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株式日記と経済展望
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2050年頃には、日本は「エネルギーの永久自給国」というゴールに
かなり近づいている。バイオ燃料・バイオガスなどで占められるだろう。
2012年4月3日 火曜日
◆水素エネルギー社会は夢で終わる(その3)――R水素はコンセプト倒れとなる 4月2日 山田高明
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120402-00000303-agora-sci
結局、R水素の出番はあまりない
ましてや、R水素で燃料電池車や水素内燃車を走らせるとなると、これはもう完全にジョークの域である。すでに二次エネルギーである電力で水素を作ると、それは三次エネルギーである。その水素を燃料電池に投入し、さらに電気を作るとなると、消費端では「四次エネルギー」と化す。仮に三次エネの水素を内燃車に投入し、直接燃焼させたとしても、内燃機関自体のエネルギー利用効率が悪いので、総合効率でいえば、四次エネで走る燃料電池車とほとんど大差ないと思われる。
これが「石油の代わりになる」と考えている人は、おそらく持続可能性の獲得にプライオリティを置くあまり、エネルギー収支比を無制限に犠牲にすることも厭わないタイプであろう。だが、太陽光や風力による電解水素の生産・流通・消費システムを社会に固定化させてしまった場合、エネルギーはとんでもなく高価になり、われわれは生活水準の大幅な切り下げを余儀なくされるに違いない。だいたい、エネルギー効率が内燃自動車よりも著しく劣っていれば、それはもはや文明の後戻りである。よって、私はrenewableの代わりにridiculous意味で「R水素」(イカレ水素)と呼ぶことを提唱したい。
このように、R水素は、自然エネルギーの保存方法としても、自動車用燃料としても、著しく合理性を欠くのである。太陽光や風力による電力は、優れた蓄電池でそのまま保存し、供給の安定化を図りつつ、EVなどのエネルギー源として利用するのが科学的にも正しいと思う。とすると、最後に残る関門は「マテリアル利用としてどうか」である。
これも、あまり需要はありそうにない。というのも、近年、バイオ燃料とバイオガスの生産技術が急速に進歩しているからである。今日、石化製品は、石油質のバイオ燃料・バイオメタン・植物原料などの持続可能性素材から、誘導生産することができる。もちろん、化学・工業原料としての水素のニーズはあるが、依然として流通コストに難がある以上、今よりも極端に大規模化するとは考えられない。とすると、結局、R水素なるものは、石油の代わりとして新たに社会や文明の「コア」を担うどころか、素材部門の一角を占める程度がせいぜいだと思われる。このように、現実には、将来的にもR水素の出番はほとんどないと考えられるので、このような概念にあまり固執すべきではない。
“水素エネルギー社会”の神話は崩壊した
一部には、定置式の燃料電池が普及した社会を強引に“水素エネルギー社会”と見なす向きもあるようだ。だが、これは苦しい見方である。実際に行われているのは、あくまでメタンなどのガスの生産・貯蔵・輸送である。これならば水素と異なり、簡単・安全で、特別な技術や追加投資もいらない。消費端でそのガスを直接燃やそうが、あるいはオンサイトで水素を抽出して発電しようが、それはあくまで消費者の選択でしかない。しかも、今後、自動車の本命はあくまでEVであり、燃料電池車や水素燃料の流通は、少なくとも全国レベルではありえない。そうすると、このような社会は「ガスと電力」によって支えられているのであって、決して“水素エネルギー社会”ではない。
自然エネルギーの保存方法として不適切で、自動車のエネルギー源としても欠格である以上、今後とも水素がエネルギーの主役になったり、水素を中心とした社会インフラが出来上がったりする可能性はない。あくまで部分的・地域的な利用に留まるだろう。いかに持続可能であっても、必然的に高価にならざるをえないエネルギーは、われわれの暮らしをかえって貧しくする。人が合理的な選択をする以上、もっとシンプルで効果的な別の方法が好まれるに違いない。
以上、いかに学者・官僚・著名人が大真面目に水素エネルギー社会を提唱していようとも、そのようなものが実現する可能性はほとんどない。彼らはNAS電池の登場あたりで、自分たちの主張が根拠を失ったことに気づくべきであった。これは「理念倒れ」、つまり「コンセプトとしての敗北」である。おそらく、ポスト石油文明の過渡期に現れては消えていく候補の一つなのだろう。
このシリーズで何度も訴えているように、自覚的に脱石油を進めていくと、必然的に天然ガスが一次エネルギーの主役になるというのが、私の説である。私はこれを指して「メタン文明」と呼んでいる。それは石油文明よりは安泰で、はるかに居心地のよいものだ。だが、技術の進歩は留まるところはなく、私の予測では、メタン文明へのシフトが完了してから早くも数十年以内には、今度は自然エネルギーが主役の座を射止めるだろう。しょせん持続不可能なメタン文明は、現れてはすぐに過ぎ去っていく通過点のようなものである。
おそらく、2050年頃には、日本は「エネルギーの永久自給国」というゴールにかなり近づいているものと思われる。家庭や企業が使うエネルギーの大部分は、自然エネルギー由来の電力・バイオ燃料・バイオガスなどで占められるだろう。水素はエネルギーや素材の一角を担っているかもしれないが、それだけの話であり、“水素エネルギー社会”と呼ぶまでには至らない。やはり近未来のエネルギーの中心を担うのは、太陽光・風力・地熱などの自然エネルギーであり、それらが生み出す力強い電力である。
さて、蛇足である。
