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水のないモンゴルに核燃料処分場計画を持ち掛けた 〜秘密裏に交渉
http://c3plamo.slyip.com/blog/archives/2012/03/post_2319.html
2012年3月13日 Goodbye! よらしむべし、知らしむべからず
なんで秘密裏に交渉を始めなければならなかったか?
福島第1原発を大爆発させてしまった、ニッポン国民ならだれにでも理解できることです。
「何も知らないモンゴルの人たちを助けてあげてくれませんか。モンゴルは親日国だから、日本のメディアは影響力があるはずだ」
日本政府や米国、IAEAがモンゴル国及びモンゴル国民を、騙しているとしかいいようがありません。
(This information is reported to the State of Mongolia ambassador. )
毎日新聞 2012年3月13日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/wadai/archive/news/2012/03/13/20120313ddm010040012000c.html
特集:ボーン・上田記念国際記者賞、毎日新聞・会川晴之記者に 盲点「核のゴミ」問う
国際報道で優れた成果を上げた記者に贈られる今年度のボーン・上田記念国際記者賞に、欧州総局(ロンドン)の会川(あいかわ)晴之記者(52)が選ばれた。昨年3月11日の東京電力福島第1原発事故を受けて世界中で原発を巡る議論が起きる中、日本と米国がモンゴルで進めた国際的な核廃棄物処分場計画の秘密交渉を特報。原子力利用の盲点である「核のゴミ」の問題を追い続けた会川記者の取材の軌跡を紹介し、「核」を考える機会としたい。
◇被災地思い、取材没入
「何も知らないモンゴルの人たちを助けてあげてくれませんか。モンゴルは親日国だから、日本のメディアは影響力があるはずだ」
日米が主導したモンゴルでの使用済み核燃料の貯蔵・処分場計画。10年秋から経済産業省、米エネルギー省などが秘密裏に始めた交渉を知ったのは昨年4月9日、米国の核専門家への電話取材がきっかけだった。
そのほぼ1カ月前の東日本大震災発生以来、居ても立ってもいられない日が続いていた。私は87年に岩手県で記者生活をスタートさせた。被災した東北地方への思いが募り、自分ができることを問い続けた。遠いロンドンで勤務しながら、焦燥感だけが募っていた。
そんな時、被災者支援の活動を始めた高校時代の友人から「餅は餅屋」とのアドバイスを受けた。心は定まった。高校時代に興味を持って以来、自分が最も得意とする分野、そして、今求められている「核」の話を徹底的に書くしかない、と。原子力産業や国際原子力機関(IAEA)など、長年の取材で知り合った人たちに、つかれたように電話をかけ始めた。米国の核専門家はその一人だった。
◇「押しつけ」に違和感
4月22日、モンゴルの首都ウランバートルに入った。カフェのVIPルームで会ったのが、モンゴル外務省のオンダラー交渉担当大使(当時)だった。
取材がヤマ場に入る直前、打ち合わせ通り、モンゴル人通訳に部屋から出るよう指示した。録音機を止め、英語での質問に切り替えると、しゃくし定規だった彼女の応対に変化が表れ始めた。交渉の経緯や狙い、処分場予定地にも話が及んだ。
2時間を超す取材の最後には「オーストラリアにも同様の計画があると聞く。どんな情報でもいい。連絡してほしい」と頼まれた。誘致で後れをとりたくない、というモンゴル政府の意気込みが伝わってきた。
取材後、モンゴル政府が計画する3カ所の原発候補地も訪ねた。処分場の受け入れと引き換えに、日米は原子力技術をモンゴルに提供することになっていた。全地球測位システム(GPS)を頼りに草原の道なき道を車でひた走った。だが、ウランバートルから東南200キロの元空軍基地をはじめ、候補地はいずれも乾いた大地だった。原子炉冷却に不可欠な水源が見当たらず、地図には明示されている湖は枯れていた。
