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冒頭、私事ですみませんが、前回ペリさんと呼びかけられ、島唄様がkaegeon様と私を、ゴンさん、ペリさんと語りかけていた、なつかしい当時を思い出しました。
kanegon様はお元気でしょうか。
さて前回なわふみひと氏『2012年の黙示録』、中矢伸一氏『日月神示 完全ガイド&ナビゲーション』を元に、日月神示が黙示録と同類項の終末思想であると結論しました。これは誤りです。お詫びして撤回します。
日月神示の原典を読むと、その最初の啓示は八百長戦争と天皇崇拝を強要するプロパガンダであることが分かります。中矢伸一氏は『完全ガイド&ナビゲーション』を謳いながら、これをスッポリ脱落させています。
昭和19年6月10日千葉県印旛郡公津村台方(現・成田市台方)麻賀多(まがた)神社の境内で、岡本天明が突如『自動書記』で綴ったのが原初の日月神示です。岡本天明は以後も断続的に啓示を受け、昭和38年に没する直前まで神示を書いています。俗に処女作には作家の全てがあるといわれていますが、岡本天明が書いた日月神示にも同様のことがいえます。
日月神示が最初に書かれた昭和19年6月7月は、まさに第二次世界大戦の趨勢が本決まり、日本が空前絶後の危機に突入せんとする時期にあります。日本の絶対国防圏として死守すべきサイパンが陥落、本土空襲が視野に入れられた絶体絶命の状況です。将棋でいえば投了、敗けが決定した状態です。こういう状況の中で降ろされたのが岡本天明による日月神示です。本来その特殊な時代背景を抜きにして、日月神示の成立事情を語ることは無意味です。
山田朗著『昭和天皇の軍事思想と戦略』校倉書房によると、昭和19年の戦況の推移は以下の通りです。
○2月18日トラック島が米機動部隊により大空襲を受けて壊滅
○2月19日ブラウン環礁に米軍上陸
○5月20日21日南鳥島に米艦上機による空爆
○5月下旬東条退陣の動き
◎6月15日サイパンにスプルーアンス率いる米機動部隊上陸
◎同日午前7時17分「あ号」決戦発動
◎6月19日20日マリアナ沖海戦における大敗北
◎7月7日サイパン陥落
○東条退陣
○8月2日テニアン喪失
山田朗氏の前掲書より
『マリアナ沖海戦につぐ七月七日のサイパン陥落、八月二日のテニアン喪失により、天皇も恐れたように米軍はB29による日本本土爆撃のための航空基地を確保した。もはやこの段階で、太平洋戦争における日本の敗北は動かしがたいものとなったのである。
アメリカ軍にとってもマリアナ諸島の占領は対日戦の最終的勝利が近いことを確信させるものであった。海軍作戦部長アーネスト=キング大将もサイパン確保により、「日本の勝利の望みをなくしたものであることがほとんど即時に認識された」としている。マリアナ沖海戦は、太平洋戦争の天王山であったといえる。
日本の軍人でもこの時点で、敗戦を必須のものと悟った人物はかなりいる。六月三十日、米内光政は、高木惣吉に、「確かなことは知らぬが戦争は敗けだ。確実に敗けだ。誰がどう出てもどうにもならぬ。年寄りは昼寝でもする外はあるまい。」と語っている。また、参謀本部内に終戦方法を検討するグループが出現したのもこの頃である。
一九四四年(昭和十九年)六月・七月を境にして世界大戦はいよいよ最終段階に入った。ヨーロッパでは連合軍が六月六日にノルマンデイ―に上陸、ソ連も進撃のペースを速め、ドイツを挟み撃ちにする態勢を強めつつあった。日本の戦争遂行の大前提であったドイツの勝利はもはや望めなくなった。日本は戦争遂行について再検討すべき重大な岐路に立たされたのである。』
しかし天皇も統帥部も戦争終結には踏み出しません。八百長のシナリオでは原爆投下まで降伏しないことになっています。こういう時期に岡本天明に降ろされたのが『神一厘の仕組み』の啓示です。いかに泥沼化した戦争を継続させるか、いかに無残な敗戦の後も天皇制を存続させるか、それを至上目的とする『仕組み』のことです。
曰く、日本はエド(東京及び大都市の意)が火の海になり、元の土にもどって、ススキが生えるような壊滅状態になる。しかし最後の最期になってドンでん返しが起きて、日本のてんし様(天皇)が世界を治めるようになる。だから臣民(天皇制用語)は一にも二にも三にも神様、てんし様にひたすら忠義を尽くさなければいけない。
つまり日本が焦土となることを大前提に、どん詰まりに天皇が世界を統治するのだから、それまで臣民は戦争を続行するのが義務である、この『神一厘の仕組み』を分かってくれよ、この神そう申しておろうが、と搔き口説いています。
日月神示の原典より抜粋します。
昭和十九年六月十日〜七月九日
『神力が九分九厘まで負けた様になったときに、まことの神力だして、ぐれんと引繰り返して、神の世にして、日本のてんし様が世界まるめてしろしめす世と致して、天地神神様にお目にかけるぞ。てんし様の光が世界の隅々まで行きわたる仕組みが三四五(みよいづ)の仕組ぞ。岩戸開きぞ。』
♪日本のてんし様が世界を統治するという誇大妄想は、当時偽造された怪文書・田中メモリアルと酷似する思想です。
『神の国の臣民は神の申す様にして、天地を掃除しててんし様に奉らなならん御役ぞ。
今度の戦で何もかも埒ついて仕まふ様に思うてゐるが、それが大きな取違いぞ。なかなかそんなチョロッコイことではないぞ、今度の戦で埒つく位なら、臣民でも致すぞ。今に戦も出来ない、動くことも引くことも、進むことも何うすることも出来んことになりて、臣民は神がこの世にないものといふ様になるぞ、それからが、いよいよ正念場ぞ、まことの神の民と獣とをハッキリするのはそれからぞ。戦出来る間はまだ神の申すこときかんぞ、戦出来ぬ様になりて、始(ママ)めて分かるのぞ、神の申すこと、ちっとも違はんぞ、間違ひのことなら、こんなにくどうは申さんぞ。
