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【こちら特報部】「福島第一」作業員が語る1年〜「収束」?建屋に来てみろ」(東京新聞)
http://ameblo.jp/heiwabokenosanbutsu/entry-11187655762.html
2012/03/09(東京新聞) :平和ボケの産物の大友涼介です。
いまだに放射線量が高い過酷な環境の下、事故処理作業が続く東京電力福島第一原発。先行きが見通せない中、インターネットの短文投稿サイト「ツィッター」で現場などの情報を事故直後から発信してきた地元出身の作業員が、発生から一年になるのを前に「こちら特報部」に取材に応じた。自宅へ帰ることすらまだかなわない自称「国策の被害者」の胸中は・・・。(小倉貞俊記者)
■ツイッターで真実伝える
「今は、燻っている焚き火に水をかけ続けているような状態。心配しなくていいが、安心してはいけない。もちろん収束などしていない。解決までの道のりはまだ遠いことを、多くの人に知って欲しい」
険しい表情でそう語るAさんは、第一原発が立地する福島県大熊町で育った三十代。「協力企業」と呼ばれる東京電力の下請け会社社員で、ずっと地元の原発で働いてきた。
福島原発事故後、全国に放射能への恐怖が広がった。巷では、情報交換の新しい手段としてツィッターの利用者が急速に増加。匿名で情報を発信する原発作業員も現れた。そのうちの一人がAさんだ。
「ネット上には『核爆発だ』といったデマや、不安を煽る書き込みがあふれていた。リスクを冒してでも、真実を伝えなければと思った」
身元が特定されないよう、ツィッターでは「TSさん」と名乗り、デマを打ち消す一方、原発内部の復旧作業の様子などを投稿。当初はわずかだったフォロワー(読者)は、一万九千人にまで増えた。昨年暮れまでの投稿は、スマートフォン(多機能携帯電話)向けパソコン向けの電子書籍{福島原発現役作業員のツイッター」(マイクロコンテンツ社)にまとめられている。
■国の危機・・・自分が
震災当日、Aさんは第一原発でいつものように作業をしていた。強烈な揺れとその後の津波から逃げ、勤め先に自宅待機を命じられて帰宅。翌日以降しばらくは、他の住民と共に被災者の一人として避難所に身を寄せていた。やがて、勤め先から第一原発に戻るよう連絡が届いた。爆発で大破した原子炉建屋をテレビで見ていたので、大変な事態が進行していることはわかっていた。
「いわば”召集令状”だったが、誰かが作業をすることで国家の危機を回避できるのなら自分がやろう、と腹を決めていた」
当時の心境をそう振り返る。
「最後の日常。周りがすべてセピア色に見える」
ツイッターにこう書き込んだ翌日、目に飛び込んできたのは変わり果てた職場の光景だった。敷地内の膨大な瓦礫、横転した車、巨大な魚の死骸、完全防備の同僚たち・・・。屋外にわずか十分間いただけで被曝線量は一ミリシーベルトに達した。
「二重、三重に講じられた対策のどれかで過酷事故は防げると思い込んでいた。東電同様、私も自然を舐めていた」
Aさんはそう話し、唇を噛んだ。
■「収束」?建屋に来てみろ
五月の大型連休あたりまで、現場は復旧作業が迷走し、大混乱だった。作業は平時とは異なるものばかりで、しかもマニュアルなどは皆無。東電から何次にもわたる下請け業者への指揮系統も交錯した。
「ホースを一本引っ張るだけでも、複数の支持が飛び交い、誰の言うことを聞いたらいいのかわからないので仕事が進まない。現場にあるといわれた部品が、行ってみたらそこになかったなんてことは日常茶飯事。すぐに被曝限度を超えて線量計が鳴り出したが、聞こえないふりをするしかなかった。そうでなければ作業にならない」
多額の損害賠償を見越して支出を抑えるためか、東電はメーカーに部品だけを発注し、取り付けは専門外だが単価が安く済む下請けに行わせていた。その結果、施行ミスが頻発した。
「短期間で効果的に人員と予算を投入していれば、作業はもっと早く進んだはず」
予算不足が工事に与えている悪影響は他にもあるのではないか、とAさんはいぶかる。例えば、原子炉格納容器から漏れ出す汚染水を冷却水として再注入するため浄化する仮設の循環装置。水を送るホースが凍結や雑草の貫通により破損し、何十件もの水漏れが発生した。
「仮設ではなく、予算を投じて金属製の頑丈な配管にしておけばそんなことはなかった」「原子炉建屋を覆うカバーを設置できたのはまだ1号機だけ。他は放射性物質の飛散を防ぎきれていない」
■廃炉に数十年 被曝量は・・・
廃炉に向けた政府の工程表では、完了までに三十〜四十年と試算する。しかし、格納容器の底に溶け落ちた核燃料の取出しなどは新技術の開発が必要で、想定通りに行くかは未知数だ。
まだまだ働き続けることになる職場の労働環境にも、不安は付きまとう。何より心配なのは被曝量だ。Aさんの場合、現在の基準では「五年で一〇〇ミリシーベルト」が上限だが、すでに七〇ミリシーベルト超。それでも指示があれば、今後も線量の高いエリアに向かう覚悟でいる。
「十数年後には、ベッドの上でもがき苦しんでいるかもしれない。事情は人それぞれだけれど、作業員仲間のほとんどは故郷への思いと、使命感に燃えて現場に戻ってきた。そして、自分の健康や将来をあきらめながら働いている」
だからこそAさんは、「収束」を唱えて事態を小さく見せようとする政府や東電の姿勢に憤る。
「収束したというなら、なぜ私たちはこんなに被曝してるのか。原子炉建屋に来てみろと野田首相に言いたい」
筋金入りの原発推進派だったAさんは昨年九月、ツイッターで「脱原発」を宣言した。
「安定した職場として満足していたが、被災者になったことで考えが変わった。第一原発に作業員の六割は地元出身者。みな気持ちは同じはず」
そんな思いとは裏腹に、経済産業省原子力安全・保安院が大飯原発、伊方原発の安全評価(ストレステスト)の一次評価を「妥当」とするなど、再稼働に向けた環境整備は着々と進む。
「福島の処理が終わる前にどこかで事故が起きたら、日本は終わる。福島県民の姿は明日の我が身かもしれないのに、立地市町村は危機感がなさ過ぎる」
Aさんは苛立ちを隠さない。
「今まで、都心などで行われる脱原発デモには『安全圏にいるだけの人に言われたくない』と反発を感じたこともあった。でも、声を上げてもらうことこそ大事だと思い直した。関心を失わないで欲しい。少なくとも今後四十年間、国民全体で向き合っていかねばならない問題なのだから」
※デスクメモ
福島第一原発へ再び出勤するよう指示されたその日、Aさんは日記に「最後の大仕事を果たそう」と綴っていた。「生きて戻れないかもしれないと覚悟していた。映画の話じゃないけれど、自分が故郷を守ろうと思っていた」。こんな人たちが、今も過酷な現場で汗を流している。それにひきかえ・・・。(木デスク)
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