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東京電力は20日、福島第1原発を報道陣に公開した。昨年12月に宣言された冷温停止状態以後初めてで、同11月に続き2回目。今月6日から経済産業省原子力安全・保安院が実施している事故後初の保安検査の様子も公開した。今回、敷地内で初めてバスから降りることを許されたが、現場は依然、放射線レベルは高い。3号機原子炉建屋はがれき撤去が進む一方、約100日前の前回公開よりさらに崩落も進み、大きく変貌していた。(大竹直樹)
現場で指揮を執る高橋毅所長(54)は報道陣の取材に応じ、「国内外の方々のご支援で冷温停止にもってくることができた。廃炉に向け腰を据えてやっていきたい」と述べた。
「肉体的疲労はもちろん、大変な迷惑をかけたと、精神的にも辛かった」
事故から1年近くになろうとする中、作業員や原発所員の気持ちをこう代弁するのは、第1原発の原(はら)子(こ)昭洋広報部長(49)だ。
事故直後は放射線量を確認する個人線量計が足りず、満足な被(ひ)曝(ばく)管理もできなかった。彼らが現場に踏みとどまったのは、「早く事態を収束しなければ」との使命感があったからだという。
■今も毎時3ミリシーベルト
敷地内は、極めて高い放射線量が検出されたがれき類は撤去された一方、津波被害を受けたフェンスなどがそのままに放置されるなど、爪痕の大きさを感じさせる。
報道陣を乗せたバスが、前回毎時1ミリシーベルトを観測した3号機付近にさしかかると、線量計は前回を上回る1・5ミリシーベルトを記録した。この付近で作業を続ける鹿島建設の現場監督、日比康生(やすき)さん(48)は「線量が高く苦労している。現場は3ミリシーベルト。とても長時間はいれない」と打ち明けた。
1〜4号機の建屋全景を見渡せる高台(海抜30メートル)でバスが止まった。整地作業を進める重機の振動が地面を伝う中、初めて外に出ると、冷たい海風が防護服をかすめた。ふと被曝の心配がよぎる。4号機原子炉建屋から西北にわずか約340メートルの場所だが、線量は50マイクロシーベルトまで下がっていた。
目に飛び込んできたのは、水素爆発によって大きく損壊した3、4号機原子炉建屋の変貌した姿だった。3号機はがれきの重みでさらに内側に崩れ、建屋の原形をとどめない。4号機は建屋上部で鉄筋にぶら下がり崩れそうだったコンクリート片のがれき撤去が進み、骨組みだけの姿になっていた。
■平日3千人作業
4号機原子炉建屋の燃料貯蔵プール付近では、防護服に身を固めた作業員が燃料取り出しの準備を進めている姿がはっきりと見える。現在も平日約3千人が高い放射線量に気を使いながら、作業に当たる。
原発事故後、約250日間にわたり陣頭指揮に当たってきた吉田昌郎前所長(57)は昨年12月、病気療養のため退任した。
「本店は現場の苦労を分かってねぇじゃないか。おれが掛け合ってやる」
部下思いだった吉田前所長。原子部長の耳には、最も厳しい時期に、幾度となく免震重要棟に響いた怒声が残っている。
「地域の方が一日も早く帰宅していただけるように」
吉田前所長が現場を去る前に残した言葉をかみしめるように、原子部長は誓う。「その意思を必ずわれわれが達成する」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120221-00000501-san-soci
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