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どうなる飯舘村の再建 帰村か移転か揺れる住民たち(東京新聞・こちら特報部 3月23日)〔にしでんじがたのブログ〕
2012-03-24 05:00:00 | 日記
東京電力福島原発事故で、住民が避難を強いられた福島県飯舘村。菅野典雄村長は除染による帰村を目指すが、除染効果を疑問視する住民たちの中には村の移転を訴える声もある。村議会は帰村を基本にした復興計画を了承したが、住民らの気持ちは揺れている。山あいの寒村から、助け合いの精神で村おこしに成功した住民たち。その人間関係も、原発事故で寸断されかねない状況だ。(中山洋子、秦淳哉)
残雪で覆われた集落の墓地に真新しい足跡が重なっている。飯舘村。お彼岸の20日、多くの村民たちが墓参のため、一時帰宅していた。
住む人がいない家はあちこち傷み、修理に追われる姿も。福島市の避難先から戻った女性(65)は「蛇口が壊れ、水がジャージャー流れていた。逃げるとき、元栓を止めておけば」と悔やむ。
昨年5月半ばに家族で避難した。小学生の孫たちは最寄りの学校に転校した。女性は「うちは子ども優先」と話した。
原発事故前、飯舘村は「までいライフ(丁寧な暮らし)」を掲げ、寒冷地での高原野菜や「飯舘牛」のブランド化で、村おこしを進めてきた。
村は12月、「いいたて までいな復興計画」を策定。除染を前提とした帰村に向けての総合的な計画を立てた。
復興計画は短期(今後2年)、中期(2〜5年後)、長期(5〜10年後)の三段階で展開。2年後の目標を「村民の一部・一時的な帰村の開始」、5年後は「希望する全村民の帰村の実現」、10年後は「復興の達成」としている。
今年3月1日現在で、約6500人の村民のうち500人が県外で生活。残る6千人が、福島市を中心に近隣の伊達市や川俣町など県内の仮設や借り上げ住宅で暮らす。高齢者施設以外で、13人が村にとどまった。
村は小中学校を川俣町に仮移転。小学生250人、中学生135人が川俣町の学校施設を間借りした仮校舎に通学。ほかに約150人が避難先の学校に移った。
新年度から小学校は、川俣町で購入した土地のプレハブ校舎で再スタートする。ただ、そこにいつまでいるのかは復興計画に記されていない。
空間放射線量の高い村南部の長泥地区の住民らに会った。村の調査(3月9日)でも、地区の宅地の線量は地上1メートルで8・25マイクロシーベルトもあった。
ある農業男性(48)は「3月11日をなかったことにしてほしい」と話し始めた。「村は除染除染と言うが、無理でしょ。表面削ってみても、また戻ってる。田んぼを削っても、山からの水が汚れている。かといって、山の木を全部切ったら水害になる。嫁さんをもらったばかりの息子も『もう村には帰んね』と言っている」と吐き捨てた。
別の農業男性(62)は「仮に(相対的に線量の低い)北部に住めと言われても、それだと避難と同じ。戻ることにはならない。無意味な除染を繰り返すくらいなら、国と東電で土地を買い上げてほしい。『取り返しがつかなくなった。立ち退け』となぜ言ってくれない」と顔をゆがめた。
復興計画は、新年度予算にも反映された。この3月議会で可決された一般会計約45億円の予算の中には、「復興計画の『命をまもる』の項目として(帰村の判断材料を提供する)リスクコミュニケーション事業に約900万円が計上された」(村職員)という。
ただ、昨年9月の村の除染計画では、費用を約3200億円と見積もった。財源は確保されていない。ちなみに復興計画のたたき台を検討した村民会議には、東京大付属病院放射線科の中川恵一准教授や除染の専門家として元日本原子力学会長の田中俊一氏が加わった。ともに脱原発派からは批判されており、住民には違和感もあった。
「こちら特報部」は菅野村長にも取材を申し入れたが、「多忙」を理由に実現しなかった。
国と二人三脚で「除染と帰村」を掲げる村に対して、「新飯舘村の建設(村の移転)を目指す」として、署名活動を展開する住民たちもいる。
その一人で、飯舘村の農業研修所で管理人をする伊藤延由さん(68)は「除染して帰村するしかないというのが、村長の姿勢。しかし、その選択肢しか与えないのはおかしい。必ずしも全村移転を求めてはいない。10人でもまとまって移住を希望するなら、その声も認めるべきだ」と憤る。
「国や村は帰村を急がせるが、時期が来れば、その後の賠償は打ち切りとなりかねない」
こうした相反する主張に、住民たちの気持ちは揺れている。村長に同情する川俣町に避難中の男性(48)は「村長だってたぶん、除染が厳しいことは分かっている。でも、『村に戻る』と言わない限り、国も県も何もしない。飯舘村がゴーストタウンになるのは目に見えている。ここまで村をつくってきた村長が一番つらいと思う」と語る。
大工の男性(59)は「役場の場所を中心に病院や老人ホームを整備し、最初は三百人ぐらいが低線量の場所を『飛び地』のようにして暮らす方法もある」と早期の帰村方針に理解を示した。
しかし、酪農を営んでいた長谷川健一さん(58)は「帰村したいのは村の誰も同じだが、除染まっしぐらに進む村長のかじ取りには疑問がある。村民の声は入っていない」と不満を口にした。
「思いと現実は違う。巨額の予算を投入して、4、5年後に『やっぱり除染は無理だった』では取り返しがつかない。村を出るという方向性も残しておいてほしい」
長谷川さんは独自に同じ行政区の村民たちに今後の意向をアンケートして、来月にも結果を村の住民に通知するという。
福島市の仮設住宅で暮らす男性(85)は「年寄りはなんとかなるけど、若い者は戻っても仕事がない。生活できねべ」と言った。別の男性(64)も「仮にある程度除染ができても、飯舘の農産物を買ってくれる消費者がいるだろうか」と案じた。
除染して帰村、農業再開という村のプランは「子どもだまし。誰が納得するか」。かといって、新天地への移転には「若ければいいけど…」。ある男性のそうした反応が多数派住民の心を代弁しているようだった。
帰村にせよ、集団移転にせよ、それは住民たちの絆を大切にすることに変わりはない。だが、若い世代の中には、すでに移転先で職を見つけ、新たな生活を営み始めた人たちもいる。住民の一人はこうつぶやいた。
「俺らが望んだ原発じゃない。こうなってみっと、なくていい。いや、なくしてほしい」
<デスクメモ> 福島原発事故後、放射性物質よりも、不安の方が健康に悪いと説く学者たちがいた。でも、不安の原因はほかならぬ原発事故だ。この無神経さは救いようがない。思い出、家族や隣人との暮らし、将来、風景…。事故はカネで買えない宝を奪った。その価値が分からぬ一群が再稼働に血道をあげている。(牧)
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【関連記事】
飯舘村村民が抱く不信感「国や役場が『除染が完了して安全になりました』と言っても、絶対に信じられない」(ネタりか)
http://netallica.yahoo.co.jp/news/271362
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