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2012.1.8 水爆実験60年後の現実 ビキニ環礁
http://dai.ly/A67lVA
日テレ系「真相報道バンキシャ」より。
日本から4000q離れたマーシャル諸島のビキニ環礁でおよそ60年前、アメリカによる水爆実験が行われた。第五福竜丸も被ばくしたその威力は広島原爆の約1000倍ともいわれ、周辺の島や海域は放射性物質で汚染された。そこでの放射能と住民の暮らしは今どうなっているのか。福島再生へのヒントを求め、18日間にわたり現地を取材。水爆実験60年後の現実に迫る。
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以下は「TVでた蔵」から抜粋。
福島再生プロジェクト
水爆実験60年後の現実 放射能と住民の生活は・・・
日本から4000キロ離れたマーシャル諸島のビキニ環礁沖でおよそ60年前にアメリカに水爆実験が行われた。日本のマグロ漁船も被ばくしたその威力は広島の原爆の1000倍ともいわれ、その周辺の島や海域は放射性物質で汚染された。
ビキニ環礁には直径2キロ、深さ80メートルの巨大なクレーターがあった。アメリカが行った水爆ブラボー実験でできたその深さのためにクレーターの部分だけ海の色が深い青色に見えた。ブラボーにより消滅したサンゴは未だ戻らず、魚などの生物の姿も見えなかった。
日本からグアムを経由して11時間、空港を出るとすぐ目の前にエメラルドグリーン海が広がっていた。マーシャル諸島共和国は人口約6万人の小さな国だった。
取材班がビキニ島に到着すると、島には人影はなく木々に埋もれた民家に入ると天井が落ちてガレキが散らばっていた。1946年、アメリカ政府はブラボー水爆実験を行うためにビキニ島民に離島を要請し、今も島民が島に戻ることが許されていなかった。
現在のビキニ環礁の放射線量は東京都などと同じようなレベルだった。島にある約200本のヤシの実には全て番号が書かれており、放射線物質がどの程度含まれるかサンプル調査が行われていた。
実験当時、島に167人いた住民とのその子孫は現在主にキリ島とマジュロにいる。島民たちは「本当に除染されたら戻りたいが、そうでなければ子どものことが心配なので嫌だ」と話した。
紹介されたVTRを見て武田双雲さんは「放射能を使う人類はまだまだ未熟だと感じた。こういう事があるから絆が生まれたり、故郷の大切さがわかるが、それにしても放射能というのは厄介な存在だ」と話した。
第2弾では、ある作戦によって放射線量を低くして住民が戻ることができた島、また死の灰が大量に降り注いだものの、住民が戻る準備が進む島などを取材した。
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