http://www.asyura2.com/12/cult9/msg/225.html
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前回に引き続き、偽証者たちについて検証する。
最近のネットには、日米戦争の要所要所で負けた海軍の将官たちに対する非難が湧き上がっている。しかし司令塔の昭和天皇が指弾されることはない。すでに塚英昭氏が大著『20世紀のファウスト』で、第二次世界大戦が完全な八百長であることを余すところなく実証しているのである。私はひとり昭和天皇だけが、この出来レースの蚊帳の外にいたとは思わない。むしろ日米英独ソ首脳の中で、昭和天皇ほど準備万端整えて八百長に臨んだ用意周到な国家元首はいないと考えている。
DVD『鬼塚英昭が発見した日本の秘密』には、昭和天皇が山本五十六に真珠湾攻撃をやらせた動機が語られている。日米戦争はやれば負ける、そう言って政府も軍人もみんなが反対していた。しかしこの八百長戦争に参加しなければ、成りすまし天皇家のスキャンダルをバラされ、昭和天皇は全てを失う。だから敗戦が既定のシナリオである日米戦争に踏み切らせたのであると。私は昭和天皇の背後には、フィックサー吉田茂がいると考えている。ヤラセを隠蔽するために、昭和天皇を使って現場将官に勅令を出させ、防衛省戦史史料や外務省資料を改竄させプロパガンダ戦史に塗り替えている。中でも近衛文麿と山本五十六のプロパガンダは、長期スパンで大掛かりである。
国際金融寡頭勢力によって田布施村王朝という傀儡政権が創出されて以来、日本はひたすら富国強兵路線を突っ走ってきた。換言すれば日露戦争も日清戦争も満州事変も日中戦争も、国際金融寡頭勢力のために田布施村王朝が用意したものである。そして歴代の成りすまし天皇の中で(といっても3人、実質ほとんど2人)、昭和天皇はきわめて自覚的にやっている。満州事変を起こした関東軍は、昭和天皇のマイ軍隊である。盧溝橋事件を仕掛け、日中全面戦争を引き起こし、麻薬で荒稼ぎするための精鋭たちである。昭和天皇の真意は、彼らの暴走に激怒するお芝居ではなく、帰国した彼らを宮中に呼んで勅語を与え陪食を賜る行為にある。
昭和天皇は千両役者である。日米開戦を危惧して参謀総長や軍令部総長を問い質したり、御前会議で思わせぶりな歌を詠むのも、宣戦の詔勅に『どうしてこの戦争が朕の意思であろうか』と何気に入れておくのも、すべて責任逃れの伏線である。日米戦争における昭和天皇の最大の命題は、いかにボロ負けして見せ、戦後も何も失わないで統治者のままでいるかということだけである。
日米戦争は日米共同演出によるヤラセで、日本側の司令塔は昭和天皇と吉田茂であるという大前提のもとに何か月か考えて出した結論を述べる。
◎必然的に戦史史料もガセである。
そうしないとヤラセであることがバレる。
◎そのために現役軍人が偽証者として現場に送り込まれている。
予め現場に貼り付き、『目撃』したことを日誌や日記に書く。
◎偽証者たち
○源田実
主犯。 ミッドウエー海戦で『肺炎』になりかかる。 私は仮病だと思う。
○淵田美津雄
主犯。 同海戦直前「虫垂炎の開腹手術」をする。 これも仮病だと思う。
○三和義勇
プロパガンダ日記を書く。後にテニアンの前線に送り込まれ『戦死』する。
○宇垣纏
わざと驕慢な言動をしている。プロパガンダ日記『戦藻録』を書く。敗戦直後に自決。
○黒島亀人
吉田茂のコネクション。五十六に『偏愛された』と役を演じる。戦後は隠棲。
○草鹿龍之介
源田実のフォロー役。父親は住友財閥の東京本社理事。自己正当化が激しい。
○渡辺安次
戦務参謀として五十六の身近に貼り付く。河合千代子の家に出入りしている。私は渡辺安次と河合千代子は男女の仲にあると思う。
○藤井茂
1943年4月17日トラック島碇泊中の武蔵に於いて、五十六のブイン視察の詳細スケジュールを、改変したばかりの新暗号ではなく、すでに敵に解読されている旧暗号で打電する。これが暗号解読の真相である。さらに藤井茂は従兵長の近江兵治郎に五十六の私物を管理させ、隠蔽工作もしている。すべて勅令である。
○河合千代子
原田熊雄に指示されて、愛人プロパガンダを吹聴する。
○近江兵治郎
最後の『目撃証人』として、『60年目の真実』『70年目の真実』を訴える。
○統帥本部の両総長 永野修身 杉山元
いずれも天皇のポチ。 杉山元は2・26の暗躍で台頭した。
○軍令部スタッフ
福留繁
富岡定俊
三代一就
五十六が辞職をちらつかせて真珠湾奇襲攻撃とミッドウエ―作戦作戦を強行突破させた、そのやり方に情けなくて涙が出たというシナリオを演じている。
◎リメンバー・パールハーバー
日米共演演出によるオトボケである。
騙し討ちにすべく奥村勝三がノロノロとタイプを打ったが、
45分前には野村大使がハル国務長官に電文を手交している。
○日本側出演者
野村吉三郎
来栖三郎
寺崎英成
奥村勝三
○米側出演者
フランクリン・D・ルーズヴェルト
コーデル・ハル
ジョージ・マーシャル
国務省スタッフ
偽証者たちはすでに開戦前から統帥部と連合艦隊司令部の現場に送り込まれている。三和義勇は1938年、山本五十六が連合艦隊司令長官に任命される直前に勅令を受けている。宇垣纏も勅令を受けて『戦藻録』を書いている。黒島亀人、源田実 淵田美津雄、渡辺安次、藤井茂、草鹿隆之介も勅令を受けている。黒島亀人は、吉田茂から直接に指令を受けて動いている。源田実はヤラセの主犯格。淵田美津雄は別格の存在である。
淵田美津雄はプロパガンダの天才である。彼が昭和二十四年に出版した『真珠湾作戦の真相』には、五十六プロパガンダの全てがある。これは淵田本人も前書きで書いているように、未だ誰も書いていない『真相』を初めて明らかにしたもので、全てはここから始まっているのだ。後発のプロパガンダ作家たちは、ここからプロパガンダ用語や構想をパクっている。まさしく五十六プロパガンダの教則本である。父親譲りの漢詩の素養を生かして、ノンフィクションとフィクションの手法を巧みに混在させ、読者を幻惑するその表現力は傑出している。あの有名な特攻精神を嘉する勅語を代作したのも淵田美津雄である。その格調高い名文には、草鹿龍之介も思わず唸ったという逸話がある。