臣民はすぐにも戦すみてよき世が来る様に思うてゐるが、なかなかそうはならんぞ、臣民に神うつりてせねばならんのざから、まことの世の元からの臣民幾人もないぞ・・・戦すんでもすぐによき世とはならんぞ、それからが大切ぞ、胸突き八丁はそれからぞ、富士に登るのにも、雲の上からが苦しいであろがな、戦は雲のかかってゐるところぞ、頂上までの正味のところはそれからぞ、一、二、三年が正念場ぞ。三四五(みよいづ)の仕組み(注 日本のてんし様の光が世界の隅々まで照らす仕組み)と申してあろがな。
それには今のような臣民のやり方ではならんぞ、今のやり方ではてんし様に罪ばかりお着せしてゐるのざから、この位不忠なことないぞ、それでもてんし様はおゆるしになり、位までつけて下さるのざぞ、このことよく改心して、一時も早く忠義の臣民となりて呉れよ。
一にも神、二にも神、三にも神、一にも天詞(てんし)様、二にも天詞様、三にも天詞様ぞ。この道ついらいやうなれそ貫きて呉れよ、だんだんとよくなりて、こんな結構なお道かと申すようにしてあるのざから、何もかもお国に献げて自分の仕事を五倍も十倍も精出して呉れよ。
神の臣民は世界一つに丸めててんし様に献げる御役ぞ。
日本の臣民みな取次ぎぞ、役員ぞ。この方は世界中丸めて大神様にお目にかけるお役、神の臣民は世界一つに丸めててんし様に献げる御役ぞ。この方とこの方の神々と、神の臣民一つとなりて世界丸める御役ぞ。』
♪負け戦を鼓舞し、臣民に責任転嫁をし、来たる敗戦を見越した上で、くどくどお説教を垂れています。
昭和十九年八月十日〜三十日
『メリカもギリスは更なり、ドイツもイタリもオロシヤも外国はみな一つになりて神の国に攻め寄せて来るから、その覚悟で用意しておけよ。神界ではその戦の最中ぞ。学と神力の戦と申しておろがな、どこから何んなこと出来るか、臣民には分かるまいがな、一寸先きも見えぬほど曇りて居りて、それで神の臣民と思うてゐるのか、畜生にも劣りてゐるぞ。まだまだわるくなって来るから、まだまだ落ち沈まねば本当の改心出来ん臣民沢山あるぞ。』
♪理性で考えるな、盲信しろ、畜生にも劣る、本当の改心しろ、と臣民に罵詈雑言を吐いてます。口の悪い神さまです。
『一二三(ひふみ)の仕組が済みたら三四五(みよいづ 天皇の世界統治)の仕組ぞと申してありたが、世の本の仕組は三四五の仕組から五六七(みろく)の仕組となるのぞ、五六七の仕組とは弥勒の仕組のことぞ。今度お役決まりたらそのままいつまでも続くのざから、臣民よくよくこの神示(ふで)よみておいて呉れよ。』
♪三四五の仕組とは、ドン底におちた最後の最期にぐれんとひっくり返って岩戸が開き、日本のてんし様が世界を統治する仕組みのことです。その仕組みのまま弥勒の仕組にスライドして、臣民も永代にわたってお役が定まる、だから現在の困窮に堪えよ、不足を言うなということです。
『喰うものがないと申して臣民不足申してゐるが、まだまだ少なくなりて、一時は喰ふ物飲む物もなくなるのざぞ、何事も行であるから喜んで行をして下されよ。今度の今日は世界の臣民みな二度とない行であるから、厳しいのぞ、この行出来る人と、よう我慢出来ない人とあるぞ、この行出来ねば灰にするより外ないのぞ、今度の御用に使う臣民ははげしき行さして神うつるのぞ。』
♪この困窮を喜んで堪えろ、そうでない臣民は灰にするほかないという脅迫です。
『この世は人間にまかしてゐるのざから、人間の心次第ぞ、しかし今の臣民のような腐った臣民ではないぞ、いつも神かかりてゐる臣民ぞ、腹の底にシックリと神鎮ってゐる臣民ぞ、それが人間の誠の姿ぞ。いよいよ地獄の三段目に入るから、その覚悟でゐて呉れよ、地獄の三段目に入ることの表は一番の天国に通ずることぞ』
♪岡本天明のようにいつも神懸かりでいることが、誠の人間の姿なのだそうです。
『いよいよ戦烈しくなりて喰ふものもなく何もなくなり、住むこともなくなりたら行くところなくなるぞ。神の国からのぞかれた臣民と神の臣民と何(ど)ちらがえらいか、その時になりたらハッキリするぞ、その時になりて何うしたらよいかと申すことは神の臣民ならだれでも神が教えて手引張ってやるから、今から心配せずに神の御用なされよ、神がスッカリと助けてやるから、神の申すようにして、今は戦して居りて呉れよ。てんし様心配なさらぬ様にするのが臣民のつとめぞ。神の臣民ことに気をつけよ、江戸に攻め来たぞ。
何もかもてんし様のものではないか、それなのにこれは自分の家ぞ、これは自分の土地ぞともうして自分勝手にしているのが神の気に入らんぞ。』
♪日月神示の神さまは有言不実のお方です。スッカリ助ける力なんてなかったじゃないですか。本土空襲が始まったら、臣民が気に掛けるべきは一にも二にも三にもてんし様。臣民はてんし様のために存在している。何もかもてんし様のもの。食い物の不足や住居の心配などもっての外。命さえ赤紙一枚でてんし様のものです。
『神世のひみつと知らしてあるが、いよいよとなりたら地震かみなりばかりでないぞ、臣民アフンとして、これ何した事ぞと、口あいたまま何うすることも出来んことになるのぞ、四ツン這ひになりて着る物なく、獣となりて、這ひ廻る人と、空飛ぶような人と、二つにハッキリ分かりて来るぞ、獣は獣の性来いよいよ出すのぞ、火と水の災難が何んなに恐ろしいか、今度は大なり小なり知らさなならんことになりたぞ。一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、人一人も生きては居れんのざぞ、それが済んでから、身魂みがけた臣民ばかり、神が拾ひ上げて弥勒の臣民とするのぞ、どこへ逃げても逃げ場所ないと申してあろがな、高いところから水流れるように時に従いて居れよ、いざといふときには神が知らして一時は天界へ釣り上げる臣民もあるのざぞ。人間の戦や獣の喧嘩位では何も出来んぞ、くどう気附けておくぞ、何よりも改心が第一ぞ。』
♪なわふみひと氏がラプチャーと形容したところのものです。しかしこれは2012年の黙示録の世界を描いたものではなく、太平洋戦争末期に予想されていた本土玉砕を示唆したものです。つまり最後の審判の空中携挙ではなく、一億玉砕を免れてわずかに生き残る特権階級がいることを指しています。
