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原発収束作業の現場から ある運動家の報告
原発収束作業の現場から ある運動家の報告
(車両のサーベイを受けている。サーベイに当っているのは、中国電力から応援にきた放射線管理員。Jヴィレッジ・除染場)
反貧困の社会運動に長年とり組んできた大西さん(仮名)が、現在、福島第一原発と第二原発の事故収束作業に従事している。
その大西さんから、昨年末から今年2月にかけて、お話を聞いた。
〔インタビューはいわき市内。掲載に当たって、特定を避けるための配慮をした。〕
お話が多岐にわたる中で、編集上、4つの章に整理した。
【T】【U】【V】では、高線量を浴びる現場で、放射線管理員として作業に携わっている状況の報告。被ばく労働、雇用や就労、地域との関係などの実態が語られている。
【W】では、原発労働者の立場から、反原発・脱原発の運動の現状にたいして、鋭角的な問題提起が行われている。
事故収束作業に従事する労働者へのインタビューや、ライター自身が中に入るという形で書かれたルポはある。しかし、原発に反対する立場から、「『反対運動を継続してこなかった』という自己批判」として、現場に入ったのは、恐らくこの人だけだろう。
それだけに、突きつけられるものがある。
大西さんのとり組みは現在も進行中だ。
【T】 被ばくすることが仕事
3・11の衝撃
―― まず、どうして原発労働に入ろうと考えたのですか?
大西: 社会運動をずっとやってきたのですけど、3・11と原発事故という事態に衝撃を受けたということです。
もともと、反原発・脱原発の運動には、チェルノブイリ事故(1986年)あたりまでしか関わっていませんでした。3・11が起こって、「反対運動を継続してこなかった」という自己批判ですね。そして、「自分が関わるとしたら、中途半端には関われないな」という気持ちからです。
また、反原発運動をやる場合、やっぱり原発労働の実態を知らないのはおかしいのではないか。現場に実際に入らないとわからないことがたくさんあるだろう。隠されていることがいっぱいあるだろう。これはもう、働くしかないな。働いている中で調べるしかないな――ということから、原発労働に従事することを決意しました。
さらに言えば、1F〔福島第一原発〕の事故収束から廃炉作業には、これから、数十万人、百万人単位の人が必要になる。そのとき確実に言えるのは、新たな原発労働者の層は、プレカリアート〔※〕といわれている人びと、貧困に陥った若年労働者になります。この人たちが危険な現場に入ったらどうなるのか。僕は、労働運動をやっているので、その観点で、少しでも現場を見ておかなければならないと思って入りました。
〔※プレカリアート:新自由主義の下で、就労も生活も心境も不安定な状況にさらされている労働者の層を指す造語。〕
放射線管理員として
(靴の裏までサーベイを受ける。靴の裏は放射性物質を持ち込みやすい箇所)
―― 大西さんの入った会社の業務内容は?
大西: 人夫出しです。
原発労働の中でもいろんな仕事があります。道路を整備する人もいるし、鳶さんもいるし、配管工もいる。一生懸命サーベイ〔survey 放射線測定〕している人もいます。
その上で、一応、会社にも色があって、土木系に強いとか、鳶系に強いとか、配管系に強いみたいに、ある程度、専門分野があって、それに見合った元請けに付きます。
―― 大西さんの仕事は?
大西: 放管(ほうかん)です。放射線管理員。
現場から戻ってきた作業員や車両のサーベイと除染、それから作業現場のサーベイ。大体、こういう仕事です。
簡単にいうと、そこら中が汚染状態なので、免震重要棟〔対策本部がある〕とかJヴィレッジ〔20キロ圏の境にある出撃拠点〕に、汚染物質をいれないために配置されています。
これは、異常事態ですね。今は、建物の中だけが安全で、あとはすべて放射線管理区域の状態ですから。
昔は原発の建屋の中がとにかく危険で、それが拡散しないように、放管が配置されてサーベイをしていた。
今は逆です。全てが放射線管理区域の状態で、この建物の中に、汚染物質を入れないために配置されているんですね。もちろん免震棟も線量は高いんですけど、外は全て危険だから、建物の中だけでもなんとか守り切る。最後の砦を守る仕事です。
―― 放射線管理員とはどういう資格ですか?
大西: 一応、放射線作業従事者に当るので、その教育を必ず受けなくてはいけないです。 僕の会社は、20年間、放管をやってきた人がいたので、詳しくいろいろ教わりました。 今がどれだけ異常事態かっていうことについても、毎回、毎回、説明してくれました。
ただ、今は、そういう教育受けてない人も放管をやっています。だから、数値の意味を知らないという人もいますね。
(湯本の旅館。『歓迎 日立プラント御一行様』の看板が)
―― 生活していた場所は?
大西: 湯本(いわき市)の旅館ですね。
元々は温泉街だけど、今は、一般客はほとんど泊めていない。あらゆる企業が飯場代りに使っているんです。だから雰囲気が違ってしまっています。
―― 朝は何時に起きるのですか?
大西: 朝は4時半ぐらい。5時位に出発してます。
車は、会社の車だったり、元請けの車だったり。東電のバスで通勤するところもある。
朝6時に二つ沼公園〔Jヴィレッジ直近、東芝などの作業拠点になっている〕に着きます。
そこで、乗り換えて、30分くらいで1F・2F〔福島第二原発〕の中に入って、作業の開始です。
(朝7時前、国道6号線は原発に出勤する車で渋滞する。久之浜・波立海岸)
―― 現場に到着すると?
大西: 交代制ですから、班ごとに、どういうローテーションで、何をやっていくのか、みんなで打ち合わせをします。
まず、どういう交代で、どういう休憩のとり方をするのかというのが一番大きい。
あとは、当日の作業内容の打ち合わせを綿密に。
現場の作業に出ると必ず線量を浴びるので、浴びる前にあらかじめ、「これをこうして、こうして」ということを、あらかじめ事前に想定して、みんなで話し合いをします。実際の作業以上にシュミレーションに時間をかけます。
そうしないと、現場でモタモタしたら、それだけ被ばくしてしまうからです。
現場に着いたら、サッと持ち場に着いて、ビュッと仕事をまとめて、サッと現場を出るという形です。
―― その指示をする人は?