淵田美津雄が真珠湾攻撃の飛行総隊長に選ばれたのも、技量だけでなく優れた表現能力を買われてのことである。彼はミッドウエ―海戦では仮病を使って、戦闘には参加していない。ボロ負けすることが既定のシナリオのミッドウエー海戦では、飛行総隊長となる者は生還を期すことができないからである。友永丈市大尉を飛行総隊長の身代わりに立て、淵田自身はフリーの立場になって甲板上でヤラセを観戦したのである。戦後、淵田美津雄は奥宮正武(源田実のパシリ)と組んで、ミッドウエ―海戦のプロパガンダ本を矢継ぎ早に出版する。その際、淵田美津雄は敗因をデッチあげるために、死人に口なしで友永大尉に罪を被せるのみならず、友永のミッドウエー島攻撃のやり方をおちょくってさえいる。
淵田美津雄は友永大尉が手際よく第一次攻撃をしていれば、第二次攻撃を進言することはなかったと思わせようとしている。しかしこれは友永の不手際ではなくそういうシナリオなのである。私は「友永が第二次攻撃を進言した」というのはガセだと考えている。ミッドウエ―島の航空機が出払っていたのは、真珠湾奇襲攻撃の時に敵空母が不在だったのと同様ヤラセである。淵田美津雄はこれを韜晦するために、味方の総隊長をおちょくっているのだと思う。以下に淵田美津雄の偽証の場面を抜粋する。淵田の相手をしている村田重治は戦死していることに留意されたい。
淵田美津雄・奥宮正武『ミッドウエ―』朝日ソノラマより
『そこへ友永指揮官から「第二次攻撃の要あり」との意見とともに、第一次攻撃隊の攻撃成果を報告してきた。私はこの攻撃成果の電報を聞きながら、村田少佐に話した。「オイ、友永のやつは、ずいぶん中国で基地攻撃をやったくせに、なぜあの手を使わなかったんだろうかね?」
あの手というのは、こうである。敵の基地航空兵力制圧の目的で、基地攻撃に行った場合、あらかじめ敵がこれを察知して、飛行機全部を空中に退避させ、地上にいないことはよくあることである。そんなとき、あっさり大地をたたいて簡単に帰って来たのでは始まらない。そうとみたならば、まずもっている爆弾の三分の一ぐらいを投下して、そのまま帰投するとみせかける。向こうはもう帰ったと思って、燃料の関係もあり、基地へ戻ってくる。その間、一時間もすれば大体空中退避の飛行機は、着陸してまず燃料補給の作業にとりかかるものである。そこでこちらは三十分ぐらいのコースを往復して、再び襲えばうまく網にかけることができる。これは日華事変では、たびたび奏功した戦術であった。
村田少佐は苦笑しながらいった。「やっこサン、しばらく内地でアカを落としていたもんだから、素直になったんでしょう。しかしこんど、第二次攻撃隊も、ミッドウエ―基地の攻撃に向けるんだそうですから、私がうまくやってきます。安心していらっしゃい。バッサリと一網かけてやりますから」私はオヤオヤと思った。「愛二次攻撃隊をミッドウエ―基地に向けるって、もう命令が出たのか?」「ヤ、いま、司令部で話し合っているのを艦橋で聞いていました」「だってインド用作戦のときみたいに、出たあとで、偵察機から“敵艦見ゆ”と来るかも知れんぜ」「イヤ、しかし偵察機は、もう全部とうに索敵線の前端まで行きついた時刻なのに、報告がありませんから、攻撃圏内には敵艦隊はおらんと判断されていますよ」「そうか、しかし魚雷を抱いているんじゃないか?基地攻撃はちょっと困るね」「えゝ、それでいまから、陸用爆弾に積みかえろって命令が出るんですよ」「いやあ、それは大変な騒ぎだ。それに、もうそろそろ敵の陸上機が来るころだぜ」このとき、司令部ではすでに、第二次攻撃をミッドウエ―攻撃に振り向けることに、一決していた。』
実はミッドウエー海戦の直前に行われたインド洋作戦で、淵田美津雄は同じ情況のもとで南雲に爆装転換の進言をしている。本来、戦闘中の爆装転換は厳禁である。だから淵田美津雄は南雲に爆装転換のリハーサルをさせて、タブーを犯すハードルを取り払ったのである。しかし淵田美津雄はインド洋作戦で、自分が同様の決定を促したことには一言も触れていない。そんなことはおくびにも出さずとぼけている。
淵田美津雄続き
『私はふと、インド洋作戦でのコロンボ攻撃と、ツリンコマリ攻撃とを思い出した。あれはいかん。あのときは二度とも第一次攻撃隊が基地攻撃をやっているときに、索敵機が敵の水上部隊を発見した。「いつもの通りだと、またミッドウエ―を攻撃しているときに、索敵機は敵艦隊を発見するぜ。その手当はいいのかい?」村田少佐が代わって答えた。「大丈夫ですよ。そのために、第一次攻撃隊が出たあと、第二次攻撃隊が艦船攻撃兵装で待機していますからね。・・・」』
ミッドウエ―海戦のヤラセにより、友永大尉はもとより同胞三千人が海の藻屑と化している。しかし淵田美津雄の文章からは葛藤が伝わってこない。後に淵田美津雄はテニアンから自分一人だけ抜け出して、三和義勇や角田角治を見殺しにしている。やがて玉砕したテニアンは、原爆を搭載したエノラゲイが広島に飛び立つ基地となる。投下前夜、淵田美津雄は広島に集結した第二総軍の運命を知りながら、一人岩国基地に逃れている。
『真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝』編/解説 中田整一 講談社より
『以下、述べる挿話は、私ひとりがいい子になって、広島で被爆して死んで行った人たちは、神の恩寵から外されていたのかと、ひがむ人も出るので、私はあまり話したことはないのであるが、私自身にとっては、満ち溢れる神のめぐみであって、結局、この事実が後日、私をキリスト信仰へと導いて行ったのである。
実は、私は八月六日の前日五日まで、広島に滞在していたのであった。用件は、私は海軍総隊(昭和二十年四月設置。連合艦隊壊滅後の全海軍を指揮する)の航空参謀で、兼職として南方総軍参謀でもあったので、広島の第二総軍司令部にはちょくちょく出向いていた。
本土決戦について、九州防衛の共同作戦の打合せや、図上演習などは、もう済んでいたのであるが、今回はくしくも、眼にあまるB29の跳梁をなんとか制圧出来ないものかという、航空総軍案の「剣号作戦」なるものの打合せで、航空総軍の作戦参謀が主催した。当時、海軍総隊としては、「剣作戦」というのを準備中で、これはマリアナ諸島のサイパン、テニアン、グアムのB29の基地に、陸戦隊を強行着陸させて、亀の甲爆弾と呼んだ特別に工夫公安された爆弾でB29を一機一機爆破しようとの特攻作戦であったが、これにも陸軍兵力が協力しようとの打合せであった。
