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日本政府と東電が繰り広げる風俗喜劇(ウォール・ストリートジャーナル)
2012年 2月 16日
JST http://jp.wsj.com/Japan/Companies/node_394038?mod=WSJFeatures
地震と津波が東日本に壊滅的な被害をもたらしてから1年近くになるが、東京電力はいまだに揺れ動いている。津波によって引き起こされた福島第1原子力発電所の放射能漏れ事故に関連する莫大な除染・賠償費用を背負った同社と日本政府は救済の条件を巡ってせめぎ合いを演じている。政府は納税者が過半数の議決権を握ること――事実上の国有化――を主張し、この垂直統合型公益事業会社の将来的な分社化を示唆する高官さえいる。一方の東電は既存株主が希薄化の影響を受けることを拒否すると同時に、企業向け電気料金を値上げしようとしている。
感情の機微への配慮や遠回しな言い方が標準となっている日本で、政府と東電がこの攻防を本気に見せようとしているところがどうも怪しい。こうした激しい対立にもかかわらず、最終章が閉じられるころには、ここでのジェーンとビングリー氏(小説『高慢と偏見』の主人公)にもハッピーエンドが訪れるであろうと予測できる理由がいくつかある。
東電の打算は単純だ。キャッシュを必要としている東電に対し、政府には1兆円の公的支援を行う用意がある。その資金があれば東電は、原発事故関連の賠償や廃炉費用、そして前の世代の頼みの綱だった原発に代わって稼働している火力発電所用の燃料費を賄うことができる。東電は13日、2011年4-12月期の決算が623 0億円の赤字だったことを発表した。
東電は経営に関するさまざまな口出しや制約を受けずに救済される権利があるということを説得力をもって主張することもできる。結局のところ、公的資金の注入は保険金の支払いを受けるようなものである。この11カ月間、東日本大震災以前の東電には経営の失敗や安全管理の落ち度があったということが指摘されてきた。しかし、忘れられているのは、1000年に1度の自然災害に備えたり、対処したりする能力がなかったとしても、通常の環境下であれば、同社の業務は半永久的に機能し続けていたという事実である。
2003年に国が72%の議決権を握る形で救済に至ったりそな銀行のケースと東電の違いはそこにある。この件で政府側の交渉の窓口となっている枝野幸男経済産業相は、政府がりそな銀行のケースを今回の経営介入の手本としていることを明かした。しかし、政府がりそな銀行の経営に介入したのは、貸出基準の甘さなど、経営陣の失敗が長く続いたからだった。東電の場合、政府は自らが選んだより優秀な経営陣を送り込むことの必要性や根拠を主張できるのだろうか。次の地震が起きるのを防ぐことができるとでもいうのだろうか。
枝野経済産業相の厳しい言動に反して、政府と東電の利害は見事に一致するということに留意してほしい。あからさまに社会主義的解決策――政府が直接賠償するという案――は提案されていないようなので、政府の第一の目的は、今日の賠償に使われる公的資金を、長期にわたって返済できる継続企業として東電を維持していくことである。東電を公的資金の注入なしに救うことなどできないのと同じように、枝野氏が主張する政府の経営権取得をもってしても救済はできないのである。
たとえば電気料金だ。この10年間の電力使用量の増加率はかなり低く(減少した年もあった)、日本経済の停滞が続く限りは、この状態が続く可能性が高い。そうなると、東電が公的資金返済に必要な追加的収入を得るための唯一の現実的な手立ては料金値上げしかない。
名目上はまだ民間企業である今でさえ、東電がそうした値上げを実施するのは容易ではない。同社は先月、企業向け電力料金を平均で17%引き上げるという方針を示した(上限が定められている家庭向け電気料金についても値上げを望んでいる)。これを受けて政治的反発が高まったが、同社はこの方針を譲らない構えだ。というのも、この値上げのおかげで東電の赤字問題が軽減されることを喜ぶ政治家がいるからである。政治家にとって、自分たちの代理人が在籍する取締役会が承認した料金値上げを痛烈に非難するのは難しいだろう。
同じように、東電が分社化され切り売りされたら、政府が得をするということもないだろう。理論上はそれによって賠償に必要な資金が賄えるとされているが、そうならなかった場合にはどうするのか。分社化された一部門とはいえ、原発損害賠償を負った企業の買収先など見つかるのだろうか。切り離された他の部門からの利益なしに、そうした賠償を賄うことなどできるのだろうか。東電は全体でこそ存続可能であり、キャッシュフローを生み出せるのである。政府は結局、直接賠償金を支払うという社会主義的な解決策を取らざるを得なくなるだろう。
こうして、互いへの恋心をうまく隠しきれていない2人の主人公は、最終的に愛を認め合うことになるのである。この物語は政府が形ばかりの取締役会の議席を得て、東電が必要な資金をすべて受け取るという形で決着しそうだ。これはビジネスなので、ロマンスが足りないのは仕方がない。そういえば、ジェーン・オースティンの時代の結婚にも、金目当てという側面があったではないか。
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