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【福島原発事故 その時私は】
[3・11]福島第二で津波を見た 大谷 清英(おおたに きよひで)さん(54)
2012年3月12日
http://www.tokyo-np.co.jp/feature/tohokujisin/oneyear/120312-1-3.html
◆大事故「来ないで」と願っていた
福島第二原発1、2号機共用の中央制御室で、中性子の量を測る計器の調整作業をしていました。その場にいたのは、東電の社員が当直長を含めて八人ほど。下請け企業が私の他に数人。揺れた時、東電はちょうど三交代制の引き継ぎの時間帯だった。1〜4号機が自動停止したのを確認した後、余震が収まるまで二十分くらい様子を見ました。
建屋から出て、事務所が入る企業棟に戻る途中で、津波が来るのが見えました。門のあたりの通路は、一メートルくらい浸水。2号機脇に一段高くなった非常用発電機の燃料タンク置き場があり、そこで水が引くまで十五分ほど待った。
その間に津波が原因で停電します。発電機の煙突から黒煙が上がり、起動したのが分かった。でも燃料を補給する移送ポンプが水に漬かり、冷却用の海水を取る配管の継ぎ目から水が噴き出ていた。結果的に第二原発は助かりましたが、その時は危ないと思った。
第二波が来る前に車の鍵を取り、双葉町の自宅に向かいました。大渋滞で、帰り着いたのは夜八時半ごろ。翌日から川俣町の避難所で一週間ほど過ごし、埼玉県に避難した。
二十年以上、第二原発で働いていました。原発の大事故は「あるかもしれない」と思いつつも「来ないでほしい」と願っていた。
自宅には帰りたい。でも生きている間は難しいでしょう。あんなに(プルトニウムなどの)超ウラン元素がウヨウヨしているところでは暮らせないから。
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<投稿者コメント>
最後の一言がすべてを語っていますよね。
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