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. 特集ワイド:3・11から1年、東京で 歩いた。そして考えた/5止 東大
◇今こそ変わるとき 「ムラ」周辺から相次ぐ批判
雨が降る東大赤門。見物客が記念撮影をし、老紳士や若者たちがスタスタ通り過ぎていく。何人かに声をかけた。東大大学院で機械を学ぶ学生(23)は「原発の輸出は難しそうだし、原発に未来はあるのでしょうか」と不安げに話し、バスに乗った。
優秀な学生が原発の未来を憂う。当たり前なのだろうが、違和感もぬぐえない。
震災1カ月後に入った岩手県陸前高田市の風景を思い出した。内陸5キロ付近から「焼け野原」のような光景が広がり、カーナビがなければ、どこを走っているかも分からなかった。この圧倒的な天災に、科学技術を集めた原発は壊され、多くの人に災いをもたらした。ここに立つと、すでに過去の話のようだ。少なくとも原発事故と東大には、浅からぬ縁があるのに。
セミが鳴く季節、この門で「『フクシマ』論」を書いた東大大学院生の開沼博さん(27)と待ち合わせた。開沼さんは福島原発の歴史を通し、戦後成長を論じている社会学者だ。政財官学と地元住民の二つの「原子力ムラ」があるとし、地元が原発から離れられない背景を論じていた。
3・11後も、原発を抱える全国各地の自治体の首長選や議員選で、脱原発派が勢力を大きく伸ばしたという話は聞かない。国内で原子の火を初めてともした茨城県東海村議選を1月に取材した時も、推進派の人たちが上位当選を独占していた。
莫大(ばくだい)な資金と巨大なシステムを必要とする原発は国家がかかわらないとできない。東大は草創期からその推進役を果たしてきた。今も原子力安全委員会の班目春樹委員長、日本原子力学会会長の田中知東大教授ら、原子力関係の政財官学のあらゆる要職を東大出身者が占める。事故から1年。東大は変わったのか。
赤門をくぐり、目の前に立て看板を見つけた。2日に安斎育郎・立命館大学名誉教授の講演とある。安斎さんといえば、1960年に創設された東大工学部原子力工学科1期生。東大医学部助手から立命館大に移るまでの17年間、電力会社の尾行など多くの嫌がらせを受けながら、放射線の危険を訴えてきた。早速、主催の東大工学部教職員組合に取材を申し込んだが、「大学の好意で場所を借りているので」とやんわりと断られた。
春休みで学生はほとんどいない。安田講堂の手前、レンガ造りの古風な建物に、文学部で近代日本宗教史、死生学を研究している島薗進教授を訪ねた。
島薗教授ら4人は昨年6月、東大柏キャンパスの放射線量をめぐり、東大本部とやり合った。昨年4月、柏キャンパスの空間線量は毎時0・36〜0・50マイクロシーベルト。決して低い数値でない。にもかかわらず、本部は大学サイトで「健康になんら問題はない」と掲載していた。島薗教授らは約70人の教員らの賛同を得て「健康に影響はないとの断定は避ける」ように要望。本部はすぐにその部分を削除した。
「放射線がどのくらい健康に影響があるかよく分からない。だからできるだけ慎重に安全な態勢をとったほうがいい。ただ安全な対策をとろうとすると、経済に悪影響を与えるリスクもある。結局よく分からないグレーゾーンをどうみていくか。健康に影響はないことを強調すれば現状のような対策になっていく。私たちは健康に影響することもありうると考えたうえで議論をすべきだと考えます」
島薗教授はこの1年間をこう振り返る。「放射線の健康影響などでは権威あるとされる学会や専門家たちが、自説をうまく説明できず信頼を失った。学問と政治、経済が結びついて真実がゆがめられる。市民はそのことに気づいているが、大学や大手マスコミは組織や権威に縛られていて、なかなか気がつかない……」
東大「原子力ムラ」に属さない、島薗教授ら7人の東大教授は3・11後、国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告や健康影響を含む国内外の論文を精読し、研究者の手法を使って調べた。昨秋には、インターネットサイト「東京大学原発災害支援フォーラム」(http://311tgf.org/)を開設し、被災者らの支援と情報提供を始めた。
サイトに「活動趣旨」をこう書いている。<この災害とその影響について、事故後、長期にわたり適切な科学的情報が十分に示されず、安全なのか危険があるのか、危険があるならどれほどなのかで専門家の見解が分かれ、市民は途方にくれることが少なくありませんでした。私たちは東京大学をはじめとする多くの大学や研究機関の組織や構成員が、この点で大いに責任があると考えます>
サイトでは除染対策の評価や、低線量被ばくのリスクを低くとらえる動きを批判する論文などを掲載している。
「フォーラム」の呼びかけ人の一人、影浦峡教授(言論メディア論)に会った。影浦教授は、たとえ話をした。
「私が、知らない人に突然コップの水をひっかけたら、かけられた人が風邪ひくかどうかで論争しますか。かけられた人は怒る、不当な行為だからです。そのまわりで東大の先生が『風邪をひかないのになぜ心配するんだ』と口をはさむ。どう思います?」
東京電力が膨大な放射性物質を広範囲にばらまいた。住民が怒るのは当然であり、健康影響が分からないなか、影響はないという学者たちもおかしいと指摘する。「原子力を推進する研究者の情報を受けて、子供を持つ両親が何も対応せず、万が一子供が20〜30代でがんになった場合、その親子はものすごく後悔することになる。政府や社会が責任をとらず、被害者だけが責任をとらされる。その構造が一番の問題なのです」
被害者だけがリスクをとらされる。昨年9月に東京都内であった6万人の脱原発デモで知り合った福島からの母子を思い出した。福島県田村市から山形県を経て岐阜県高山市に避難し、7〜11歳の子供3人と暮らしている吉田優生さん(43)。今、何を思うのか。「この1年で国や県がいうことを信じられなくなった。今のままでは子供が大人になるまで福島に帰ることはできない」と電話で話してくれた。夫は福島で仕事をしており、二重生活を強いられている。
三四郎池を訪ねた。緑色の池のほとりには茶色い猫が一匹鳴いていた。夏目漱石の「三四郎」の世界のままに見える最高学府も、今こそ変わるべきだと思った。【宍戸護】
毎日新聞 2012年3月7日 東京夕刊
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