大西: それぞれ一つの作業について、チームリーダー、グループリーダーがいるので、その人の判断で最終的に決まります。例えば、「今日は、ここは線量が高いから、この作業については中止だ」といった判断です。
―― 放管は、「線量が高そうだ」というところに、最初に行くということですね?
大西: そうです。「ここはこれだけの線量がある」ということを、事前に把握して、「今日は向こうの方はだめだから」とか、「今日はここだけだったらいいですよ」ということを作業者に伝えます。
あとは、パトロールって言ってるんですけど、どれだけ放射線があるかっていうのを、隅々まで測っています。
(二つ沼公園が作業員用の駐車場になっている)
着替えが仕事
―― 作業時の服装は?
大西: 1Fのときは、Jヴィレッジの中でタイベックに着替えます。
2Fの場合は、着替えないでそのまま入ります。2Fは、比較の問題ですが、「安全」ですから。
―― 2Fに行くときは着替えないのですか?
大西: これがですね、全くひどい話なんですけど。
もともと管理区域というのは、私物はパンツ一丁以外、一切身に付けてはいけないんです。しかし、今は、2Fは、もう自分の服でそのまま作業してますよ。
1Fも、自分の服はとりあえず脱ぐけど、作業服はそのまんま着て、その上にタイベックを着てマスクしてという感じです。
あれだけの人数と放射線量、それにあれだけの交代制の中で、追いつかなくなっています。服についても、3・11以前と以後では、ほんとに感覚がおかしくなっています。
―― というと3・11以前は?
大西: 原発労働に入って一番最初に何を言われたかというと、「原発労働は服を着るということ自身が仕事だよ」と。服を着替えること自体が、もうすでに仕事の一環に組み入れられているという特殊な仕事という意味です。
3・11以前の話も聞かされました。
服を何回も何回も着替えて、着替えるごとに、だんだん危険な区域のレベルが上がって行く。黄服、青服、赤服と着替えて、A区域、B区域、C区域、D区域という形で、炉心近くに行く。
そのレベルが上がる度に、その前の服を脱いで、危険なところに行くための新しい装備に着替えますが、放管は、その人がそのレベルに見合った装備をしているのかをチェックするのです。
とくに炉心に向かう赤装備のときは、補助員が必要です。補助員が、服や靴下やゴム手袋を順番に装着し、密封するために桃色のテープをぐるぐる巻いて、マスクをはめてやります。
(写真上はJヴィレッジの全景。写真下はサッカー施設として使われていた当時の案内板。Jヴィレッジは、90年代に、東京電力が、福島県にたいして寄贈したもの。プルサーマル受け入れを期待し、その見返りだった)
大西: 逆に脱ぐときも、補助員が、マスクを取って、ヘルメットを取って、アノラックを取って、キムタオル〔紙製のタオル〕で拭いてあげて、手袋も取ってあげて、それから、ようやく自分で脱げるようになったら、自分で脱いでいきます。
こうしてようやく赤服だった作業員と補助員が、同格の汚染レベルになります。そうすると今度は、作業員と補助員が次の区域に行って、そこにも補助の人がいてという具合。これを3回繰り返してようやく表に出ることができます。
装備を最高レベルにするために1時間近くかかります。だから「服を着ること自体が労働」というのです。手袋をはめるのも労働です。手袋だって、綿手袋をして、その上にゴム手袋を2枚します。
また、例えば、汗が出ても拭いちゃだめなんです。放管教育では、眼が一番、被ばくしやすいと教わります。だから、汗は拭けません。安全な場所に行って、補助員が、顔をキムタオルで拭いてあげるのです。
―― まるで宇宙空間に送り出していくような感じですね。
大西: そう、本来、そういう世界のはずですよね。
それが、いまや全域が、炉心付近の状況になっています。例えば、1Fの1号機、2号機、3号機の周辺がもう完全に炉心と同じレベル。
2Fに至っては、もう私服ですから。私服といってもそれぞれの会社の服ですけど。汚染物質が付着した作業服を、家に持って帰って洗わなくちゃいけない状況は異常ですね。
―― 3・11以降は、そういう基準が崩れているということですか?
大西: そう、崩れています。
パチンコ屋で、「ああ〜、青靴下はいてるよ。いいのかよ」とか、タイベックを着たままコンビニに行くみたいなことがあります。
普通に、装備が持ち出されてしまっているのです。Jヴィレッジで着替えをしてますから、仕様がないですよね。
タイベックは、放射性物質が付いても、これは捨てるから、ということで着ているんですよね。外の人に迷惑かけないためです。だけど、それを着てそのままコンビニに行ったら、何の意味もないです。
―― どうしてそういうことが起こっているのでしょうか?
大西: 管理することを、東電が投げていると思います。
これだけ膨大な人が、炉心での作業と同じような状態で、働いているわけです。
今までなら、一人を炉心に送り出すのに、宇宙飛行士を送り出すようにやっていたけど、今、その基準でやったら、どれだけの人がいるのか、という問題になって、「もう無理、管理しきれない」と、完全に感覚が麻痺してしまっているように思います。
24時間の稼働
―― 仕事は24時間体制ですか?
大西: 1Fも2Fも24時間、動いてますから。
とにかく稼動している冷却システムに、24時間、人を配置し続けていないと、また大変な事態になってしまいます。
原発の正常運転時でも24時間ですけど、今は、悪化させないために、とにかく人が入り続けないといけない構造になっています。
生産性のない労働なんですけど、それがないと収束もしないという状況なのです。
もしかすると人類初めての作業かもしれないですね。チェルノブイリとはまた違うと思います。
―― チェルノブイリと違うとは?
大西: チェルノブイリの場合は、石棺にしました。しかも作業員が死ぬことを前提に人を投入ました。ソ連という体制もあったと思いますけど。
日本は、いまのところ、石棺という道を選んでいないので、あらゆる手立てを尽くして、冷やして、冷やして、最終的に、30年後、40年後に、核燃料を回収するという壮大な世代を超えた仕事に取りかかっているのです。
―― 現場が24時間稼働だと勤務は?
