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[写真] さくらい・かつのぶ/1956年生まれ。78年岩手大学農学部卒。2003年原町市議会議員を1期、06年南相馬市議会議員を2期務めた後、10年より南相馬市長。
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http://diamond.jp/articles/-/16753
福島第一原子力発電所の北、太平洋沿岸に位置する南相馬市は、地震と津波の被害が大きく、福島県のなかで死亡者が一番多かった市だ。その上、市の南のエリアが原発事故の警戒区域(20キロメートル圏内)にあたり、今も立ち入りが制限されている。同市では桜井勝延・南相馬市長を中心に復興をすすめ、避難した市民6万人のうち、4万3600人が帰宅するまでになった。役場を移さずに復興を進めたのが市民の早期帰宅に結びついたと話すが、市長は政府の対応、とりわけ原発の「事故収束宣言」に対しては強い不快感を示している。
(聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集部 片田江康男)
2万6000人帰宅できていない
どこが事故収束なのか
国が責任をまったく果たしていない。震災と原発事故のドタバタでまったく情報が入らなかった。SPEEDI(スピーディ:緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報はもちろん、放射能汚染がどのように広がって行ったかという情報がまったく入らなかった。警戒区域が設定され、物流も止まった。それによって、南相馬市は情報においても物流においても、完全に孤立し、過疎地となってしまった。
市民は自分の命や子ども達を守るために、山を越えて飯舘村の方や伊達市のほうへ避難して行った。しかし、情報がないために、わざわざ放射線量が高い方へ逃げてしまった。南相馬市街にいた方が被爆しなくて済んだ。これは国の責任だ。国のメッセージ力がまったくなかった。
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――野田首相は2011年12月16日、福島第一原発が冷温停止状態になったということで事故収束を宣言した。桜井市長はこれについて不快感を表明している。どういう気持ちか。
事故については、私から見ればまったく収束ではない。現場の感覚とまったく違う。どうして、南相馬市の2万6000人が帰宅できていないのに、「収束」なんですか?原子炉が冷温停止したら、「収束」なんですか? 放射能汚染がこれだけ広がっていて、住民が生活するのに不安を感じているのに、「収束」なんて言えるんですか?本当に現場の感覚とまったくずれている。双葉郡で起きていることを、政府はまったく理解していない。
この1年の間で大臣や官房長官、多くの政治家が来ましたよ。その度に携帯の番号を聞いて、直接電話できる関係になった。それでようやく、私たちの声が届くようになった。でも、スピードは遅いですよ。でも1年で声だけは届くようになった。
市立病院の看護士約70人
行政職約50人が退職
――南相馬市では復興に向けて行政職員の大量退職がネックになっていると聞く。原因は何であると考えているか。また対策はどのように考えているのか。
今まで働いてきた人たちには、疲れ、不安、家族離散などさまざまな事情がある。市立病院の看護士は約70人早期退職した。皆、若い看護士だ。ここで働くことに不安を覚えている人が多い。また役所などで働いてくれていた約50人も早期退職していった。南相馬市がどのような状況に置かれていて、復興を支える人員がどれだけ必要なのか、そういった現場の状況を国はもっと知ってほしいし、対策を打ってほしい。南相馬市が「職員が足りないから応援をお願いします」と他の自治体に要請しているんですよ。これは国が音頭をとってやっていくべきことでしょう。
病院の職員は集まりませんよ。看護士の方は資格を持っていれば、全国の病院で働ける。わざわざ南相馬市で働いてくれる人は少ないです。行政職員は採用時期を前倒ししてなんとか人員を確保した。
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――復興に向けて6万5000人前後まで市民が戻ることを目標にしている。それには雇用や産業を整備しなければ人は戻らない。どう考えているのか。
新しい産業については、震災以前にメガソーラーやバイオマス発電、風力発電などの事業計画を立てていた。平成23年度からスタートさせるつもりだった。これはこれから拍車をかけていく。ソフトバンクの孫正義さんも応援していただけると確約いただいている。土地所有者である市民にメリットがあるように、制度を設計していきたい。
役場を移さなくて済む対策を
ハードの強化も重要
――南相馬市が得た教訓は何か。
震災前、7万人の全市民のうち、6万数千人が避難し、今、4万3600人近い人々が南相馬に戻って来ている。市の南はまだ警戒区域であるし、緊急時避難準備区域に指定されているにもかかわらずだ。これだけの市民が戻ることができているのは、役場を移さなかったことが奏功していると思う。広野町や川内村は、実は南相馬市よりも放射能汚染が軽い。しかし、行政機能を移したために、町がどのようになっているかわからなくなっている。災害復興の司令塔である役場を移さないということが大事だと感じだ。
そのために、市の施設の耐震構造をしっかりやるというのはもちろん、放射能からも守れるようなハードへの対策は大事だと思っている。
南相馬市で起きたことは世界の歴史上、なかったことだ。地震の被害も大きかったし津波、原発事故による放射能汚染、こうしたことが一度に起きた。これはある意味、財産であると思っている。関係者に聞き取りをしてきちんと記録に残し、後世に残して行きたい。
世論調査
質問1 原発事故は収束しているという印象があるか
ある
ない
どちらとも言えない
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