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先頃、城下町岡山で開催されたリチャード氏の講壇において、氏は新たなる自らの立ち位置を、さらに明確にしたようだ。
つまり、地方都市評論家という肩書を得たのだ。それ以前にも行く先々でWikipediaの全コピーなに基づく聴きたくも無い解説を、地元参加者に行うという意味不明な講壇でお茶をにごしながら、たった2000円の参加費を強奪してきたが、相も変わらず同じことを繰り返しており、そろそろ厚顔無恥な、おっと失礼、真面目な党員諸氏も飽きてきた頃合いであろうか。
この阿修羅掲示板にも見られるように、どう考えてもリチャコシの手先と思える輩が色々言ってるが、分析内容にある一定以上の学識、歴史認識を感じとることが出来ない。
その真面目さと一途さは、正にカルトを証明している。
さて、私は日本与太話評論家(?)という立場を自ら標榜しているので、どんなに退屈であっても、対象であるリチャコシ一派の見解には一定の評価を与えなければならない。
そのため、彼の雑談ビデオは具に分析する必要がある。しかし、相変わらずの体たらくなので、居眠りしながら気づいたら、連続再生が終わっていた。いつものことである。
さて今回の岡山であるが、何時もながらのユダヤ悪人論に加えて、最近では自らを指導者か何かと勘違いしているのか、ジャーナリストという立場を忘れ、日本人よ斯くあるべき!等と言い始めた。この時点で勘違いも甚だしいのであるが、遂には今後の日本や日本人の未来への提言として、彼ならではの提言を行っている。
そうまでして自著を売りたいのか、或いはそれほどに本業がままならないのか?
もう必死なのである。
さて彼が我々日本人に対して行なった大胆な提言とは『昭和はエガッタナ論』である。
それはそれは含蓄の溢れる話で、彼にとってはマクロ経済学も社会学も文化人類学もどうでもいいのである。またそれらの学問に於ける碩学もすっ飛ばして、ただただ『昭和はエガッタナア論』と『悪者は俺以外全部論』で突っ走っている。
明治以降、establishmentの間では常識となっている事柄を自分の手柄にして、無知な人々に伝えるが、元々何もない「ミスター空っぽ」なので、ネタ切れを誤魔化すのに必死である。
彼にとっては宮台真司も越智道雄も吉本隆明も小室直樹も関係無いのだ。
彼は無知である。
今回の岡山では、それを殊更に自ら証明してしまった。
そりゃ苫米地も怒るって!
いい加減にしろよ、ということになるのは当たり前である。
お猪口に一升は入らないのだ。
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