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【東京】菅直人前首相がスイスのダボスで25日に開幕した世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で世界の表舞台に再登場する。福島第1原発の事故では自ら陣頭指揮した政府の対応が各方面から批判を浴びたが、今回の菅氏の役回りは反原発運動の推進である。
菅直人前首相
菅氏はウォール・ストリート・ジャーナルとのインタビューで「世界が原発に依存しなくてもやっていける社会を目指すべきということを、世界に発信していきたい」と語り、26日に予定されているダボス会議での演説に盛り込む意向を明らかにした。
菅氏は東日本大震災とそれに伴う福島原発事故の発生から5カ月後の昨年8月、就任から1年余りで辞任を表明した。原発事故対応や、頑固なうえ場当たり的ともいわれた政権運営に対し、野党だけでなく与党民主党内からも非難が噴出し、退陣に追い込まれた形だ。
日本では首相交代が頻繁に起こる。菅氏を含めて過去5年で6人が首相に就任した。首相経験者が内外で影響力を行使することは非常にまれだが、国会議員になる前は市民運動家だった菅氏は、初心に帰ることでこのような前例を打ち破ることを目指している。同氏は1980年の衆院選で初当選する前、東京の一般サラリーマンでも手ごろな価格でマイホーム購入が可能になるような市民生活改善を掲げた運動に参加していた。
菅氏はインタビューで「原点復帰と言われている」と現在の活動について語り、「最優先で時間と力を注いでいる。楽しくやっている」と付け加えた。
菅氏はこのところ、世界を飛び回っている。最近訪れたスペインとドイツでは、代替エネルギー関連の施設を視察し、太陽光発電施設も訪問した。インタビューに応じた際も、菅氏は、省エネ建築基準やバイオマス発電の研究施設についての資料を説明しながら、生き生きとした表情を見せた。首相在任当時にはめったになかったことだ。
後継者の野田佳彦首相が停止中の原発の再稼働と、ベトナムやトルコへの日本の原発技術の輸出を推し進めようとする一方で、菅氏は現在、元首相という立場や経験を活用して脱原発というアジェンダを追求している。「原発に依存しなくてもよい世界を目指すべきだ。日本はそのモデルの国になることが望ましいと考える」とその抱負を語った。
菅氏の最近の活動は、ある意味、上り詰めた似つかわしくないキャリアの終わりに、ようやく本来の姿に戻るようなものだ。菅氏は4度目の挑戦で国会議員になった。しかし、当時ミニ政党に属し、市民活動出身の菅氏の主張は、大企業・官僚・自民党の結束の下で高度成長期からバブル期に向かう日本で共鳴を得ることは難しかった。
「官僚べったりの自民党政権から交代したい、という話はよくしていた」。菅氏と交友の深い北海道大学の山口二郎教授はそう語り、「夢みたいな話で、まさか彼がいつか首相になるとは思っていなかった」と述べた。
菅氏は、若手議員時代に再生エネルギーへの関心を強めた。その頃、同氏は、米コロラド州の風力発電施設を視察しており、その際の自身の写真を今でも自慢げに見せることがある。1982年には国会で風力発電の問題を取り上げ、議事録によると、当時の中川一郎科学技術庁長官から、「原子力は要らないのではないかということの口実に使う、利用する、乗りすぎ、悪乗りがないよう、是非ご理解いただきたい」とクギを刺されている。
菅氏は、この際のやりとりを困惑気味に振り返る。原子力に触れたわけでもないのに、そうした反応が出てくるのは、政府側に原子力への必要以上のこだわりがあったのではないかと、菅氏は言う。当時の日本は、1970年代の石油ショックが尾を引き、輸入原油に代わるエネルギー源として原子力の推進を模索していた。
だが、その菅氏も、政治家としての階段を上るなかで、原子力の必要性を認めざるを得なくなる。
菅氏は、自身がまだ若手政治家だった頃、原発を過渡的なエネルギー源と考えていたという。しかし、その後の流れとして「政党が大きくなると、もっと積極的に原子力は安全なんだからいいんじゃないか、という意見の人も多くなった」と指摘する。
民主党は2009年の総選挙で歴史的な勝利を収め、政権を奪取したが、新政権は自民党の原発推進政策を継承しただけでなく、2030年までに新たに原子炉を14基建設することを約束した。原発はクリーンなエネルギーと再定義され、民主党が世界に公約した、2020年までに炭素排出量を1990年比で25%削減するという計画の柱となった。
しかし、昨年3月11日の東日本大震災によってすべてが変わった。危険の増す原子炉周辺から作業員を撤退させたいという東京電力の要請を却下するなど、菅氏は断腸の思いの決断をしなければならなかった。同氏は原発関係者に対して「戦後初めて、命をかけてでも収束に向けて頑張ってほしい、とお願いした」という。そして、首都圏に住む3500万人を避難させるというシナリオを頭の中で描いた。「日本の領土を半分奪われてしまう。しかもその影響は他国まで及ぶ。国そのものの存在がかかっていると感じた」と菅氏は回想する。
菅氏とは30年来の盟友の関係にある江田五月氏は、「頂点に立ったときに、一番原点を問われる事故がおきた」と語る。
菅氏は、福島原発の事故から4カ月後の昨年7月、「原発に依存しない社会を目指す」として「脱原発宣言」を行った。原子力は律することができないリスクを伴うとするこの宣言は、閣僚にも発表数時間前に知らされ、根回しが当然の政界に激震をもたらした。
民主党内でかつて菅氏を支持した議員でさえ、原発事故や事故後の対応における同氏の能力を疑問視する者もいる。菅政権で官房長官を務めた枝野幸男氏は、先月、菅氏について、「攻めの政治家としての破壊力や突破力というものは、すごいものがあると思う。しかし危機管理と、日々の発信というのは攻めの局面ではない」と述べている。
当の菅氏はあくまでマイペースだ。「色々な批判のなかに、唐突だとか、思いつきだというものがあった。人間は思いつかないと発信できない。思いつきはいいこと、私にとってはポジティブなこと」と同氏は語る。
そして、首相という重職から解放された今、菅氏は思いついたことを自由に実践できる。江田氏は菅氏について、「元の彼に戻って毎日を送っているのだろう」と感想を漏らした。
http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_381277?mod=WSJWhatsNews
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