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がれき、ここでも対立…「不安」と「恩返し」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120325-OYT1T00019.htm
2012年3月25日14時46分 読売新聞
25日で能登半島地震から5年を迎える石川県輪島市で、東日本大震災のがれき受け入れを巡り、住民間の意見が対立している。
被災時に全国から生活物資などの支援を受けたことや、がれき処理に苦労した経験から、「復興の恩返しを」と前向きな賛成住民に対し、放射能への不安から反対運動も起きており、市は対応に苦慮している。
2007年3月25日に能登半島北部を襲った震度6強の地震で、県内では1人が死亡、住宅約2400棟が全半壊、約2万7000棟が一部損壊した。被害の大きかった輪島市では、約2200人が避難所生活を余儀なくされたが、食料や毛布などの救援物資と、約3億8000万円の義援金が集まり、発生2か月で約1万2000人のボランティアが支援に入った。
多数の家屋が損壊したことで、木くずやコンクリート、金属くずなどのがれきは約18万トンに上り、市内4か所に積み上げたが、粉じんや悪臭で市に住民からの苦情が相次いだ。処理は市単独なら約14年かかる計算だったが、県内外の民間業者の協力で約1年半に縮めることができた。
「大地震を経験した私たちは、苦しさがよくわかる」。梶文秋市長(63)は昨年11月の記者会見で、東北のがれき受け入れを検討すると表明。今年1月には宮城県名取市と石巻市、女川町に職員2人を派遣し、がれき置き場周辺の空間線量を計測。分別状況も視察した。
梶市長は読売新聞の取材に「能登半島地震では、市民が震災を思い出さなくてもいいよう、がれき処理を急いだ。復興のために土地の整理も必要だった」と振り返り、「私たちの思いは他の自治体とは違う。早くお手伝いしたいと思うのは当然」と強調する。
輪島市は、既に道路や河川の復旧などの公共土木事業が終了し、昨年8月には復興の節目となる「感謝のつどい」も開かれた。同市の農業男性(84)は「義援金をもらったおかげで倒れた家を再建できた。復興を果たした今、私たちが受け入れることで少しでも恩返ししたい」と賛同する。
一方、反対運動も活発化。受け入れ先となるごみ処理施設の周辺では、反対の申し入れ書を提出する動きが続き、2月には漁業関係者などが市民団体を発足させた。新木順子代表(63)は「将来、どんな影響があるかわからない」と不安を訴え、「5年前はお世話になったが、ほかの支援方法もあるはず」と語る。
国は焼却灰の放射性セシウム濃度の基準を、1キロ・グラムあたり8000ベクレル以下とするが、輪島市は、より厳しい独自の基準を設けた上で、処理施設の周辺住民の理解を求める考えだ。
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