http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/398.html
Tweet |
*
http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/5243590.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1825211405&owner_id=6445842
(書評)
放射能と理性 なぜ「100ミリシーベルト」なのか [単行本(ソフトカバー)]
ウェード・アリソン (著), 峯村利哉 (翻訳)
ttp://www.amazon.co.jp/%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E3%81%A8%E7%90%86%E6%80%A7-%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%80%8C100%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%80%8D%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%8B-%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%BD%E3%83%B3/dp/4198632189/ref=cm_cr-mr-title
5つ星のうち 1.0
原爆投下を正当化する著者による原発擁護論−−被曝者の線量は正しく推定されて居るか?, 2012/2/25
By 西岡昌紀 -(2012年2月25日)
ひどい本です。先ず、これをお読み下さい。
-------------------------------------------------
1945年の原子爆弾による広島と長崎の破壊により、連合軍は軍事的、政治的な成功を収めた。日本への地上侵攻を避けることで、敵味方の双方での膨大な人的損害を防ぐことができた。科学技術分野の事業としても、勝利と言えた。まったく新しい物理学的発見に基づく、これほど壮大なプロジェクトは、過去に試みられたことさえなかったのである。
(本書13〜14ページより)
--------------------------------------------------
--------------------------------------------------
お読みの通りです。この本の著者は、広島、長崎への原爆投下を「敵味方双方での膨大な人的損害を防ぐことができた」として美化し、更には、「科学技術分野の事業としても勝利と言えた」とまで言って賞賛して居るのです。反論は容易です。トルーマンは、日本にポツダム宣言を出して、日本に降伏を勧告する前日に(!)、日本への原爆投下の命令を出して居るからです。他にもこの主張に対する反論の論拠と成る事実は沢山有りますが、この事一つを取って考えても、原爆が、日本が降伏しないから投下されたのでなかった事はとっくに明らかなのです。
この本は、原爆投下の是非を論じる本ではありません。ですから、この事だけでこの本全体を判断する気は有りません。しかし、トルーマンが、ポツダム宣言を出す前日に原爆投下の命令を出して居たくらいの事実にも言及せず、一方的に原爆投下を正当化、美化して居るこの箇所を読んで、著者の知的誠実さを疑ふのは、私だけでしょうか?
同じ事は、著者の「地球温暖化」に対する姿勢についても言へます。「二酸化炭素による地球温暖化」が、科学的根拠を欠いた未証明の言説である事は、この問題の世界的権威であるアラスカ大学の赤祖父俊一教授をはじめとする多くの科学者から指摘、批判されて居ますし、原発支持派のジャーナリストである櫻井よしこさんなどからも指摘、批判されて居ます。ところが、この本の著者は、今日では、そんな批判の的に成って居る「二酸化炭素による地球温暖化」を自明の科学的真理ででもあるかの様に語り、原発支持の理由に挙げて居るのです。
さて、原爆投下の是非も、「二酸化炭素による地球温暖化」の信憑性も、本書の主たるテーマではありませんでした。本書の中心的主題は、電離放射線の安全基準は、何故100ミリシーベルト以下とするべきなのか?でした。医師の一人として、私は、本書著者が、何を根拠にして、「100ミリシーベルトまでは安全」と断定するのか、注意深くこの本を読んでみました。本書の論理を要約すると、その最大の根拠は、広島、長崎の被爆者に関する疫学的研究から、100ミリシーベルトまでは大丈夫と判断出来るから、と言ふ論理にほぼ要約出来ます。しかし、著者が依拠する広島、長崎の被爆者に関する疫学研究については、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)から、以下の様な批判が加えられて居ます。
----------------------------------------------
日本の原爆犠牲者を除いては、線量効果曲線を引き出すことのできる実験集団はなかなかない。医学のX線及び放射線関係の医師、看護師と患者から、重要なデータデータの入手をしようとするのも非合理なことではない。ただし、研究のためにはこれらの集団は規模が小さ過ぎ、線量の範囲が狭く、線量レベルがあまりにも低すぎる。いかなる場合でも広島、長崎の被爆者の研究は、最良の情報源であり続けるし、実際それは、放射線防護の貴重なバイブルになっている。しかし、それは深刻な欠点を持っている。
a 被爆者の被曝線量は、以下にUNSCEARが指摘するように、正確なものではない。
継続調査がされていても、被曝線量は、爆心地から被爆した場所の距離から推定する以外に知る方法はない。従って、線量は極めて不確実であり、この不確実さが線量効果の関係に反映されてしまっている。
b 被爆した日本人の身体組織の感受性は、一般的な母集団には適応できない。UNSCEARはこの点で以下のように述べている。
生存被爆者は、被爆の致命的な影響の厳しい条件のもとで淘汰された人々なので、放射線起因の発ガン性という点で、生存被爆者は必ずしも典型的な被曝人口の母集団にはならない。
そして、ICRPはさらに追加している。
当時の日本における人口集団も、全体として「普通」であったわけでもない。健康な成人男子は兵役のために欠如していたからである。
c さらに、ICRPとUNSCEARは、日本人は一様に被爆したのではなかったと指摘している。被爆者によっては、家屋の中や壁の背後にいたなどの例である。公称値で6.5グレイ以上を受けた3分の1から3分の2の人々が、放射線からかなり遮蔽されていた。
d 被爆者の研究が、原爆から5年後の1950年まで行われなかったという事実は、いろいろな誤解が生まれる原因になっている。原爆の破局的影響の結果、最も弱い集団は既に死亡していた。もしも、彼らがその期間生き延びたとしたら、放射線被曝の結果、より多くの人々がその後死亡したに違いない。今日の癌の統計学はこのことを考慮に入れていない。
これらは、我々の放射線防護法がおかれている土台の、不確かさの一部を示しているに過ぎない。
(ラルフ・クロイブ、アーネスト・スターングラス著 肥田舜太郎、竹野内真理訳『人間と環境への低レベル放射能への脅威』(あけび書房・2011年)90〜91ページより引用)
----------------------------------------------
お分かりでしょうか?私の言葉で要約すると、広島、長崎の研究は、原爆投下(1945年)から調査開始の1950年までの空白によって、被爆者と言っても、その5年間に生命を落とした人々に関する研究が不足して居る事、実際の線量は、建物による遮蔽効果などにより、推定される線量よりも低かった場合が多かったと見られる事などが、国連のこの研究機関から指摘、批判されて居るのです。つまり、「100ミリシーベルトまでは安全だ」と主張する著者が根拠とする線量の数値は、実際よりも過大である可能性が高く、「100ミリシーベルト被曝した」とされて居る被爆者も、本当は、それより低い線量しか被曝しなかったから、健康上の問題を生じなかった可能性が強いと言ふ事です。
いかがでしょうか?更には、DNA修復や発癌のメカニズムに関する著者の理解も浅い事を医者のはしくれとして指摘しておきます。例えば、この本は、2000年代に入ってからの研究を反映して居ません。(具体的には、例えば、京大原子炉実験所の渡邊正巳博が、2000年代に入って、[放射線による細胞がん化の主たる標的はDNAではない」と言ふ問題提起を行なって居る事が挙げられますが、こうした議論については、永田親義著『がんはなぜ生じるか』(講談社ブルーバックス・2007年)などの通読をお薦めするに留めます。)まだまだ批判したい事は沢山有りますが、余り長く成るとアマゾンに御迷惑をかけるので、この辺にしておきます。
(西岡昌紀・神経内科医)
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 原発・フッ素21掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。