http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/494.html
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9条改憲派には、
「それが勝者のエゴによる押しつけ憲法だからだ」
という大前提があるらしい。
私はある女性が口角泡を飛ばして一席ぶった、
烈しい改憲論が忘れられない。
熱海の伊豆山の山奥に、
日中戦争の犠牲者の冥福を祈るために、
平和観音と名付けられた像が立つ寺がある。
松井石根が日中両兵士の血が流れた激戦地の土と、
日本の土をまぜた観音像を造らせたものである。
松井石根の熱海の自宅の庭に祀ったところ、
夜な夜な怪異現象に悩まされるようになったので、
急遽伊豆山の山奥に移したという謂われがある。
松井石根は東京裁判で南京事件の責任を一身に負い、
朝香宮鳩彦の身代わりに処刑されている。
その松井石根を含むA級戦犯7人の遺骨と、
BC戦犯を弔う石碑が、
平和観音像の傍らに建てられたのである。
何というめぐり合わせだろう。
パール博士も二度ほどここにお参りしているそうで、
その時の写真が貼ってある。
私がお参りしたのはもうずいぶん前のことであるから、
いまだに次のような仕掛けになっているかどうかは分らないが、
伊豆山の山の中腹まで上るとようやっと一軒の人家が見えてくる。
そこに一匹の柴犬が待ち構えていて吠え立てる。
すると家の中から一人の女性がすばやく出て来て、
「ようこそお参りになられました」
と下にも置かない待遇で案内役をつとめてくれる。
お寺はさらに上方にあるので引き続き登って行く。
たどり着いた平和観音像の足元には、
野の花が活けられ安いお線香が供えられている。
寄付金ですべてをまかなっているとのことで、
持参した花と線香とお菓子供えるとものすごく喜ばれる。
水屋に行ってお茶をごちそうになり色々話を伺える。
父親から受け継いだ寺を今は一人で守っているという。
帰り際「どうぞまたお参りください」と言って、
色紙を折った入れ物に飴玉を数個いれたものをお土産にくれる。
5月14日が慰霊祭だというのでもう一度出かけた。
旧軍人会の集まりをかねているらしく、
遠方から泊りがけで続々とやってくる。
徳富蘇峰の孫が真剣で居合抜きを試演し、
板垣征四郎の息子が従軍慰安婦賠償を批判する演説をした。
私は自分を非常に場違いに感じて早々に下山した。
その帰路で行き会った女性が上記の改憲論者である。
彼女は数年前からの常連で、
私大の教授が開いている改憲セミナーの生徒になっていて、
その教授に誘われてここに来るようになったという。
彼女はその教授の受け売りを喋っているようだった。
「占領軍から押し付けられた憲法なんだから、
改憲しなければ独立国とはいえない」
これは至極当然のことだと前置きし、
「交戦権を持たなければ国は守れない。
これからは自衛隊にはしっかりと戦ってもらいたい。
近い将来戦争が起きることは必然だと思う。
私たちのサークルでは毎月パンフレットを発行している。
改憲意識を世論に浸透させていかなければならない」
とまくしたてた。
その教授はゼミの女性たちの心をしっかりつかんでいるらしい。
あれから数年経った現在、
彼女が主張した「押しつけ憲法」の改憲が世論を席捲している。
中川八洋や廣井泉の本を読んで思ったことだが、
学生たちの頭にプロパガンダを吹き込むプロジェクトが進んでいるらしい。
県の教育委員会が公立高校を前期後記の単位制にし、
「日本史を選択すれば世界史を履修しなくてもいい」と改訂し地ならしをしている。
公立図書館の歴史コーナーに保坂正康と半藤一利と秦郁彦の本を並べている。
国立大学の大学院の非常勤講師が防衛省の協力のもとに、
9条改憲の目的に言及する本を書いている。
『最大のタブーといわれる自衛隊と皇室
そして靖国神社の関係にも鋭く切り込み、
加えて日本核武装論と敵基地先制攻撃を堂々と提言した』本である。
防衛省が資料提供しているらしく、
市街ゲリラ戦のエキスパートたちの写真まで載っている。
命知らずという空挺の中でもさらに精鋭だけを集め、
一人の戦闘能力は普通の隊員200人に相当するという。
隊員の氏名は自衛隊の中でも機密扱いされていて、
写真にも黒覆面をした姿で写っている。
本書より9条に言及した箇所を抜粋する。
井上和彦『こんなに強い自衛隊その秘密99』双葉社2008年初版より
『第1章01 自衛隊は軍隊なのか
自国民の生命・財産そして国土を守る”軍隊”を保有することは世界の常識であり、軍隊の保有そのものが国際法上禁じられたことなどこれまで一度もない。いい換えれば、国民の生命財産そして国土を守るべき軍隊の保有を否定した憲法9条そのものが、むしろ”憲法違反”とみるべきなのである。しかしながら日本政府は、不磨の大典のごとき憲法9条には手をつけず、軍隊を「自衛隊」と言い換えてその合憲性のみを追究してきたのである。要するに国民の生命を守ることより憲法を守ることがなによりも優先されてきたといってよかろう。自衛隊は、国家国民を守るありのままの軍隊であるべきなのだ。』
『第8章99 国防向上のためには法改正が急務である!!
