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情報公開に求められる”candor”とは
土方 奈美
2012/02/08
東日本大震災と大津波を受けて、東京電力福島第1原子力発電所で深刻な事態が持ち上がっていることが発覚して間もない昨年3月17日。米ニューヨーク・タイムズ紙の1面(A1面)にこんな見出しが躍った。
In Tokyo, a Dearth of Candor
candorを辞書で引くと「率直・正直」とある。dearthは「不足・欠如」だから、「東京には率直さ・正直さが欠けている」と言っているわけだ。こういう場合によく使われるtransparency(透明性)と今回のcandorはどう違うのか、探ってみた。
単語に込められた「隠ぺい」批判
筆者が在籍するモントレー国際大学院(MIIS)でともに翻訳・通訳を学ぶ学生に尋ねたところ「dearth of transparencyというと単に透明性が欠けているという事実、dearth of candorというとそれが意図的であるという印象」と説明してくれた。「嘘をついている」とまでは言わないが、「知っていることをすべて語っていない」というニュアンスだという。つまり、ニューヨーク・タイムズ紙の見出しには、東京電力(および日本の当局)が意図的に情報を隠している、という批判が込められていたのだ(蛇足になるが、transparencyが通常大きな組織について使われるのに対し、candorは個人の姿勢についても使える)。
記事の本文にも、東京電力や当局の曖昧な説明姿勢を批判する表現が目立った。
a typically opaque, and understated, explanation
(お決まりの曖昧で不十分な説明)
withholding or fudging crucial information
(重大な情報の公表を控える、もしくはごまかしている)
evasive news conferences followed uninformative briefings
(中身のない記者説明会に次ぐはっきりとしない記者会見)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20120130/226658/?ST=eco
opaque, ambiguous, evasiveはいずれも「曖昧」を意味する言葉だが、evasiveには言質を取られないようにごまかす、というニュアンスがあるそうだ。
同紙は昨年4月27日にも1面でCulture of Complicityという表現を使い、日本の「原子力村」の体質を強く批判している(“Culture of Complicity Tied To Stricken Nuclear Plant”)。complicityを辞書で引くと「共謀、共犯、連座」とある。「癒着体質」とでも訳せばよいだろうか。本文中には類語としてcollusion(共謀、談合、なれあい)も使われている。
原子力村への厳しい視線
再び英語ネイティブの友人に語感を確認したところ、complicityもcollusionも「限られた人たちで情報を独占し、優位な立場で悪いことをたくらんでいるという印象」だという。「米国の軍産複合体(military-industrial complex, MIC)に似たイメージかな。ただ、天下りが常態化している点などを見ると、日本の原子力村のほうがシステマチック。米国のMICは個人がそれぞれの意思や能力で業界内を移動しているから」と語った人もいた。
舌鋒鋭く東電や日本の行政を批判してきたのは、ニューヨーク・タイムズ紙に留まらない。英エコノミスト誌は昨年12月3日号の“Tribal Japan(部族主義的な日本)”と題した記事で、“The nuclear industry is deeply incestuous”と書いた。incestuousは「近親相姦的・排他的」という意味だ。
福島第1原発事故に関する政府の事故調査・検証委員会が昨年12月末に発表した中間報告を取り上げた記事では、日本政府と東電について“an almost cartoon-like level of incompetence(ほとんど漫画的といえるほどの無能ぶり)”とまで書いている。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20120130/226658/?P=2
「“cartoon-like”と聞いてイメージするのは人気アニメの『ルーニー・トゥーンズ(Looney Tunes)』や『トムとジェリー(Tom and Jerry)』。何をやってもダメなキャラクターがいて、あまりにもばかばかしくて笑えてくる感じ」とある同級生は説明してくれた。
「日本人は相手に遠慮し過ぎる」
さすがにここまで言われると、日本人として情けなくなってくる。おひざ元の日本の主要メディアより、海外メディアの方が東電・政府に対して激しく憤り、手厳しく批判している印象を受けるのはどういうことだろう。
「メディアに限らず、日本人は相手が日本人だと批判を遠慮するところがあるように見える。米国人は相手が同じ米国人であろうとなかろうと、悪いと思えば徹底的に追及する」と、ある日本通の同級生が語った。権力に対してどれだけ怒ってよいのか、外国メディアから学ぶのはあまりに悲しい。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20120130/226658/?P=3
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