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京都大学 小出さんスピーチ@バイバイ原発 3.10 京都 (動画・内容書き出し)
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2012-03-11(10:46) みんな楽しくHappyがいい♪
2011年3月11日金曜日
あの時、私はテニスコートにいました。
突然大きく揺れて、立っている事が出来ずに、両手を地面につけ、四つん這いにならなければいられない位でした。
それでも震度5強。
コートの周りの網の策はゆっさゆっさと音をたてて揺れ、ものすごく長い時間でした。
テレビでは津波の映像が映し出され、夜になると気仙沼の町が真っ赤に燃えて、
そして原発が爆発。
もう、日本は終わったと思いました。
1年もここにこうして住んでいるとは、あの時は考えられなかった。
夕陽を見ては、今日も一日が終わったと、
涙が勝手に流れていました。
けれどまだ、何も終わっていません。
始まったばかりです。
そして・・・復興が思うように進まないのは全て原発のせいなのだと私は思っています。
京都大学 小出さんスピーチ@バイバイ原発 3.10 京都
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=TTQ3hLfCwYk
3月10日の小出先生の京都でのスピーチ動画がありました。
画面が少し揺れていますが、内容を書き出します。
みなさんこんにちは。
こんな沢山の方が集まって下さって、本当に嬉しい・・・です。
ただし、あまりにも遅かったと、思いが拭えないです。
私自身は41年前から、原子力発電は
「危ない」
「いつか事故が起きるかもしれないから、事故が起きる前に原子力から撤退しなければいけない」と、
言い続けてきた人間です。
しかし、私の力などはあまりにも小ちゃくて、
国、電力会社、巨大産業、マスコミ、学者、それに加えて裁判所までもが
原子力を進めるという、巨大な勢力を作ってしまって、
何にも出来ないまま原子力がここまで拡大してしまうという事に、なってしまいました。
そしてついに1年前の3月11日に、
福島の原子力発電所の事故が起きてしまいました。
わたしは時間を逆戻りさせる事が出来るのであれば、
何としても1年逆戻りさせたいと思いますけれども、
残念ながら、できません。
今、この京都は、太陽の光がさんさんと降り注ぐようになって、
わたしたちはマスクもしないで、普通の方々はこうやって生活できているわけですが、
この空に繋がった福島では、今現在も大地が放射能で汚れてしまっています。
日本は法治国家である国と言われてきたわけですけれども、
この日本の法律を本当に守ろうとするのであれば、
放射線の管理区域という場所に指定しなければいけない。
その場所には私のようなごく特殊な人しか入ってはいけない、
この会場にいる皆さんは入ってはいけない、
子どもなんていうものは決して連れ込んではいけないという、
そういう場所が放射線の管理区域です。
それだけの汚染を受けているところが福島県の東半分、
さらには東北地方各地、関東地方に広がっているという状況になってしまっています。
それなのに日本の政府は、
そういう汚染地帯に人々を取り残すという事を決めて、
いまだに子どもを含めて、放射線管理区域にしなければいけない汚染地帯で生きていくという、
そういう状況になってしまっています。
そんな事を起こした責任は、これまで原子力を進めてきた政治、経済界、そして学会等々
大変重い責任があると私は思います。
正直に言うなら、そういう重い責任がある人をみんな刑務所に入れるべきだとわたしは思って、
ー拍手ー
残念ながらそれが出来ないまま、原子力をここまで進めてきた人たちが、
いまだに政治の世界に君臨する、経済界に君臨するという事になっていて、
今原さんがおっしゃって下さったように、
「大飯の原発を再稼働させる」
というような事まで言い始めている。
つい、ひと月だか、ふた月だか前には、
原子力発電所は40年経ったらもう止めさせるという事を政府が言いました。
それをマスコミもあたかも、
40年経てば原子力は廃絶できるんだからいい事だというように報道した訳ですが、
わたしはそうは思いませんでした。
日本の政府はこれからも40年経つまでは原子力発電所を稼働させるんだという、
そういう宣言をしたなと思いました。
彼らは舌の根も乾かないうちに、
さらに20年間動かしていい場合もあるというような事を言いだしているのです。
何が何でも今まで通り原子力発電を続けさせるというのが、
どうもこの国の政治をやっている人たちの考え方のようです。
なんとしても私はそれを許したくないと思います。
残念ながら私の力は非力で、これまでも原子力を無くす事ができませんでしたし、
これからも私の力は非力だと思います。
でも諦めずに、私は私のやる事をやりたいと思います。
そして、私は1986年に、旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所で事故が起きた後に、
その秋にですが、オーストリアのウイーンという町で
アンチアトムインターナショナルという国際会議が開かれました。
世界中から原子力に反対する人たちが集まって、その会議を開きました。
その会議に合わせて、ウイーン市内でデモが行われました。
ウイーンという町、私は大変好きな町で、古い歴史を持った、静かな綺麗な町ですが、
中心部にフォクブルグ宮殿という宮殿があります。
そして、町の周囲にヨーロッパの各地から来る鉄道の、
北の方から来る鉄道、西の方から来る鉄道、南から来る鉄道というように、駅が周辺部にあるのですが、
その周辺部のそれぞれの駅に人々が集まって、フォクブルグ宮殿まで、デモ行進をするという、
そういう集まりがありました。
わたしもそのデモ行進に参加しようとして、わたしは北駅という駅に行きました。
そこからデモが出る筈だと思って行ったのですが、
わたしは少し早く着いてしまったのだと思いますが、誰も居ないのですね、北駅に。
で、主催者のような人がいたので、その人に聞いてみた。
「この場所でいいのか?これからここでデモが出るのか?」と聞いたら、
「それでいい」ということでですね、
「う〜ん」と思いながら私は待っていましたが、
そしたら、デモが出発する時間ぐらいになると、
あちらこちらから人々が集まってくるのです。
動員された訳でも何でもない、それぞれの人がそれぞれの意思でもって、
原子力に反対するというデモにやってくる。
今日もこの会場で、それぞれの方がプラカード、ゼッケンのようなものをお作りになっているけれども、
その時のデモもそうでした。
一人ひとりが一人ひとりの思いを、発言しよう、発信しようとして、
みんな、てんでんばらばらの姿で、それぞれの心を持って集まってくるという、
デモが出発するころには沢山の人々が集まって、デモが始まる。
そうすると途中から乳母車を牽いた人たちもデモに加わってくると、そんなデモでした。
日本という事国で、デモに慣れ親しんできた私から見ると、
「随分違うデモなんだなと、でも、こういう人たちもいるんだ」と思いました。
そのオーストリアという国はかつて原子力に夢を持って、原子力発電所を作った国でもあります。
でも、彼らは考え直して、一度作った原子力発電所を、
一度も運転させることなく、完成していた原子力発電所を1978年に廃止しました。
ー拍手ー
人々が本当に自分の意思を持って、原子力を止めさせようと思うのであれば出来るんだ。
わたしはその時に確信しました。
今日この会場にきて、皆さんそれぞれが、それぞれの思いを持って、
これだけの人数が集まって来て下さるという事を??して、私はとても嬉しいし、
ようやくこの日が来たのだなとおもいます。
何とか皆さんの力を合わせ、一人ひとりの個性を発揮して、
そして原子力を廃絶に追い込みたいと、思います。
是非ともよろしくお願い申し上げます。
ー拍手ー
ーーーーわたしも集会に行ってきまーす
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