吉田茂、樺山愛輔、原田熊雄たちヨハンセングループが疎開した大磯は、米軍の空爆目標リストから外してもらっています。鶴川村の山奥に疎開した白洲次郎には赤紙が来ました。臣民は赤紙が来ると役場に出頭し、指定された日時・場所で兵役に就かねばなりません。これは絶対の規則です。しかし特権階級に属し、てんし様と気脈を通じる吉田茂と組んでいる白洲次郎は、吉田茂のコネクションを使って赤紙をチャラにしてもらっています。
白洲次郎はロンドン、ニューヨークを股にかける諜報員、八百長のシナリオを知悉するヨハンセングループの主要メンバーです。彼は早くも1943年5月に家族を連れて鶴川村に疎開します。山本五十六が暗殺されたこの時期を境に、戦争を長期化するシナリオに切り替わったからです。白洲次郎は武相荘と名付けた自宅の地下室に巨大な無線基地を作り、ヨハンセングループの窓口としてOSSのジミー・ウオーバーグと連絡を取り合います。臣民をジェノサイドする原爆投下の手筈は、ここを窓口にしてやり取りされます。
戦後占領期になると、吉田茂と白洲次郎のコンビが台頭します。吉田茂と白洲次郎は二人だけの私的外務省を作って、優良な日本企業をどんどん外国に売りとばします。そのやり口をヘビのように狡猾な男と称された白洲次郎は、プロパガンダ本やNHKの特番よって「占領を背負った男」「日本一かっこいい風の男」として一世を風靡するようになります。
もとよりてんし様のいる皇居も安泰です。唯一大宮様の住まいが炎上したのは、内部の者による付け火だという情報があります。八百長戦争をやめようとしないてんし様の態度に大宮様が怒り心頭に発して抗議していたので、そのうるさいお説教をやめろという恫喝の意味を込めて放火させたということです。
『一握りの米に泣くことあると知らしてあろがな、米ばかりでないぞ、何もかも臣民なくなるところまで行かねばならんのぞ、臣民ばかりでないぞ、神々様さえ今度は無くなる方あるぞ。臣民と云ふものは目の先ばかりより見えんから、呑気なものであるが、いざとなりての改心は間に合はんから、くどう気つけてあるのぞ。日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、神にすがりて神の申す通りするより外には道はないぞ
神の申すこと何でも素直にきくようになれば、神は何でも知らしてやるのぞ。配給のことでも統制のことも、わけなく出来るのぞ。』
♪物資不足をネタに臣民に脅しをかけ、身魂をみがけ改心せよと迫っています。神々も困窮する事態が出来するといっていますがウソですね。神々はいつも腹いっぱい御馳走を食べていると思います。
『今の臣民、学に囚へられて居ると、まだまだ苦しい事出来るぞ、理屈ではますます分からんようになるぞ、早う神まつれよ、上も下も、上下揃えてまつりて呉れよ、てんし様を拝めよ、てんし様にまつはれよ、その心が大和魂ぞ、臣民の心も神の御心と同じことになって来るぞ、世界中一度に唸る時が近づいて来たぞよ。』
♪次はすごいです。まさに謡曲です(爆笑
↓
『富士を目ざして攻め寄する、大船小船あめの船、赤鬼青鬼黒鬼や、おろち悪狐を先陣に、寄せ来る敵は空蔽ひ、海を埋めて忽ちに、天日暗くなりにけり、折しもあれや日の国に、一つのひかり現れぬ、これこそ救いの大神と、救ひ求むる人々の、目にうつれるは何事ぞ、攻め来る敵の大将の、大き光と呼応して、一度にドッと雨ふらす、火の雨何んぞたまるべき、まことの神はなきものか、これはたまらぬ兎も角も、生命あっての物種と、兜を脱がんとするものの、次から次にあらわれぬ、折しもあれや時ならぬ、大風起こり雨来たり、大海原には竜巻や、やがて火の雨地震ひ、山は火を吹きどよめきて、さしもの敵も悉く、この世の外にと失せにけり、風やみ雨も収まりて、山川静まり国土の、ところとろに白衣の、神のいぶきに蘇る、御民の顔の白き色、岩戸ひらけぬしみじみと、大空仰ぎ神を拝み、地に跪き御民らの目にすがすがし富士の山、富士は晴れたり日本晴れ、普字(ふじ)は晴れたり岩戸あけたり。』
♪元寇の神風の焼き直しみたいですね。日月神示にはこういうノリノリの七五調がたまに出てきます。岡本天明がハイになっている時の『自動書記』かもしれません。
『すべてをてんし様に献げよと申すこと、日本の臣民ばかりでないぞ、世界中の臣民みなてんし様に捧げなならんのざぞ。
江戸と申すのは東京ばかりではないぞ、今の様な都会みなエドであるぞ、江戸は何うしても火の海ぞ。それより外やり方なりと神々申して居られるぞよ。秋ふけて草木枯れても根は残るなれど、臣民かれて根の残らぬようなことになりても知らんぞよ。』
♪臣民を虫けらのように取り扱ったり草木に喩えたりする傾向は、天皇制用語『民草』や昭和天皇独白録『国民のタネを残すべく終戦を決意した』という激白にも表れています。何もかもてんし様のもの、臣民が食べ物がないくらいで文句をいううな、土地家屋を所有しているもの気に入らん。てんし様のために八百長戦争戦を強いられた臣民の大半が、戦病死と言う名の餓死をさせられたのも当然の帰結です。
藤原章著『餓死させられた英霊たち』青木書店より、臣民が餓死させられていった実態を抜粋します。
『第二次世界大戦において、日本の戦没者数は三一〇万人、その中で軍人軍属の死者数は二三○万人とされている。この戦争で特徴的なことは、日本軍の戦没者の大半が戦闘行為による死者、いわゆる名誉の戦死ではなく、餓死であったという事実である。「靖国の英霊』の実態は、華々しい戦闘の中での名誉の戦死ではなく、飢餓地獄の中での野垂れ死にだったのである。
完全飢餓によって起こされる餓死だけでなく、不完全飢餓による栄養失調のために体力を消耗して病気にたいする抵抗力をなくし、マラリア、アメーバ赤痢、デング熱その他による多数の病死者を出した。この栄養失調に基づく病死も、広い意味で餓死といえる。
そしてこの戦病死者の数が、戦死者や戦傷死者の数を上回っているのである。戦死よりも戦病死の方が多い。それが一局面の特殊な状況でなく、戦場の全体にわたって発生したのが、この戦争の特徴であり、そこに何よりも日本軍の特質を見ることができる。