会議は三日ほどで、五日の昼前に終わった。私はやれやれと腰を伸ばしながら、今晩も広島に滞在するつもりで、宿舎の大和旅館に戻った。旅館は細工町にあった。宿舎に戻って、先ずは昼寝と横になっていると、室内電話のベルが鳴る。受話器をとってみると、東京近郊日吉台にある海軍総隊司令部からで、矢野志加三(しかぞう)参謀長の声である。「航空参謀、広島の用件が済んだら、帰りに大和基地に立ち寄って貰えないか。久安(房吉)参謀副長が航空総軍との通信施設で、あなたの助言がいるそうだ。皇子関係者が明日総長に集まるから、今夜中に来てほしいそうだ」
私は、「承知しました」と返事はしたものの、やれやれ厄介なことを言って来たものだと思った。本土決戦に備えて、海軍総隊司令部は大和基地に移ろうとして、天理市外の竹ノ内という部落のみかん山の下に通信施設などの防空壕を掘っている。その作業を監督するために、久安参謀副長が現地に出張しているのであった。また航空総軍司令部は八尾基地に移るとかいうので、両司令部間の連絡を密接にするための通信施設は必要だけれど、直通電話の一本も布けばよいので、別に航空参謀サマの助言を必要とするほどのことではない。もう一晩、広島で泊まろうと思っている矢先に、しょうもない用事をいいつかるもんだと、ぶつくさ言いながら、それでも早速に車を岩国基地に走らせ、置いてあった連絡機で、私は大和基地に飛んで、その夜は、久安参謀副長の泊まっていた竹ノ内部落のお百姓さんの家に一緒に泊めて貰った。
翌日早朝は、工事関係者との打合せを済ませて、午前十一時頃、すこし早いお昼を戴いていると、また矢野参謀長からの電話である。話を聞いて、びっくり仰天した。今朝八時十五分頃に、広島に原子爆弾らしいものが落ちて、全市は壊滅したという。
今日、思い出すたびに、胸がうずく。多くの人々は、何が起こったのかも分からずに、一瞬のうちに死んで行った。しかし、この幼い少女は、あれから一昼夜半あまり、兄に助けられて生きていた。そしておぼろげながら、何が起こったのかを知った。仇を取って貰わねばならぬ敵がいるのだ。畜生!』
これに対して鬼塚英昭氏は次のようにコメントしている。
鬼塚英昭『昭和天皇は知っていた 原爆の秘密 国内編』成甲書房より
『「淵田美津雄自叙伝」は延々とこの間の事情を書き続ける。簡単に記せば、三日間も続いた会議は存在せず、彼は夜半ひそかに広島を離れて岩国基地に移ったということである。淵田大佐は海軍が畑元帥の元へ送り込んだ“使者”であった。淵田は戦後、クリスチャンになった。ヨハンセン・グループ、同盟通信社グループも全員クリスチャンになることで、一原爆孤老が書いたように「日米協力プロジェクト」の一員となり、「幸せという名の身分」をアメリカから与えられた。私は太平洋戦争開戦以前から、淵田たちはアメリカの隠れエージェントであったと思っている』
淵田美津雄は源田実と共に、G2(GHQ諜報部)戦史室長ゴードン・プランゲと共謀してヤラセ戦史を作成している。プランゲは戦時中に淵田美津雄と源田実が果たした役割に敬意を払い、この二人だけに対しては夕食を挟んで一回四、五時間にも渡る聴取を計70〜80回も実施している。この間、淵田美津雄がプランゲに妙なる霊感を与えたことは疑うべくもない。淵田美津雄の『真珠湾作戦の真相』を読めばそれは歴然としている。千早正隆はこの尻馬に乗っているだけである。
千早正隆『元連合艦隊参謀が語る日本海軍失敗の本質』PHP文庫より
『ミッドウエー海戦のシンポジウム 昭和六十三年(一九八八)五月六日、アメリカノペンサコラ市で、それより四十六年前のミッドウエ―海戦のシンポジウムが、かつてなかった形式で行われた。それは、戦場で国家の命運を担って激しく戦った日本とアメリカ海軍の戦士の代表が、公開の席でその海戦を話し合うというものであった。太平洋戦争が終わって四十三年になっても、そのような大々的な試みはいまだかつてないことであった。
アメリカ側としては第一航空艦隊の航空甲参謀であった源田実氏(海兵五二期)と、同海戦でアメリカ側が手痛い目に合されたゼロ戦のパイロットおよび日本側の同海戦の研究家という要望であった。・・・問題は目玉となる源田氏がたまたま階段で足を踏みはずして歩行が困難なことであった。そこで急にその代人として同艦隊の航空乙参謀であった吉岡忠一氏(海兵五七期)に白羽の矢を立てたが、同氏もまたその健康上から長途の旅は不可能であった。あげくの果て、航空関係者でもなく、ミッドウエ―海戦にも参加していない私が、その代わりとして参加することになった。
歴史著述家のウオルター・ロード氏は、アメリカ海軍のミッドウエ―における成功は幸運に恵まれた賜にすぎないとしていた。アメリカ海軍が日本海軍の暗号を解読したことと、日本の索敵機がアメリカ空母の発見に失敗したこと、さらに「エンタープライズ」と「ヨークタウン」の急降下爆撃機隊がほとんど同時に南雲部隊に殺到して必殺の攻撃をしたことを、その事例として挙げていた。』
私見ではミッドウエ―海戦に勝利したのは日本である。日本はミッドウエー海戦に於いて完勝している。楽勝である。アメリカが情報戦を制し『奇跡』の逆転勝利を果たしたというのは、プロパガンダである。『アメリカ海軍のミッドウエ―における成功は幸運に恵まれた賜にすぎない』。それをもたらしたのは日米共同演出による詐術である。『「エンタープライズ」と「ヨークタウン」の急降下爆撃隊がほとんど同時に南雲部隊に殺到して必殺の攻撃をした』のは戦闘行為ではない。そのような情況を日米共同で演出したのである。ニミッツ自らそのように述べている。
C・W・ニミッツ/E・B・ポッター『ニミッツの太平洋戦史』恒文社より
『スプルーアンス提督が希望していたように、両艦の飛行甲板は燃料の補給を終え、まさに発艦しようとしていた飛行機でいっぱいであった。この真ん中に、米軍パイロットは爆弾を投下したのである。彼らが爆弾投下器の引き金をひき、急降下の飛行機の姿勢を水平におこすまで、なんら戦闘機の反撃は見られなかった。』
しかし千早正隆は日本海軍の驕りを得々と披露する。千早正隆は海軍驕り症候群を流行らせた張本人である。
千早前掲書の続き
