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4年以内M7地震想定で「放射能首都」東京の限界。マスク常時防備の都内二十代男性が橋本病発症。
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927
2012-01-24 12:32:10 放射能防御プロジェクト 木下黄太のブログ 「福島第一原発を考えます」
東大の研究グループが、四年以内に東京でのM7想定の地震が起きる可能性は、70パーセントと出してきました。これは、大変な話です。放射性物質でウクライナのキエフレベルには、最低でも汚染されている、「放射能首都」である東京は、大きな地震に襲われる可能性も飛躍的に高まっているということです。僕の取材感覚では、東大のこの想定は、おそらく発表することによって、いろんな社会的影響がおきることを考慮しての発表であることは、間違いないと思います。そうすると、可能性を大きく見積もっての発表ではなく、むしろ最低限の発表をしている可能性があると考えるべきだろうということです。しかも四年という具体年限の状態が言われていることは、直近におきにくいという判断ではなく、直近におきやすい状態が一定の割合であるのではという推測があって、四年の幅まで、想定を広げた場合で、さらに発表による社会的影響を考慮しても、七十パーセントの発生可能性に踏み込んでいるということです。これは、かなり具体的かつ、シリアスな話です。つまり大地震発生可能性の状況はシビアだということです。
つまり四年どころか、たとえば、数ヶ月から一年以内にも、一定割合で大地震が想定され、なおかつ、今現在、放射性物質に高濃度に汚染されているのが東京という街の現実の姿です。ここに、どうして、なぜ住み続けるのかということです。今までのような暮らしが続けられる根幹は、無くなりつつあるのが、地震という要素からもはっきりしてきています。巨大地震がおきる可能性が強まっている、「放射能首都」である東京。住み続けるべきではありませんし、ここに首都を置きつづけることは、間違いであると思います。放射能も大地震も、人間は勝てません。東京はその二重苦が、現実にあるのか、目の前に迫りつつあります。一人でも多くの方が目を見開いて、その現実を認識して欲しいと切望します。猶予はありません。
ある程度被曝しているエリア(首都圏も入ります)の人、特に子ども、妊婦、妊娠可能な女性は、放射性物質の少ない場所に避難すべきだと僕は考えます。優先順位は「避難する」ことです。慢性的に被曝することは避けるべきですから、できる限り早く避難することをすすめます。
さて、この方の話は奈良の講演会でも伺いましたが、ご本人の既往症や遺伝的要素がほぼないこと。現在は関西に移住されていますが、都内で居た五月くらいからは、ゴーグル、N95マスクの常用など最大限の防御にはなさっていること。しかし、三月当初のマスクは通常のものであったこと。都内の居住先が葛飾→青梅も汚染程度が強いエリアでの移住となっていること(ご本人も判断ミスをおっしゃっていました)。この点を踏まえてお読み下さい。しかし、放射能被害が他所事だと思っている人々、特に甘い手判断を繰り返している医師達に警鐘を鳴らしている話です。
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健康診断にて甲状腺が少し大きい旨を医者から指摘され、その後病院に行きました。関西です。
⇒結果は、橋本病でした。サイクロブリンとかいう項目が3500超くらいの数値になっており、またAgTbという項目も異常値でした。
⇒腫瘍は特にありませんでした。エコーとエックス線検査まで行い、細胞採集はしておりません。
私は、東京都内では相当に気を使っていたほうでしたが、それでもこのような結果になり、ショックです。女性でもなく、20代の私がなるとは思いませんでした。定期的な検査をかかさず、リスクと相談しながら生きるしかありません。甲状腺がんで済めばいいほう、心筋梗塞や肺がんなどが来ないことを祈ります。
放射能被曝で橋本病になったかはわかりません。ただ、もしそうだとすれば、以下のように異常なまでのガードをしていても、健康被害が出てしまった一例に、後々なるのではないかと思います。
■基本データ
@年齢20代後半
A既往症なし。タバコ吸わず。
■気を付けていたこと
@食事は関西の実家から冷凍した手料理を送ってもらい、水は水道水一度ものまず。
Aマスクは5月あたりからはN95を付け始めていた。日が経つにつれ不安になり、マスクを増やし、8月以降には「1枚目:N95、2,4枚目:花粉マスク、3枚目:濡れたガーゼマスク」。
B花粉ゴーグルは3月から移住する11月までずっとつけていた。髪の毛付着防止のため、ニットキャップも3月〜11月までずっとつけていた。服に付着しないようにナイロンヤッケの上下も夏以外は全部着ていた。手袋もずっとつけていた。
C服は必ず玄関か外で脱ぎ、靴の裏は毎日洗っていた。服も、外気に触れたものと触れていないものとを分け、洗濯していた。
■甘かった点
@3月11日に危険を感じ、関西に避難したが、仕事のため3月20日に帰ってきてしまい、1時間ほど外出した形となったこと。
A3月〜ゴールデンウィークまでは花粉マスク1枚か2枚だったこと。
B居住地が3月から7月中旬まで葛飾区、7月中旬〜11月中旬までは青梅市近辺だったこと。
以上、ご参考頂ければ幸いに存じます。
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