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「よい子」はどこで作られるのか?
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平成24年1月16日 武田邦彦(中部大学)
日本は「空気の社会」と言われるぐらい、何の根拠もないのにいったん「空気」ができると、全員がそれにならって「よい子」になり、空気の変化について行かないと「おまえは悪い子だ!」と社会的バッシングを受けることになる。
誰が、いつ「よい子」を作るのだろうか? 2つの例を挙げて考えてみたい。
【第一】 戦争前、早稲田大学と慶応大学がアメリカから「野球」を輸入した。時代は「鬼畜米英(アメリカとイギリスは鬼か畜生だ)」という軍事優先の時代である。朝日新聞は野球に噛みつき、「野球は日本精神を破壊するものだ。アピール・プレーなるものは醜悪だ」と叩き、「このまま早稲田と慶応が野球を続けるなら、2つの大学をつぶしてやる」というキャンペーンを張った。
ところが、戦争後、日本がアメリカに占領されると、朝日新聞は「全国高校野球」を推進し、「野球こそが日本の青少年の健全な発達に最適である」として「野球と教育」が一体となった「甲子園」が誕生した。同じ野球なのに、戦前は野球をやる子は「悪い子」であり、戦後は「よい子」に変わった。
【第二】 3.11以前、「放射性物質を漏らした人」は極悪人で、少しでも(法律で定められた量の100分の1でも)漏らしたら、朝日新聞の記者が血相を変えて駆けつけ、責任者をつるし上げたものだ。私も原子力の施設長をしていた時、放射線が漏れなくても、施設の中で「階段を踏み外した」などがあると、ひどくバッシングを受けたものである。
2007年の中越沖地震で柏崎刈羽原発から3億ベクレルが漏れたときも、朝日新聞は叩きにたたいた。「漏れた量が法律上、許されるかどうかなどという問題では無い。放射線を漏らすこと自体が重大な犯罪だ。健康に影響があるかなど些末な議論にするな!」という趣旨だった。3億ベクレルという量は福島原発で漏れた量の30億分の1というごく微量であった。
ところが3.11と福島原発の事故の後、「放射性物質は危険だ、漏らしてはいけない、除染した方が良い」と言うと、朝日新聞から「危険を煽るな!」というお叱りを受けた。最初は、本当に朝日新聞?!と思った。その後、「ガンで死ぬ人は年間30万人もいる」とか、「タバコの副流煙より安全」というキャンペーンを朝日新聞が始めたので、間違いでは無いことが判った。
3.11以前は「被曝を憎む」のが「よい子」だったが、3.11以後は「悪い子」になってしまった。
・・・・・・・・・
8.15(終戦の日)を境に野球は悪い子がよい子になり、3.11によって放射線は「悪い子」から「よい子」になった。今では「1年1ミリの被曝限度は法律で定められ、これまで日本人を被曝から守ってきた」というだけで「悪い子」に分類され、マスコミでの発言を制限される始末である。
朝日新聞には朝日新聞の言い分があるだろうけれど、私には「その時代の主人(戦前なら軍部、戦後ならアメリカ、3.11以前なら原発反対派、以後なら東電)」にゴマをすって、根拠無く「よい子」を決めて、その「空気」を日本社会に作る・・・それが朝日新聞のように思う。
そんな新聞でも、新聞界では主力であることから見ると、「空気を創造する」ことは日本社会にとって、なにかとても良い面があるのだろう。 利得を得る人がいて、庶民にしてみれば「よい子」に追従しておけば大きな顔ができるなどがあるのだろう。
ともかく、このような社会では原発のような巨大技術を安全に動かすことはできないし、学問の発達もいびつになるだろう。「朝日新聞はなぜ読まれているのか」ということと、「よい子の創造研究」を少し続ける必要があるように思う。
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