『それよりはるかに重大なことは、ミッドウエ―戦り二ケ月前の四月に南雲部隊がインド洋に作戦した時に、イギリス艦隊に待ち伏せされたという事実があったことである。南雲部隊はイギリスの複葉旧式のスウオードフィシュ型の艦上攻撃機を認めて“この付近に敵空母存在の疑いあり”としながら、その敵を索敵すらしなかった。それかりでなく、それから悪一か月後にミッドウエ―作戦計画を研究した時に、第一航空艦隊でそのことを想起した人は一人もいなかった。この心の驕りがミッドウエ―の敗戦につながったと私が述べると、拍手が起きた。アメリカ側の戦史には、南雲部隊がインド洋でイギリス艦隊に待ち伏せされたことは、全く述べられていないからであったろう。事実、シンポジウムに参会していた私の知人のあるアメリカの戦史研究者は、南雲部隊がインド洋でイギリス艦隊に待ち伏せられていたことを初めて知って、驚いたと述べていた。』
千早正隆は得々とミッドウエー海戦に日本海軍がボロ負けしたのは驕りによるものである、というプロパガンダ戦史を述べている。源田実が『鎧袖一触』のような驕慢な言辞を吐いたり、宇垣纏が傲慢きわまりない図上演習をやって見せたり、連合艦隊スタッフはミッドウエ―惨敗のための下地作りをしている。その臭い芝居を『海軍驕り症候群』として広めたのが千早正隆である。千早はプランゲのインタビューを引用しながら、自分自身でもミッドウエー海戦の『敗因』を検証している。千早の検証は、シナリオのト書そのものである。
千早正隆・柳田邦男『ミッドウエ―の決断』プレジデント社より
『南雲司令部のこの計画が成功するためには、少なくとも、攻撃隊全機が発艦し終わる午前十一時過ぎまで敵機の来襲がないか、あったとしても、日本側は一弾たりとも被弾してはならなかった。もし飛行甲板に被弾すれば、攻撃機が発艦できなくなり、ガソリン・爆弾を満載した攻撃機に命中すれば、次から次へと誘爆して大惨事となる。南雲艦隊にとっては最も危険な時間帯を迎えるわけである。』
軍令部スタッフ、総長永野修身、福留繁、富岡定俊、三代一就らも偽証者である。真珠湾攻撃とミッドウエー作戦に対する彼らの偽証は、同じパターンを反復している。黒島亀人と渡辺安次が上京して軍令部を説得したが猛反対を受けた、そこで黒島亀人が五十六の伝言だといって辞職をちらつかせたり、あるいは渡辺安次が中座して山本五十六に電話で問い合わせ、『作戦が通らなければ辞職する』と五十六が言っていると伝えた、そういう五十六の態度が情けなくて富岡定俊と三代辰吉は涙が出た、ということになっている。このガセねたを考案した人物こそ淵田美津雄である。
この淵田美津雄と二人三脚を組んだのが、奥宮正武である。淵田と共著で精力的にプロパガンダ本を量産する傍ら、座談会でもプロパガンダを吹いている。
『徹底討論 “運命の五分間”はなかった
兵装転換の混乱がもたらした“運命の五分間”は真の敗因だったのか、従来の定説を一つ一つ点検し、歴史的な海戦が持つ意味をさぐる
出席者・階級は当時
阿部平次郎(海軍大尉 「蒼龍」艦上攻撃機分隊長)
板谷隆一(いたや たかいち 海軍大尉 「長門」乗組 八分隊長)
大井 篤(海軍中佐 海軍省人事局員)
奥宮正武(海軍少佐 第四航空戦隊参謀)
雀部 利三郎(ささべ りさぶろう 海軍中佐 機動部隊参謀)
澤地久枝(作家)
土肥一夫(どひ かずお 海軍少佐 第四艦隊参謀)
司会 秦郁彦(筑波大教授)
♪ 私の感想
「講和へ導くための大バクチ」
♪上記は座談会の小見出しの題名である。のっけからプロパガンダである。
(大幅に略)
「敵情判断に見る驕慢」
♪この小見出しもプロパガンダである。連戦連勝に驕り高ぶった海軍が、敵情視察を甘くみて惨敗したというシナリオに添ったプロパガンダである。秦は千早正隆とともにこのプロパガンダを吹いた張本人である。
秦郁彦(司会) しかし、当時は行けば勝つ、というムードが全般的にあったから、この作戦をそれほど深刻な大バクチだとは考えていなかったのではないですか。
♪秦は誘導が得意である。
奥宮正武 いや、大バクチと考えてたんですよ。軍令部が反対するのにとうとう説きつけたんですから、これは容易な決心じゃなかった。
♪奥宮も秦のトモダチである。
板谷隆一 しかし、私なんかの印象では、ハワイ作戦のときはともかく、ミッドウエ―作戦の時は勝てるという前提で出発した感じがしてますね。・・・
大井篤 第一航空艦隊の「戦闘詳報」に目を通すと、「機動部隊指揮官ノ情況判断」という項目がある。それにこう書かれているのです。「敵ハ戦意ニ乏シキモ我ガ攻略作戦進捗セバ出動反撃ノ算アリ」。つまりこの程度の判断で出ていった・・・。
雀部利三郎 それは出撃前の図上演習で宇垣纏さんが強調したんですよ。敵の艦隊は出て来ないだろうと。それが先入観念になっている。もし出て来ても、とにかく敵は弱いんだと、これを非常に強く言っていましたね。
奥宮 それはもう真珠湾作戦いらいの驕りなんです。
♪奥宮はムードメーカーである。
大井 しかし、驕りにしても、ひどい。「敵ノ飛行索敵ハ・・・・・・厳重ナラザルモノト認ム」。こんなことは書く必要がない。
♪大井篤も同類項である。
雀部 確かに書く必要はない。しかしこの「戦闘詳報」は後から書いたんですよ。
雀部 機動部隊が作戦命令を作ったのは五月十五、六日じゃなかったかと思うんです。これは主として源田実中佐が書いた。
「無視した米軍の強さ」
♪ミッドウエー海戦で何が驚異的だったかというと、米軍があまりに弱かったことである。殊に搭乗員の技量が信じられないくらい稚拙であった。使い捨ての高学歴の要員を、ミッドウエーのヤラセに投入したためである。彼らが滑走路を走り始めた瞬間に棺桶に入ったと指揮官は覚悟するべきである、とゴードン・プランゲでさえ述べている。特攻の嚆矢はこのミッドウエー海戦における米海軍である、と指摘している。この座談会の小見出しはすべてプロパガンダである。
阿部平次郎 出撃の前に横須賀で源田さんと千早猛彦君にばったり出会ったんですが、「源田さん、今度のM作戦は止めなさいよ、袋叩きになりますよ」と言った記憶がある。というのは、南海島の陸戦隊から軍事郵便が、ぼくんとこの兵隊に届いて「今度はM作戦らしいが、大いに頑張ってくれ」と書いてきている。こりゃ機密が全海軍に筒抜けだと。それに人事異動。大事な作戦を前に、分隊長が替り、超隊長が替り、そして新しく配属された連中は無敵機動部隊の搭乗員になったと言って、もう乗っただけで鼻高くなってね。これじゃいかんと思って、源田さんに言ったが。
♪そういうシナリオである。
秦 耳をかさなかった?
阿部 私は昭和十二年八月十五日いらい戦場に出てるんですが、今度だけはもういよいよ死神のお迎えだ、と覚悟した
秦 予感があった?
