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原発誘致は正しかったか 福井・美浜の元商工会長、苦悩
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012022102000193.html
2012年2月21日 東京新聞 夕刊
国内最多十四基の原発を抱える福井県で、二十日夜から二十一日未明にかけて、そのすべてが初めて全面停止した。その一部、関西電力美浜原発のお膝元、同県美浜町の元商工会長松下正さん(79)は推進の旗振り役を務めてきた。原発にどっぷり漬かり、将来を描けない古里の現状に「原発は町に必要だったのか」と自問自答している。 (立石智保)
一九七〇(昭和四十五)年の大阪万博。町内初の原発となる美浜1号機が万博会場に「原子の灯」を送った。
当時、大工だった松下さんは三十代後半の働き盛り。中学卒業後に修業を積み、独り立ちしていた。その年、三人目となる末っ子の次女が生まれ、町内に家を新築した。万博に三回通い、シンボルの「太陽の塔」の前で撮った家族写真は色あせた今も大切に保管している。
海水浴と漁業しかなかった過疎の町で原発計画が浮上したのは六〇年代半ば。以来「原発特需」に町は沸き、道路や公共施設などが次々に建設された。町民の懐は潤い、松下さんの元には新築や改築の仕事が次々に舞い込んだ。
原発と二人三脚で発展する町を見て「原子力はこれからのエネルギーを支える」と信じた。五十代半ばを過ぎてから、地域に推されて町議を二期務め、その後十三年は商工会会長の立場で、関電に原発増設を申し入れたこともある。
そんな気持ちが揺らいだのは昨年三月十一日。福島第一原発事故だ。肺がんを患い、入院中だった。医師からは「助からないかも」と告げられていた。事故の惨状を伝える病室のテレビをながめ、八方ふさがりの自分と、福島と同じ原発に頼るほかない古里の将来が重なった。
福島事故後、町内の原発三基がすべて止まり、再稼働すら見通せない。闘病生活を乗り越えた松下さんはあちこちで「仕事がない」「景気が悪くなった」などの声を聞く。やっぱり原発しかないと思う半面、それ以外に選ぶ道がなくなった古里の今が不安になる。
「ひょっとしたら原発誘致は間違えていたのかもしれない」と松下さん。思いは揺れる。
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