大西: いまの原発作業は、3交代と2交代と、おおまかに2つのシステムがあります。
放管の作業も、3交代の部分と2交代の部分があります。だいたい14〜5時間、現場に拘束されます。もしくは3交代の人は10時間拘束されます。
ただ実働時間はすごく短いです。
―― 実働は短いと。それ以外の時間は?
大西: 待機。休みます。
―― それは被ばく線量との関係で?
大西: そうです。
14時間の拘束であっても、実働が4時間ぐらい。あとは休むのが仕事。服を着るのと同じで、その場所にいること自体も仕事なんです。
要するに、原発労働では、いくつものグループがあって、それが順番に同じ作業をやっていきます。交代制をとるのは、被ばく量を平準化するためです。そのために、たくさんのスペアを用意しながら、人を回転させていくのです。
あと、もし何かあったとき、緊急的に対処できる要員という意味合いもあります。実際3・11のときもそうなりました。
「大きな事故があったら、それなりの対処をしてもらう代わりに、何もないときは労働時間は短いけど、普通の人と同じ給料を払いますよ」、ということです。そういうリスクを背負いながらするのが原発労働です。
(1FおよびJヴィレッジ周辺のサーベイ結果が連日、張り出される)
車両の汚染 1〜2万カウント
―― 汚染の状況はどうですか?
大西: ます、1Fの作業に入っている車の被曝量がすごくて、問題になっています。
事故前は、カウント数(cpm=counts per minute 1分間当たりに計数した放射線の個数)で、2,000とか2,500位が基準。いまは、もう6,000が基準。
車の被ばくが、10,000とか20,000ある。
それを、6,000まで下げるのが大変。ふきまくって除染します。
だけど、実は肝心なところを計測してないのです。ラジエーターまわり。あと車の裏。
車が埃を舞いあげて、それをラジエーターで吸気しています。だからほんとはそこを一番やりたいんだけど。それは無理ですよね。
通勤している人は、とにかく終わったら早く帰りたいから、「少し高いんで、ちょっと待って下さい」と言うと、「何やってんだ」と怒鳴られて、ケンカになるなんてしょっちゅうあります。
そういうケンカを防ぐために、徐染をやっている人も、7,000くらいだったら、「まあ、いいや」という風にやっていますね。
(現場から戻ったダンプカーを放管がサーベイしている。汚染が高ければ、その場で高圧洗浄を行う。1F周辺のガレキ撤去作業に使う車両の汚染は激しい。除染しても線量が下がらないため、外に出せない車両がJヴィレッジ付近にごろごろしている)
―― 車両のサーベイと除染はどこで?
大西: 2Fは、構内でやっています。
1Fの場合は、Jヴィレッジの脇の除染場です。そこに一番線量の高いところから車が出てきます。
まずサーベイして、高いところがあったら、とにかく水を掛けたり、拭いたりして、除染します。
―― 除染に使った水は?
大西: 流します、結局。世間では除染と言ってますが、僕らは、笑って「移染だよね」といっています。
―― 汚染水はプールしていると思っていたけど、排水溝から海へ?
大西: それ以外ないでしょう。
―― アレバ社の汚染水処理装置は?
大西: あれはもっと超高濃度の汚染水の話です。そっちは、配管で循環させる装置が稼働しています。それは、炉心にあった水をやっているだけなのです。
それ以外は、流して、最終的には海に行くのです。
被ばくすることが仕事
―― 作業員の被ばくの方は、どういう状況ですか?
大西: 1Fでの被ばく量が、とにかくすごいです。
1Fでは、免震重要棟の外の仮設に、サーベイの拠点があります。
Jヴィレッジで着替えてから、車で30分ぐらいで、この仮設に着きます。ここで、APD〔Alarm Pocket Dosimeter 警報付きポケット線量計〕を受け取ったりして、現場に向かいます。そして、現場から戻ってきた作業員をここでサーベイします。
そうすると、だいたい、水処理関係〔冷却水の循環装置など〕やタービン建屋、ガレキ撤去の作業などが、ものすごく浴びています。
1日、2〜3時間の作業で、0・5から1ミリシーベルトです。これが1日の積算の被ばく量です。
さらに、水漏れなどが起こると、その修繕作業で、汚染者が続出します。
タービン建屋なんかに入ったら、1日20分ぐらいで、5ミリシーベルトも浴びてしまいます。
平常時だったら、20ミリシーベルトを浴びたら、東電管内では、仕事はできなくなります。1日で1ミリシーベルトだったら、20日も働いたらおしまい。1日で5ミリシーベルトなら、4日で終わりです。
◇1シーベルトも
大西: タバコ部屋というのがあって、そこは、東電の社員も含めてみんなが一緒に使うところがあります。そこで、ときたま出るのは、「誰々は1シーベルト〔1シーベルトは1000ミリシーベルト〕浴びたよ」とか、「600ミリシーベルト浴びたよ」とか。
1ミリではないですよ。1シーベルトですからね。急性障害が出てもおかしくない数字です。
放管が、全身サーベイをやると、身なりがきれいな東電社員で、そんな危険な作業をしてないはずなのに、ピューと上がるんですよ。内部被ばくで、相当高くふれているのです。おそらく直後の収束作業で内部被ばくしているのでしょう。「歩く放射性物質」になっているわけです。
先日も、2人の東電社員が、原子炉建屋に入りました。現場を見てくる必要があったのでしょう。1人は30代、もう1人は50代でした。それは、もう命がけですよね。
帰ってきた2人にたいしてサーベイをしたんですが、本当に心を込めてサーベイしました。
◇サーベイでも被ばく
大西: 先ほど言ったように、車両の汚染がひどいのですが、その汚染車両の除染作業で、1日1ミリシーベルトも浴びてしまう状況です。
そもそも、Jヴィレッジから1Fに通勤するだけで、被ばくしています。バスで片道30分ですが、往復すると14から16マイクロシーベルトは浴びます。
放管が、1Fでは一番、安全なのですが、それでも1日で0・1から0・2ミリシーベルトです。
たしかに作業している時間は短いですが、被ばく量が高いために、それしかできないのです。
だから、原発労働は、「線量を浴びることが仕事」ということなのです。
◇「ご安全に」
大西: こういう現場ですから、1Fに向かう車の中では、みんな、緊張していますね。そのため、心持ち多弁になります。全面マスクなので、よく聞き取れないんですが。
そして、現場では、「ご安全に」とあいさつします。「いってらっしゃい」という意味で使うのですが、実は、この言葉は、炭坑労働者が使っていた言葉です。危険な現場に行くという意味で、それが引き継がれているのですね。
(身体のサーベイを受ける。Jヴィレッジ・除染場)
放射能焼け
―― 被ばくの影響はありませんか?