♪
秦は狂言回しも得意である。
阿部 友さんとは昭和十二年に加賀で一緒に戦った仲だが、以後彼はずっと内地にいてあまり戦場へ出ていないんです。
「無茶苦茶だった図上演習」
♪これもヤラセのお芝居である。
秦 そこで有名なGF統裁のミッドウエ―図上演習の話ですが、この演習は五月一日から四日間、戦艦大和の艦上で行われた。宇垣参謀長が審判長だったということですが・・・・。
♪秦はシナリオの勘所を掴んでいる。
奥宮 サイコロ振ったのが私なんです。青軍の空母に計九発爆弾が命中したのに、宇垣さんが「今のは三発命中とする」とやるんですから、もう無茶苦茶ですよ。
♪宇垣纏の仇名は黄金仮面、無茶苦茶な役どころがピッタリである。
板谷 実に宇垣さんの傍若無人なやり方にはびっくりしましたが、それ以上に驚いたのは、普通の図演なら状況判断に天候や海の状態などの各種条件がつくなずなのに、あのときは天気は良好としたままどんどん進んでいっちゃうんだね。(笑)
奥宮 そしてミッドウエ―で沈んだはずの空母が、フィジー・サモア作戦ではいつの間にか浮き上がって参加しているんですからね。(笑)
♪サイコロ振ってた奥宮も共犯者である。
「山本長官出撃の理由は?」
♪拙劣な指揮を執ったという汚名を被せるためである。私見では、戦闘中、山本五十六は大和の中で、勅令を受けた者たちによって拘束された状態にあったと考えている。
秦 それでいよいよGFあげての総出撃となるわけですが、いま考えるといちばん奇妙なのは、山本長官みずからが大和に座乗して、三百カイリ後から進撃したということなんです。観艦式のつもりだったとか論功行賞のためだとか、いろいろ言われていますね。
♪秦は急所を外さない。
板谷 私は長門で出撃しましたが、昔から海軍には指揮官先頭という伝統があるから、われわれも出ていくんだということでしたね。主将出陣という感じで。論功行賞などは考えていないと思いますよ。桂島でじっとしていることでとかく言われていたのは事実ですが。
澤地久枝 戦闘の局面次第では、大鑑巨砲にもの言わせて、大いにやろうという気もあったんでしょうね。
板谷 それはあったと思います。でも敵は出て来ないだろうという感じでした。
大井 だから、やっぱり世間でいう論功行賞、これはぬぐい切れないと思うよ。・・・
雀部 山本さんは機を見てハワイを奪う、という考えを持っていたらしい。
奥宮 いや、ハワイ攻略など考えていなかったと思いますよ。輸送船などの準備が全然ありませんからね。
♪奥宮の人柄が伝わってくる。
「敵空母を叩くために」
澤地 「戦史業書」などを見ますと、GFとしてはミッドウエ―攻略とともに、これを阻止しようと出てくる敵機動部隊を叩くという、つまり二重の目的を持った作戦であると一航艦に念を押した。ところが一航艦の方はミッドウエ―攻略で頭がいっぱいだったらしいですね。雀部さんは桂島出撃の時は作戦目的をどう理解しておられましたか。
雀部 はじめは、敵の艦隊をおびき出して、これを叩くのが作戦の主眼だと言われていたように覚えています。ところが、大海令には、そう書いてない。「陸軍ト協力シAF及AO西部要地ヲ攻略スベシ」(AFはミッドウエ―、AOはアリューシャン列島の略語)と書いてある。それにつられたように、GFの作戦命令にも似たようなことが書いてあったんです。だから、山本長官の考えが変わったのか、とにかくミッドウエ―攻略が第一義なんだなというような頭がありましたね。
奥宮 あのときの空気では、ミッドウエ―を叩かなければ、空母は出て来ないということが支配的でしたからね。矛盾はしてないわけですよ。両方ともできる、優先順位を付ける必要なはい、出撃時はそんな空気でしたね。
♪奥宮は「二兎を追う」ボケ作戦を肯定している。
奥宮 戦艦大和の会議で、トップの頭を支配していたのは、敵の空母が出て来なかったらどうしようかということなんです。
秦 ところで、ミッドウエ―爆撃の一日前にアリューシャンを叩いたのは何が狙いだったんですかね。
♪アリューシャンに戦力を割き、ミッドウエ―の戦力を削ぐことである。
奥宮 二隻の空母でアリューシャンをたたけば米空母が釣られてハワイから出てくるだろう。それを南雲さんの四隻で叩く。だから牽制作戦なんですな。六隻が堂々と出ていったのでは、敵は逃げるだけだ。二隻なら出てくるだろうという驕りですよ。
♪奥宮、ミッドウエ―を叩く&敵機動艦隊を撃滅する『二兎を追う』作戦を肯定したばっかだろうが。なんでアリューシャンを叩く必要があるのだ。何でもかんでもGFの驕りのせいにするシナリオなんだな。
阿部 そのための索敵や哨戒のために潜水艦がずらりと並んだ。
奥宮 ところが位置はよかったのだが、展開の時期が遅れてしまった。
♪皇族の小松侯爵が責任を持って哨戒を四日間も遅延させ、敵艦隊を無事にスルーさせてあげたのである。
澤地 潜水艦が所定の海域に布陣したときには、米機動部隊はすでに通過していたというわけですね。
♪シナリオの予定通りである。
大井 あなたは蒼龍だったかな。
阿部 蒼龍です。それから格納庫には第六航空隊の戦闘機を六機積んでいる。これも占領したらすぐ陸揚げして基地防空に使うという。冗談じゃないよ、いまある飛行機かででも発着甲板をやり繰りするのが大変なのに、六機も余分を積んでゆく。これを幕僚は反対しなかったのか、こんなことで戦争が出来ますか、と意見具申にいったり。まあ、敵をナメていたんですな。
♪「二兎を追う」作戦は、戦闘機を余分に搭載する口実でもある。六機も余分に積んで発着甲板の混乱を狙う筋書きである。それを「まあ、敵をナメていたんですな」と深く考えず、即『驕り』のせいにする。ほぼパブロフの犬状態である。
この件では千早正隆も声高に吠えている。
プランゲ著『ミッドウエ―の奇跡』千早正隆訳 訳者あとがきより
『四隻の空母の固有搭載機は、補用機を入れて合計二百六十三機であったが、それ以上に第六航空隊の戦闘機を二十一機も搭載していた。一艦宛てでは五機の増加ということになるが、五機の増加がそれでなくても窮屈な格納庫の格納をより一層窮屈にしたことは否めない。そればかりでなく、合戦前には不要な物件はできるだけ陸揚げして、被害を極限するという原則に反する行為であった。余分に搭載したためにどれだけ被害が増大したかを、計量することはできないが、第六航空隊の戦闘機を余分に搭載したというこの一事に、下算と慢心の一端を看ることが出来ると指摘せざるを得ない。』
♪下算でも慢心でもなく、奇跡の逆転劇を演出するための小細工である。
再び座談会の続き
「被爆直前の飛行甲板」
秦 いよいよ六月五日攻撃の日となりますが、阿部さんは第一次攻撃隊でミッドウエ―爆撃にいかれたんでしたね。
阿部 はい、島が見えるか見えないかのところで、四、五十機の敵戦闘機が待ち伏せていた。(略)
秦 敵の戦闘機は強かったですか。
♪秦は地雷を踏んでいる。
阿部 まだ戦争慣れしていないなという感じでした。(略)
♪戦争慣れしていないどころではない。国家の命運を賭けた世紀の決戦だというのに、米軍は練習時間が必要量に満たない搭乗員や、実戦経験がない搭乗員まで投入していたのである。米軍は正規の戦闘ではまったく勝ち目がない、ヤラセでなければ勝機は見いだせないということを十分自覚していたので、戦闘の場面では使い捨て要員を投入し、『運命の五分間』の時だけ手練れを用いたのである。