・・・自衛隊は陸海空ともに、数こそ少ないが、装備品はどれもハイテクであり、それを運用する自衛官の質も世界一であることは、本書をここまで読み進められてきた方には、よくお分かりいただけただろう。他面、そのいずれもが優れた日本の自衛隊のような軍隊でも、これをコントロールする政治家の国防意識が世界最低レベルであるため、その実力を十分発揮できないでいるのも事実である。要するに、軍事力はこれを動かすその国の政治家の資質や民意にも大きく左右されるのだ。・・・自衛隊法の改正が考えられるが、これは抜本的な問題の解決にならないだろう。では、では抜本的な解決とはなんであろうか。それは憲法9条の改正にほかならない。集団的自衛権の問題をはじめ、GHQから押し付けられた憲法9条という、およそ国際的な常識からかけ離れた不条理を後生大事にしている以上、日本が真の国防力を持つことなどないだろう。』
このようなデタラメな憲法解釈をする人間が、
国立の最高学府で講義しているのは謀略としか思えない。
9条はGHQの押しつけではない。
天皇とマッカーサーの共同作業である。
9条改憲派も、アンチ改憲派も、
9条が軍備に関する条項だと思っているようだが、
9条は天皇制保持のための条項である。
「押しつけ憲法」ではなく「やっつけ仕事」である。
極東委員会の発足に間に合わせるため、
促成憲法たらざるを得なかっただけである。
極東委員会に憲法を制定させたら皇制廃止は必定、
だから突貫工事で間に合わせただけなのだ。
完成したのは何と極東委員会発足当日である。
●押しつけ憲法の図式正誤表。
誤
日本国 VS 連合国 → 国民への押しつけ憲法
正
天皇&マッカーサー VS 極東委員会 →天皇制保持のための押しつけ憲法
●財閥解体阻止の図式
天皇&ドレイパー(ハリマンのポチ) VS 極東委員会&マッカーサー
日本はここから一気に戦前への逆コースを疾走する。
朝鮮動乱はもとよりベトナム侵略戦争も、
沖縄基地がなければ遂行できなかったと米軍の高官が言明している。
天皇とマッカーサーのやっつけ仕事ぶりを見てみよう。
豊下楢彦『集団的自衛権とは何か』岩波新書2007年初版より
『1946年2月の上旬にマッカーサーの指示のもとに、GHQ民生局が10日間ばかりの”突貫工事”で現行憲法の草案をまとめあげ、日本側に”押しつけた”ことは良く知られている。しかし、なぜマッカーサーはそれほど急がねばならなかったのであろうか。それは、同月26日からワシントンにおいて、極東委員会が発足することになっていたからである。それではマッカーサーにとって、なぜこの極東委員会の発足が決定的な意味をもっていたのであろうか。
それは、1945年末のモスクワにおける英米ソ三国外相会議において調印された「モスクワ協定」によって、極東委員会が日本占領の最高政策決定機関と位置づけられ、「憲政機構の根本的変更」も同委員会の権限に属するものとされたからである。「憲政機構の根本的変更」とは、明治憲法を改正し新憲法を制定することを意味しており、同委員会にこの制定作業が委ねられることになったのである。現にマッカーサー自身、1月末には「憲法改正問題は、モスクワ協定によって私の手を離れてしまった」と、”あきらめ”の心境を語っていたのである。
しかし、極東委員会を構成する11か国の中には、ソ連はもちろんカナダ、オーストラリアなどを始めとして天皇制に批判的な国々が多く、制定作業が開始されれば天皇制の維持はきわめて困難になることが予測された。そこで、この”苦境”から脱する方策を提示したのが、奇しくも、明治憲法の骨格を残す「松本案」を毎日新聞がスクープしたのと同じ2月1日に、ホイットニー民生局長がマッカーサーに送った「憲法の改正について」と題するメモであった。
そこでホイットニーは、憲法改正について「極東委員会の決定があれば我々はこれに拘束される」ことを再確認したうえで、同委員会が発足する以前であれば最高司令官たるマッカーサーは「いかなる『措置もとりうる」と述べて、同月26日までの”空白期間”に「既成事実を作ってしまおう」(吉田茂)という、一種の”脱法行為”を主張した。だからこそマッカーサーにあっては、”突貫工事”によって憲法改正草案をまとめて日本側に提示し、あたかも日本政府が策定した創案のように”装う”ことが至上命題となったのである。こうして、日本政府が「日本案」を閣議決定したのは、まさに極東委員会が発足する2月26日その日であった。
以上の経緯に明らかなように、天皇制を支持する立場にたつならば、マッカーサーに心からの感謝を捧げこそすれ、非難する根拠は皆無なのである。マッカーサーによる「押しつけ」がなければ、憲法改正作業は極東委員会に委ねられ、おそらく天皇制は廃止されていたであろう。
