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「よい子」の研究(3) 「ためにする」人生を送る人たち
http://takedanet.com/2012/01/post_5fae.html
平成24年1月27日 武田邦彦(中部大学)
大学に勤めている先生で、「学問が好きだから先生になっている」という人と「教授になりたいから」という人の2種類の人がいます。私の経験では、その比率は「学問が好き」と「教授になりたい」がほぼ同数のような気がします。
会社から大学に移った私は「大学は学問の好きな人がいるところ」と思っていたのですが、大学に入ってしばらくすると、それは全く見当違いであったことを知りました。
「学問が好きだから一所懸命、研究をしていたら、その業績が認められていつの間にか、教授になっていた」という人生の方が、私はまともなように思います。「教授になるために」ということになると、データの出やすい研究、国の方針に合致してお金がもらえる研究、ボスから声をかけられた研究などをすることになり、それは結局、日本に損害を与えていますし、学生にも良い影響をもたらしません。
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「ためにする」というのは、何かのことをするときに「下心」があることを言います。今から10年より少し前のことですが、「リサイクルはしてはいけない」という本を出したら、「安井至」という名前のよく知らない人がブログで「名もない私立大学の先生が名前を売りたいばかりに、いい加減な本を出した」という激しい批判をしていることを知りました。
よく調べてみると、東大教授だったので、ビックリして弁護士さんに相談し、安井至という人に抗議文を出しました。「学問的にいって、リサイクルは資源の浪費になるし、エントロピー増大の原則に反するからリサイクルをしてはいけないと考えたので本を書いたが、社会に影響のある東大教授がどのような理由で武田が売名のために書いたということが判るのか」という内容です。
その返事は「私は東大教授だが、ブログは東大教授の立場で書いているのではない。個人的なブログだ」というものでした。よく調べてみると、この安井至という人は国のリサイクルの研究統括者で、国から多くのお金を貰い、そのブログも環境関係の人には有名で、もちろん多くの人が東大教授として参考にしていることもわかりました。
後に、安井至という人は、ダイオキシンを研究していた東大の遠山教授に「そんなこと言ったら財務省に睨まれるぞ」と発言して、ネット上で論争になったことがあります。その後も私が本を出して、それがたまたまヒットすると「お金もうけのため」などと私に対する批判を続けています。
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売名のために本を書いたり、財務省にゴマをすって研究費を貰う学者もいるとは思いますが、私や遠山教授が「ためにする」ことをしているかどうか、安井至という人がなぜ判ったのか、それが不思議です。
人間がこの社会で生きていくとき、「ためにする」のではなく、「自分の仕事に誇りを持って」、「自分の生き甲斐」、「天職」、「世のために」というように「下心」を持たずに、そのもの自体に夢と希望をもってやることが、日本全体にとって良いと思います。
今回の原発のことで「御用学者」が多く出現しましたが、そもそも「御用」とは「国の良いように」という意味ですから、「ためにする」人の典型的なものと言えます。東大教授の多くは「勉強が好きだから、勉強している内に東大に入った」のではなく、「東大を目指して嫌いな勉強をして東大に入った」という人が多いので、もともと「ためにする」ことが慣れた人でもあります。
最近、「原発を止めるべきではない」と言っている人をグループに分類した論文を読みましたら、その多くが「ためにする」人たちのようです。たとえば、「原発を持たないと核兵器が作れない」、「反原発の人たちは左翼だから、嫌いだ」という類で、本当に心から「原発は安全だから、次の原発は東京の多摩川、名古屋の木曽川の上流、琵琶湖のほとりに作ろう」というのではないのです。
原爆が必要だから原発を継続するなら、そのようにそのまま意見を言うべきです。日本には言論の自由があるのですから、原爆が必要だと言っても牢獄に入るわけではありません。また、反原発の人が嫌いなら「原発は危険と思うが、反原発の人に威張られてはかなわない」と正直に言うべきです。
私のメールにも「武田先生は・・・ことを考えているのですか?」という質問をいただきますが、私は「考えの根拠になっているものは、明確に示す」ということで、「心に思っていても、言わない」とか、「書いたこと以外に主要な理由があるけれど、言うと具合が悪いので控える」ということはまったくしていません。
私が「原発は地震で倒れる」と言えば、それは科学的に見てそう思っているからですし、「4号機のことですぐに逃げなくてもよい」としているのは、それが科学的に正しいと思っているからです。何かの利害得失、周囲との関係などを考慮することはまったくありません。
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幸い、私は幸運にも恵まれて、これまで「ためにする」ことをせずに人生を送ってきました。でも、ほとんどが誤解されてきました。一所懸命働けば「出世のためだろう」といわれ、大学で遅くまで管理の仕事をしていると「学長を狙っている」(私は大学に移ったとき、本当に教育は大切と思い、おもしろかったですし、一所懸命やっただけだったのですが)と勘ぐられ、原発が危険になり「原発は危ない」と言い始めると(2006年)、「寝返った」と言われました。
リサイクルが資源の浪費になると発表したときには、「損をするのに、なんでそんなことを言うのか」と言われました。でも、「ためにする人生」、「損得を考えた行為」は周りの人に不信感を与えますし、自分自身も心理的な負担があるので、決して、「得」にはならないと私は思います。
どうもいろいろ考えてみると、「よい子」の出現は「ためにする」仕事をしている空ではないかと思います。たとえば、朝日新聞が戦前は「野球排斥」といい、戦後は「野球歓迎」になったのは、それぞれその時代のよい子になるためにとった態度ではないかと思うのです。
もし朝日新聞が「事実を報道する」ということなら、記事や編集は一貫していると思うからです。現在でも報道の揺れ、御用学者の出現などの社会の混乱は「よい子」になること、それは「ためにする言動」がその根底にあるように思います。
この世のことですから、「ためにする」のが無くなることは期待できませんが、その比率を少しでも減らし、また東大教授のような人は、才能に恵まれているのですから、本当に学問だけを考えて行動しても生活に困ることはないと思います。
今回の福島原発の事故からすこしでも教訓を得て、被曝した子供たちにすまないという気持ちを持って、透明性の高い、「ためにする」言動をしない社会に近づけたいものです。
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