http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/411.html
Tweet |
検証・大震災:病院孤立、患者犠牲に 原発20〜30キロ圏、官邸「屋内なら安全」
http://mainichi.jp/select/science/news/20120226ddm001040089000c.html
毎日新聞 2012年2月26日 東京朝刊
震災から4日後の昨年3月15日、政府は前日の東京電力福島第1原発3号機の爆発を受け、原発から20〜30キロ圏内の住民に屋内退避を求めた。
既に避難指示が出ていた原発周辺の双葉病院(大熊町)では患者を搬送する医療機関が決まらない中、避難中や避難後の死亡が相次ぎ、首相官邸は緊迫していた。枝野幸男官房長官らは「30キロ圏内の患者は病院内にいれば安全」として入院患者の搬送は当面行わず、原発のさらなる爆発に備えて受け入れ先の病院確保だけを指示した。
一方、厚生労働省の唐沢剛官房審議官は「30キロ圏内の病院はきっと維持できなくなる」と予想していた。屋内退避が続けば人も物も入ってこないだろう。病院は医師やスタッフも減って機能せず、取り残された入院患者を搬送しなければならなくなる。だが、地域の病院の患者や施設の入所者を全員県外に搬送した例はない。「誰が何をやればいいのか、移送手段も分からない」
唐沢審議官は15日、省内から若手の医系技官ら3人を選び福島に派遣するよう指示する。その一人は厚生科学課の伯野春彦医師。「今から福島に行ってくれ」「ミッションは?」「とにかく行ってくれ」。16日に福島県に到着するまで具体的な任務さえ分からない。午前9時半の電話で初めて、20〜30キロ圏内の医療機関・患者数のリストを作ることが当面の仕事だと知った。
福島県災害対策本部は16日も混乱が続いていた。伯野医師の携帯電話も厚労省や官邸からの無数の着信でバッテリーが切れた。
20〜30キロ圏内にある医療機関は六つ。福祉施設もある。患者や病院の状況を電話で問い合わせた。物流の停止による物不足も深刻だった。「このままでは餓死者が出てしまいます」。電話がつながった病院の担当者は訴えた。一方で、動かせば危険な患者もいる。
本格的な搬送に向け、初めて県災対本部、県警、自衛隊、消防と合同の打ち合わせができたのは17日正午過ぎ。しかし「患者の除染を済ませないと県境を越えさせない」という県もあった。その間にも、南相馬市の病院では医薬品が不足して重症患者2人が死亡した。
18日、30キロ圏内の患者全員の搬送が動き出す。だが、厚労省から官邸の危機管理センターに詰めていた矢島鉄也技術総括審議官は取材に「患者の避難は官邸からの指示ではなかった」と言う。「当初は官邸と県庁の災害対策本部がばらばらで動いていた」と反省を口にした。
原発事故が起きた際、病院の患者をどう守るのか。誰も想定せず、判断は混乱の現場に任された。【震災検証取材班】=肩書は当時<14・15面に特集>
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 原発・フッ素21掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。