しかし、天皇制を残すことについて国際社会の了解を取り付けるためには、日本の非武装が不可欠の前提となった。この意味で憲法九条と一条は“ワンセット”として位置付けられたのである。その後、日本は再軍備の道を歩むことになったが、マッカーサー発言に鮮明に示されているように、実は憲法九条は沖縄の犠牲のうえに成り立ってきたのである。同じく、安保体制が、在日米軍基地の75%近くを、狭い沖縄に押しつけて維持されてきたことも周知のところである。
そもそも沖縄は、本土防衛の「捨て石」として4人に一人が血を流すという悲惨な沖縄戦を体験した。そればかりでなく、戦後の米軍支配のもとで、強制的な土地収用、米軍の作戦行動や演習に伴う事故、米兵による凶悪犯罪、基地公害などによって、大量の血を流すという歴史を歩んできたのである。つまり戦後体制とは、憲法体制においても安保体制においても、沖縄の犠牲のうえに成立してきた体制に他ならない。
とすれば、真の意味での戦後体制からの脱却とは、このような沖縄を犠牲にしてきた体制からの脱却でなければならないはずである。沖縄に犠牲を押し付ける枠組みを残したままでの脱却とは、実はその本質において戦後体制の継続そのものなのである。確かに米軍再編のプロセスにおいて負担の軽減が強調され、一定の基地の返還と一部海兵隊のグアムへの移転が計画されている。しかし実態は、沖縄北部への基地の集中化と恒久化である。自衛隊の肩代わりも含め、沖縄のもつ軍事基地としての機能は、将来的にも維持されることは明らかである。そもそも一つの島や地域が、60年以上にわたって過重な軍事的負担を一方的に押し付けられる事態が続くということは、世界的にも異常であり、このままいけば戦後体制は、一世紀にもおよぶ恐れさえ予測される。
憲法改正によって初めての自主憲法が制定される、と喧伝している。それでは、果たして自主憲法の誕生によって、沖縄の何が変わるというのであろうか。沖縄に外交自主権でも付与されるのであろうか。イラク戦争の総括もされずに勧められる米軍再編による、新たな恒久基地の設置を拒否する自由が認められるのであろうか。いずれは梯子を外されるであろう新たな中国封じ込め政策の軍事拠点となることを、拒否する自由が与えられるのであろうか。嘉手納に配備されたAC−3の迎撃によって、核爆発や核汚染にさらされる危険から逃れる自由が生み出されるのであろうか。そもそも、沖縄が基地のないちゅら(美しい)島となって初めて、日本は「美しい国」になり得るのではなかろうか。』
進藤榮一『分割された領土』岩波現代文庫より
『寺崎は、「沖縄の将来に関する天皇の考えを伝えるため」としてシーボルトを訪ね、次のようなメッセージを与えた。
「寺崎が述べるに天皇は、アメリカが沖縄を初め琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している。天皇の意見によるとその占領は、アメリカの利益になるし、日本を守ることになる。天皇が思うにそうした政策は、日本国民がロシアの脅威を恐れているばかりでなく、左右両翼の集団が台頭し、ロシアが事件を惹起し、それを口実に日本内政に干渉してくる事態をも恐れているがゆえに、国民の広範な承認をかちうることができるだろう。
天皇がさらに思うに、アメリカによる沖縄(と要請があり次第他の諸島峡)の軍事占領は、日本の主権を残存させた形で、長期の‐二十五年から五十年ないしそれ以上の‐リースをするというフィクションの上になされるべきである。天皇によればこの占領方式は、アメリカが琉球列島に恒久的意図を持たないことを日本国民に納得させることになるだろうし、それによって他の諸国、とくにソヴィエトと中国の権利を要求するのを差し止めることになるだろう。
そのための手続きに関し寺崎は軍事基地権の獲得が、連合国の対日講和の一部としてではなく、アメリカと日本との間の二国間条約によってなさるべきだと考えている。寺崎によれば前者の方法は、強制された講和の色彩を著しく濃くし、アメリカに対する日本国民の同情的理解を危うくする恐れがあるからである。」
戦略的信託統治方式によらず、潜在主権を残した形で沖縄を租借する方法は、当時沖縄統治にかかる出費に悩む米陸軍と国務省首脳にとって、まさに格好の代案と受け止められた。国務長官マーシャルは、この文書をシーボルトから受けたあとただちにケナンに回送・・・ケナンは沖縄に関する特別勧告書をしたためる。「政策企画部は、南琉球をアメリカが統治する原則を承認する。政策企画部はこの方式を戦略的信託統治の代案として十分検討すべきものと考える」