「日本軍の戦死者総数三○六四名」
澤地 しかし、赤城の搭乗員がそんなに戦死していないというのは、どういうことなんでしょうか。
大井 聞くところによると、澤地さんはコンピューターを使ってミッドウエー海戦の全戦死者を調べられたということですね。
澤地 はい、日本側の飛行機搭乗員の戦死は計一二一名です。戦死者総数が三〇六四名。比率でいうと三・九五%にしか当たりません。アメリカ側の搭乗員戦死者は二一〇名。戦死者総数は三六四名ですから、搭乗員の戦死率は五七・六旧%。ミッドウエ―海戦は日本海軍の搭乗員に大きなダメージを与えた、というも言われてきましたが、数字上からみるとむしろ逆なんです。
大井 予備学生はどのくらいいますか。
澤地 アメリカ側で、二一〇名のうち七二名、割合は三四・二九%で、つまり三割以上が予備学生出身の搭乗員ということになります。
奥宮 アメリカの搭乗員は日本と違ってほとんどが将校ですね。
澤地 それからこの搭乗員戦死数を、各鑑別に申しますと、赤城七名、加賀二一名、飛龍七二名、蒼龍一〇名、三隈四名、最上二名、利根二名、筑摩三名。ここにさっき話に出たミッドウエ―攻略後の要員である第六航空隊所属者もふくまれています。つまり赤城の戦死は七名(うち機上以外の戦死四名)ということです。定説のように、飛行甲板にずらっと勢揃いして、まさに発進が始まろうという状況での被爆であったということが本当なら、もう少し死んでいるはずです。それで疑問に思われるのですが。
♪『飛行甲板にずらっと勢揃いして、まさに発進が始まろうという状況での被爆』→飛行甲板にずらっと勢揃いさせているが、搭乗員を乗せないのである。敵にスムーズに爆撃させることがシナリオの合意点である。敵の爆撃を受けるまで発艦させない、という意図が働いていたと思う。
大井 どうやって調べたんですか。
澤地 独自の調査です(笑)。四年もかかって調べたのです。ご参考までに、戦史者リストを表にしてご報告しておきますと、
兵科 一〇三三名 三三・七〇%
飛行科 一〇七名 三・四九%
整備科 七四一名 二四・一八%
工作科 六九名 二・二五%
医・看護科 一八名 〇・六〇%
主計科 一二五名 四・〇八%
軍属 二名 〇・〇六%
機関科 九六九名 三一・六二%
となります。これでみても、機関科と整備科の損耗はその後の戦いに響いたと思いますね。
阿部 機関科の九六九人は大きいですね。彼らはいったんは這い出してきているんですよ。だが通路などにいっぱいに積んだミッドウエ―占領後陸揚げの荷が、いっせいに火を噴いていて、逃げ場を失ったらしいんです。
秦 この調査にざっとどのくらいかかりました。
澤地 調査と取材とコンピュータの仕事を含めて四千万円を超えたでしょう。
大井 とにかく大変な調査だと思いますよ。敬服しました。
秦 澤地調査をふまえて核心に入りたいのですが、第一次攻撃隊がミッドウエ―爆撃にいっている途中に、よもやと思っていた敵空母発見電が入ったわけです。どんな感じで受けとられましたか。
「護衛戦闘機付きの正攻法で」
♪ここからヤラセ本番の検証に入る。小見出しはヤラセを正当化するためのコジツケである。
雀部 源田参謀でしたか、吉岡参謀でしたかがすぐにこう言いました。「まだ余裕があるな」と。敵空母とは約二百マイル離れている。当時の飛行機は時速二百ノットですから、来るまでに一時間はかかるだろう、という意味でしょうね。それで「戦闘機をちゃんと付けて、正規の隊形でやりましょう」と源田が言い出し、吉岡が三世して、草鹿参謀長も賛成した。それで決まったんで、だからあのときガタガタ大騒ぎした覚えはないですね。
♪指揮系統の決定は、源田と吉岡と草鹿でやっていたのである。
澤地 決定するまでどのくらいの時間が。
雀部 長い時間はかからなかったと思いますよ。そしてその命令が発せられてから、源田が「まだ時間があるから第一次攻撃隊をとりましょう」と言った。収容するという意味です。それですぐ第一次攻撃隊が着艦しはじめた。
秦 敵機動部隊の先制を恐れあわてて、判断を誤ったんじゃないわけですね。
雀部 動転なんかしていません。ただ「敵ラシキモノ見ユ」の第一報の位置が誤っていて、実際には百五十マイルしかなかった。だからこっちが考えているより早く、敵の機動部隊が来た。そこに錯誤があったと思いますよ。
♪『第一報の位置が誤っていて、実際には百五十マイルしかなかった。』というのは、驚くべき情報である。なるほどそういうストーリーだったのだ。
秦 山口多門少将(二航戦司令官)からの意見具申「タダチニ発艦ノ要アリト認ム」を却下したのも・・・。
雀部 あれを握り潰したのは、南雲長官と言われていますけど、源田参謀ですよ。
大井 一航艦の人的構成も研究してみる必要があるね。源田は話が上手だし、三段論法でくる。それにくらべて南雲忠一という人は・・・・。
雀部 その源田が内地を出た翌日から風邪をひいて肺炎になりかかって、ずっと寝込んだままでした。起きてきたのは五日の攻撃の朝でしたからね。判断力なんか鈍っていたと思いますよ。
♪こう思わせるための『肺炎』である。
秦 雷爆転換よりは、直衛戦闘機の都合がつかないたけに出発が遅れたんでしょうか?
雀部 ええ、雷爆転換で遅れたとは、私は考えませんな。
澤地 魚雷を陸用爆弾に転換するのに、どのくらい時間がかかったのでしょう?
雀部 大体、二時間とみていました。その逆も同じくらいです。
澤地 あのとき、兵装転換中にも敵機が後から後から、切れ目なしに襲ってきていますね。平常航海中に飛龍が訓練で兵装転換をやったときも、二時間以上もかかっているのです。大角度で転舵という戦闘中なんですね、あのときは。それで二時間でできますか。
♪戦闘中の兵装転換は厳禁である。この鉄則を最初に破らせたのが、飛行総隊長の淵田美津雄である。ミッドウエー海戦の直前のインド洋海戦で、戦闘中の兵装転換を南雲にさせてハードルを越えさせている。
雀部 〇一三〇に第一次攻撃隊が出たあと、〇二二〇に兵装転換の予令が出ているんですよ。だから魚雷なんか弾庫から揚げてあったと思うんですがね。だから割合に早いんですよ、転換が。
澤地 問題の〇二二〇の予令は、一航艦の「戦闘詳報」には「敵情特ニ変化ナケレバ第二次攻撃ハ第四編制ヲ以テ本日実施ノ予定」と表現されていますが、この第四編制は爆装を意味するんじゃないか。それに、予令なのに気をきかして、実際に爆装して待機していたんじゃないかという疑いがあるんですね。
♪ここでたまらず奥宮が口をはさむ。
奥宮 あのときのことは淵田美津雄さんと私の共著である「ミッドウエ―」にしっかりと書いてあります。この海戦に関しては彼の研究がいちばん早く貴重なものですよ。私は彼を信じますね。
♪そうです。淵田美津雄は仮病を使って観戦し、『しっかりと書いてあります。』奥宮正武はその淵田と二人三脚を組むことで、プロパガンダ作家として順調なスタートを切ることが出来たのです。
「敵艦隊か、ミッドウエ―基地か」
♪ハムレットのようなクサい芝居をするために、二兎を追うヘボ作戦が用意されたのである。
