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お笑いブームだのといわれて久しい日本のTV業界。
しかし、少し売れたくらいのコンビなどはマニュアルでパターン化した薄っぺらいしゃべりを提供するだけで
アドリブのぶっちゃけ本番で緻密に計算された創造的な言葉を作り出す能力が乏しい。
ポストたけしの有力候補であったダウンタウン、クリームシチュー、に続く才能は
これだけ多くの芸人がいる中、殆ど見て取れないのである。あえていうなら・・・・・・
女のYOUと中島だろう。明らかに他とレベルが違うのはこの二人だ。
オセロ中島は、京都市の出身であり、これは一つには反則といえる。バラエティー番組を
地方出身者や首都圏の連中が頑張って作っていこうとしているときに、京都人が介入するのは
ある意味暴力である。地域組合でできたキックボクシング同好会に、1人だけタイ人がくるような
ものだと思えばいい。言葉のセンス、コメディー文化の土台があまりに違いすぎるからだ。
京都には、中島くらい話せる女など10人に1人くらいいて、彼女らはスノッブなので
お笑い業界などには関心さえもたないのである。
スタートからして中島は特権的であった。ずば抜けた実力、大学時代はキャンパスクイーンに
選ばれた器量、そして少数精鋭下克上が売りの松竹芸能を選んだことも勝ちを決定させた要素である。
持っている素質が違うのだから、ウッチャンチャンだとか、ネパールズとかいう三下と共演しても
差がつくだけであり、疾風のように中島は全国番組の仕切れる稀有な女性タレントへと成長した。
中島には大きな欠点があった。それは、欠点がない、ということである。才色兼備で、元気の塊。
これは芸人にとっては致命傷である。芸人は、欠点や挫折を語り、自嘲することで最大の魅力を
発揮する生き物であり、それができないならただのスターである。中島はスター路線を走りすぎたことで
周囲の反感をかい、足をひっぱられる運命とかちあったのである。
色物バラエティーなどやめ、周囲の嫉妬や反感など全部無視してイメチェンをはかり、
たとえばアメリカのオプラ・ウィンフリーのようなしゃべれる司会者へと
転向していくのが理想だったと思われるが、いつまでも芸人のレッテルをも引きずり続けたため
芸人の性につまづきはじめる。才色兼備の勝ち組であることとバランスを取るため私生活を
崩壊させて芸人のよりどころであるコンプレックスを無理矢理捏造しなければいけなかったからである。
これは一度はまると抜け出せないスパイラルであるのだ。
霊能力者の存在というものは、その自虐行為の導師とでもいうべきものだろうか。
心の弱みにつけいられて生活をコントロールされたかのように言われているが、
実際には中島本人が必要としていた「芸人自己を守るための堕落」の手助けをしてくれたにすぎない。
本来、類似した運命が待っていたはずであったのは松本人志である。
売れて重宝されればされるほど、芸人魂を取り戻すために栄誉失墜のとんでもない自虐行為に
身を滅ぼすタイプが彼であるが、そうしないですんだのは、一重に暴力をふるい暴言をはく
相方がいたからである。浜田が西川きよしのように清く正しい方向に変化していったなら、
おそらく松本はとっくの昔にパンクしていただろう。リッチでセレブな人生に流されず、初心を
持って芸人風情の不良の倫理律というもので常に松本をどやしつづけた相方がいたからこそ
今の松本があるのである。松嶋はその点、上品すぎ特権的すぎて中島の現世離れを手伝うだけであった。
(中島の処方箋)
霊能力者とは別れたほうがよし。だが、それが原因ではないので、別れただけでは
復帰できない。合った相方をみつけないといけない。良家出身の松嶋では無理なのだ。
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