大西: 放管ですから、全ての人の顔を見ます。そうすると、結構、「放射能焼け」で、顔が真っ赤な人いっぱいいます。
放射能焼けとは、ベータ線熱傷〔※〕なんですけど、ちょっとずつ被ばくすると、皮膚が攻撃を受け続けるわけですから、弱くなって、赤くなるのです。
それから、ラテックスアレルギー〔※〕でも赤くなります。ゴム手袋を日に何回も変えるのですが、それに付いている粉で、手とか顔をやられています。
〔※ベータ線熱傷: 放射線皮膚障害の一種。皮膚および皮膚の細胞組織が破壊され、火傷に似た症状を発する。
※ラテックスアレルギー: 天然ゴムに含まれる、ラテックスと呼ばれるたんぱく質が抗原となって、引き起こされるアレルギー反応〕
―― 健康診断とかホールボディーカウンターとかは受けています?
大西: 受けてます。1Fと2Fとでは待遇に差があって、1Fの人は1カ月毎に、ホールボディカウンターと電離検診〔電離放射線障害防止規則にもとづく健康診断〕を受けています。2Fの人は、3カ月に1回です。法定は6カ月毎ですが。
眼と指先が被ばくしていないかを、医者がチェックしています。
―― なぜ眼と指先を?
大西: これも法定〔放射線障害防止法〕なのですが、眼を診るのは、放射線で焼けて、角膜が白濁するからです。マスクをしても、ゴーグルをつけても、眼については、放射線を防ぐことができないのです。眼は一番弱く、痛みも感じないですからね。
あとは、指先にケロイドがあるかどうかを見ています。指先は、汚染物質に一番近いからです。手袋を介していますが、ガンマ線は、手袋を透過してモロにくるからです。
放射線管理手帳
―― 放射線管理手帳〔※〕は?
大西: 持っていますよ。ただ、この手帳は、運転免許証みたいに自分で持っているわけはなく、会社が管理しています。
しかも、作るのも会社ですよ。
―― 公的な機関ではないのですか?
大西: 違います。私の場合、申請企業は千代田テクノル〔※〕ですね。
放射線影響協会〔※〕というのがありますが、実際は企業です。
しかも、手帳つくるのに1万5千円ぐらいかかります。
放射線影響協会が、それでお金を回しているのです。労働者のためになっていない団体ということです。
〔※ 放射線管理手帳には、作業員の被ばく歴、健康診断などが記載されている。この手帳で、どこの原発で働いても被ばく量が一元管理されるとされている。
※ 放射線影響協会は、文科省所管の財団法人。「原子力の利用を促進」と目的に明記。同協会の下に放射線管理手帳を一元管理する「中央登録センター」がある。
放射線管理手帳の実際の発行手続きをするのは、「放射線管理手帳発効機関」。これは、電力会社、電機産業、プラント企業、原子力専門企業など。上述の千代田テクノルも。
※ 千代田テクノルは、放射線関連の専門商社。原子力産業そのもの。除染でも専門技術を持っている。〕
◇行方不明の真相
大西: この手帳をめぐっては、次のような話があります。
3.11以降、原発労働者が行方不明だとかで、問題になりましたよね。死んだとか、行方不明だとかいわれていますが、違うんです。
最初は偽名で入る。次に本名で。また偽名で。同じ人が別名で、2回、3回と働いているということです。別人になると、放射線被ばく量がゼロから始まりますからね。
それで、行方不明ということになるわけです。地元にいないとこの感覚が分からないでしょう。原子力村の末端では、こういうことになっているわけです。
【U】 中抜きとピンハネ
(いわき市久之浜大久地区にある作業員宿舎。鹿島建設の下請けの作業員が入っている)
―― 大西さんの会社は何次下請けですか?
大西: 3次です。
一番上の発注者が東電。その次が元請け。元請け会社は、東電工業とか、東芝、日立とか、鹿島建設、清水建設などの大手。その次が1次下請け。さらに2次下請・3次下請けは、ほぼ地元の企業。大熊工業とか、双葉企画みたいな名前で、原発周辺でだいたい組をつくっています。組というのは、いわゆる人夫出しですね。
「原発ジプシー」という言い方もありますが、原発労働者は、大部分が、定期点検で全国各地の原発を渡り歩くんですけど、日雇い労働者だけではなくて、それぞれの地元の住民です。
福島や新潟や福井の原発周辺の住民が、原発労働で全国を巡り歩いているのです。そうやって巡り歩く労働者を受け入れる先が、1次・2次の下請け企業です。さらに1次・2次の下請けが抱え切れないというか、すぐに雇用できて、すぐに使い捨てできるような形の3次・4次の下請け会社がたくさんあります。
一番の末端では、親方が2〜3人を連れて、現場を移動していく形になっています。福島の中でも移動していくし、定期点検で人が足りなくなったら全国の原発に人を出していく。ということをやっていますね。
―― 大西さんの会社の規模は?
大西: うちの組は10人ぐらいですね。社長も含めて親方が3人です。親方が寄り集まって会社をつくっているんで。それ以外の人たちは、入れ替わり立ち替わりという形です。
―― 組とは?
大西: 親方がいるところを組といいます。
班というのもあります。小さな会社が、別の3次・4次の下に入ったとき、会社自体が、「なんとか班」と呼ばれたりします。
結構、複雑です。東電の現地採用の人、元請けの現地採用の人、さらに下請けの会社の人。みんな学校の同級生なのです。地元の人で、顔見知りなのです。
そういう関係で、仕事を回し合うのです。上になったり下になったり、仕事がなかったら回してという具合に。だから、複雑になるわけです。
(久之浜の作業員取捨は、プレハブ2階建ての宿舎が12棟。バスでの送迎があり、大きな食堂もある)
―― 人夫出しだと、私が知る範囲では地元の暴力団とかですが?
