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東日本大震災:福島第1原発事故 川内帰村宣言 「自主判断」は無責任 村民に怒りも「子供の安全優先」
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120201ddm041040142000c.html
毎日新聞 2012年2月1日 東京朝刊
東京電力福島第1原発事故による避難自治体で初めて、福島県川内村が「帰村宣言」をした。だが、村民に歓迎ムードは薄い。子供の安全を考え、帰郷をためらう家族も多い。郡山市の仮設住宅に家族7人で暮らす関根孝行さん(36)は「子供2人の安全を考えて、当分戻るつもりはない」と話す一方、深い悩みももらした。村民の絆、友達同士の絆はどう守っていくのか。【深津誠、乾達】
村立川内小2年の関根さんの長女(8)は今、仮設住宅から約8キロ離れた郡山市立河内(こうず)小に通う。川内小が間借りする形のため、村のスクールバスが送迎している。しかし、4月に川内小が村で再開すれば、河内小へのスクールバスは打ち切られる見込みだ。その後の送迎は親の負担となるが、ようやくなじんだ学校から転校させるのは忍びない。
村にいたころから仲良しだった長女の友達2人のうち、村職員の子は帰村する予定で、もう1人は仮設から歩いて通える郡山市立小に転校するという。子供たちがばらばらになってしまう。「原発はまだ収束していない。本当に安全が確認される前の帰村宣言はおかしい。『自主判断』は無責任ではないか」と関根さんは憤る。
原発事故前は、水道工事や農薬散布などを請け負う自営業だったが、仕事場の9割以上は、隣接する楢葉、富岡両町だった。警戒区域で住民のいない両町で仕事ができるはずもない。村は除染作業などで雇用を確保するというが、関根さんは言う。「放射線から逃げてきた私たちが、どうして放射線を浴びる仕事をしなければいけないんですか」
一方の遠藤雄幸村長は「戻れる可能性があるなら、自分たちでそれを広げたいと思った」と31日の記者会見で帰村を決断した理由を語った。昨年11月にチェルノブイリ原発事故現場を視察し、長期避難を強いられている人々の姿を見て「まだやれることがあるなら、やった方がいい」と考えたという。「避難生活で都会の便利さに慣れ、補償や賠償で暮らしていると、働くことやふるさとに帰ることへの意欲が失われてしまう。村民が転んでも国や県は起こしてはくれない。村の人間が抱き上げていかなければならない」
◇周辺町村住民「まず除染情報を」
周辺町村の住民からは「早過ぎでは」という声が相次ぐ。
緊急時避難準備区域が解除された広野町は、役場の一部が町に戻り始めたが、人口約5500人のうち町内に戻ったのは約300人にとどまっている。自動車修理業、大須賀正久さん(61)は「自分は仕事があるから広野に残っているが、大半の人は仮設と自宅を行き来して暮らすのが精いっぱい。店や病院のない町に戻る人はほとんどいない」と話す。
計画的避難区域や警戒区域は、住民帰還のめども立っていない。葛尾村民で三春町の仮設住宅に暮らす畜産業、岩間政金さん(86)は「畜産を復活させるには土壌の除染が必要で、2〜3年は仮設で暮らしながら待つしかない」と話す。
富岡町民で郡山市の借り上げ住宅に暮らす宮本めぐみさん(38)は「家と仕事がなければ戻れない。行政は帰還を急ぐより、除染の進捗(しんちょく)状況などの情報を提供してほしい」と訴えた。【中川聡子】
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