澤地 では、淵田さんのご本に基づいてお尋ねします。最初に魚雷を積んでいたという前提で話させていただきますが、〇一三○に第一次攻撃隊が発進する。同時に索敵機が出ていく。このうち問題の利根四号機が三十分遅れて飛び立つ。淵田さんは第一次攻撃隊が出撃したあと、「第二次攻撃隊、用意」という号令が拡声器から伝えられたと書いています。そして赤城ではエレベーターでチャンチャン音をたてて戦闘機や雷撃機が揚げられて「一方兵器員は弾薬庫のエレベーターで上がって来る魚雷を・・・・・飛行機に装備する」。そしてそろそろ日の出で薄明るくなってくる。「飛行甲板は第二次攻撃隊の飛行機で埋まった」と書いてあるんです。
奥宮 〇二二〇の予令はあくまで予定です。「用意せよ」じゃない、予定ですよ。『戦闘詳報』には「実施ノ予定」とあり、しかも「敵情ニ変化ナケレバ」と条件がついている。
♪おかしいではないか。あくまで“予定”であって“用意”でないなら、どうして『淵田さんは第一次攻撃隊が出撃したあと、「第二次攻撃隊、用意」という号令が拡声器から伝えられたと書いています。そして赤城ではエレベーターでチャンチャン音をたてて戦闘機や雷撃機が揚げられて「一方兵器員は弾薬庫のエレベーターで上がって来る魚雷を・・・・・飛行機に装備する」。』と書いているのか。
澤地 詳報の〇二二〇ではそうです。
♪詳報はそうです。淵田美津雄の書いていることと全然違います。
奥宮 この“予定”がそのまま実行に移される前には、必ず「予定のごとく行動する」という命令が出るはずです。ところが、その日は敵情が変化した。つまり米空母が発見されたので予定どおりにはいかなかった。
♪ますますおかしい。「敵情に変化があったのに第二次攻撃隊が用意された」と淵田は書いていることになる。
澤地 もう一度〇二二〇の予令に戻って考えますが、甲板上の艦攻隊は状況の変化がなければ、ミッドウエ―へもう一回爆装にかえて陸上攻撃に行くようになるかもしれんから、その心構えだけはしておけと・・・・・。
阿部 そう、心構えでしょう。
奥宮 “予定”というのはあくまでも心構えであって、行動に移すわけじゃない。
♪くり返すけど、観戦していた淵田自身が行動に移しちゃってると書いてるんだよ。『淵田さんは第一次攻撃隊が出撃したあと、「第二次攻撃隊、用意」という号令が拡声器から伝えられたと書いています。そして赤城ではエレベーターでチャンチャン音をたてて戦闘機や雷撃機が揚げられて「一方兵器員は弾薬庫のエレベーターで上がって来る魚雷を・・・・・飛行機に装備する」。』ね、行動に移してますね。
澤地 ところが、甲板上の飛行機は魚雷をつけて待機しているというのでしょう。そこへ予令を出すというのは、どういう意味なのか、ということです。
阿部 索敵機も出していることだし、ミッドウエ―からの戦果報告もあるだろうし、両方を見合して今後の作戦行動をどちらかに決める。が、いまの状況では陸上攻撃になる場合もありうることを考えておけよ、ということでしょうな。
♪だから陸上攻撃の準備を行動に移してしまっているのはなぜなんだ?という質問なんだよ。
奥宮 そうです。心の準備です。
♪だから心の準備を行動に移してしまっているのはなぜなんだ?という質問なんだよ・・・阿部と奥宮には澤地の質問を理解する能力がないのかもしれない。
秦 しかし気の利いた整備員や兵器員が弾庫から陸上用の爆弾をあげておけとなることも・・・・。
♪ついに秦が助け舟を出す。
奥宮 それはありえたでしょう。艦によって違います。
♪しかし澤地は追及の手を緩めない。
澤地 その状況下で、〇四〇〇に友永機から「第二次攻撃ノ必要アリ」という電報がくる。ところが数分後に米基地空軍の攻撃がはじまって、赤城は急角度で回避運動をやりながら、〇四一五に「第二次攻撃隊本日実施」、つまり予令どおりにやる、という命令がお下る・・・。
奥宮 「本日実施」で切ってしまっては駄目ですよ。その次を読まなきゃ。
澤地 「待機攻撃機爆装ニ換ヘ」となっています。ところが、〇四二八に利根四号機の「敵ラシキモノ一〇隻見ユ」電がとびこんでくる。そこで〇四四五に「敵艦隊攻撃準備、攻撃機雷装ノ儘」という命令が下りる。〇四一五から〇四四五まで、三十分しかたっていません。
「兵装転換が敗因ではない?」
♪兵装転換は、「敗因」の言い訳のために用意された一つである。そのために二兎を追うヘボ作戦が必要不可欠であった、というだけの話である。真の「敗因」はヤラセでボロ負けすることが既定のシナリオだったからであり、そのようなヤラセを昭和天皇がする必要があったからである。鬼塚英昭氏が検証しているように、そのように国際金融寡頭勢力から昭和天皇が脅されていたからである。国際金融寡頭勢力の傀儡政権として発足した田布施村王朝のいかがわしさ、成りすまし天皇家のスキャンダルをばらされると、昭和天皇は全てを失うからである。
秦 訓練でも二時間近くかかる兵装転換だから、三十分ではあまり爆装は進展せず、ほとんど雷装のままということになりませんか。
澤地 そうです。大部分はまだ魚雷を抱えているのではないか、と。よくいわれている魚雷→爆弾→魚雷という三ステップの定説が、時間的におかしくなるのじゃないでしょうか、ということです。
♪〇二二〇の予令の時点ですでに行動に移している、と淵田美津雄が書いているのは創作ということになる。
秦 つまり、その気ならすぐ雷撃隊を出せたはずだと?
奥宮 しかし、そのときは、直衛戦闘機が上空に出ていて直衛につけてやるのがいないから、駄目なんですよ。
♪奥宮はヤラセのシナリオに添って発言している。参謀長の草鹿隆一がこれとまったく同じことをプランゲのインタビューに対して答えている。草鹿は即時発進させなかった言い訳、こじつけ、自己正当化を延々と述べている。
澤地 それはわかります。でも、この兵装転換の混乱が“運命の五分間”の遅れとなったという定説は、成立しないんじゃないか、ということです。
♪私も『運命の五分間』説については疑問を持っている。実際はもっと幅があったはずである。
秦 やはり戦闘機をつけねばということにこだわったんですかねえ。
奥宮 そうです。
澤地 それにしても赤城の被爆が〇七二六ですから、その後二時間半も発進できないまま放っておいたことになりますよ。
♪つまりこれが『運命の五分間』の実質の幅である。この『定説』を捏造したのは淵田美津雄と奥宮正武である。二時間半も発進させない理由をずらずら並べたあげく、『運命の五分間』などとドラマチックな言葉で粉飾している。正しい表記は『運命の二時間半』である。
秦 戦闘機をつけてやりたいという親心といいますかね。それは源田さんでしょうか。
雀部 南雲さんじゃないですか。
♪源田実と草鹿隆一である。
澤地 繰り返しますが、兵装転換問題が命取りになった、といままで言われてきた定説は崩れるわけですね。
奥宮 そうも思いませんがね(笑)、戦闘中には、冷静な時にはちょっと考えられないことが起こるものなんですよ。
♪こんな人間を相手になおも澤地は健闘するのである。
「戦闘詳報」は正しくない
♪もちろん戦闘詳報は真実を伏してあるだろう。真実を書いたらヤラセが崩壊する。しかし、淵田美津雄、奥宮正武、源田実、草鹿隆一らの偽証や、秦郁彦のようなデマゴギーに較べたら、それほどデタラメは書いていないだろう。
澤地 なお私はこだわるんですが、戦史業書の「ミッドウエ―海戦」には、「〇二二〇南雲長官は状況に変化がなければ、第二次攻撃をミッドウエ―に施行する予定と予令。各艦陸上攻撃用爆弾に準備を開始したものと思われる」と書いている。これは間違いないでしょうか。