悲惨な死を強いられた若者たちの無念さを思い、大量餓死をもたらした日本軍の責任と特質を明らかにして、そのことを歴史に残したい。大量餓死は人為的なもので、その責任は明瞭である。そのことを死者に代わって告発したい。それが本書の目的である。
明治維新後の日本を欧米の近代国家と比べると、国民の人権の尊重という点では比較にならない大きな差があった。大日本帝国憲法では国民ではなく「臣民」であり、その「臣民」の権利はことごとく「法律ニ定メル範囲」という制限付きであった。まして人権の尊重などという思想はまったくみることができない。
日常の社会の中にも、人身売買や公娼が存在していたことに表れているように、人権蹂躙が公然と行われていたのである。一般社会で人権感覚が乏しかったくらいだから、強制と服従を建て前としていた軍隊内部では、兵士の人権はまったく無視されていた。
兵士の人権無視は、一八七一年制定の海陸軍刑律にも表れている。これは天皇制の軍隊がはじめて制定した刑律で、後の陸軍刑法、海軍刑法につながるものであるが、その内容はきわめて封建的である。
兵士の人権無視は、戦争の場合にもっともよく表れている。日清戦争における日本軍の人的損害は、戦死、戦傷死合わせてわずか一四一七名にすぎなかったのに、戦病死者は一万一八九四名上がったのを特徴としている。戦死者の実に八・四倍の病死者を出しているのである。
日清戦争が戦陣衛生の配慮を欠いて、悪疫瘴癘(あくえきしょうれい)に多数の兵士を倒し、その犠牲の上に辛うじて勝利を得たのにたいし、日露戦争は文字通り兵士を肉弾とし、その生命で勝利を贖(あがな)ったのであった。火力が陸上線の勝敗を分ける段階に入ったのに、日本軍は逆に白兵こそが勝敗を分ける手段なのだとした。そして白兵突撃を成功させるためには、精神的要素を何より必要とし、精神力を強調した。そのためには、生命を軽んじ、天皇のために死ぬことこそ日本男児の使命だとする考えを、公共教育の中で徹底させた。いわば死ぬことが日本人の美学であり、天皇に生命を捧げることが最高の美学だとしたのである。
その後、ソロモン群島やニューギニアの戦闘も、ビルマやフィリピンも、壮大な生命の濫費をつづけるだけの戦闘となった。兵士の人権と生命を軽視したことの結果といえよう。もっといえば、兵士の人権に配慮しない日本軍の体質が、大量餓死をもたらしたのである。
軍人の戦没者二三〇万人のうち、戦死、病死などの死因別はどうなっているかについては、公式の統計はまったくない。陸上自衛隊衛生学校が編纂した「大東亜戦争陸軍衛生史」は、公刊の衛生史に当たるといえるものだが、その中では次のようにいっている。「今次大東亜戦争においては、敗戦により、特に統計資料はいっさい焼却又は破棄せられ、まとまったものは皆無の状況である。従って全戦争を通じ、戦傷戦病はどの位あったか等ということは、全く推定するよしもないのである。」
「推定するよしもない」としているこの衛生史は、戦死と戦病死の割合については、ごく初期の対南方侵攻作戦のものをあげるだけで、その後の状況については沈黙している。とくに後半期の南方の餓死者続出の惨状や、中国における戦争栄養失調症の多発などについては、まったく触れるところがないのである。戦争の衛生史としては、もっとも重大な問題を欠落させているというほかない。
今までに各地域別に推計した病死者、戦地栄養失調症による広い意味での餓死者は、合計で一二七万六二四〇名に達し、全体の戦没者二一二万一〇〇〇名の六〇%強という割合にある。これを戦没軍人軍属二三〇万という総数にたいして換算すると、そのうちの一四〇万前後が戦病死者、すなわちそのほとんどが餓死者ということになる。
日本軍戦没者の過半数が餓死だったという事実に、私はあらためて驚きを感ぜざるを得ない。しかもそれはある戦場の特別な事例なのではなく、全戦場にわたって起こっていたのである。補給の不足または途絶による戦争栄養失調症が常態化し、それによる体力の低下から抵抗力を失って、マラリア、赤痢、脚気などによる病死、つまり広い意味での飢えによる死、餓死を大量発生させたのである。
餓死者の大量発生が特別な場合なのでなく、日本軍の戦場ではどこでも起こっていたのはなぜか。それは日露戦争以後の日本軍が、積極果敢な攻勢至上主義をとり、このための先制主導の戦略戦術が至上とされ、作戦担当者はこの積極主義者によって占められた。しかも彼らは独善と専断を育てるエリート教育を受けていた。彼らは作戦目的が至上で、兵站や補給、給養や衛生はすべて作戦に奉仕すべきだとしていたのである。
他国の軍隊に比べて、日本軍では戦闘の主役として、陸軍では歩兵、海軍では戦艦が尊重され、それに対して兵站や輸送、補給や衛生に関する部門は差別されていた。そのことも餓死とは無縁ではないといえる。こうした日本軍の特質をもっともよく示しているのが、捕虜の否定と降伏の禁止である。日中戦争やノモンハン事件で捕虜の禁止は定着し、捕虜帰還者は軍法会議で重刑を受けることになった。この捕虜を認めず降伏を許さない日本軍の建て前が、どんな状況の下でも通用したことが、大量餓死や玉砕の悲劇を生み出したのである。
この戦争の日本軍の場合、孤立しあるいはとり残されて、全体の戦況に何の寄与することもなくなり、ただ自滅を待つだけとなった部隊でも、降伏が認められない以上、餓死か玉砕以外に選ぶ道はないという場面が多かった。もし降伏が認められていれば、実に多くの生命が救われたのである。』
♪この思想を極限まで突き詰めたのが特攻だと思います。特攻隊員たちの遺書を見ると、ほとんどの歌に「醜(しこ)の御楯」(自らを「醜」と貶めることで天皇を崇めている)が枕詞のように使われ、死を目前に控えた若者たちの白鳥の歌だというのに異様なほどワンパターンです。
臣民を大量餓死させ、遺詠にさえ建前を強制する天皇制を擁護し、ひたすら忠義を尽くせ、食い物がないくらいで不服を言うな、この行が出来なければ灰にするぞ、世界中の臣民の二度とない行なのだから、神懸かれる体質になって身魂をみがけよ、そうしたら戦争に勝てるのだ、というのが日月神示の神の啓示です。こういうアホらしいたわ言は、この神の本来の身上を物語って余すところがありません。