「水が無い場所に原発建設は無理」というのが専門家の常識だ。疑問に思い、モンゴルの原子力関係者に何度も尋ねたが「IAEAの安全基準を満たした場所だ」と力説するのみ。モンゴルの事情をよく知る経産省幹部は「モンゴル人は極めて優秀だが、原子力の知識はちょっと......」と言葉を濁した。
核に関しては「素人」ともいえるモンゴルに、日米両国は処分場計画を持ちかけた。
菅政権が10年に掲げた「新成長戦略」の柱の一つに原発輸出を据える日本だが、国内に使用済み核燃料を引き取る場所が無い。「原発+使用済み核燃料引き取り」のセット販売を仕掛けるロシア、フランスなどに競争力で劣る。日本の交渉担当者は「原発売り込みの弱点を埋めるのが狙いだ」と説明した。
米国には、核兵器開発の原料に転用可能な使用済み核燃料を引き取ってくれる国を見つけ、核不拡散政策を推し進めたいとの思惑があった。
それぞれの事情は理解できる。だがモンゴルはまだ、ウラン鉱山開発に着手した段階で、原子力のメリットを享受していない。モンゴル国民に何も説明しないまま、「核のゴミ」を、しかも他国のものを押しつけることを正当化するには無理がある、と感じた。
モンゴル滞在中、「1日分の給与を日本に」と、多くの人々が義援金を募って送ったことを知った。留学生交流で縁があった宮城県の被災者をいち早く招待した現場にも立ち会った。モンゴルの人々の温かい心に接し、通訳から「泣きすぎです」と笑われるほど、涙がこぼれた。秘密交渉の中身が分かった高揚感は無く、自分がその計画を進める日本の国民であることが、ただただ恥ずかしかった。
◇重い「世代責任」
福島第1原発事故をきっかけに、原子力の是非をめぐる議論が活発化した。原発の即時廃止を求める声だけでなく、日本のエネルギー政策や産業政策、安全保障政策を考えれば原発は不可欠、という主張まで多種多様だ。
どの選択肢を取るにせよ「核のゴミ」の問題は避けて通れない。モンゴル報道を機に、この問題に絞り、世界の取り組みを報告する作業に取りかかった。
最初にフィンランドを訪ねた。すべての情報を公開し、議論を重ねる「フィンランド・モデル」として知られる方式を採用し、世界初の使用済み核燃料の最終処分場を自国内に建設する道を選んだ国だからだ。「使用済み核燃料は10万年以上、安全に管理する必要がある」。担当者の言葉が重く胸に響いた。
世界最大の余剰プルトニウムを抱える英国は、その取り扱いに悩んでいた。かつては「夢のエネルギー源」とされたプルトニウムの使い道が無い。「捨てる」ことなど考えてもいなかったが、今は一部廃棄を含めた処分法の開発の途上だ。
取材を通じ、「世代責任」という言葉を強く意識するようになった。1954年に旧ソ連で世界初の商業用原発が稼働して以来、私たちの世代は、原発からの電力供給に支えられ、豊かな生活を享受してきた。原子力のメリットを受けた世代が、厄介な「核のゴミ」の問題を後の世代に先送りすれば、「世代責任」を果たしたことにはならないはずだ。
「核に限定した話ではない。私たちの世代は、(後のことを考えずに)石油や石炭も大量に消費してしまったんだ」。フィンランド政府の担当者が自嘲気味に話したのが印象に残った。
◇
毎日新聞の報道後、モンゴル国内で、使用済み核燃料の処分場計画撤廃と情報公開を求める運動が起きた。これに押される形で、エルベグドルジ大統領は昨年9月の国連総会で「処分場建設は絶対に受け入れられない」と計画断念を表明した。
「核の番人」と形容されるIAEAの天野之弥事務局長は「自分が出した廃棄物(の処理)は、自分で責任を持つ。これが基本だ。人に面倒を見てもらおうという考えは甘い話だ」と語る。だが、「核のゴミ」を巡る解決法を人類はまだ見いだしていない。【ロンドン会川晴之】
◇核燃サイクル、展望なし
