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「原発危機を考える」ブログより転載します。
福島県双葉町に「死の灰」が降った〜井戸川町長の証言 ―
2012/02/19 00:01
1週間ほど前にツイッターにこんな記事が載りました。ツイートしたのはジャーナリスト烏賀陽弘道氏です。烏賀陽氏は「報道災害【原発編】」を上杉隆氏と共著した、現在フリーで活躍しているジャーナリストです。あまりにもショッキングな内容だったのでツイートから抜粋転載してご紹介したいと思います。
<以下引用>
「烏賀陽さんからの福島県双葉町の井戸川町長の話」ツイッターまとめ
(hirougaya 2012/02/12 01:49~02:35:49)
福島県双葉町に「死の灰」が降ったという井戸川克隆町長のお話、あまりに驚いたので今夜のうちにお知らせします。(注:2/12)
同町は福島第1原発が町内にある「立地自治体」。町全体が立入禁止(警戒区域)になって全町民6400人が避難。練馬区くらいの大きさの町。役場は埼玉県加須市に移転。きょう移転先役場で町長に会った。
移転先は埼玉県加須市、生徒が減って廃校になった騎西高校をそのまま使っている。なお500人弱の双葉町民がそのまま避難生活を続けている。そのありさまにも驚いた。アパートなど借り上げ住宅に移っていない人もまだそんなにたくさんいるのだ。
3.11一周年を前に取材が殺到したため「まとめて会見に応じましょう」という感じで町長は土曜日の午後1時半から6時半までずっと質疑応答しっぱなし。「テレビ」「新聞」「フリー」と3グループ別。頭が下がる。ありがとうございました。
「町民は、過去の歴史だけでなく、将来をも奪われてしまった。これはどんな価値よりも大切なものを奪われたということです。それは東京電力の補償など絶対に追いつかない」
新聞テレビは10数人集まっていたが、フリーは私ともう一人しかいなかったので、かなりぜいたくな「半分独占取材状態」になった。ありがとうございました。
「どの方向に」「何で避難する」避難指示が国や県からなかったので、役場の前の旗を見て風向きを見て逃げる方向を判断せざるをえなかった。
それまでの毎年の避難訓練は「電源が失われたが、3時間くらいで復旧、冷却装置が作動」というシナリオだったので、まったく役に立たなかった。
町民はやむなくバラバラにマイカーで逃げるしかなかった。福島県川俣町が避難を受け入れることを決めたので、防災無線で「とにかく川俣町へ」と必死で呼びかけた。
12日、町民が脱出するなか、双葉厚生病院の前で入院者や近くの老人ホームのお年寄りをバスに乗せる誘導をしていたら、最初の水素爆発が起きた。「ズン」という鈍い音がした。
12日「ズン」という鈍い音がした。「ああ、とうとう起きてしまった」と町長は思った。数分して、断熱材(グラスファイバー)のような破片がぼたん雪のように降ってきた。「大きなものはこれぐらいあった」と町長は親指と人差し指でマルをつくった。
双葉厚生病院は福島第1原発から2キロしか離れていない。雪のように断熱材(?)の破片が降るのを、300人くらいの町職員や医師、看護師らが呆然と見つめた。町長は「これでもう終わった」と思った。
福島第1原発から断熱材(?)が雪のように降り注ぐ光景を、町長は「それはそれは不思議な光景だった」と振り返る。「そういう映画にでも出てきそうな光景だった」。なすすべもなく、服についた「チリ」を手で払い落とすしかなかった。
そうした「福島第1原発からのチリ」を浴びた町長に「それは危険なものだという認識はあったのですか」と問うと「今でも『もう終わった』と思っている」と応えた。「それはどういう意味ですか」と問い返すと「鼻血がとまらない」と言った。
「ずっと鼻血がとまらない。鼻をかむと今でも血が出る。たらたら垂れることもある。もう乾燥しているんだかなんだかわからない」
「胸から下、すね毛まで毛が抜けてつるつるになった」「銭湯で隣に座ったじいさんが『おい、女みたいにすべすべになっているぞ』というので気づいた」「陰毛だけは大丈夫だった」「体毛がないと肌着がくっついて気持ちが悪い」
3月11日直後から東電の職員は2人が町役場に来ていた。ふだんから担当している広報課の職員だ。しかしメルトダウンや水素爆発の情報は何も教えてくれなかった。今から思うと顔面蒼白で、知っていたのかもしれない。
補足。政府が決めた「ベント」も何の予告もなかった。町民が真下にまだいるのに、ベントが行われた。自分たちを日本国民と思っているのか。まるで明治維新の前からそのままではないか。