日本の宗教史上、最大最悪の弾圧といわれた大本教の第二回目の弾圧はヤラセで、一番肝心の出口王仁三郎はまんまと災厄から逃れていたという話を前回しました。その出口王仁三郎の寵児でありゴーストライターを務めていたのが岡本天明です。類にもれず、岡本天明も摘発を逃れています。私は二人とも体制派のインサイダーだと思います。
日月神示に戻ります。
昭和十九年八月三十一日〜九月十四日
『今度の戦済みたらてんし様が世界中知ろしめして、外国に王はなくなるのざぞ。一旦戦おさまりても、あとのゴタゴタなかなか静まらんぞ、神の臣民ふんどし締めて神の申すことよく腹に入れて置いて呉れよ、ゴタゴタ起りたとき、何うしたらよいかと云ふことも、この神示よく読んで置けば分かるようにしてあるのざぞ。』
♪今度の戦が済んだら、「沖縄に主権を残すというフィクションのもとに半永久的に占領してくれ」とてんし様が自ら提案して、外国の王を欣喜雀躍させました。以来、日本には外国の軍隊が常駐するゴタゴタが続いています。
『今に臣民何も言へなくなるのざぞ、神烈しくなるのざぞ、目あけて居れんことになるのざぞ。四つん這いになりて這ひ廻らなならんことになるのざぞ、のたうち廻らなならんことになるのざぞ、のたうち廻わなならんのざぞ、土にもぐらなならんのざぞ、水くぐらなならんのざぞ、臣民可哀さうなれど、かうせねば鍛へられんのざぞ、この世始まってから二度とない苦労ざが、我慢してやり通して呉れよ。』
♪まさに山ゆかば草むす屍、海ゆかば水漬く屍の歌そのものです。イシヤが画策した明治維新という名のクーデターによって軍事独裁傀儡政権が誕生して以来、日本の命題は国難を排することではなくイシヤへの貢献にすり替わっています。天皇制とはすなわちイシヤのために八百長戦争を戦い続ける体制のことに他なりません。
中矢伸一氏は日本がイシヤに目をつけられたのは、予想に反して大国ロシアに勝ってしまったからだ、その時から日本はイシヤにとって脅威の存在となったのだと持ち上げています。これは本末顛倒です。イシヤのポチになった日本がヤラセでロシアに勝たせてもらったのです。イシヤの尖兵となって権力の中枢にのし上がった伊藤博文は、ロシアとの戦争に反対したため暗殺されています。日本海海戦の勝利はロスチャイルドからの情報と、バルチック艦隊のロジェストウエンスキ―提督の協力のもとに演じられた八百長です。
しかし海軍驕り症候群を流行らせた生出寿は、山本五十六と黒島亀人を貶めるネタとして、東郷平八郎と秋山真之を文句のつけようのないほど絶賛しています。実際に日本海海戦を指揮したのはイギリス海軍士官だという話もあります。「運が良い」という理由だけで選ばれた東郷平八郎ですから、手抜かりがあるかもと知れないと思って、優秀な人材を現場に送り込んだのでしょう。ミッドウエー海戦のヤラセでも、ハルゼーを皮膚病にして切れ者スプルーアンスに差し替えています。
『この神示いくらでも出て来るのざぞ、今の事と先の事と、三千世界、何もかも分かるのざから、よく読みて腹に入れておいて呉れよ。いつもてんし様拝みておれば、何もかも楽にゆける様になりてゐるのざぞ、我が我がと思うてゐると、鼻がポキリと折れるぞ。』
♪さすが出口王仁三郎のゴーストライターです。予知能力をひけらかすカルト詐欺師そっくりの神を造形しています。
『神の八つ裂きと申してあることいよいよ近づいたぞ、八つの国になりて神の国に攻めて来るぞ。目さめたらその日の生命おあづかりしたのざぞ・・・結構な恐い世となりて来たぞ、上下ぐれんぞ。』
♪すでに6月6日ノルマンデイー上陸が決行されています。日本の本土上陸は、九州と関東が予定され、コロネット作戦、オリンピア作戦と名付けられています。
『世界丸めて一つの国にするぞと申してあるが、国はそれぞれ色の違ふ臣民によりて一つ一つの国作らすぞ。天つ日嗣の実子様が世界中照らすのぞ。国のひつきのお役も大切の御役ぞ。今の文明なくなるのでないぞ、たま入れていよいよ光て来るのぞ、てんし様の御光は神の光であるのざぞ。』
♪最近、公共図書館に行くと天皇家のプロパガンダ本が目に付きます。天皇家の行事をまとめた写真集が新刊コーナーに置かれています。手に取って見ると、成りすましの人々が豪華な調度品に囲まれ伝統的衣装をまとって、厳かに年中行事を行っている写真が満載です。彼らは自腹を切ってこの茶番劇を演じているわけではありません。彼らには不労所得しかありません。こうした虚構の国家行事に使われているのは、庶民の膏血を絞り上げた血税です。これほど無意味な浪費があるでしょうか。
昭和十九年九月十五日〜十月十一日
『この道は道なき道ざぞ。天理も金光も黒住も今はたましひがぬけて居れど、この道入れていきかへるのぞ、日蓮も親鸞も耶蘇も何もかもみな脱け殻ぞ、この道でたま入れて呉れよ』
♪カルト神道の復活をアピールしています。同じ穴のムジナ同士、相身互いです。
『神の面かぶりて口先きばかりで神さま神さまてんしさまてんしさまと申したり、頭下げたりしてゐるが、こんな臣民一人もいらんぞ、いざと云ふときは尻に帆かけて逃げ出す者ばかりぞ、犬猫は正直でよいぞ、こんな臣民は今度は気の毒ながらお出直しぞ、神の申したこと一分一厘ちがはんのざぞ、その通りになるのざぞ。この方の神示よく腹に入れて病追い出せよ、早うせねばフニャフニャ腰になり、四つん這いで這ひ廻らなならんことになると申してあろうがな、神のいれものやわにしているぞ。』
♪天皇制がなければ日本はヤワになるのでは?という危惧を抱いているコメントがありましたが、私は虚構のシンボルがなければ立ち行かないほど日本がヤワな国だとは思いません。むしろそんなものがないのが日本の常態だと認識しています。菊のタブーが日本人の心性にしみこんでいるのは、天皇制を天皇制たらしめた希代の悪法、治安維持法と不敬罪による弾圧の後遺症ではないかと思います。