翌48年3月初旬、ケナン訪日と入れ違いに、国務省は再度、寺崎‐シーボルトのラインを通じアメリカがソ連の侵略と浸透から守るため、東アジアの防衛前線を確認し、新たに南朝鮮、日本、琉球、フィリピン、それに可能ならば台湾をアメリカの防衛前線として画定するよう要請したメッセージを受ける。』
そういうわけだから昭和天皇自身が9条改憲を予告しているのは理の当然である。
↓
『なお天皇は再軍備問題について第二回会見で、「もちろん国が独立した以上、その防衛を考えることは当然の債務であります。問題はいつの時点でいかなる形で実行するかと言うことになると思います。」』(豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサ会見』岩波現代文庫)
私は天皇の「問題はいつの時点でいかなる形で実行するか」に同意する。
いつの時点でいかなる形で実行すべきかを決めるのは国民である。
9条が改憲された時、自衛隊は真に国民に属する国軍でなければならない。
私は皇軍ほど悲惨な軍隊は世界史上ないと思う。
天皇制保持のための八百長戦争に赤紙一枚で召集され、
6割が餓死同然の使い捨て要員にされ、
戦争末期には、
皇室の秘密財産隠匿と引き換えに原爆投下が準備され、
敗戦秒読み段階に入っても若者たちの命は特攻に投入され、
畑陸軍元帥を使って本土防衛の第二総軍が広島に集結させられ、
頭上に原爆が投下され全滅させられ、
森近衛師団長は8・15のヤラセクーデターの汚名を被せられ惨殺され、
終戦とともに大元帥は平和天皇に早変わりして生物学の大著を出版し、
全ての元凶は軍部で、天皇は軍部の虜囚だったことにされ、
天皇がマッカーサーに会見して復員軍人の危険性を説き、
天皇のポチたちが国際検察局に戦犯候補を密告し、
マッカーサーが解任され帰国する当日には、
「東京裁判は結構であった」という謝辞を述べ、
絞首刑になったA級戦犯が靖国に合祀されると、
「参拝しない。それが朕の意志である」
という放言が富田メモとして新聞紙上を騒がせ、
「旧軍の悪いところは見習わないようにして頑張ってね」
と天皇に言われて自衛隊の幕僚たちが恐懼し、
財閥解体もなし、9条も骨抜き、朝鮮動乱で荒稼ぎ、
戦後日本の復興はすべて昭和天皇が温かく見守っていたおかげ、
ということになっている。
こういう欺瞞できたじゃないですか。
なのにいまさらのごとく、
「みんなの会」が国民投票抜きで九条改憲を目論んでいるという。
国家主権の残存が見せかけのフィクションという現況で、
それが意味するところは一つ、次なる戦争が用意されている。
すでにイラク特措法で外堀は埋められている。
田中伸尚『憲法九条の戦後史』岩波新書より
『「私は憲法改正が望ましいという考えを持っている。国益にいちばん大事なのは、日米の友好だ。日本近海で共同活動している米軍が攻撃を受けたとき、日本が何もしないことができるのか・・・」小泉首相の記者会見で示された歴史認識はすぐに現れた。01年9月11日ニューヨークの世界貿易センタービルが一瞬にして崩れ落ちる9・11が起きた。小泉政権は10月、軍事上、米軍支援のために自衛隊を出兵させる「テロ対策特別措置法」を制定した。「反テロ国際同盟」という、米軍のために自衛隊を海外派兵することを認めさせるためには、憲法の枠内だと言い張るしかない。窮した小泉首相の口から飛び出したのが「憲法前文と九条にはすき間がある」「新法と憲法のあいまいさは認める」である。全文は国際協力を謳っているのに、九条がブレーキをかけている、だからそこに「すき間」があると言いたかったようだ。むしろ何とか破ろうとするから、「すき間」という寒い言葉になったのである。「もうこれ以上ということになれば、憲法改正をもって処する以外にない」小泉政権は、従来少しずつ侵蝕してきた解釈改憲の政治手法ではなく、全く異質のおそろしく荒っぽいやり方で、戦後日本の機軸を「ぶっつぶす」構えで驀進を始めた。
テロ特措法が制定された翌年の02年4月、小泉内閣は武力攻撃事態対処法案など三つの有事関連法案を国会に提出した。「有事」とは戦時のことであり、戦後日本の生き方に合わせても、また憲法に照らしてもあるはずのない法体制であった。小泉首相は有事関連三法案を上程した第154国会の施政方針で「有事に強い国づくり」と堂々と語った。さらに1年後の04年6月には国民保護法制など関連7法案が成立し、「有事法体制」は一気に進行した。「日米同盟と国際協調を両立させるのが日本外交の基本方針」「自衛隊派遣には、おおくの国民から反対や憲法違反との意見があるのは承知している。しかし、憲法前文を読んでほしい。自衛隊にはその理念とマッチした活躍をしてもらいたい」自衛隊は創設50年にして初めて全土が戦場になっている外国領土に派兵された。』
