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私たちは破滅に向かう社会に生きている。その1:原発事故の議事録と事故調のでたらめ
本来は別の記事の一部として書いていたものですが、かなり長くなってしまったので、独立した記事として投稿します。
東日本大震災発生を受けて設置された政府の緊急災害対策本部に関し、議事録が作成されていない可能性が「濃厚だ」と岡田克也副総理が言ったのが1月24日だった。その後、東日本大震災や東京電力福島第一原発事故対応に関係する計十の政府会議で議事録が作成されていなかったことが明らかになった。
しかし、事故後10ヶ月も経過してから議事録がなかったと言うのはあまりにおかしい。その間、議事録を参照する機会が必ずあったはずだからだ。会議に出席していない関係者が内容を調べたり、以前の会議の決定事項をその後の会議で確認したりするのだから、数ヶ月間も議事録がとられていなかったことに気がつかないはずがない。つまり、確実に議事録はあったのだ。だから、岡田克也副総理をはじめ政府関係者はウソをついている。
しかし、うそをついているのは彼らだけではない。公的・私的な事故調査委員会も議事録のことについてはなんら発言をしていない。調査の過程で必ず各種委員会の議事録を参照しようとしたはずだ。少なくとも公的な事故調査委員会はその権限があったはずで、一切議事録のことに触れていないのは彼らの事故調査というものがいかに表面的で無責任なものであったかが分かる。別な表現をすれば、それだけ原発事故の実態を覆い隠そうとする権力が強大なものであるかということだ。
失敗学で有名な畑村洋太郎氏が委員長を勤め、内閣官房に設置された「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」は2011年5月24日の閣議により開催が決定されたもので、政府委員会のひとつだ。ある意味、公的な組織なのだが、この委員会の中間報告が2011年12月26日に出ている。出た当初かなりマスコミでも報道がされたが、一切、議事録が作成されていなかったと言うことについての報道はなかった。つまり、「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」は公的な検証委員会であるにもかかわらず、緊急災害対策本部などの議事録を検証しようとさえしていなかったことになる。政府委員会なのだから政府の作成した議事録を見ることが可能であったはずだし、少なくとも見ようとしなければいけなかった。
「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の中間報告は http://icanps.go.jp/post-1.html で見ることが出来る。ただ内容はマスコミ報道などで既に知られていたものばかりのようだ。独自調査がされたとは思えない。
なお、福島第一原発事故関連の事故検証委員会は、上に述べた「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」以外にも幾つかある。
「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」は東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法に基づいて国会に設置された機関であり、昨年12月に出来ている。いわゆる国会事故調というものだ。まだまとまった報告書は出ていず、http://www.naiic.jp/wp-content/uploads/2012/02/ik04.pdf にあるような簡単な報告書が4回出されているだけだ。
「福島原発事故独立検証委員会」はいわゆる民間事故調と言われるもので、一般財団法人日本再建イニシアティブにより2011年9月に設立され、2012年2月28日に検証・調査報告書が発表されている。この報告書は400ページを超えるもので、3月中には販売されるということだ。6ページの報告書要旨を http://sankei.jp.msn.com/science/news/120228/scn12022800250001-n1.htm で見ることが出来る。
東京電力自体も「福島原子力事故調査委員会」と「原子力安全・品質保証会議 事故調査検証委員会」と言うものを作って事故の検証をしている。その報告書の幾つかは http://www.tepco.co.jp/cc/press/11120203-j.html にあるリンクから見ることが出来る。
「原子力安全に関するIAEA閣僚会議に対する日本国政府の報告書」というものもある。http://www.kantei.go.jp/jp/topics/2011/iaea_houkokusho.html で公開されている。ここにも議事録が作成されていなかったとは一言も書かれてはいない。そもそもこの報告書は事故のほぼ3ヶ月後である2011年6月に出されている。この時点で本当に議事録が取られていなかったのならそう気がついていたはずだ。
岡田克也副総理が1月24日に原発事故関係で議事録が取られていない可能性があると言ったが、もし本当にとられていなかったのなら昨年6月のIAEAへの報告段階で明らかになったいたはずであり、その後の公的・私的な事故調査委員会の報告でも議事録がないということが明らかにされていなかったのだから、政府ぐるみ、またはもっと大きな権力によって隠蔽されていたと言うことだ。
ではなぜ1月24日に議事録が作成されていない可能性が「濃厚だ」と言うようなあいまいな言い方を岡田克也副総理がしたのか。はっきりと議事録が作成されていなかったと断言しなかったのはなぜだろうか。答えは様子見をしたかったと言うことだろう。あまりにも突拍子もないことであり、ひどい非難とか実際にはとられていたと反駁されることが怖かったからだ。つまり、議事録が公開されていないことを疑問視する勢力があって、その勢力に対し、岡田克也副総理が最終的に「議事録は作成されていなかった」ことにすると宣言しようとしたのが1月24日であったと言うことだ。
更に、なぜ確実にあるはずの議事録をこの時期にないと言い出したのかと言えば、アメリカの福島第一原発事故関係文書の公開の日程が迫っていて、それに合わせる必要があったからだろう。2月21日にアメリカの原子力規制委員会が内部文書を公開しているがこれは情報公開請求を受けてのものだから、アメリカで情報公開請求がされたのを受けて、日本政府の議事録の内容が問題視され、岡田克也副総理が議事録はないと宣言したということだろう。
繰り返すが、原発事故に関連して、または原発そのもの、および原爆に関係して事実はなかなか明らかにされない。原発事故の影響が軽微であるというのは、およそ話半分、大方はウソだと考えるべきだ。
*6月8日の記事「近づく戦争・テロ社会、これらの動きを止めるべきでは?」から連番号を付しています。<<1040>>
TC:37500, BC:151517, PC:?, Mc:?
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