大西: 組というけど、暴力団ではないです。
僕の友人のいた会社の上は、たしかに暴力団が経営する人夫出しでしたが。
―― 下請けが3次4次5次と行くと、抜かれ方も酷いのでは?
大西: そうです。間に入れば入るほど、どんどん中抜きされていきます。建設労働はみんなそうなんですけど、原発労働はそれ以上。
例えば、東電が、「1人、1日、10万」で出したら、末端では1万5千円になるっていうぐらいの計算ですね。
―― 親方というのは待遇が違うのですか?
大西: それは「抜ける」ということです。親方になったら。
だから僕は親方になるのがいやなのです。
私の友人は、僕よりつらい仕事をやっても、日給8千円。僕よりも賃金は安かったんです。間に2人ぐらい抜く人がいたから。正式には3次かも知れないけど、実質的には5次みたいな会社だったようです。
―― 大西さんはいくらだったのですか?
大西: 9千円〜1万円ですね。正規に3次でそうなります。
1次・2次がボコッと抜いているし、自分の親方もとっていますから。
―― そのことをめぐるいざこざは?
大西: ありますよ。あっちこっちで。刺したり、刺されたり。「危険なことだけやらせやがって」と。
ジプシーって言われるのは、そういうことも含めて、あちこちに移っていくからです。あそこがだめだったら次へと。
【取材コラム・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
良く行く飲み屋で、久之浜の作業員宿舎にいるAさんと、何度か会話をした。
Aさんは30代前半、北海道から、仲間と一緒に来ている。
仕事は、1Fの3号機のそば。作業用の道路を造り、配線などを敷設する作業。重機のオペレーターをしているという。
1日、1時間半ぐらいで終わり。「楽だよ」と言うが、線量が高いため。
日当は、1万2千円、プラス3〜4万円の危険手当。
それでも、5次請けだから、「ハネて、ハネて」という感じだという。
ただ、Aさんの現在の被ばく量が35ミリシーベルト。たいていの人は、2カ月ぐらいで50ミリシーベルトに達して、それ以上、仕事ができなくなる。
Aさんも、もうすぐ終わりだ。そうしたら、今度は、10キロ圏内の除染作業の方に行こうと思っているという。
Aさんは、「東電さんはよくやっているよ」「いまの待遇に満足している」と、東電や鹿島を弁護していた。
ただ、「いまの被ばく量が35ミリと言われても、それが良いのか悪いのか。どう考えたらいいのかがわからないんだ」と、不安な気持ちを吐露していた。
Aさんは、北海道に彼女を残してきている。「この仕事が終わったら、帰って彼女とドライブに行くんだ」と話していた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・】
(久之浜の作業員宿舎)
―― 労働基準法に照らして現場はどうですか?
大西: すべてダメです。一番最初の段階からダメですね。労働契約書は交わさないですから。人間関係だけで仕事がはじまります。
だから、賃金を払う段になって、何とかを引いて、何とかを引いてと。そうなると、「おい、それは聞いてないよ」ということが起こります。
例えば、東電は、泊まる人には食費を支給しています。だけどその食費をなぜか引かれてしまっています。
東電は、メシと風呂と寝ることに関しては「なし」(=会社持ち)としています。さらに、早出で朝飯が食えないとか、夜遅く帰ってくるから晩飯が食えないというときは、「その飯代も支給しますよ」となっています。
だから東電から元請けに食費としてお金が入って、それが1次下請け・2次下請けにいくんですけど、その段階で何故か消えてるんですよね。「あれ〜?」って。それで大もめにもめてる人もいました。
それから交通費も。湯本から往復で100キロです。ガソリン代で千円から2千円が一日で飛んでしまいます。 だけどその交通費が込みになっていたりします。
ひどい話ですけど、それは、そもそも労働契約書を交わしてない時点に問題があるわけです。
悪徳企業
大西: でも、ちょっと次元の違う意味で酷いところがあります。企業名を言うと、アトックス(ATOX)という会社。
元の名前がすごいです。「原子力代行」。代行というのは、「原発における諸雑務、一番下の仕事に人夫出しをしますよ」ということです。
カタカナとかローマ字になっているからごまかされるけど、一番ひどい会社です。ある意味、東電以上。
樋口健二さんの写真集に、「雑巾掛けが一番あぶないんだぞ」という話が出てきますが、その作業をやっているのはアトックス。
―― どういう点が酷いのですか?
大西: 僕ら放管が、作業員をサーベイしていると、とにかく一番無防備で、危険な作業しているのが、アトックス。作業員の線量が一番高いのです。
知っている人は、みんな元請けがアトックスと聞いたら、その会社には行かない。アトックスの人に関しては、地元の人はいないです。
知らない人がアトックスに行く。東京のプレカリアート層になる。
普通に「寮付で、飯が食えますよ」と、雑誌とかホームページに出ている。
もちろん、危険な作業への従事についてなど、一言も書いていない。
たしかに、アトックスでは、技術は必要ないです。いまだに、雑巾掛けですから。
しかも、アトックスは、タイベックも着せないで、低レベルの放射性廃棄物を扱わせたりとかしていている。僕らだったら、危険作業に従事していることをわかっているから、低レベルでも放射性廃棄物を扱うときは、タイベックを着て、ゴム手袋を二重にはめて作業をするけど、アトックスの人は、綿の手袋だけで、タイベックも着ない。そういうことを知らない。もしくは、下手するとゴム手袋とかタイベックを着ることを禁止されてるかもしれない。分からないけど。
だから、放管として、一番気をつけているのは、アトックスの作業員。
他の作業員は、タイベックを着ているから、それを脱いだら、そんなに線量は高くない。だから、そんなに詳しくはやらない。だけど、アトックスの作業員だけは、どの放管も、とにかく、袖口とか、一番汚れやすいところを厳しくやって、すぐに水で洗うようにとか、アドバイスをしています。
(いわき市内にあるアトックスの「福島復興本部」)
◇労働条件引き下げの先兵
大西: 原発専門で人夫出しをしたら儲かるということで、1980年代の派遣法改正のときに、真っ先にそれに目を付けたのがアトックス。それがいまや、日本では一番大きい人夫出し業者。全国区で展開している。
発注元が東電だとすると、元請けが東芝とか日立とかで、その下の1次下請けになる。1次下請けの立場で、全ての業務をこれから抑えようとしている。
人をシステマティックに集めるノウハウを持っているからですね。
ヤクザなんかとかは違う。数年前に問題になった人材派遣会社のグッドウィルみたいな感じと言えば、イメージが浮かぶのでは。
とにかく労賃がむちゃくちゃ安い。そして、元請け企業には、格安で受注しています。タイベックスを着なければ、それで経費が浮きますから。
実は、原発労働者の労賃が、すごくディスカウントしているけど。アトックスの影響がものすごく大きい。
あらゆる元請けに、アトックスが入り込もうとしているので、そのおかげで、どんどん労賃が下がり続けている。除染作業は、アトックスがほぼ独占しようかという勢い。
だから、除染というと、単価の話になって、安ければ安いほど良いかもしれないけど、実は、それが原発の被ばく労働の単価をどんどん押し下げている。
結局、アトックスが、賃金の面でも防護策の面でも、労働基準法や放射線障害防止法の壁を取っ払う役割を果たしている。
冷血ですよね。次から次へと供給できるから、労働者を使い捨てにしている。アトックスの働かせ方は、危険だと感じています。
―― アトックスに雇われている人たちは都市の若年層ですか?