「死の灰」の話にびっくりして「その場(双葉厚生病院前)に何人くらいいたのですか」と町長に問うた。町長は「300人くらい」と応えた。絶句した。若い職員、医師、看護師もいたという。町長は「バス一台分乗っただけだった」と残念がった。
「12日の水素爆発のあと、福島第1原発から断熱材の破片のようなものが雪のように降ってきた」。その後飯舘村にいた人が「空気中を繊維のくずのようなものがキラキラ舞っていて、あれ、外なのにおかしいなと思った」という証言と一致する。
水素爆発のあと、福島第1原発から双葉町に降り注いだ断熱材(グラスウール)の破片のようなもの。これはどう考えても「死の灰」ではないのか。
12日、「ズン」という鈍い音がして、福島第1原発が最初の水素爆発を起こしたあと、数分後に、双葉厚生病院前に断熱材(グラスウール)の破片のようなものが「ぼたん雪のように」降り注いだ。=烏賀陽注:これはどう考えても「死の灰」ではないのか。
ちなみに、3月12日の最初水素爆発のあと、福島第1原発から双葉町に「ぼたん雪のように」降り注いだ断熱材(グラスウール)の破片を町長が目撃した双葉厚生病院は、同原発から2キロしか離れていない。
12日の水素爆発の映像を見ると、煙は北〜北西方向に流れているので、双葉町長が「双葉厚生病院に降下物が降った」という証言は矛盾しないのです。> 福島第一原発 爆発の瞬間 2011 03 12 1536頃発生: youtube@さんから
<引用以上>
続いて、これを裏付ける話として氏のツイートからさらに引用
(2011年3月18日NHKニュースより 福島県双葉町・双葉厚生病院に水素爆発の降下物が降った目撃談)
福島県の福島第一原子力発電所の1号機で、今月12日、水素爆発が起きた際、およそ3キロ北にある双葉町の病院で患者を避難させていた職員が、NHKの取材に、当時の様子を証言しました。
双葉厚生病院では、今月12日、医師や職員らが寝たきりの患者などを避難させようとしていた午後3時半すぎ、福島第一原発の1号機で水素爆発があり、原子炉建屋は骨組みだけを残し屋根と外壁が吹き飛びました。
NHKニュースより一部
病院の薬剤師、杉内敏行(スギウチトシユキ)さんは、当時、屋外で避難の対応にあたっていた様子をカメラで撮影していました。
杉内さんは「突然、大きな音とともに強い爆風を体に感じた。
空から断熱材のようなものが降ってきて体についたとき、『ああ、これでもう終わりだ』と思ったが、患者を安全なところに避難させなければと急いで避難を続けた」と話していました。
また、病院の建物の中で衝撃を感じたという看護部長の西山幸枝さんは、「どーんとものすごい音がした。地震とは違う音ですぐに原発だと思い、とても恐ろしかった」と話していました。
双葉厚生病院では、職員など20人余りが、放射性物質を洗い落とす「除染(ジョセン)」が必要なレベルの被ばくをしていたことが確認されていますが、福島県では「いずれも健康に影響の出るレベルではなかった」としています。
これでNHKニュースと「福島民報」記事、烏賀陽の取材に井戸川克隆・双葉町長が語った内容が、場所、時間、降下物の詳細とも一致したことになります。さて、どう思いますか。
<引用以上>
「福島民報」記事というのはこれです。
【双葉町の双葉厚生病院】突然の避難指示(福島民報2001/3/12)
「・・・ドーンという破裂音が振動とともに伝わる。双葉高グラウンドで患者を自衛隊ヘリに乗せる作業に追われていた職員は耳を疑った。原発の建屋の断熱材とみられる白い破片がパラパラと空から降ってきた。それが何なのかが分からず、触った職員もいた。・・・」
<引用以上>
長々と引用してきましたが、私はこの話を聞いて、ビキニの水爆実験で被ばくした第5福竜丸のことを思い出しました。「空から白い雪のようなものが降ってきた」という話です。これは吹き飛んだ珊瑚礁の破片でした。これとそっくりな話です。双葉町の場合、おそらく水素爆発で吹き飛んだ建屋の破片だと考えられます。もちろん放射性物質とともに降り注いだはずです。
雪のように「死の灰」が降ってきたという話までは、恥ずかしながら今まで知りませんでした。烏賀陽氏の発言でようやく知りましたが、調べてみると当時の報道にもわずかに残っていました。それにしても、マスコミ的にはほとんど取り上げられていない話だと思います。今、あらためて当時の緊迫した状況を思い返しています。
烏賀陽弘道氏のツイッター
(参考) もぬけの殻となっていた双葉厚生病院−その時なにが・・(ブログ:院長の独り言9/20)
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