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http://pub.ne.jp/shimura/?daily_id=20120316
新聞のコラムをみていて、思いがけない大事なことに気がついた。核エネルギー開発の技術は、最先端どころか、現代で最も停滞している分野だったのだ。40年間も動いている原発があるということは、自動車なら1970年に「マイカー時代」の代表だったサニーやカローラが現役で走っていることになる。
原発も、建設した当初に見込んだ耐用年数は、10年から、長くても20年だったという。ところが技術革新がなく、逆に廃炉の大変さがわかってきて、延長に延長を重ねて今に至っている。当初に期待した大きな技術革新は、何一つ実を結ばなかったのだ。
およそ革新的な技術が導入されると、数十年のうちには初期には想像もしなかったような発展をとげるものだ。飛行機、蒸気機関、電気・電波の利用、コンピューターなどが、私たちの生活を大きく変えてきた。だから核エネルギーの利用も、同様に順調に発展したなら、今ごろは誰もエネルギーについては意識もしないで使えるような夢の世の中が実現してもおかしくはなかった。それこそキャンプに小型の携帯原発を持って行くような時代である。しかし、そうはならなかった。
未来の原子炉と期待された「ふげん」も「もんじゅ」も、いくら手を加えてもモノにはならなかった。原発は小型化とは反対に、従来技術の延長で、ますます集約化・巨大化するしか活路がなくなった。要するに核エネルギーは、それほど扱いにくい危険な対象だったということだ。唯一の成功例が、67年も前の爆弾としての使用であったのだが、その後に残った放射線障害の深刻さに、使ったアメリカも「あれは止むをえなかった」と弁明に追われている。
もうこの辺で目をさまして、人類は核エネルギーの開発・利用から撤退するべきではないのか。医療用などの微量の放射性物質を除いて、核物質の最終処分に向けた具体的な行動計画を立てるべき時期が来ているのだと思う。これまでに蓄積した核技術は、博物館的な安全な施設に見本だけ保管して、将来の人類のために参考資料として残して置けばよい。
核兵器の唯一の被爆国だった日本が、福島原発で再び世界に問題を提起したのは、単なる運命のいたずらだろうか。起こってしまったことを今から変えられない以上、私たちにできることは、この運命を、核廃絶の伝道者としての役割に生かすことではないだろうか。
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