大西: そうですね。一番若いです。ほぼ全員二十歳代。
現代の縮図みたいです。
地元の人はほとんどいない。
現場でも、アトックスの人だけ孤立してますね。かわいそうですよ。
しかも、他の下請けに行ったら、しばらくいればある程度の技術なりが身につくでしょうけど、アトックスにいたら技術も身につかないですから。何年やってもふき掃除、何年やってもごみ片付けです。
―― アトックスの実態はマスメディアには知られてない?
大西: 知られてないでしょう。
――労働運動では?
大西: 多分、僕しか知らない可能性が。原発労働者の間では有名ですよ。アトックスって言ったらもう「あんな危険なことさせてるよ」とか「あそこの除染作業をあんなダンピングの価格で請け負っちまって、おれらどうすりゃいいんだよ」とかね。
【V】 地元労働者と新たな貧困層
(湯本の温泉街。人通りはまばらだ)
―― 先ほども少し出ましたが、収束作業に携わっている人たちはどういう人ですか?
大西: 原発労働者の出身は、ほとんどが原発立地周辺の市町村です。いまも収束作業をやっているのは、泊、福島、柏崎、福井、浜岡などの人たちです。
僕の今の実感としては、8〜9割ぐらいかなと思うくらい。
なぜそうなっているかというと、自分の地元だから何とかしないと、という気持ちがあります。それから、それで食ってきたから、それ以外の仕事ができない、ということもあります。二重の意味で、閉鎖的な環境で作業が行われているのです。
東京・首都圏という電力の消費地が、福島や新潟のような地方を、ある種の植民地にしたような状況にあると言えると思います。経済的に見ても、歴史的に見ても、東北というのは、低開発になるようにずっと強いられてきた。そういうところに、「雇用を生み出しますよ」という形で提示されたのが原発ということなのでしょう。
◇地元のつながり
大西: 現場にいて感じるのは、現場の労働者が、どの会社にいようと、東電であろうと、みんな顔見知りなのです。
小学校が一緒、中学校や高校が一緒、町が一緒という形で、みんなそこに住んでいる住民。だから、「あいつ同級生、あいつ後輩」という感じです。
東電についても同じです。地元採用枠というのがあって、一生、本社に出ることはなく、出世とは一切関係なく、地元の原発を動かしながら一生を終えるために採用される人です。
危険要員という面もあるでしょう。実際、東電の社員という一括りに非難するけど、いま一番危険な作業を行っているのは、実は地元採用の東電社員かもしれません。
危険な作業というのは、下請けだけではないのです。僕は、東電社員と一括りには、ちょっとできないなと思います。だって、「親戚の息子が東電」「知り合いの兄さんが東電」という具合ですから。
だから、現場では、同じ東電でも、地元採用の東電社員にたいする視線と、東京にいて指令を下すだけの東電社員にたいする視線は違います。
――現場で地元採用の東電社員は?
大西: 以前は、東電の社員というのは、ふんぞり返るのが仕事。作業はしない。地元採用でもそうでした。
地元採用の東電社員は、高校で一番とか、生徒会長をやったという人でしょう。現場で作業するのは、同級生でも「落ちこぼれ」の人という感じです。
いまでこそ、東電の社員も、僕らみたいな協力会社の社員にも、頭を下げて挨拶するようになりました。以前は、「おはようございます」と言っても、無視するのが当たり前だったのに。いまは、向こうから頭を下げて、「おはようございます」と言うんですよね。
(Jヴィレッジ直近のコンビニエンスストア。作業関係者で繁盛している)
◇新たな貧困層
―― 原発立地周辺の人以外だとどういう人たちですか?
大西: 後のことはどうなってもいいという人たちがいます。そういう人たちが、1カ月に何十ミリシーベルトも浴びても構わないという風になっています。
その人たちは、そうなった事情があって、借金を背負ったりで、「一攫千金を得たい」と。千金はもらえないんですがね。それでも、「普通の仕事の倍は稼ぎたい」という人です。
「危険だ。危険だ」と言われながら、その危険がどういうものかという知識を持っていない人、知らせられていない人たちです。
3・11以降、1Fを中心に、そういう新しい層が、危険も知らないで、飛び込んで来ています。
1Fの収束・廃炉の作業には、これから、数十万人、百万人単位の人が必要になります。そのとき、確実に言えるのは、新たな原発労働者の層は、プレカリアートといわれている人びと、貧困に陥った若年労働者になるでしょう。
【W】 原発労働の現場と反原発運動とのかい離
(二つ沼公園で待機する2F行きの送迎バス)
―― 原発の現場に入って、労働者の命と権利を守るための方向は見えましたか?