小泉純一郎の詭弁
↓
「どこが非戦闘地域でどこが戦闘地域かと今この私に聞かれたって、わかるわけないじゃないですか」「私は率直にお答えしている。知らないものは知らないと。論語にありますよ、論語。“知らざるを知らずと為す。是れ知るなり”」
◎重大な歴史の曲がり角
斉藤貴男『ルポ改憲の潮流』岩波新書より
2004年初夏、
改憲派を代表する論客の一人でありつづける小林節慶応義塾大学教授の弁。
『自民党の「憲法改正のための論点整理」には本当にびっくりしました。国民に愛国心を持たせるとか、家庭の大切さを自覚させるとか、あの発想は憲法ではありません。天皇の「告文」に始まっていた明治“憲法”、大日本帝国“憲法”と一緒で神様による国民への説教だ。憲法とは人間の不完全性と人間の対等性を前提に、不完全な者同士の間で、放っておけば必ず堕落する権力というものにたがを嵌めるものです。これだけは譲れません』
改憲タカ派のいかなる心境の変化なのか?
『小泉政治の傲慢さと軽さに耐えられなくなりました。人間は言葉で縛られるからこそ崇高な存在たり得るのに、彼ときたら犬や猫や猿や豚と同じような世界で政治をやっているように見える。言葉を、法律というものを、徹底的に軽視している。批判されても、「オレが権力なんだ、お前らは四の五の言わずに拍手してついてくればいいんだ」という、そいう反応でしょう。いまの憲法の下でさえこうなのですから、改正された憲法を彼らがどう乗り回すのかが怖い。』
2003年7月、
「イラクにおける人道支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」
が成立していく過程で、強い違和感を覚えたのが発端だった。
『自民党の二世、三世たちというのは、一億三千万人の国民が残るなら、三千人の部隊の消耗は必要コストのうちだという、こういう感覚があるんだよ。間違って侵略戦争をする方が、侵略されて滅びるよりはいい、とかね。どこまでも自分は死なない、ゲーム感覚なんですね。わたし自身は金持ちの子でも何でもないのに、一緒になって言っていたわけだから、よくわかる。私も、しかし、年を取ってわかってきたんです。人間の命の重みをね。二十歳になった娘のことなどを考えると、自分や自分の肉親が、あの砂漠で戦車に殲滅されて、生き埋めになったり火炎放射器で焼かれたりしたら、と。一つの命は一つの歴史なんだって。大学は教授にならないと人間じゃないところ。娘が生まれた頃、幼い頃の私は、そのための条件つくりに明け暮れていて、わからなかったんですよ』
ある与党関係者が嘯く。
『すでに世論教育は済んでいる。憲法改正の何が悪い、車のモデルチェンジと一緒じゃないか、という雰囲気ができあがりました。国会も数の上で何も問題がない。後はできるだけ多くの民間団体を連れ込むシナリオです。各地のJCやロータリークラブも含めて、人脈は重なりますからね』
憲法学の泰斗の目に国会議員たちはどう映ったか。
『憲法というのは権力を縛るものなのだという発想をまったく持ち合わせていない議員が少なくない現実に、唖然としました。考え方の以前に、知識そのものもがない。憲法の本質を何もわかっていないのです。国会議員は国民に託されて権力を行使しているのだという意識がまるで感じられない。自分たちが国民を支配するのだという発想しかないように思われてなりません・・・彼らは変な自信を持ってしまっている。実際、特にここ数年、法律を作る時でも、憲法違反かどうかなど、まるで顧みられていない。要するに憲法も法律も何もわかっていない連中が、やりたい放題にやっている。そんな時代に入ってしまったということです。ナチスが台頭していく時代のドイツには、世界で最も民主的と言われた立派な憲法があったのです。ナチスはそのワイマール憲法の下で、民主的な手続きによって政権を握り、憲法を停止して、独裁体制を築いたのでした。ナチス以前の政権政党に支持されていなかったことが、ワイマール憲法がもろくも崩れていった理由のひとつです。世界大恐慌の時代でしたから、ナチスは国民の不満を巧みにすくい上げ、大衆受けするスローガンを打ち出していった。小泉首相のやり方を同じです。軍部が暴走した戦前とは違う。当時の明治憲法は、立憲主義のように見せかけていただけで、天皇がすべてだったのですから(衆参両院の憲法調査会に参考人として招かれている浦部法穂名古屋大教授)』