「1グラムで石油1キロリットル分のエネルギー」を持つと言われるプルトニウム。ウランとの混合酸化物である「MOX燃料」にして、高速増殖炉と呼ばれる原子炉で燃やせば、消費量以上のプルトニウムが生産される。だが、「夢の原子炉」のはずだった高速増殖炉の実現は極めて難しく、日本は、たまったプルトニウムの処理に苦慮する緊急事態に陥っている。
国内では85年着工の「もんじゅ」(福井県敦賀市)が、95年8月に初の高速増殖炉による発電を達成。だが95年12月に冷却材のナトリウム流出に伴う火災事故が発生し、10年に運転再開したが、その後もトラブルが相次ぎ実用化にはほど遠い。
日本政府は高速増殖炉の実現を前提に、ウランを燃料とする既存の原発の使用済み核燃料から、プルトニウムを取り出してきた。10年末現在で、たまったプルトニウムは約45トンに達している。
使い道のないプルトニウムの保有は、テロ対策の上でも国際的に許されていない。またプルトニウムが出す放射線は、体内に入るのを防ぎやすいタイプ(アルファ線)とはいえ、肺や肝臓、骨に蓄積すれば発がんの恐れがある。東京電力福島第1原発事故では、原発敷地外でも検出されており、厳重な管理が必要だ。
一方で97年には、既存の原発でMOX燃料を燃やす「プルサーマル計画」を含めた核燃料サイクルの推進が閣議了解された。15年度までに16〜18基の原発で実施する計画だ。
だが、立地自治体の了解を得るのに難航しており、現在までにプルサーマルを導入して発電したのは、廃炉になる福島第1原発3号機など計4基のみ。それ以外も、福島事故などが要因となり再稼働への道のりは遠い。
今後、新たな原発を造らず、寿命の原発を廃炉にする「脱原発依存」政策に向かえば、プルトニウム消費が進まず、使用済み核燃料も再処理せずに地中に埋める直接処分をするしかない。また使用済みMOX燃料はコスト的に実用的な処理法が開発されておらず、核燃料サイクルの展望は見えていないのが現状だ。【田中泰義】
◇米主導の核戦略、袋小路に
オバマ米政権は「核兵器のない世界」の名の下に、米国主導の核管理体制の構築を狙っている。モンゴルでの「核のゴミ」処分場計画もその一環だった。
原発を巡る核燃料サイクルでは、使用済み核燃料を再処理し、取り出したプルトニウムを核燃料として再利用する。だが、プルトニウムは核兵器の原材料にもなり、実際に北朝鮮はこの手法で核兵器を開発。中東やアジアで原発導入を目指す動きが活発化する中、「第二の北朝鮮」が誕生しないとも限らない。
原発ビジネスを拡大する一方、プルトニウムの軍事転用を防ぐ。このためには使用済み核燃料について、原発輸出の相手国との協定で再処理を禁じた上で、米国が引き取れればよいが、日本同様、国内には処分場がない。次善の策が、影響力を行使できる友好国に、使用済み核燃料などの「核のゴミ」を一時貯蔵したり、最終処分する施設を建設することだ。そのターゲットがモンゴルだった。
国際的な「核のゴミ」処分施設の構想は、02年にイランの秘密核開発が表面化して以降、IAEAでも議論が本格化した。だが、オーストラリアで一時、検討された以外は、国民の強い反発を背景に「核のゴミ」を引き受けようとする国は無い。【ロンドン会川晴之】
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■ことば
◇ボーン・上田記念国際記者賞
「優れた国際報道活動によって、国際理解の促進に顕著な貢献のあった」記者に贈られる。日米協力による世界ニュース通信網確立に献身したマイルズ・ボーンUP通信社副社長と上田碩三元電通社長が49年1月、東京湾での遭難事故で死亡したことを受け、2人の功績を知る日米のマスコミ関係者が翌50年に「ボーン国際記者賞」として創設した。78年に現在の名称に変更。
毎日新聞 2012年3月13日 東京朝刊
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