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脱原発のココロ 検知器で監視 24年 警報ネット「R−DAN」代表 田代牧夫さん(60)/自衛の必要性今なお(東京新聞)
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投稿者 gataro 日時 2012 年 1 月 23 日 13:15:18: KbIx4LOvH6Ccw
 

脱原発のココロ 検知器で監視 24年 警報ネット「R−DAN」代表 田代牧夫さん(60)
東京新聞 2012.01.23 朝刊 「こちら特報部」

 福井県敦賀市の玄関口・JR敦賀駅にほど近い「田代時計修理工房」。店の奥にある作業場の片隅に、文庫本くらいの箱形をした放射線検知器「R−DAN」が無造作に置かれていた。

 表示窓には「21」の数値。内部にある不活性ガスを封入した管の中を一分間に通った放射線の数を表している。

 「この場所の平常値は『20』から『25』。急に値が上がれば、警報が鳴るように設定してある」。店主の田代牧夫(60)がそう解説してくれた。

 「R−DAN」を製作したのは、横浜市の電子機器メーカー「タウ技研」。一九八六年のチェルノブイリ原発事故直後、被ばくを恐れる市民の要望に応えて開発した。

 厳密に放射線量を測定するというよりは線量の異常の発生を感知することが主な機能だ。一台八万円と決して安くかったにもかかわらず、政府の情報公開への不信から、自衛のために購入する市民団体が相次いだ。

 やがてそれらの団体が連携し、行政などの公式発表より先に異常の兆候をつかんで連絡を回す「放射線災害警報ネットワーク(略称・R−DAN))」が出来上がった。

 田代は八八年に仲間と検知器を購入し、敦賀地区の代表として、活動に加わった。現在は運営委員の一人として、全体の連絡窓口を務める。

 棟知器の設遼台数は昨年五月現在、全都道府県に約八百台。ただ、常にすペてが稼働しているわけではない。むしろ、昨年の東京電力福島第一原発事故の少し前には危機感が薄らいでいた。検知器の稼働数は激減、活動自体も停滞していた。

 しかし、その日はやって来た。昨年の三月十一日。敦賀市でも、震度2の揺れを観測した。自宅のテレビで東日本大震災の全体規模を知った瞬間、田代の脳裏をよぎったのは「原発は大丈夫か」という思いだった。不安は的中した。翌日の1号機の水素爆発を皮切りに、福島第一原発から噴き出した大量の放射性物質ははるか遠方にまでまき散らされた。

 連絡がついたネットワークのメンバーに「検知器の数値に注意するように」と指示した。敦賀では平常値だったが、福島県内をはじめ東北、関東のメンバーが持つ「R−DAN」は異常に高い値を表示し続けた。

  オオカミ少年

 メールなどで知ったそれらのデータは、田代がかねがね「いつか起こる」と言い続けてきた過酷事故が現実となっていることの証左だった。

 「やはり、その日は来てほしくはなかった。“原発事故のオオカミ少年”とそしられようが、その方がよかった」

 十カ月前を振り返る田代の口調には、長年、反原発を叫びながら破局を止められなかった無念さがにじんでいた。

<デスクメモ>

 原子力ムラの悪行が語られるが、国自体がムラである日本ゆえ、こうも原発が増殖したのだと思う。ムラには「人身御供」の仕組みがあり、原発は過疎地や下請け労働者らの犠牲で成り立ってきた。田代さんの言葉を「沈黙は加害に等しい」と解釈した。ムラと決別する勇気が一人一人に問われている。(牧)

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自衛の必要性今なお/大消費地の動き 廃止に不可欠
東京新聞 2012.01.23 朝刊 「こちら特報部」


 「原発植民地」
 田代は生まれ育った敦賀のことをそう呼んでた。「城下町」という表現では生ぬるい。それほど街を支配する原発の力は強い、という。

 ネットワークに加わって以降、田代はメディアにひんばんに登場した。当時は労働組合以外で、原発反対を公言している人間がまだ珍しかった。ところが、顔が知られるようになればなるほど、店に来る客の数が減っていった。常連もめっきり顔を出さなくなった。

