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あらためて戦慄が走る4号機のカタストロフィー
2011年の今日(3月15日)、午前6時過ぎに福島第一原発4号機の原子炉建屋が水素爆発を起こしました。
その瞬間、日本国民のみならず、世界中の、特に北半球の人々の眼の前には、本当の意味でのカタストロフィーが迫っていました。
それでも私たちは、今、こうして生きています。
これは、偶然に偶然が重なったからです。
ハリウッドの映画制作者なら、これを奇跡的な出来事と呼んで、早速、脚本家に仕事を依頼したかもしれません。
3月15日の水素爆発から、3月20日頃までが、この大災害のクライマックスでした。
まず、アメリカでは、日本政府からの情報を元に、NRC(米・原子力規制委員会)の技術者たちによるタスクチームが編成されていました。これは日本時間で17日の午前0時過ぎのことです。
3月18日の深夜から、自衛隊と米軍の消防車による注水作業が行われました。少し後になってからですが、敷地内に散らばった瓦礫の撤去のために、陸上自衛隊の戦車まで出動しました。
次に、3月19日の深夜からは、東京消防庁のハイパーレスキューによる注水活動が行われました。
このうち、ひとつでも失敗していたら、日本は、もう無かったのかもしれません。
3月8日の朝日新聞が、4号機の使用済み燃料プールが壊滅的なカタストロフィーに至らなかった本当の理由について、原子力安全・保安院の幹部からの聴き取りなどから、明らかにしています。
朝日新聞は、この“4号機の奇跡”について、3月8日に二回、ネット上に記事を上げています。
一回目は、4号機、工事ミスに救われた 震災時の福島第一原発
二回目は、一回目に加筆した震災4日前の水抜き予定が遅れて燃料救う…です。
この記事は、そのまま転載すると、どうも著作権法に抵触しそうな雰囲気があるので(通常は、ソース元をしっかり明記しておけば、「引用」ということで、クレームは出ません)、両方の記事を読み込んだ上で、さらに周辺で起こった事実などで肉付けしながら新たに書き起こしたものが以下の記事です。
3月15日、4号機の使用済み燃料プールに大量の水を注水したのは誰か?
日米両政府が、3月12日の最初の水素爆発以来、もっとも警戒していた4号機建屋の使用済み燃料プールの崩壊ですが、原子炉内の大掛かりな工事をする際に使用する器具の不具合と、すでに工事のために大量の水を入れてあった工事用水槽の仕切り壁が壊れたことによって、カタストロフィーを免れたことが分かりました。
4号機原子炉は、2010年11月から定期点検に入るために、すでに原子炉の運転を停止。震災が起きた翌年の2011年3月11日には、原子炉の中にあった548体の燃料棒はすべて取り出され、使用済み燃料プールの中に移されて冷却されていました。
今回の定期点検では、営業運転開始以来初めての大工事となる原子炉圧力容器内にあるシュラウドという隔壁(高さ6.8メートル、直径4.3〜4.7メートル、重さ35トン)を新しいものに交換するため、あらかじめ、作業用水槽に水を満杯になるまで入れていました。