奥宮 それは「思われる」と書いてあるように、書いた人の主観であって(笑)、「開始した」ではないでしょう。
♪奥宮の詭弁ここに至れり。奥宮はたったさっき、これとそっくり同じことを書いている淵田美津雄のことを、『あのときのことは淵田美津雄さんと私の共著である「ミッドウエ―」にしっかりと書いてあります。この海戦に関しては彼の研究がいちばん早く貴重なものですよ。私は彼を信じますね。』と持ち上げている。淵田美津雄は『いちばん早く貴重なもの』、しかし戦史業書は『書いた人の主観』・・・。奥宮は澤地の質問の意味が分からないだけでなく、こんな情けない使い分けまでするのだ。使い分けのスペシャリスト中田安彦君でさえ、ほとぼりを冷ましてから使い分けるくらいのデリケートな神経は持ち合わせている。こんな芸のない雑駁なことはしない。
澤地 これは公刊戦史なんです。
奥宮 公刊戦史といっても間違ったところ、正確でないところがいっぱいあるんですよ。これは資料だが、戦史じゃないと私は思っています。
澤地 でしたら〇二二〇の予令は、どう考えるのがいちばんよいのか・・・。
奥宮 僕は心の準備だと。
澤地 整備員も兵器員も予令の段階ではやはり心の準備どまりですか。
澤地 予令の時に既に何かが行われていたのでないか。これは素人の勘ぐりですが。
♪いや、観戦していた淵田自身が既に第二次攻撃の準備をしていた証言しているのである。
澤地 さらに、もう一つこだわるんですが(笑)、源田さんと奥宮さん共著の「ミッドウエ―」は、先刻珍重すべき文献だと奥宮さんが言われました。それでお尋ねするのですが・・・・・。「敵艦隊攻撃準備」命令が出されるのは〇四四五でしたね、「戦闘詳報」によれば。ところが「ミッドウエ―」によると、南雲長官が敵艦隊撃滅を決心したのは午前五時四○分、つまり〇五四〇になっているんです。これはどう考えたらいいのか。
奥宮 この「戦闘詳報」が正しいとは限らないと、私は確信しています。
♪奥宮は澤地が「戦闘詳報」の矛盾点を突くと、“公の戦史史料は主観的なものが入っているから正しいとは限らない ”と言い、『この「戦闘詳報」は正しいとは限らないと、私は確信しています』と言う。しかし二兎を追う作戦が追究された時には、「戦史業書」の妥当性を強調していたのである。奥宮正武はプロパガンダを吹いていると、私は確信しています。
澤地 エッ、正しくないのですか。
奥宮 正しくないところがある。
♪奥宮は、正しくないところがあり過ぎる。
秦 澤地さんが言いたいのは、利根の四号機の〇四二八の「敵ラシキモノ」発見電ではなく、〇五二〇になって判明した「空母ラシキモノ一〇隻ヲ伴フ」電によって、南雲長官はやっと戦艦隊攻撃を決心したということなんでしょうか。それまでは、「いるのかな、どうかな」というので、何となく・・・。
澤地 ええ。〇五二〇まではミッドウエ―第二次攻撃の方にだけ頭がいっていたんじゃないかということです。
雀部 そう、確かにその傾向はあった。「敵ラシキモノ」でピーンときたわけではないのですね。それに、利根の索敵機の位置が予定とかなり違っているでしょう。それに気がつかなかった。
♪索敵機の位置が違っているという重大ミスは、シナリオなのだと私は思う。
澤地 そうなると、「戦闘詳報」の〇四四五の「敵艦隊攻撃準備」命令はなんだったのか。私が「戦闘詳報」にメイキングがあると考えた一点はここにあります。源田さんの本の〇五四〇の方が正しいのか。
♪澤地の果敢な粘りは素晴らしいと思う。しかし木を見て森を見ない弊害がある。だから淵田美津雄や源田実が仮病を使っていることも、面と向かって座談している奥宮の正体も分からない。
「運命の五分間」の内幕
澤地 さらに驚かされるのは、「戦闘詳報」では〇五五四に、赤城から利根四号機に「方位測定用電波輻射セヨ」と命じています。
♪この失策はヤラセである。この重大ミスを止められなかったのは、源田が肺炎になりかかって寝ていたからだというシナリオである。その命取りの命令に驚いた源田が、慌てて止めようと病床から飛び起きた、まさにその時命令が発せられてしまった、という筋書きになってます。
澤地 その上にですね、〇五二〇の「空母ラシキモノ一隻」電が入った後にも、赤城の艦爆隊がまだ上空で収容を待っている、その艦爆隊に「二次攻撃準備、二五〇爆弾揚弾」という命令を、〇五三〇に出している。
雀部 その二次攻撃というのは艦船用でしょう。
阿部 陸用爆弾じゃない。
澤地 どっちだかわかりませんが、お尋ねしたいのは、格納庫が艦攻の兵装転換で大混乱しているであろう最中に、そこへ、これから収容する飛行機の爆弾を揚げている。これはどういうことなのか。
♪あらゆる手を使って甲板と格納庫をパニック状態にするためです。
阿部 要するに着艦したらすぐに格納庫へ降ろして、爆装できるように。
澤地 すいぶん余裕綽々なんですね。(笑)
阿部 そうそう、まだ余裕があった。
澤地 敵空母が発見されているのにね。
阿部 いやいや、見つけているからこそなおのことです。急速に整備して出すためには、爆弾を出しておいて、格納庫に収めたらすぐ爆弾をつけて、敵艦を攻撃できるようにしておく・・・。
澤地 順序からいうと、この揚弾命令がでて、方位測定用電波が出されるというわけです。一航艦には時間が十分にありすぎた・・・・。(笑)
♪澤地以外は顔が引きつっていたのではないだろうか。
奥宮 結果からみて「運命の五分間」になったけど、やられる前は、源田参謀の思うとおりに事は運んどったんです。
♪結果からみて「運命の五分間」になるために、源田参謀の思うとおりに事を運んどったんです。
澤地 しかも無線封止を破りますね。もしかすると敵にキャッチされたかもしれないのに、そうは考えないで五日の朝になっても「敵ハ我ガ企図ヲ察知セズ・・・発見セラレ居ラザルモノト認ム」と思う、このズレは大きすぎます。
♪敵と我が企図にはどこにもズレはない。日米はヤラセの相性が良いと思う。
「生かされなかった戦訓」
大井 ずっと聞いていると、戦闘場面の方はどうも責めてもしかたのないことが多すぎる(笑)。しかし、元凶は軍令部だとか、GFにあるな。
奥宮 私もそう思います。それと日本人の国民性ですね。
♪元凶は成りすまし天皇家にある。そういや戦犯対策用に急拵えした昭和天皇独白録も、日本人の国民性に罪をなすりつけていたっけ。
秦 われわれが不思議に思うのは、なぜ飛行機に素人の南雲さんを長官にしたのか、ということなんですね。
雀部 そうね、すべて源田の言うとおりになって、「源田艦隊」と呼ばれました。その源田が鼻っ柱が強くて。
♪そうね、すべて源田の言うとおりになって、ヤラセを完遂させるためだね。あと南雲が元長岡藩士の息子であるというのが大きいと思う。
奥宮 司令長官クラスに航空作戦を知ったひとがいなかった。
♪栗田は例外であるが、司令長官クラスにはヤラセを知ったひとがいなかった。GFの参謀クラスや軍令部スタッフには、ヤラセを知悉した工作員がウヨウヨいた。
板谷 戦訓は、大きな戦争指導の面でもついに生かされることはなかったわけです。
秦 では、この辺で。
♪ヤラセの戦訓を生かすには、ヤラセの元凶を断ち、二度とさせないことしかない。
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