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1989年から1995年にかけて死亡者を含む無数の被害者を出したオウム真理教による犯罪事件が、もう殆ど解決されてしまった2012年。主要メンバーは全て実刑判決を受け、全国指名手配を受けた逃走中の幹部・幹部補もあと1人を残すのみ。
これまで完全に精神を失ってしまった松本をのぞいては、ほぼ全員が一連の事件を全面的に認め、償う意志を顕した。一件落着で拍子木が叩かれ、その余韻さえもう消えてしまったといったところだろうか。
今になって我々が物足りなく感じるのは、一重にあの男の詭弁がきけないことではないだろうか。あの男、というのはいうまでもないだろうが、村井秀夫、その人である。一言でいうと教団の頭脳であり、男性出家の中では松本が最も信頼していた人物で、広報の上祐よりもずっと教祖に近いところから発言していた教団最大のスポークスマンである。
あの村井が、逮捕された後、どう立ち振る舞ったのか?他の幹部のように全て自白させられ骨抜きの状態で反省の弁を述べたのだろうか?あの村井が?私には想像しがたいことである。
もう言い逃れができないとろこまで追い詰められた教団。村井は一体どうやって、それまで暴走して起こした諸事件について釈明するところだったのか、それだけが気になり、そこだけが気になる。
JFK殺害容疑者オズワルドでさえ一応の弁明をしてから撃たれたわけだが、村井はまだ逮捕さえされていなかったのだ。それどころか、彼は地下鉄サリン事件、強制捜査の後である1995年4月においても一切たじろぐことなく、人工の(阪神)大震災を起こした陰謀を暴こうなどとしていたのである。本当に教団を守り巨悪な外国勢力?をあぶりだす自信があったのか、もう教祖のように正気を失いつつあったのか、それはわからない。
せめて村井の公判に区切りがついたところで、ヒットマンなり何なりに登場してもらえばよかった。せっかくの人類史上最賢(オウム側の発表)の科学者村井に警視庁が挑む「歴史に残る取調べ」そして「世紀のカルト裁判」がはじまる序章のところで、部外者である朝鮮人による茶々が入ってしまったのは非常に残念なことである。
ameblo.jp/jo-hiroyuki/
近年、懲役を終えて出所した元オウム顧問弁護士の青山吉伸に先立ち、実は村井を殺害した徐、こと田中裕行も刑期を終了して娑婆に戻っている。誰がどう考えても、青山氏より田中が先に刑務所を出れるというのはおかしな話ではあるが、事実である。上はその彼が昨年末よりはじめた一般公開のブログである。
建前としては、拉致事件解決へむけて民間の署名を募り、総連を通して北朝鮮新体制政府にアピールするための活動を目的としたブログである。しかし、泥棒相手に泥棒を戒めるようなことが実際において何の意味も持たず解決の糸口になりえないことの自明さからして、目立ちたがりの田中が世間に自らの存在を知らしめるための趣味ブログというがその実だ。
そんなことはいいのだが、田中本人が頻繁に投稿を繰り返している当ブログで、なにか村井刺殺事件にまつわる新事実が書き表されてはいないかと探したが・・・・・やはり昨年の「週刊金曜日」誌上で行われた鈴木邦男との対談以上のものはでてこなかった。kunyon.com/shucho/110919.html
田中裕行がオウム科学技術大臣村井秀夫を殺害した背景について、様々な説が17年の間にとびかってきた。代表的なものは、口封じのためにオウム教団側が山口組に殺害を依頼した、というもので、「次は麻原をやるのか」といって当時はマスコミを非難していた上祐までもが今では黒幕の松本による差し金であったことを示唆する発言をしているのだ。田中本人は「組の意を汲んで犯行に挑んだのは事実だが、自分にも村井を成敗したいという確固たる意志はあったので自己責任の範囲だ」という極道の法典に従ったような主張をしている。そして12年間、冷涼で住み易い北海道で伸び伸びと刑期を終了、これはある意味完全犯罪だ。
村井が死んだことで得をしたのは一体誰なのか?村井の遺志をひきついで、いわば村井の身代わり、代弁を活動の根幹にしているベンジャミン・フルフォードや輿水のような精神異常者は別として、特に村井が死ぬことで利益を得た人間がいたとは思いがたい。
・他の実行犯幹部が次々と逮捕される中、たとえ村井を消しても教団有利に捜査が好転することはありえない話である。むしろ、執行力を持っていた村井に罪を背負わせるほうがいい。
・北朝鮮や旧ソ連が、オウムとの秘密取引が公開されることを恐れ謀殺を依頼した・・・・というのも、刺殺の4日前に早川が逮捕されていることで全く意味をなさなくなる。早川がしゃべればそれまでである。
・犯行場面が何度も放送されることで、田中の着ていたデザイナー・セーターは確かにアサシンウェアとして宣伝効果大であったが、それだからといってイッセー三宅が喜んだとも思えない(あれは無論、三宅の粗悪な模倣品である金正男御用達の朝鮮製「イッセヲ・ミョホン」ブランドらしいが)。
結局は、田中が英雄になって名をあげるために単独でやったか、あまりに凶悪なオウムのせいでメンツを潰されたヤクザ組織が警察に平行して自分達も一太刀ふるわないと気がすまないという判断で行ったか、それくらいの選択肢しかなくなるのである。
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