2003年参議院外交防衛委員会における山口順子外相の答弁。
『よく日米同盟関係という言葉を使いますけれども、これは日本が経済やあるいはその他の政治テロとの戦い、その他途上国への支援、そういったすべていろいろな分野において考え方を一にする、同じ価値観を持つ、自由とか民主主義とか市場経済とか、そういう国として世界のいろいろな課題に共に手を取り合って取り組んでいこうと、そういうことを日米同盟関係というふうに考えているわけでして、決して狭義の安全保障のことだけを考えているわけではない…やはりアメリカというのはスーパーパワーであります。そして、この考え方について多くの点で共有をしているという観点で、引き続き同盟関係を、『同盟を持っていく、維持していくということは重要なことであると思います』
2003年12月、
報復の可能性を事前に摘み取るために、
弾道ミサイルを迎撃し無力化するアメリカのミサイル防衛システムに、
日本を組み入れていく計画が閣議決定される。
翌年7月日本経団連は武器輸出三原則の緩和を求める意向を示唆。
12月政府はミサイル防衛システムに関連した日米共同開発および生産について、
三原則の対象外とすることを決定。
『私は無節操ぶりが恥ずかしい。米国は軍産複合体国家であり、軍にむすびついた石油、航空機、情報通信、自動車などの産業が政治と経済の中枢を占めている・・・その軍需産業と頻繁に交流している企業や、米国を巨大史上としている大企業のトップは、米国と利害が一致している。彼らの改憲は、自分たちの商売に利するのが目的だ(品川正治元経済同友会副代表幹事)』
◎PMC(Private Military Company 民間軍事会社)
『2005年5月、千葉県出身の本陸上自衛隊員・斉藤昭彦さん(当時44歳)がイラクの武装グループに殺害された際、彼がキプロスに本社を置く英国系のそれに所属していたという報道で、日本でも一気に知れわたった存在だ。補給や遺体の洗浄、コンサルテイングから実際の戦闘行為や指揮に至るまでを業務とする“第二の軍隊”PMCなくして、いまや英米の戦争はあり得ない。彼らと「同じ価値観を共有する」日本も、そうした世界に着々と馴染みつつあるようだ。2006年3月5日付で配信された共同通信電によると、防衛庁は5月末までに完了する予定の自衛隊のイラクからの撤退作業のうち、南部サマワの宿営地解体をアメリカのケロッグ・ブラウン・アンドルート社に委託する方向で検討しているという。実現すれば、自衛隊が海外でPMCを活用する最初のケースになる。イラク復興で巨額の受注を受けたとされ、戦争を利権に委ねた疑いがもたれている企業グループである。』
桜井春彦氏によると、
1960年代までギリシアはイギリスの植民地。
50年代からアメリカの重要な空軍基地になる。
キプロスは通信傍受基地としてもなくてはならない存在。
53年イラクの民族主義を倒したクーデターで利用される。
56年第二次中東戦争でも軍事侵攻の拠点として利用される。
58年アメリカ軍のレバノン侵攻、イギリス軍のヨルダン侵攻にも利用され、
同年イラクの王政が打倒される。
67年4月ギリシアで軍事クーデターが勃発する。
ギリシアのクーデターの黒幕はご存知ヘンリー・キッシンジャー。
ニクソン政権の国家安全保障問題担当の大統領補佐官にして、
秘密工作部隊「40人委員会」の委員長。
72年にウオーターゲート事件でニクソン大統領が機能停止し、
73年に国務長官就任するや、
秘密工作の分野でキッシンジャーを制御できる者は皆無になる。
すでに50年代からフォード財団、ロックフェラー財団の資金提供で、
ハーバード国際セミナーの責任者となっている。
●53年に中曽根康弘がこのサマーセミナーに参加、
帰国して吉田茂政権下で原発導入予算を通過させている。
55年CFRの核兵器・外交政策研究グループの責任者に就任。
61年から国家安全保障会議NSCに所属。
69年初頭、ニクソン政権スタート。
大統領特別補佐官という立場から
「日本もイスラエル同様、核兵器を持った方が良い」と発言。
同年3月18日カンボジアに大規模な秘密爆撃(戦争状態にない国を先制攻撃)。
6年間続いた空爆で農民、女性、子供を含む60万人(総人口の一割)が殺害される。
シアヌークが失脚しポル・ポトが政権を握る。
これと同時進行でチリにも軍事クーデターを起こす。
作戦『トラックU』を始動させる。
CIAがメデイアを使ってチリ大統領候補アジェンダを攻撃。
新聞、ラジオ、映画、パンフ、リーフレット、ポスター、郵便物etc.
