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[3・11]福島第二で津波を見た 大谷 清英(おおたに きよひで)さん(54) -
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/856.html
投稿者 千早@オーストラリア 日時 2012 年 3 月 15 日 19:31:05: PzFaFdozock6I
 

【福島原発事故 その時私は】
[3・11]福島第二で津波を見た 大谷 清英(おおたに きよひで)さん(54)
2012年3月12日
http://www.tokyo-np.co.jp/feature/tohokujisin/oneyear/120312-1-3.html

◆大事故「来ないで」と願っていた

 福島第二原発1、2号機共用の中央制御室で、中性子の量を測る計器の調整作業をしていました。その場にいたのは、東電の社員が当直長を含めて八人ほど。下請け企業が私の他に数人。揺れた時、東電はちょうど三交代制の引き継ぎの時間帯だった。1〜4号機が自動停止したのを確認した後、余震が収まるまで二十分くらい様子を見ました。

 建屋から出て、事務所が入る企業棟に戻る途中で、津波が来るのが見えました。門のあたりの通路は、一メートルくらい浸水。2号機脇に一段高くなった非常用発電機の燃料タンク置き場があり、そこで水が引くまで十五分ほど待った。

 その間に津波が原因で停電します。発電機の煙突から黒煙が上がり、起動したのが分かった。でも燃料を補給する移送ポンプが水に漬かり、冷却用の海水を取る配管の継ぎ目から水が噴き出ていた。結果的に第二原発は助かりましたが、その時は危ないと思った。

 第二波が来る前に車の鍵を取り、双葉町の自宅に向かいました。大渋滞で、帰り着いたのは夜八時半ごろ。翌日から川俣町の避難所で一週間ほど過ごし、埼玉県に避難した。

 二十年以上、第二原発で働いていました。原発の大事故は「あるかもしれない」と思いつつも「来ないでほしい」と願っていた。

 自宅には帰りたい。でも生きている間は難しいでしょう。あんなに(プルトニウムなどの)超ウラン元素がウヨウヨしているところでは暮らせないから。
===================================================

<投稿者コメント>

最後の一言がすべてを語っていますよね。  

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コメント
 
01. 2012年3月15日 21:32:17 : txKoq6KBVw
拡散希望。契約電力50kw以上契約者に対し、東電は『4月1日から十数%の値上げ』を通知。契約者が東電に値上げ拒否の意思表示をしないと「黙示の了解」として自動的に値上げ実施。だが東電への電話一本で、現契約期間満了までは値上げ無しに

ツイッターより


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