大西: むしろ簡単ではないことが分かりました。
東電から元請けに発注し、その元請の労働者クラスが、自分の同級生だったりするというムラ社会です。そのようなムラ社会の中に、労働運動をもちこむことの難しさがあります。
危険な状況にあるのは確かだけど、声を挙げたら一生食えなくなる、もしくはムラ社会から外されてしまうという道を選べないと思います。
―― 原発事故という形でこの社会の根幹を揺らいでいます。そういう事態の中で、住民運動・市民運動・農民運動などが大きく動き始めています。その全体の前進の力で、原発労働の厳しい現実をも跳ね返す空間を作っていくということではないかと考えますが?
大西: 僕も、いまそういうことも考えています。
ただ、現状だと、それを一緒に作っていくという方向に、反原発運動の側が向いていない。逆に原発労働者が孤立化させるように、運動の側が、世論を形成しているように感じられます。
――それはどういうことでしょうか?
大西: 「東電社員の賃金なんかカットしろ」といったことを運動の側がいいますよね。もちろん東電は悪いですよ。
だけど、そうすると何がカットされるかといったら、東電社員の賃金もカットされますが、作業員の賃金もカットされるのです。
本当にひどい構造なんですよ。運動とか世論がそういう風に利用されてしまっているのです。
例えば、「東電を解体しろ」と言う。そこら辺までは分かります。
でも、東電や協力企業を全て潰してしまったら、実は、原発が動かないという次元の問題ではなくて、収束や廃炉の作業ができなくなってしまうんですよ。
(二つ沼公園に設置された東芝の作業拠点)
まもなく作業員が枯渇
―― 作業ができなくなるとは?
大西: 実は、原発労働者が足りなくっています。
放射線管理手帳をもっている労働者は約8万人。意外と少ないんです。しかも、その内の3万5千人が、もういっぱいまで浴びています。9カ月で半分に減っちゃったんです。
たぶん今のペースで行くと(2012年)夏ぐらいには、原発労働者の人数が枯渇するんです。
そうすると1Fの収束作業ももちろん、他の原発の冷温停止を維持することさえもできなくなる危険があるんですよね。
まして廃炉というのは、1Fの作業で分かる通り、人数がものすごくいる。54機全部を廃炉にするというなら、数百万の労働者が必要です。
――そういう問題として受けとめていませんでした。
大西: 収束とか廃炉とかの作業を、原発労働者がやっているという感覚を運動の側が持っていない、身近なものとして感じていないという気がします。
「廃炉にしろ」と、東京の運動が盛り上がっているんですけど、語弊を恐れずいえば、特定の原発労働者、8万人弱の原発労働者に、「死ね、死ね」って言っているのと同じなんですよね。「高線量浴びて死ね」と。自分たちは安全な場所で「廃炉にしろ」と言っているわけですから。
原発労働者を犠牲に差し出すみたいな構造が、反原発運動に見られると思います。
そういう乖離した状況があるので、福島現地や原発労働者の人と、東京の人が同じ意識に立って反原発・脱原発の方向になることが簡単ではないと感じています。
―― 廃炉というテーマに、自らの問題として向き合う必要があると。
大西: そうですね。廃炉という問題にたいして、みんなが少しずつ浴びてでも作業をするのか、「いや、原発反対なんだから作業もしないよ」というのか。「被ばく労働なんてごめんだ」といってしまうと、では廃炉の作業はどうするのか。東北の人に押しつけるという意味でしかないですね。
希望的理想的に言えば、1人が100ミリシーベルトを浴びるんじゃなくて、100人で1ミリシーベルトを浴びようよと。
しかし、現実的には、みんなが、そういう気持ちになるというわけはいかないと思います。
とすると、2つ道があります。
1つは、原発労働に従事するからには、被ばくするわけだから、「健康の問題について、一生、見ます。もし何かあったときは補償もします。賃金も高遇します」という風にするべきです。もちろん中抜きはありませんよ。準国家公務員みたいな形で雇ってね。
もしくは、2つ目は、徴兵制みたいに、「何月何日生まれの何歳以上の人は、ここで1週間、被ばく作業をして下さい」みたいに強制的にやるか。
後者は、すごくいやなんですけど、でも僕が、実際に原発労働をして思ったのは、これは、反原発運動をやっている人は、全員やったほうがいいんじゃないかなということです。
反原発だけではなくても、もしそこで原発の電気で恩恵をこうむっているんだったら、やるべきなのでないかという気持ちになっています。
東京と福島
―― 東京と福島の関係についても問題を提起されてますね。
大西: そうですね。東京の人びとは、一方的に電力を享受してきた立場で、福島・新潟っていうのは一方的に作って送り続けていく側。福島の人は、一切、東電の電気を使っていません。
そこで問題なのが、圧倒的多数者の東京・首都圏の人たちが、少数の福島・新潟などの原発立地周辺の人びとにたいして、ある種の帝国主義による植民地支配のような眼差しをもっていることです。それは、権力を持っている者、為政者と全く変わらない眼差し・同じような意識です。
それは、運動の側でもそういう眼差し・意識に立っています。それがものすごくこわい。このことに思いが至らなかったら、たぶん反原発運動はおしまいじゃないか。
◇沖縄問題に通底
―― これは、沖縄の側から米軍基地問題で提起されていることと通底しているのでは?
大西: 全くその通りです。僕も、そこにつなげようと思っています。
琉球民族の土地に基地を押し付けるというのはまさに植民地問題なんです。
―― 「基地を東京へ持って帰れ」と、沖縄の人たちが言います。それにたいして、本土の運動の側が、激甚に反発します。
大西: そうなんです。
琉球民族の人口が、だいたい日本民族の百分の一ですね。多数決で言ったら沖縄は一方的に蹂躙される側です。
そういう関係の中で、本土の側は、体制側であろうと反体制側であろうと、沖縄の米軍基地を引き取ろうとは絶対しないです。
そういう意味では、為政者・体制と同じ眼差しで琉球民族を支配してます。
それと同じ構造が、今度は、首都圏が福島や新潟にたいして行っています。
―― そういうことが、無自覚に進められる意識構造が、近代日本の基本構造なのでは?
