス語翻訳、取材同行通訳 飯田美樹
転載先: alternativeway
4/11 「福島の子供達は避難すべきか? 」 マリークレール part2
http://blog.livedoor.jp/ryoma307/archives/6091705.html
2012年04月11日00:10 Nuclear F.C : 原発のウソ
マリークレール3月号「福島の子供達は避難すべきか?」続きです。
インターネットで野菜を注文
学校の校庭では表土が5センチ削り取られ、地中深くに埋められた。
何ヶ月も前から、子供たちは校庭で活動することが公式に許可されている。
「そんなの全然納得できない」と言うのは、福島で学校を経営しているフランス系カナダ人のRさん。「僕は表土を15p削り取ったよ。それで他県から運んで来た土で表土を覆った。だけど子供たちにはもう外では遊ばせないようにしてるんだ。」
「そんなの全然納得できない」と言うのは、福島で学校を経営しているフランス系カナダ人のRさん。「僕は表土を15p削り取ったよ。それで他県から運んで来た土で表土を覆った。だけど子供たちにはもう外では遊ばせないようにしてるんだ。」
彼の奥さんは取材時、妊娠9ヶ月。彼女は3人目となる子供を福島で産むことにした。
「みんなここでは近所の人が明日もここに居るかしら、と考えながら暮らしています。それは正直かなり辛いです。避難をするかどうかというのはあくまでも私的な決断ですが、いつだって他の人たちから何かしら言われるものなんです。」
6歳児の母親であるKさんは「国や県の言うことなんか信用していません」と言う。「でも福島を離れることによるストレスと、残ることのストレスを天秤にかけて、ひとまず残ることにしたんです。
親戚は皆福島だし、お店のローンの返済も終わっていないし・・・」彼女は旦那さんと、子供を産んだばかりの妹さんと両親とともに、生活様式を変えながら、ここで生きていくことにした。知り合いの母親たちと測定器を手にしつつ、ホットスポットをなるべく避けて動いている。
「野菜は全部インターネットで注文します。なるべく福島から遠くで生産されていて、何ベクレル以下か表示されているものを選ぶようにしています。今では割と簡単にそういったものを見つけることができるんです。でも食費は2倍になりました。」一方で子供服の売り上げは半分に下がってしまったという。
この土地にとって重要な農業を守るため、市内のスーパーでは事故前に愛されていた「地産池消」の掛け声の下、福島県産の果物や野菜が他県のものに比べて半分か3分の1の値段で販売されている。野菜の並ぶ棚には「安心、安全」という表示。 それを信じてもいいのなら−−−
Kさんはそんな福島での精神の疲労をこう語る。「もう畑が汚染されているなんてみんなわかっています。でも一度ここで採れた野菜を食べてみたってすぐ何か起こるわけじゃない。それで、もう生きるのを自分で大変にするのはやめにしようと思って何かをやめることにするんです。
忘れることにさえしてみたら、日々の暮らしは本当にシンプルになるからです。」現在の彼女たちにとっての最大の脅威、それは元に戻ったかに見える福島の日常の中で、放射能の存在を忘れていくことなのだ。
「一番難しいのは思春期の子供たちなんです」と語るのは、郡山に住む中高生の母親たち。「中学生たちはマスクをつけるのすら嫌がるし、牛乳を飲むなと言っても言うことを聞いてくれません。ある日娘が外出していて、今日はどこに行ってたの?と聞いてみたら「福島牛のバイキングに行って来た!」なんて嬉しそうに言うんです!家ではこんなに気を付けてるのに。子供が「俺は原発推進派だからな」なんて言うこともあるんです。」
チェルノブイリでは14歳から19歳までという、彼らを守ろうとする人たちの言うことを聞かない世代が、ガンの発生数が一番高かったという。彼女たちは、郡山に住む小中学生が集団で安全な場所に疎開できるようにと郡山市に対して裁判を起こしている。
けれども裁判は棄却された。彼女たちは裁判を続けることにしたものの、あくまでも匿名であろうとする。「放射能のことについて何か言うのはまわりから嫌な目で見られます。今ではもう、みんな普通の生活を送っていたいんです。」
今日では福島の中学では、彼らの継続的な部活動は廊下で行われている。学校側の見解は「雪が降ってあまりに寒いから。福島の冬というのはこんなもの」だそうだが、この取材をしていた1月はじめ、お正月の地震の後でセシウムの降下量が急上昇したというのは誰もが知っていることだ。
13歳の中学生の息子の母親であるSさんは、そんな学校の先生たちの態度に耐えきれなくなったという。彼らはもはや生徒に対して放射能への注意を促すことをやめたのだ。
そんな態度に嫌気がさした彼女は子供を連れて関西に引っ越しをすることにした。
私たちが彼女の息子に、避難することについてどう思うかと尋ねてみた時、彼女の運転する車内は長いこと重い沈黙に支配されていた。
運転席からこちらを振り返った彼女は目に涙を浮かべながらこう聞いた。
「あなただったら? あなたが私の立場だったら?
あなただったらどうします?」
転載元:alternativeway
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