不敬罪とはどんな法律かというと、天皇に対して不敬なことを心の中で思ってさえ処罰される対象になるという無茶苦茶なものです。不敬な言動の証拠がなくても、「お前は不敬なことを想像していたはずだ」というコジツケだけで、裁判長が被告を有罪にした実例があります。昭和天皇と吉田茂はこの悪法の復活をマッカーサーに願ってやみませんでした。彼らはマッカーサーが解任され帰国する間際まで、不敬罪の復活を懇願しています。これが復活したら、孝明天皇と睦人が暗殺され大室寅之祐にすり替わったことは闇から闇に葬り去り、皇紀二千六百年とか万世一系とかの猿芝居の楽屋裏は覗かれないですみます。
『われが助かろと思ふたら助からぬのざぞ、その心われよしざぞ、・・・どちらの国も潰れるところまでになるのぞ、臣民同士は、もう戦かなはんと申しても、この仕組成就するまでは、神が戦はやめさせんから、神がやめる訳に行かんから、今やめたらまだまだわるくなるのぞ、○(注 神一厘が注入されていない腑抜けの身魂を指す)の世となるのぞ、○の世界となるのぞ。今の臣民九分通り○になりてゐるぞ、早う戦すませて呉れと申してゐるが、今夜明けたら、臣民九分通りなくなるのざぞ。お洗濯第一ざぞ。』
♪必死に戦意高揚を煽っています。この神さまはてんし様の代弁者ですね。戦争も後半になると、疲弊した国民の厭戦気分が濃厚になってきます。内大臣木戸幸一は天皇家への反感が募るのを恐れ、憲兵隊を使って便所の落書きまでメモらせ報告させています。究極の下ネタ?です。これに合せるように日月神示の神も八百長戦争の継続を叱咤しています。
『神の国には神の国のやり方、外国には外国のやり方あると申してあろうがな、戦もその通りぞ、神の国は神の国のやり方せねばならんのざぞ、外国のやり方真似ては外国強いのざぞ、戦するにも身魂みがき第一ぞ。仲裁する国はなく、出かけた船はどちらも後へ引けん苦しいことになりて来るぞ。神気つけるぞ。』
♪臣民は物資不足を顧みず、ひたすら精神主義・白兵主義で戦い続けろと言っているように聞こえます。
『二二(ふじ)は晴れたり日本晴れ、てんし様が富士から世界中にみいづされる時が近づいたぞ。神の臣民と獣と立て別けると申してあろうが、世の態見て早う改心して身魂洗濯致して神の御用つとめて呉れよ。大き声せんでも静かに一言いえば分る臣民、一いへば十知る臣民でないと、まことの御用はつとまらんぞ』
♪このへん不敬罪のスピリッツが打ち出されています。
昭和十九年旧九月一日〜十一月三十日
『富士は晴れたり日本晴れ、⦿(注 神一厘が入った身魂)の巻書き知らすぞ。此の世に自分の物と云ふ物は何一つないのであるぞ。早う自分からお返しした者から楽になるのざぞ。今度の大洗濯は三つの大洗濯が一度になって居るのざから、見当取れんのざぞ。神の国の洗濯と外国の洗濯と世界ひつくるめた選択と一度になってゐるのざから、そのつもりで少しでも神の御用務めて呉れよ。此れからがいよいよの正念場と申してあろがな。今はまだまだ一の幕で、せんぐり出て来るのざぞ。我(が)出したら判らなくなるぞ、てんし様おがめよ、てんし様まつりて呉れよ、臣民無理と思ふ事も無理でない事沢山にあるのざぞ、神はいよいよの仕組にかかったと申してあろがな。』
♪この⦿の巻を書き知らした神示を読むと、神一厘の仕組とは即ち天皇制そのものであることが了解されます。臣民には一切の所有物、生命はもちろん自我さえも認めない奴隷制度、世界に冠たるてんし様の仕組のことです。
昭和19年の神示は、同じような内容が延々と続いています。神示というより繰り言、啓示というよりお説教です。臣民をボロくそに軽侮し、天皇教を強要し、戦争による壊滅を予告して脅し、どん詰まりで天皇が世界を統治すると大風呂敷を広げ、これこそ岩戸開きだ、この仕組みを神一厘の仕組みというのだ、さっきから申しておろうが、分かって呉れよと、強迫的に何度も何度もくり返しています。岡本天明の爬虫類脳Rコンプレックスによる所産かもしれません。ほとんど狂人のたわごとです。キリがないのでこの辺にします。
中矢伸一氏はこの日月神示をあらゆる予言のどん詰まりに出て来た真打として捉え、なわふみひと氏は2012年の黙示録的世界の根拠としています。しかし両氏が原典を見ていないはずはありません。見た上で都合の悪いことには言及せず、都合の良い部分を無限大に拡大解釈し、人類最高の予言書として喧伝しています。神示には『一人につき七人に広めよ』という布教伝道の義務も示されていますから、使命感から情報拡散にいそしんでいるのでしょうが、やっていることは完全なカルト信仰です。日月神示は終わっています。
日月神示のいちばんウサン臭い点は、太平洋戦争の敗残の後でてんし様が世界を統治するのが神一厘の仕組であるという啓示と、イシヤとしかと手を組むことが鍵であるという啓示が、並立していることです。全知全能の神でありながら、どうしててんし様=イシヤであることが見抜けないのでしょうか。伊藤博文がてんし様をすりかえた時に、すでに日本はイシヤとしかと手を組んでいます。てんし様はガーター勲章を授与された筋金入りのイシヤです。きっと神さまはそらっとぼけているのでしょう。
船井幸雄+中矢伸一『いま人に聞かせたい神さまの言葉』徳間書店のカバーの折り返しには、二人が固い握手を交わしている写真と次のような宣伝文句が載せられています。
『聖書の暗号に「船井幸雄・中矢伸一・岡本天明・出口王仁三郎・出口なお」共に現れる!聖書を超える「神示の世界経綸書」の全貌がいまここに明らかに・・・・・
船井幸雄
「私は岡本天明、出口王仁三郎、出口なおを媒介として、日月神示、伊都能売神諭、霊界物語、大本神論を伝えた神さまはどうしても他人のような気がしないのです。」』
中矢伸一
「日月神示のメッセージは船井先生が宇宙に行って、そこからおろしたと思えるほど、船井先生の言葉にそっくり生き写しなんです。本当に驚きました。」』
♪何と日月神示の神さまは船井幸雄にクリソツの方なのです。
船井幸雄+中矢伸一の前掲書本文より
『日月神示の神さまはどなた?