大西: そうですね。沖縄と東北地方に矛盾を押し付けることで、帝国日本が成り立ってきたわけです。その問題が、こんな形でだけども、ようやく見え始めてきました。
この切り口をどうやって、これまでの運動の本当に反省と転換ということに持っていけるだろうか。それができなかったら、本当にもう大変なことになるなという気持ちです。
(夜の湯本も、灯りはまばら。作業員は、金も時間もないので、あまり外には出てこないという)
「ガレキ受け入れ反対」への異議
―― 全国で、「ガレキ受け入れ反対」が運動化していますが。
大西: 東京や神奈川・千葉で、反原発運動が盛んですよね。
だけど、たとえば、松戸市や流山市は、降り注いだ放射性物質が濃縮された下水の汚泥やコミの焼却灰を、秋田に捨てていたんです。
もともと、首都圏は、産業廃棄物を東北地方に捨ててきた。東北地方は、首都圏のゴミ捨て場。そういう構造になっていました。
松戸市や流山市は、その汚泥や焼却灰が高濃度の汚染物質だということは分かっていたんです。分かっていたけど、国が発表する前に、秋田などに黙って送っていたという問題です。
だけど、松戸や流山の運動は、このことを問題にしていませんね。
―― たしかに、ガレキ問題は、放射能問題を考え始める契機としてあると思いますが、なぜ東京に電力を供給する原発が福島にあったのかとか、汚染と被ばくに苦しむ福島の住民や被ばく労働を担う原発労働者の存在といったことに思いをはせるということがないと、先ほど言われていた「為政者と同じ眼差し」になって行きますね。
大西: そうです。
福島の方に、クソをずーっと貯め続けていて、そのクソが飛び散ってしまった。
東京の人は、「クソが飛んできたじゃないか!」って文句を言っているけど。
「それ、あんたが流したクソでしょ」って。
自分のクソの処理ぐらい自分でやんないと。せめて「いっしょに掃除しましょうよ」というふうになりたいんですけどね。反原発であろうと推進派であろうとね。
ところが、反原発運動をやっている人は、自分たちは被害者で、まったく罪はないという風に思っていますね。
―― たしかに、反原発の人でも、加害の問題を提起すると反発しますね。
大西: そうですね。そこにどうアプローチするか。
「原発を、消極的であれ、積極的であれ、推進してきた側と同じ歩調でいたんだよ」ということを、分かってもらうためにはどうしたらいいのか。
難しいと思うけど。
―― 逆の側からですが、原発も汚染土も東京に持って帰れという憤りが、福島の人びとも心の底にありますね。
大西: もしもですが、「これから第一原発がまき散らした放射能を、全部、東京湾に埋めるんで、東京の人は、気を付けてくださいね」ということをやったら、果たして受け入れるでしょうか、という話ですが、ありえないですよね。
でも、東京の人は、その逆のことを、いとも簡単にやっているのです。傲慢な力を行使していることにすら気づいていないのです。
ところで、『月刊 政経東北』という月刊誌が、福島にあります。その昨年11月号の「巻頭言」で、次のように呼びかけています。
「・・・霞が関の関心は、大震災・原発事故から年金制度改革やTPPなどに移りつつある。補償も除染も震災復興も不十分な中、抗議の意味を込めて、汚染土を国と東電に返す運動を進めたい。送り先は次の通り。・・・」
―― 知っています。実際、この呼びかけに答えてなのか、環境省に土が送られましたね。
大西: そう。だからこういう意識は絶対にありますよ。ダンプに積んで永田町や霞ヶ関かに土をお返しするんだという話は、そこここでされています。
それを弾圧できるのか。それを弾圧するとなると、「そもそも放射性物質をまいた人は弾圧されないのか。おかしいぞ」という問題提起ができるわけです。
◇被害者意識から加害の自覚へ
―― 被害意識から運動が始まるとしても、その意識をどう発展させられるかですね。
大西: そうですね。最初の意識は、被害者であっても構わないと思います。
被害者の自覚も大事です。ただ、そこから、自分は加害者でもあったんだということへの気付きが大事です。
被害者意識に留まったら限界になります。
被害者意識から始まって、加害性に気づいていくのですけれども、実は、さらに、そのあとが重要ではないかと思っています。
昔あったような総ざんげに陥ったら、今度は、責任を不在にしてしまうんですね。
本当の次の段階というのは、「自分たちにも加害責任があるんだ」と気づいたら、「では何をしたらいいのか」というときに、本当に戦争犯罪人を自らの手で裁くことだったはずです。
―― そう。東京裁判ではなく人民裁判。これができなかったのが戦後の敗北の原点。
大西: そうなんです。人民裁判なんです。
一人ひとりと対話して問いかけていけば、「自分たちも共犯者だったんだ」という意識にはなると思います。
だけど、「では誰が悪いんだろう?」ということで、本当の原発推進派が、結局、曖昧にされてしまうということになりかねない。
そこで、3段階目。被害者意識が第1段階、加害者性の自覚が第2段階だとすれば、そこから国民総懺悔ではなくて、「本当の犯罪者をきっちりと人民の手で裁きましょうよ」という動きにもってかなくちゃいけないと思います。
今は、まだ、第一段階の「自分達は被害者だ。ああ、東電ひどい」という形で進んでいる状況です。
―― その点で、運動的にいうと、全国各地の運動は、福島との実体的な交流がまだ弱いという気がします。
大西: そうですね。
福島のひとたちの顔や、原発労働者の顔を思い浮かべて運動をしたら、東京の運動は、被害意識に留まっていることはできないはずです。
同じことですが、廃炉というスローガンが、観念・抽象の世界にどんどん進んでいくなあっという感じがしますね。
―― 東京の現場の人たちと、この問題での討論は?
大西: 僕と意識を共有している人もいます。
その人は頭を抱えていますね。運動が、「ガレキ受け入れ反対、受け入れ反対」と、だんだん感情的になっていることに、「ちょっと違うんだけど」と言っています。
―― そこで運動にかかわっている中心的な人たちの意識や大衆的な論議が重要では?
大西: そうですね。
可能性はあると思っています。
そもそもこれまでの労働運動のあり方自身がそもそも壁があったわけで。そういう壁を突破していく意味でも、この議論は必要ですね。
以上
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(転写終了)
原発・フッ素21
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