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「僕たちは、そんなに騙しやすい国民でしょうか。」パリ・ブックフェアー特別招待作家・大江健三郎へのインタビュー/ルモンド紙(3月16日)
3月16日金曜日、今年で第32回目となるパリ恒例ブック・フェアー(本の見本市)が開幕しました。明日19日までの4日間で、世界40カ国から20万人の市民、2千人の作家、40の出版社が一堂に会します。フランスでの日本文学や漫画への関心は高く、今年は『フクシマから一年』と題して過去二回目の日本特集が組まれています。
福島原発事故の発生以来、精力的に原発廃止に向けた市民活動を盛り上げている大江健三郎氏。他の19人の日本人作家とともにパリに特別招待されたノーベル文学賞作家へのインタビューを、一部を抜粋して御紹介します。
「僕たちは、そんなに騙しやすい国民でしょうか。」福島原発事故の発生から1年。原発の廃止に向けてたたかうノーベル文学賞受賞作家、語る
フィリップ・ポンス特派員
日本の著名人たちが自分の考えを述べることをやめ口を閉ざす中、1994年のノーベル文学賞受賞者である大江健三郎は、日本が1945年の敗戦翌日に自ら宣言したヒューマニズムの価値を、ひるまず私たちに思い出させ続ける稀な存在だ。こうしたヒューマニズムの中で最も重視されるのが、平和主義である。大江健三郎は、原子力エネルギーの使用を含めた現代社会における全ての問題において、良心の問題を最も重視している。福島原発で起きた惨事は、大江氏が現在「サヨナラ原発」運動を盛り上げる傍ら書き続ける小説の主要なテーマとなっている。
今回、2回にわたる面会とファックスによる作家からの手書きの追記に基づいて構成されたインタビューの中で、大江氏は2つの懸念を挙げている。一つは2011年3月11日以来、彼の祖国である日本が感じている懸念、そして「根本的なモラル」のために闘い続ける、人生のたそがれ時にある作家自身が持つ懸念である。
● あなたは広島と長崎への原爆投下をきっかけに政治への意識を持つようになりました。福島で起きた大惨事は、あなたにとって広島や長崎と同様に重要ですか?
ある日、広島から来た新聞記者が私にこう尋ねたことがありました。
「広島への原爆投下の後に起きた人間の悲劇を、世界は記憶し続けるでしょうか?」
彼の問いは、ずっと私の心に刻まれています。福島での事故が起きて最初に思い浮かんだのが、原爆投下の後で亡くなった何万人もの人々の姿、そして生き延びた被爆者たちの際限ない苦しみのことでした。日本を占領していたアメリカ軍は原爆被害者たちの検査はしましたが、治療はしませんでした。彼等はただ、核兵器の破壊的な威力を知りたかっただけなのです。私たちは後に放射能被ばくの影響を、個々の民間団体が行った調査の結果から初めて知りました。被ばく者に癌が生じていること、そして病気が時に遺伝する性質のものであることを知ったのです。
福島での原発事故が起きた後、広島で被ばく者を治療した医師たちが、事故で汚染された地域の住民たちを放射能の危険から守るべく先頭に立っています。これから何年もの間、私たちは福島原発事故の後遺症に直面することになるでしょう。現在に至るまで、核兵器の廃絶は私にとって重要な関心事でした。でも(今の私は)原発を止めることが、一人の市民として、そして作家としての自分にとって最も重要なことの一つだと考えています。
● 今回の原発事故は自然災害によって引き起こされた面もありますが、それ以上に備えが十分でなかったことが主な原因と考えられています。日本人は、民主主義よりお金もうけを優先させる経済発展モデルの悪弊に気づくでしょうか?