私(船井幸雄)は、日月神示の中心の神さまは、ウシトラノコンジンさんであると思っています。ウシトラノコンジンさんは、私と縁のある神さまのようです。平たく言えば、私に直接メッセージを送ってくる神さまでもあります。第T部の対談でも話しましたが、私と直接親しい人にも送ってきます、だから、日月神示の神さまがウシトラノコンジンさんだと思いたいのです。しかし、日月神示には、「ひつくの神」とか「この方」とかしかかかれていません。その謎について、泉田瑞顕氏は以下のように明らかにしています。』
♪船井幸雄はウシトラノコンジンさんに生き写しの思考回路を持ち、しかも直接メッセージを受け取るインサイダーらしいです。
泉田瑞顕氏
『日月神示に「この方の事何(いず)れ判りてくるぞ今はまだ知らしてならんことぞ、知らす時節近づいたぞ」(昭和二十年六月十一日)と記されている。この神示は日月神示の内容を解明する上において、もっとも基礎的な重大神示だと思うが、私の知る限りでは、日月神示の関係者の間で明確な見解がなされていない。「知らす時近づいたぞ」と示されているからいずれ誰かによって「この方」という神の正体がはっきり解明される事を日月神示そのものが予告している。この神示が伝達されてから既に四十余年の歳月が流れ(この文が書かれたのは昭和六十三年)、四圍の状勢も大きく変はった。今こそ「この方」という神の正体をはっきりしめすべき天の機(とき)であり、はっきりせねばならぬ時である。』
♪まったく驚きです。日月神示の関係者全員、臭いものに蓋をするカルト思考をやってきたんですね。すでに素性は火をみるより明らかではありませんか。昭和二十年六月十一日の神示の時代背景は、四月に沖縄に米軍が上陸、戦艦大和轟沈、学徒出陣の若者が練習機に乗って自爆攻撃する特攻がたけなわ、南方の占領地区で戦争末期の断末魔にあえぐ臣民による残虐行為がピークになりつつある次期です。太平洋戦争の犠牲者の三分の二がこの末期に集中しているといわれています。
なぜ大量犠牲者を出す末期の引き伸ばしが続いたのかというと、てんし様が外国の王に原爆投下まで降伏しないことを請け負ったからです。そういう取引を成立させた見返りに、てんし様は皇室財産をスイスの秘密口座に移し替える許可をもらいます。つまり日月神示の神が「この方の事いずれわかりてくるぞ」と予告した時期とは、てんし様がフィリピンに弟宮を派遣して強奪財産を隠匿させる一方、自らも戦争で稼いだ厖大な財産をスイスの秘密口座にせっせと移し替える作業に没頭している真っ最中の時期のことです。
この前後の日月神示より抜粋します。
昭和二十年旧三月十日〜六月二十三日
『三⦿(みず)の巻書き知らすぞ。・・・てん詞様おろがみてくれよ。てん詞様は神と申して知らしてあろがな、まだ分からんか、地(くに)の神大切せよと聞かしてあろが』
『お宮も土足にされ時が来る・・・勲章も何んにもならん時が来る』
♪六月十一日の神示の全文を抜粋します。
↓
『五大州引繰り返って居ることまだ判らぬか。肝腎要の事ざぞ。七大州となるぞ。八大州となるぞ。今の臣民に判る様に申すならば御三体の大神様とは、天之御中主(あめのみなかぬし)大神様、高皇産霊(たかむすび)神様、神皇産霊(かみむすび)神様、伊邪那岐神様、伊邪那美神様、つきさかきむかつひめの神様で御座るそ。雨の神とはあめのみくまりの神、くにのみくまりの神、風の神とはしなどひこの神、しなどひめの神、岩の神とは、いわなかひめのかみ、いわとわけの神、荒の神とは大雷のをの神、わきいかづちおの神、地震の神とは武甕槌(たけみかづち)神、経津主(ふつぬし)神々様の御事で御座るぞ。木の神とは木花開耶(このはなさくや)姫神、金(かね)の神とは金かつかねの神、火の神とはわかひめきみの神、ひので神とは彦火々出見(ひこほほでみ)神、竜宮の乙姫殿とは玉依姫の神様のおん事で御座るぞ。この方の事何れ判りて来るぞ。今はまだ知らしてならん事ぞ。知らす時節近づいたぞ。六月十一日、みづの一二⦿。』
♪古事記がでっちあげた架空の神々の名前を羅列しています。「この方」は神の名を騙る詐欺師です。戦争末期の六月十一以降の神示も抜粋しておきます。
『人間心には我があるぞ。神心には我がないぞ。我がなくてもならんぞ、我があってもならんぞ。我がなくてはならず、あってはならん道理分りかか。神にとけ入れよ。てんし様にとけ入れよ・・・政治も経済も何もかもなくなるぞ。食べるものも一時は無くなって仕舞ふぞ。覚悟なされよ。世界の臣民、てん詞様おろがむ時来るのざぞ。』
↑
♪天皇制存続に必死なだけの、ものすごく分かりやすい神さまだと思います。
↓
『てんし様おろがめよ。何もかも皆神に捧げよ、神からいただけよ。神国なおるぞ。戦もおさまるぞ。今の臣民口先ばかりでまこと申してゐるが、口ばかりでは、なほ悪いぞ。言やめて仕えまつれ。でんぐり返るぞ。』
『今迄は闇の世であったから、どんな悪い事しても闇に逃れる事出来てきたが、闇の世はもうすみたぞ。思ひ違う臣民沢山あるぞ。・・・日本の国の臣民皆兵隊さんになった時、一度にどっと大変が起るぞ。』
♪日月神示の神が、昭和二十年の時点で闇の世が終わっていると啓示していることに注目しましょう。現在進行形の悲惨な出来事に至るまで、それらは光の世の出来事だということになります。これが神一厘の仕組ということになります。戯言もいい加減にせんかいと思います。
昭和二十年六月十七日〜七月十九日
『富士は晴れたり日本晴れ。三千世界一度に貼れるのざぞ。』
♪臣民のジェノサイドがエスカレートしつつあることは他人事のようです。
『神の国を、足の踏むところない迄にけがして仕舞ふてゐるが、それで神力は出ぬぞ。臣民無くなるぞ。残る臣民三分むつかしいぞ。三分と思へども二分であるぞ。邪魔せん様に、分からん臣民見物して御座れ。ここまで知らして目覚めん臣民なら手引いて見てゐて御座れ。見事仕上げて見せるぞ。』
♪臣民は十分の三はおろか二分くらいしか生き残れない、邪魔しないで傍観していろ。これは原爆投下の予告かもしれません。落されたのは二個ですが、総計八個用意され、実験で二個使って六個残っています。三個目の原爆投下を命がけで阻止した日本の潜水艦艦員たちを描いた映画『ローレライ』は実話に基づいています。