 なぜだろうといぶかっていたある日、知人の葬儀で出くわした常連客に意を決して聞いてみた。返ってきた答えは「だって田代さん、怖いもん」。別の常連には「車を田代さんの店の前に止めているのを見られるのが嫌」とまで言われた。

 「どこからか、圧力がかかっているわけじゃない。田代さんと同類と世間から思われるのが嫌で、つい自己規制がはたらいてしまうんだ」

 家族、親族、取引先、子供の同級生の親…。原発と一切かかわらずに生活する市民の方が少ない土地だ。反対派というだけで後ろ指をさされる。田代のような人間、つまり電力会社にとって煙たい存在とはかかわらないに越したことはない。

 そうした地域で、政治の力を使おうと試みたこともある。九五年四月の敦賀市長選。日本原子力発電の敦賀3、4号機の増設問題が焦点だった。田代は増設阻止のため、住民投票の実施を掲げて出馬した恩師の選挙事務所の事務長を務めた。

 ライバルは現職と二人の新人。推進の立場にいたはずが、同年一月の阪神大喪災で原発の耐震性に注目が集まると、次々に「凍結」「白紙」「反対」へ宗旨変えした。

 「激戦を制するのに反対派票も取ろうとするのは道理。主張の違いが見えにくくなった時点で、勝ち目はなかった」

 増設問題は争点にならず、有権者の関心は現職の多選の是非に集中。担いだ恩師は惨敗した。以後、田代は選挙や政治にかかわっていない。

 加えて「自分と同じ不利益を仲間に与えたくない」と運動を続けることへの戸惑いも生まれた。袋小路に迷い込んだ。

 検知器の表示に気を配る生活になって二十五年近くがたつ。自宅から十数`先には高速増殖原型炉「もんじゅ」を含めて、原子炉が計六基ある。それでも田代は福島事故の直前には、ネットワークは役割を終えたと考えていたという。

 「ネット社会へ移行し、市民が入手可能な情報量が桁違いに増えた。誰もが発信手段を持つ時代に、政府も隠し事はできないと思っていた」

 だが、福島の事故で明らかになったのは、政府はやはり情報を隠すということ。市民が自衛する必要性は変わらないのだと痛感した。長らくしまい込んだままの検知器を引っ張り出し、再び電源を入れた仲間もいた。

  鳴らぬ警報/単なる幸運

 検知器にセットした警報が鳴らずに済んでいるのは単なる幸運にすぎない、と日々思う。田代が今、最も恐れるのは、昨年一気に盛り上がった脱原発の世論がかつての反対運動と同様に沈静化してしまうことだ。

 「遠い外囲ではなく、国内で過酷事故が起きたことによって、国民の意識下に原発の危険性が刻まれたのは確か。でも、原発廃止まで持ち込まなくては意味がない」

 長年にわたる活動で、行く手を阻む壁の厚さはよく知っている。

 「植民地で生きる民のカだけでは領主は倒せない。外圧が重要だ。大消費地の動きこそが脱原発の成否を握っている」

 (敬称略、鈴木泰彦)

 

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コメント
 
01. 2012年1月23日 13:58:01 : ZbEkMfgIXY
とにかく、3.11福島第一メルトダウン過酷事故は起きた。
そして事故収束はできず放射能拡散中。
いままた、5年後の過酷症状の発症いかんをめぐり、
10年後の患者数ピークをめぐり、次のように言わねばなるまい。

「やはり、その日は来てほしくはなかった。
“放射線被曝の晩発性障害のオオカミ少年”とそしられようが、その方がよかった」


02. 2012年1月23日 22:57:26 : nAqBuSPWxE
亡国の原発。
この期に及んで、まだ原発路線をとは?


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