今回の事故で明らかになったのは、日本社会の民主主義が脆弱なものであったということです。ぼくたちは問題に声を挙げることができるでしょうか。それとも、このまま黙ったままでいるのか。今から10年たてば、日本が「民主国家」の名前にふさわしい国であったのかどうかが分かるでしょう。こんなに深く日本の民主主義が未熟であったことを感じたことはありませんでした。今起きている危機は、福島原発事故についてだけのことではないのです。私が最も絶望させられたのは、電力会社、政府の役人、政治家、メディア関係者が結託して放射能の危険を隠すために行った「沈黙による陰謀」とも呼ぶべき行為です。去年の3月11日以来、たくさんの嘘が明らかになりました。そしておそらくは、まだこれからも明らかになってゆくでしょう。これらのエリートたちが真実を隠すため陰謀を巡らせていたことが明らかになって、私は動揺しています。ぼくたちは、そんなに騙しやすい国民なのでしょうか?
● 日本人は世界で初めて被ばくを経験した国民です。それなのに、なぜこんなにたやすく原子力エネルギーが安全だと言う言葉を信じたのでしょうか。
広島と長崎に原爆が落とされた時、僕は10歳でした。終戦の後、安心した気持になったのを覚えています。戦争が終わったからこれで学校に行ける、と。でも年齢を重ねる過程で私は、日本が戦争を放棄する憲法を持っているにもかかわらず、沖縄をアメリカに渡してしまったことに気づきました。こうして(米軍の)核兵器を沖縄に設置し、「原子力の平和利用」に向け突き進んで行ったのです。私は当時、こうした流れを批判すべく、『広島ノート』と『沖縄ノート』を書きました。1947年にできた憲法のもう一つの重要な柱である「民主主義」は、福島での大惨事の発生によって明らかに揺らぎました。私は、市民社会が目を覚まして代替エネルギーの開発を求め、地震学者たちの警告に耳を傾けるよう求めることを望んでいます。
福島で事故が起きて以来、何事も良心に照らして考えなければならなくなりました。原子力エネルギーを単なる経済生産性の観点からのみ評価することはできなくなったのです。原爆による被ばく者たち自身が、この原爆投下を道徳的な観点から批判し、もう二度と誰も同じ苦しみを味わうことが無いように、と声をあげて来ました。政治家たちは彼等の声を無視したのです。裏切りは、1956年に「平和のための」原子力利用についての法律が成立したときに遡ります。あの時、私たちは後に福島原発事故の元になる果実を木の枝からもぎとって自分のものにしたのです。
● ヒューマニズムが破壊されてゆく中で、文学はどのような役割を果たすのでしょうか。
私が(『群像』に執筆中の)『晩年のスタイル』の中でずっと心に留めているミラン・クンデラの言葉にこんなものがあります。
「小説家というものは皆、自分から行動を始める時、一番大切な物以外は全て切り捨てなければなりません。自分自身と自分以外の人に対して、根本的なモラルの重要性を強く説かなければなりません。」
日本人の作家としての私の役割は、原発をなくすためにたたかうことです。日本の市民社会が(原発をなくすという)この「大仕事」を完成することに成功する日、私の仕事にはやっと意味が与えられるのです。これは国民の意志が、おそらく歴史上初めて勝利するということに他なりません。「大惨事」という言葉には、私にとって二つの隠れた意味があります。一つは、今日日本が経験している(原発事故による)大惨事。そしてもう一つは、人生の黄昏時にさしかかった全ての作家が経験する大惨事(注)です。
(注)個人としてやがて来る死を目前にしながら、揺らぐ民主主義という「惨事」の渦中にいる危機感をさしていると解釈できる。
(抜粋、一部編集)
(Philippe Pons, « Kenzaburô ôe, « Sommes-nous un peuple aussi facile à berner ? », Le Monde, 2012.03.17)
http://www.lemonde.fr/livres/article/2012/03/15/kenzaburo-oe-sommes-nous-un-peuple-aussi-facile-a-berner_1669357_3260.html
(copy from: http://franceneko.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/1316-4c14.html)
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