戦後、ソ連に原爆を60発お見舞いする作戦と、チャーチルが西ドイツ軍(旧ナチスの精鋭部隊)を率いてソ連に侵攻するアンシンカブル作戦が立てられています。ヴィクター・ロスチャイルドがスターリンに原爆製造の情報を垂れ流していたお陰で、ソ連がアメリカに先駆けて水爆製造に成功したため、沙汰やみになっています。
『神烈しく、人民静かにせよ。今度の御用は臣民沢山は要らんぞ。・・・何もかも神が仕組てゐるのざから人民仕様とて何も出来はせんぞ、神の気概に叶はん人民は地の下になるのざぞ。』
『偉い人俘虜(とりこ)となるぞ。夜明け近くなったぞ。夜明けたら何もかもはっきりするぞ。夜明け前は闇より暗いぞ慌てるでないぞ。神の国一度負けた様になって、終いには勝ち、また負けた様になって勝つのざぞ。・・・わからん人民退いて邪魔せずに見物してござれよ。』
♪戦犯裁判の予告かもしれません。もちろんてんし様は神聖にして無答責のお方ですから、すべて臣民に責任転嫁されます。
『戦いよいよ烈しくなると、日本の兵隊さんも、これは叶はんと云ふ事になり、神は此の世にいまさんと云ふ事になって来るぞ。それでどうにもこうにもならん事になるから、早う神にすがれと申してゐるのぞ。誠ですがれば、その日からよくなるぞ、神力現れるぞ。』
『今度の立替は、この世初(ママ)まってない事であるから、戦ばかりで立替出来んぞ。世界隅々まで掃除するのであるから、どの家もどの家も、身魂も身魂も隅々まで生き神が改めるのざから、辛い人民沢山出来るぞ。ミタマの神がいくら頑張っても、人民に移っても、今度は何も出来はせんぞ。』
♪ずっと臣民臣民と呼んでいたのに、この辺りから人民という呼びかけを交え、赤化に注意を促がしています。てんし様は何が怖いといって共産革命ほど怖いものはなかったのです。
『赤いものが赤い中にゐると色無いと思うのぞ、気附けて呉れよ。・・・人民の改心第一ぞ。人民の改心なかなかぞ。』
♪イシヤが共産革命を日本に起こそうと思えば簡単に起こせたでしょう。しかしイシヤはそういうストーリーにはしませんでした。天皇制による帝国主義の打倒を訴えていた本家本元の野坂参三が、中国から帰国して天皇制を擁護します。野坂参三はてんし様の最大の隠し玉としてコミンテルンに潜入していた田布施村出身の大物多重スパイです。コミンテルン自体がイシヤの創作ですから、野坂参三がイシヤと接触して連絡と密にしていたことは疑いを入れません。てんし様と野坂参三とイシヤの裏取引の道具として、使い捨てにされたのが尾崎秀実です。
『今の法律此の方嫌ひぢゃ、嫌いのもの無くするぞ。凝り固まると害(そこな)ふぞ。此の道行く道と申してあるが、あれなら日津久の民ぞと世間で云ふ様な行ひせねばならんぞ。神の国と申すものは光の世、喜びの世であるぞ。虫けらまで、てんし様の御光に集まるよろこびの世であるぞ。見事此の方について御座れ。手引っ張って峠越さしてやるぞ。』
♪今の法律嫌いで結構。何をしらじらしい。今まで手引っ張ってどんな峠越さしてきたか。盗人たけだけしいとはこのことです。
『この世界は浮島であるから、人民の心通り、悪くもなりよくもなるのざぞ。食ふ物無いと申して歩き廻ってゐるが、餓鬼に喰はすものは、もういくら捜してもないのぞ。人は神の子ざから食ふだけのものは与へてあるぞ。神の子に餓死はないぞ。いやさかのみぞ。此処は先づ世界の人民の精神よくするところであるから、改心せねばする様いたすぞ、分からんのは我かまふひと慢心してゐるからぞ。』
♪その言葉そっくりそのままお返ししましょう。『我かまうひと慢心してゐる』権化がてんし様です。てんし様は自己保身至上主義に凝り固まっています。神の子に餓死はないというのもウソです。英霊たちの戦病死の六割は餓死です。
餓鬼に喰わすものはないというのは本当ですね。私がまだ何もてんし様の素性を知らない頃、二葉の写真を見較べて衝撃を受けたことがあります。焼け跡でうつろな目をしている戦争孤児たちの写真を見た直後に、榊原夏『マッカーサーと昭和天皇』集英社新書P16,17に掲載されたてんし様のとびっきりの笑顔を見て愕然としました。
親も家も失くしてボロをまとい飢餓線上にある孤児たちに較べて、進駐軍のテントの中のてんし様は栄養過多のしもぶくれの顔で楽しくてしょうがないという笑みを浮かべています。雲泥の差とはこのことです。奇異に近い違和感を覚えました。どうしてこの人はこんな風に笑えるのだろうと。
そして私は次のように結論を下ろしました。現人神と敬われ、赤子を思う慈父の如くと慕われているてんし様の実態は、究極の自己チュー人間である。
そしてまたてんし様は非常な演技派でもあると思いました。臣民のことは虫けらや草木同然に扱っていましたが、GHQのプレスには媚び媚びで、臣民にはかつて一度も見せたことのない表情を撮らせています。ぞくりとするようなさかしらな笑みをうかべて、車中から会釈しているてんし様は確信犯以外の何者にも見えません。(榊原夏の前掲書P40)
てんし様は、軍部の操り人形、学者然とした鷹揚な人物、「あ、そう」を連発するほほえましい人間天皇、そういうキャラを演じ続ける千両役者だと思いました。私がまだ鬼塚氏のことも田布施村のことも何もしらない時期に得た直観です。
『裏切る者沢山出てくるぞ。・・・悪の大将よ。早よ改心なされ、悪の神々よ。早よ改心結構であるぞ。いくら焦りてあらいても神国の仕組は判りはせんぞ。悪とは申せ大将になる身魂、改心すれば、今度は何時迄も結構になるのぞ。日本の臣民人民皆思ひ違ふと、くどう知らしてあろが。まだ我捨てぬが、水でも掃除するぞ。』
以下略。
以上、昭和19年から敗戦直前の日月神示の啓示は次の二点に集約できます。
○臣民はコケである
○てんし様おろがめよ
こんな得手勝手な放言を盲信する人の気がマジで気が知れません。
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