http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/580.html
Tweet |
【こちら特報部〜ニュースの追跡】「除染方針に飯館村・・・集団移住も選択肢に」2012/03/04
http://ameblo.jp/heiwabokenosanbutsu/entry-11182747790.html
2012/03/04(東京新聞) :平和ボケの産物の大友涼介です。
東京電力福島原発事故で、約六千人が全村避難した福島県飯館村。村は除染を進めて住民に帰村を促す方針だが、村民の一人で酪農業を営んでいた長谷川健一さん(58)は除染効果を疑問視する。最近、出版した著書「原発に『ふるさと』を奪われて」(宝島社)の中でも、集団移住の可能性を考慮すべきだと提言している。(上田千秋記者)
■
「村面積の75%は山林。そのすべてを除染しなければ”移染”にしかならない。でも、そんなことが可能なのか」。長谷川さんはそう語る。
同村北部に位置する前田地区の区長を務める長谷川さんは、昨年八月上旬まで村に居住。地区の全五十四世帯約二百五十人が無事に避難したのを確認した後、同県伊達市の仮設住宅に入居した。現在は八十代の両親と妻(58)の四人で暮らす。
長谷川さんは、現在も見回りなどで村を訪れる際、必ず放射線量を計測している。昨年九月、台風の後にいったん放射線量が下がったが、すぐに元の数値に戻った。
「雨で放射性物質が流された後、山にたまっていた放射性物質が流れ込み、再び上昇したのだろう。家の周りや田畑だけ除染しても、これと同じ現象が起きるはずだ」
環境省が先月二十四日に発表したモニタリング調査の結果によると、村内の放射線量は総じて高い。ばらつきはあるが、毎時一〇マイクロシーベルトを越える場所が少なくなかった。
こうした中、村は希望者全員の帰村を目指し、三千二百億円をかけ、住宅を二年、農地を五年、森林は二十年で除染する考えだ。背景には、事故以前に成功した独自の村興しの記憶や愛着がある。だが、長谷川さんら一部の住民は除染効果を危ぶみ、新天地への集団移住を望んでおり、村は大きく揺れている。
長谷川さんは「時間が経つほど、若い人を中心に村に戻る人は少なくなるだろう」と案じる。住民の中には、避難先で新たな生活基盤を築く人が徐々に増えている。
「私だって生まれ育った古里には帰りたい。だけど、これだけ汚染された土地で農業を再開するのは難しい。除染がうまくいかず、何年か後に『やっぱりだめでした』ではどうにもならない。村全体で移住する『新・飯館村』のような選択肢を考えておく必要がある」
長谷川さんは昨年六月、友人の酪農業者が自殺したのを機に講演活動を始めた。「被災者が沈黙していては、私たちが味わった苦しみや悲しみは伝わらない」との思いからだった。非政府組織(NGO)の招きで訪れたドイツを含め、その数は六十回を越えた。
著書では、事故から三ヶ月間の村の様子を詳細に記述。計画的避難区域に指定される寸前まで、何人もの”御用学者”が村を訪れ、「国の言うことを聞いていれば大丈夫」と繰り返したことなどが記されている。
震災から一年を直前にして、長谷川さんは「今までの人生で味わったことのない、数多くの出来事が凝縮された時間だった」と振り返る。
「政府は収束宣言まで出して原発の再稼働や輸出を進めようとしているが、福島ではまだなにも終わっていない。そのことを一人でも多くの人たちに知って欲しい」
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 原発・フッ素21掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。