この“R水素騒動”を眺めて改めて感じるのは、エネルギー問題とはまた違った次元の、社会心理学的な問題である。周知の通り、海外発の最新のコンセプトに何の疑問も持たずに飛びついて、国内向け代理人の地位にいち早く納まり、「我こそは世界の流行の最先端にいる者だ」というオーラを同胞に向けて発散させることが、昔からの日本の進歩的知識人の習性である。また、大半の日本人も、三つ葉葵を突き出されたかのように、海外権威のご威光に「ははーっ」と盲目的にひれ伏してしまう。そのことを思えば、あながち個人にばかり責任を着せられない。
最近の言葉では、こういうのを“辺境者意識”というらしい。要するに田舎者のメンタリティである。残念ながら、自然エネルギー論者にもそういう人たちが多く、二言目には「ドイツに学べ」「日本は世界から取り残されている」と叫んでいる。
だが、私はあくまで逆を訴える。「日本はバスに乗るな」と。日本はあくまで独自の自然エネルギー戦略を考え、それを粛々と実行していけばよいのである(*むろん、かく言う私もちゃんと考えてあるので、それは近々発表していきたい)。
(シリーズ「石油文明からメタン文明へ」18 *これは自然エネルギー社会論争の、内輪の争点みたいなもので、一般の人にはあまり興味がないかもしれませんね。 山田高明)
(私のコメント)
福島第一原発の事故は、日本のエネルギー産業の大転換点であり、原発が一旦事故を起こせば広範囲な地域が住めなくなることを示している。原子力村の連中は原発が絶対に安全だと言い続けてきましたが、デタラメなことがわかった。原発を停止させても使用済み燃料は何年もかけて水で冷やし続けなければ安定貯蔵が出来ない。
もし福島第一原発の事故が起きていなければ、民主党政権は原発にますます頼る形でエネルギー政策が続けられるところだった。政治家に科学的な知識を求めても無理なのですが、原子力発電は自然エネルギー供給が可能になるまでのつなぎであり本命ではない。再生可能な自然エネルギーの事は原発事故の前にも「藻によるバイオ燃料」の事を書きました。
つまり石油に代わるバイオ燃料の製造が可能になり、農産物として石油に代わる酸水素ガスが出来ることを紹介しました。既にバイオ燃料で旅客機を飛ばすことにも成功している。バイオ燃料は成分が石油とほとんど同じだから自動車も船もそのまま使えるし、ガソリンスタンドもそのまま使える。問題はコストであり量産化が進めば石油に代わるエネルギーとなるだろう。
それ以外にも、蓄電池の進歩によって電気自動車や家庭用電源として太陽電池と家庭用蓄電池の組み合わせも増えていくだろう。「株式日記」でも紹介しましたが水を特殊な装置で電気分解して「酸水素ガス」を作り、天然ガスに混ぜて使えば天然ガス発電所の燃料に使える。「OHMASA?GAS」と呼ばれるものですが、それだけでも自動車を動かすことも出来るだろう。
しかしいずれも本格化するには、時間がかかり、それまでのつなぎとして原子力発電を再稼動させるべきだろう。原発は安全だと宣伝してきたから事故が起きたのであり、危険なものだと自覚していれば事故が起きても適切に対応が出来たはずだ。しかし原発には燃料の問題があり将来的には全部解体しなければならない。
地球温暖化とかCO2の問題は、最近ではマスコミが騒がなくなりましたが、原発事故で一気にムードが変わってしまった。科学者の中には水素エネルギー文明が来ると言う人もいますが、山田氏が指摘するように水素には致命的な欠陥がある。自動車メーカーには水素自動車を作ったところがありますが無駄な努力だ。自動車用燃料電池車も開発されましたが、これも無駄な努力に終わるだろう。
石油が枯渇することは目前にまで迫っていますが、それは安い石油のことであり、石油が1バレル=数百ドルになれば代替エネルギーに切り替わるようになるだろう。その一番手が天然ガスでありシェールガスが大量に採掘されるようになりました。その為に天然ガスが値崩れしているほどだ。今年の夏は電力会社も天然ガス火力発電で間に合わすようですが、酸水素ガスも実用化されれば発電コストも下がるだろう。
水素ガスは天然ガスよりも扱いが難しく、福島第一原発も水素ガス爆発が起きた。水素ガスが漏れて一定の濃度になるだけで大爆発を起こす。そんな危険なものを大都市に供給することは実用的ではない。それに比べれば天然ガスは都市ガスとして供給されて家庭用の燃料にまでなっている。家庭用の燃料電池も実用化されていますが天然ガスが原料であり水素ではない。
このように考えれば将来はバイオ燃料と酸水素ガスの時代が来ると思われますが、両方とも日本で生成することが可能であり、エネルギーの自給自足が可能になるだろう。このように考えれば民主党政権が描いていた原子力発電推進政策は原子力村官僚による策謀によるものだろう。そして原発を新設することは無駄であり、地元の了解が得られないから不可能になった。
水素エネルギーも原子力エネルギーも問題が多く将来性はなくなった。これも福島原発事故のおかげであり、発展途上国も原発建設を推進している国がありますが、大事故が起きれば世界中に核物質を撒き散らすことになる。菅政権は事故によって巻き散らかった放射能データーを抹消したそうですが、文部科学省と原子力安全委員かとが責任のなすりあいをしている。このように政府は無責任であり間違ったことを推進しようとしていた。
それに対してバイオ燃料や酸水素ガスに対する国の政策はまったく無視されてきましたが、原子力村官僚が潰してきたのだろう。少なくとも実験プラントぐらいは作って国家の新エネルギー政策として進めるべきだ。バイオ燃料が国産として出来るようになればオイルメジャーが潰れるのでしょうが、中東の産油国も石油が売れなくなって値下げせざるを得なくなるだろう。ロシアも経済が行き詰まって再び崩壊するだろう。
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