ウオール・ストリートと世界銀行がチリへの融資をストップして兵糧攻めする。
●73年9月11日(日付に注目)
オーグスト・ピノチェト将軍によるクーデター勃発。
アジェンダ首相暗殺、組合員を拷問殺害。
フリードマンの弟子たちシカゴボーイズが、
自由市場原理を導入し国民生活を破壊する。
チリ情報局DINAは亡命者を自由に連れ戻して処刑。
チリ情報局主導でアルゼンチン、ボリビア、パラグアイ、ウルグアイが協力して、
ターゲットを追跡して暗殺する『コンドル作戦』始動。
90年ピノチェト体制の終焉。
98年療養先のロンドンでスペインの判事にピノチェトが逮捕される。
(チリのスペイン人大量殺人の容疑による)
このときマーガレット・サッチャーがピノチェトを擁護。
息子マークはチリを介してイラクと軍需関連のビジネスを行っている。
マークは核弾頭を発射できる「スーパーガン」を開発したジェラルド・ブルを、
南アフリカ軍情報局に紹介して同国の兵器会社ARMSCOにコネを作る。
一方イラクのフセイン・カミルがブルと契約を結んで、
『バビロン・プロジェクト』が始動する。
2000年イギリス政府は「進行性脳障害」を理由にピノチェトを釈放。
サッチャーと並び称されるロナルド・レーガンも、
イラン・コントラ武器密輸事件でアルツハイマー病を理由に追及を逃れている。
以上、桜井春彦『テロの帝国アメリカは二十一世紀に耐えられない』三一書房より。
サッチャーの『祖国愛』と『家族愛』をテーマにした映画で、
メリル・ストリープがオスカーを受賞。
彼女のデヴュー作は『ホロコースト』という連続TVドラマ。
新人ながらエミー賞を受賞している。
彼女が演じた『プラダを着た悪魔』の鬼編集長は、
独特のアイロニーにあふれている。
Rコンプレックス戦略の演技派である。
話は9条に戻る。
井上和彦はしきりに核武装を勧めている。
日本のシーレーンを死守するためである。
↓
『いずれにせよ、台湾が中国の軍事侵攻を受けて
占領されれば、日本経済は中国の影響下に
置かれたも同然となる。
日本の動脈ともいえるシーレーンが
この台湾周辺海域を通過しているからだ』
井上和彦は9条の素性が分からない。
当然の帰結としてシーレーン構想の依って来たるところも分からない。
鬼塚英昭『二十世紀のファウスト』成甲書房より
『昭和天皇の「シーレーン」構想
一九四七年八月、日本にやってきたカウフマンは、財閥解体計画に関する極東委員会の「FEC230」なる極秘文書のコピーを入手した。・・・マッカーサーがこの文書を忠実に実行すべく行動していたからである。・・・日本企業の七五%を実質的に支配していた六十七の株式会社を解体し、競争的な資本主義を創出し、軍国主義者が政権を乗っ取るのを防止し、中産階級を成長させるという内容のものだった。
三者会談(ケネス・ロイヤル陸軍長官、ジェームズ・フォレスタル海軍長官、アヴェレル・ハリマン商務長官)でハリマンは「米ソの対立が激しくなっていく今、日本を再軍備し、対ソ基地にするためにも財閥解体を阻止しなければならない」と主張した。ロイヤルとフォレスタルはハリマンと同一意見であると表明した。ここから日本の再軍備が始まるのである。
カーン、カウフマン、パケナムを中心として、やがてジャパン・ロビーなるものが形成されていく。・・・一九四七年九月、昭和天皇の御用掛であった寺崎英成はマッカーサー司令部の外交局長ウイリアム・シーボルトを訪れ、「天皇のメッセージ」を差し出した。昭和天皇はこのメッセージの中で、「沖縄をアメリカの戦略的基地として貸与してもよい。対共産主義の防護壁とすべきである」と書いていた。シーボルト外交局長はこのメッセージをマーシャル国務長官に送った。・・・ケナン政策企画室長はマーシャルから「天皇のメッセージ」を渡された。マーシャルはケナンに言った。「ケナン、まだ君よりも天皇の方が先を読んでいるようだな」
一九四七年九月十八日の夜、羽田空軍基地でマッカーサーはジーン夫人同伴で新陸軍次官ウイリアム・H・ドレイパーを出迎えた。・・・日本の「逆コース」はドレイパーの日本政策から始まるのである。「日本とドイツは今や非軍国化され、非ナチ化された。両国は今や国際社会で自尊心と自立心を持つ一員となった。それゆえ、しかるべき復興を許されるべきである。
