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福島第1原発事故で全村避難した福島県川内村が1月末に村民の帰還を促す「帰村宣言」=?=を出した。村民は帰村宣言をどう受け止めているのか。宣言通り帰村が進むのか。地域をまとめる行政区長に聞いた。
(中島剛、浅井哲朗)
「故郷を放り出している現状は情けないが、原発が怖くて帰れない。また逃げなければいけないかもしれないという恐怖心が消えない」。第6行政区長の農業佐久間久雄さん(67)は帰村に踏み切れない。
郡山市の仮設住宅で避難生活を送る。周囲で帰村を考えている人はほとんどいない。「早く帰らないと村がなくなるという村長の気持ちは分かる」と帰村宣言に理解を示すが、避難者の実情を顧みない政府の原発事故収束宣言に対する不信感もあり、当面、帰るつもりはない。
田村市に避難している第2行政区長の渡辺弘一さん(59)も帰村見送り派。コメ専業農家で、水田6ヘクタールを耕していた。
村は昨年に引き続き、ことしもコメの作付けを禁止する。「兼業を含めれば地区のほとんどの人が農家。コメ作りができないのでは帰る意味がない。山林も15ヘクタールほど持っているが、放射能汚染で価値がなくなった。先祖代々の土地への愛着も薄れてきた」と語る。
第8行政区は全域が警戒区域に当たり、村は村内の別地区に仮設住宅を建設し、入居を呼び掛ける。しかし、いわき市の仮設住宅で暮らす区長の農業小林信一さん(66)は帰村を考えていない。
「戻っても仮設では精神的につらい。同じ仮設ならいわきの方が便利。生活圏で現在警戒区域の富岡、大熊町が元通りにならないと買い物や病院通いができず、生活が不便になる」と指摘する。
村に住み続けた行政区長もいる。第1区の農業遠藤公明さん(63)は牛の世話や郵便の配達委託があり、原発事故直後の昨年4月に村に戻った。「戻っているのは年配の人ばかり。若い人は帰ってこない」とこぼす。
帰村が進まない理由は民家の除染の遅れだと言う。「地区の放射線量は毎時0.3マイクロシーベルト程度で高くないが、心理的には除染現場を自分で確認して安心しないと帰村は無理だろう」と話す。
第7行政区長の建設業佐久間正行さん(62)も道路補修や除染のため昨年6月に自宅に戻った。区内は局所的に線量が高く、帰還を促す除染を進めたいが、今冬は大雪で作業ができないという。
「地域の仲間は皆バラバラ。居場所がいまだに分からない人もいる。帰村するかどうかはそれぞれの判断。元の生活を取り戻せるのかどうか正直分からない」と心配する。
帰村宣言を機に避難先のいわき市から戻ることを決めたのは行政区長会長で第5行政区長の建設業高野恒大さん(62)。ただ、同居していた息子夫婦と孫は帰村しない。
「まずは年寄りが除染に取り組む姿を見せないと若い人は帰ってこない。帰る人も避難を続ける人も川内村民。行政は双方を大切にしてほしい」と訴える。
[帰村宣言]川内村の遠藤雄幸村長が村民に帰還を促すため1月31日に表明した。郡山市に移転した役場機能を4月1日に村内の元の庁舎に戻し、保育園、小中学校、診療所も再開する。「戻れる人から戻る」が基本方針。原発事故で警戒区域などに指定され、約3000の人口のうち約2800人が27都道府県に避難した(1月現在)。村によると、帰村宣言後に村に帰ったのは16人。村に行政区は八つある。
2012年02月22日水曜日
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/02/20120222t71029.htm
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