http://www.asyura2.com/12/genpatu20/msg/482.html
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以下は、ブログ「法螺と戯言」からの抜粋
http://blog.livedoor.jp/oibore_oobora/archives/51768500.html
(前略)
官邸中枢の無能・無策、それらを隠蔽する役割を担ったのが所謂「御用学者」達の存在です。「福島原発、人災記、安全神話を騙った人々」(川村湊著、現代書舘、2011年4月25日)は、原子力委員会、原子力安全委員会、経済産業省原子力安全・保安院の幹部達が311事故前に言い放っていた「原子力発電は安全であり、且つ日本国の経済発展に不可欠である」との発言(放言)、会議録などを忠実に記載しています。この本は大原発震災直後に発刊されました。著者は文芸評論を専門とする法政大学教授です。多分震災以前には、自然災害、原発問題にほとんど関わりがなかったのではないでしょうか。3月11日から二週間の主要出来事をメモしつつ、それらに関連付けて学者達の事故前の言動を挿入します。読者は学者たちの過去の発言と、それとは間逆に悪化・進行する事故を対比できる仕掛けとなっています。単に「昔、随分と威勢のいい事を言ってたじゃねえか」と、学者たちを揶揄するにとどまらない資料的な価値を有しています。但しこうした硬派出版物が堅持して欲しい「論理」が幾分軽んじられ、情念的怒りを読者に訴えるという軽さが垣間見られます(緊急出版であるので仕方が無いという面はあったのでしょう)。
それはさておき、何人かの主要人物についてはその経歴をも紹介します。一つ補足するなら、現在の原子力委員のお一人は、東京電力幹部在職中の数年前までIAEA部局長(IAEA幹部ポスト)を兼任しています。当時、日本政府は「大物をIAEAに送り込めた」と語り、喜んだと言われています。IAEAには相当数の原研、東電、三菱などからの出向者が働いています。彼らの役割はIAEAとその背後の国際原子力マフィアの動向を探る事もさり乍ら、むしろその意向を日本国内の上記原子力関連国内機関に伝えるという役割であったのだろうと思っています。現代書館はこれまでも原子力発電が抱える諸問題をいろいろな切り口から解き明かす良本を、想定される読者数が多くないと見込まれるにも拘わらず出版してきました。2011年9月26日記事参照。
http://blog.livedoor.jp/oibore_oobora/archives/51742049.html
とすれば、原子力にかかわる国際的背景を切り口とした出版をも期待したいものです。
ところで、私のような技術屋は正直なところ、忸怩たる思いでこの本を読みました。読み進めるのがかなり辛い本でもありました。171-178頁に記載される班目原子力安全委員長の言は、私には誠に「理解」できるのです。氏の議論は「安全、安全と言ってたら限(きり)が無いじゃないか」に行き着きます。それは、何時(いつ)の時代にあっても「技術」問題が抱える宿痾のようなものです。ワクチン問題しかり、遺伝子工学しかり、薬品然り、です。「耐震技術を含む防災技術」、「自動車、汽車など運搬技術」も例外ではありません。技術には必ずや解明されないままの部分があり、それがどういう事態でどう「悪い方に」発現するか予測ができないのです。結局は「見切り発車」となります。実際、「タミフル騒動」に見られたワクチン問題では、医師・研究者間で未だに見解がまとまっていないとも聞きます。
しかし、それらの分野の技術と原子力問題との間には決定的な差異があることも事実です。それは技術が破綻した際に及ぼす害の途方も無い甚大さです。原子力技術分野にあっては、御用学者と呼ばれる人たちは「限が無い」論に逃げ込んで、この重大な差異に意図的に目を瞑ったと言えます。現在名指しされている学者さんがこの差異を重大視し、非協力を申し出たところで、権力は金力で代替学者を立ててくるであろう事も明らかです。とすれば、学者の側の非協力で以って原発政策推進を阻止することは先ずできません。
この「限が無い」論は、更なる問題を孕んでいます。昨今、311大地震で面目を失った地震学者さん達が、「東京も4年以内に直下型地震」、「東海地震も巨大型で発生確率は87%から88%」、「中央構造線沿い、松本を中心に巨大地震」、「日本海溝外側で巨大津波地震の可能性」という具合であそこも、ここも危ないとの警告を発っしています。市井の素人予言者の「言」でないところが悩ましいのです。以前、藤田和夫先生の本をここで紹介しましたが、日本列島はどこもかしこも危ないのであって、それこそ「限が無い」のです(2011年12月5日記事)。
http://blog.livedoor.jp/oibore_oobora/archives/51757408.html
日本列島に住む我々は「限が無い」論にこだわっていると「限が無い」ので、それに目を瞑って、なけなしの金をはたいて「危ないかもしれない場所」に家を建て、津波の危険が指摘されていても、そこを漁場拠点にするしかなかったのです。どこかで「見切り」をつけざるを得ない。しかし、「見切りの付け所」を間違えた結果が今回の酷い甚大災害です。
であるからして、「あそこも危ない、ここも危ない」と言い立ててきた地震学者だけが真っ当な学者であり、それ以外はすべて御用地震学者なのか?上記本の著者は冒頭でそのように切り捨てています。が、私はそれに異を唱えたく思っています。
『「あそこも危ない、ここも危ない」と言い立てるにしてはそれほどの地震災害が起きていないではないか?」、だから「浜岡も福島でもそうすぐに大地震は起きないと想定できる」(こう露骨に証言したわけでは無いが)。』とは、班目委員長の浜岡原発裁判での証言でありました。311前に、その証言に一定の説得力を持たせてしまったのが「あそこもここも危ない」論ではなかったか?「あそこもここも危ない」論者の地震予知の雑駁さ(単純論理)に付け込まれているのだと思います。科学的根拠を明示できていないのです。東京直下地震についても、それは統計学であって、「ああなってるので、こうなるはず」と言った議論ではありません(じゃあ、どうすれば良かったのか?私は対案を持ち合わせません)。
この本の著者は冒頭で「広瀬隆」氏を引用しています。氏について思い出すことがあります。とある田舎町でタクシを利用しました。1990年代の初めではなかったかと記憶します。運ちゃんは大変饒舌な方で「数年前から数回にわたって乗せた乗客からとんでもない話を聞いた。その人は東電から付け狙われており、命の危険を感じていると、言っていた。どうも原発がらみらしい」と語るのです。風貌、年齢などから推察すると、その客はどうも広瀬隆氏ではなかったかと、後日私は想像しました。この話に直接の関わりがあるのか無いのか定かでありませんが、運ちゃんの夫人が後日自殺、運ちゃん自身も数年後死亡されたと運ちゃんの同僚から後日聞かされました。
本の著者は、広瀬氏の原子力発電所問題の発言および著作を高く評価しつつ広瀬氏のもう一つの大きな業績である「ロスチャイルド」一族研究については、自分はわからないとして記述を避けています(「赤い盾」、集英社文庫、2006年)。世界のウラン資源の大半に大きな影響力をかぶせていると思われるロスチャイルド一族に言及せずにすますことは出来ないのではないでしょうか。著者には、ここにも議論の手を広げる責任があるのではと考えます。必然的にIAEAに言及することにもなるのでしょうが、これには出版社ともども大変な勇気が求められるのかもしれません。
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