ドレイパーの日本訪問の目的の半分はデイロン・リード社の利益のためであった。・・・ハリマン・コネクションの一人である。・・・マッカーサーはこのドレイパーのマジックにかかり、財閥の解体を骨抜きにされ、日本の再軍備を進めるようになるのである。一九四七年の暮れまでに日本の財閥解体を防ぎ、日本を軍事国家として世界に再登場させ、近未来にやってくる共産主義国との戦争の砦とするアメリカの方針が出来上がった。
一九四八年一月、またドレイパーが日本にやってきた。直接の目的は日本経済を急ピッチで再建し、来たるべき限定戦争の基地とするためであった。ハリマンとアチソンが進める「次なる戦争」のためである。ドレイパーは敗戦国の日本が支払うことになっていた賠償を撤廃することに成功する。デイロン・リード社には日本向けの債権があった。ドレイパーはこの債権をアメリカ国家に片づけてもらった。
デイロン・リード社は国際ユダヤ資本が作った会社の一つである。そして財閥解体を免れた日本の大企業と密かに大口契約を結んだ。来たるべき朝鮮戦争で、日本企業に厖大な仕事がいくことをドレイパーは知っていた。そのための秘密契約だった。・・・解体されるべき企業は三百二十五社から九社にまで減らされた。マッカーサーは敗北した。・・・ドレイパーはマジシャンだった。日本はこの戦争に役だった功績が認められ国家賠償を最小限にしてもらい、高度経済成長へと突っ走るのである。
一九四八年二月末、天皇の御用掛の寺崎英成が再びシーボルト外交局長を訪ねた。シーボルトは「覚書」をマーシャル国務長官に送った。「寺崎氏は、同氏の考える現実的な政策とは、南朝鮮、日本、琉球(沖縄)、フィリピン、可能ならば台湾を米国の最前線地域として選ぶというものであろうと述べました。同氏は米国の安全保障の境界線が右記の地域を最前線として明確に設定されるならば、東洋における米国の対場が鉄壁のものになるであろうと考えていました。
寺崎氏は可能性として考えられるソ連の侵略、ないし侵攻に備え、米国が中国本土を除くこれらの地域の保全のために鋭意努力する様を心に描いているのであり、中国は自らを救う策を案出する同国の才覚として任せるべきであるとの考えでした。右の見解は寺崎氏の個人的見解を示しているにとどまらず、天皇を含む多くの有力な後続との議論に基づくものと考える理由があります。」・・・寺崎は在アメリカの外交官だったときも、二重スパイとしてアメリカの秘密機関と通じていた。
ケナンが昭和天皇のシュミレーションを読んで驚いたのは無理もない。ケナンらの構想と昭和天皇の構想がほぼ一致していたのである。昭和天皇は、中国が共産党の手に落ちるであろうこと、その中国を中心にしてソ連が朝鮮半島で戦争を仕掛けるであろうことを予言していた。昭和天皇はマッカーサーの支配から脱出しようとしていた。そのためにハリマンの力に頼ろうとした、と私は思うのである。』
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(昭和天皇が山形有朋の支配から脱出しようとして、頭山満の力に頼ろうとしたのと同じ手法)
井上和彦がいう日本のシーレーンの動脈とは、『米国の安全保障の境界線が右記の地域を最前線として明確に設定されるならば、東洋における米国の対場が鉄壁のものになるであろう』という昭和天皇の負の遺産を指す。井上和彦はここを死守するために核武装しろという。それが国防のために使われるという保証はどこにもない。日米共同演習ではとっくのとんまに核がバンバン使われている。これを実地にやれという話になる。いったいどこで?誰の命令で?日本の制空権はいまだに米軍の管制に従っていると、井上和彦自身が書いている。(2009年)
『一都八県(東京都、栃木県、群馬県、埼玉県、神奈川県、新潟県、山梨県、長野県、静岡県)にまたがる広大な空域は、米軍の航空管制空域となっている。したがってこの空域を飛行する民間機を含むすべての航空機は米軍の管制を受ける。』
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