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昨年12月に、20歳のヒキコモリによって起こされた小学校襲撃事件。凶悪銃器犯罪とは一番無縁のように思えるコネチカット州の平和な片田舎で起こった惨事だけに、その社会的衝撃度はマグニチュード10を記録したとでもいえようか。
ネットでは、当初よりすでに陰謀史観を持つ懐疑派によって公式見解への矛盾点が指摘されている。Youtube一つをとっても「サンディー・フックはあらかじめ計画されたヤラセだった」という結論の動画は山ほどあり、その説得力の強さに多くのヴューアーが「銃規制化を促進するため国家が銃犯罪の恐ろしさを訴える演劇を仕組んだ」ことを既成事実として受け入れている。
思えばこの手のネット陰謀論も一昔前とは比較にならないほど重宝される時代になったものだ。911のときなど、はじめは「アルカイダのテロ」を否定するものは一部の現実逃避したナラズモノという扱いしか受けなかった。それが、ツインタワー崩壊から3年して大衆映画家のマイケル・ムーアーが「華氏911」を発表し(陰謀論マニアからすれば、序の口の推理でしかなかったのだが)911の実情がゆるやかに露呈する展開を作った後にネット映画「ルース・チェンジ」が出てきて多数派の意識を変革したのだった。その時間差たるや、ざっと5年。しかし、今では事件がヘッドラインを飾ったその日のうちに、ブログでYoutubeでツイッターで「真実を暴く」ための陰謀論が語られる。911が全てをかえてしまったようである。
今回の小学校シューティングに関していえば、その事件の背後にある事実関係は生還した目撃者を含め全て実際にいる多数のローカル市民によって裏づけされているだけあって陰謀論の入り込む余地はない。しかし、一度911にまつわる「権力の野望をなぎ倒す(自己満足の)運動」に味をしめた陰謀論者は、そんなことはおかまいなしに、ありとあらゆる難癖をつけてはサンディー・フックもでっちあげにしてしまう。
陰謀論をネタに商売をする宇野正美やコシミズじゃあるまいし、私もさすがに一々それらの隅々にまで目を通す暇はない。てなわけで連中の試行錯誤が一通り到着点を迎えるまで放っておいた後に、一応はみてみたんです。アメ公どもの言い分を。みなさんが時間を無駄にしないように、要点だけを紹介しますね。「ココが変だよ!サンディー・フック」
@惨事を物語るだけの状況証拠がメディアにあがってこない。(血痕、死体、逃げまどう学童・・・などの写真)
普通に考えて小学校にカメラのついた携帯を持ってくる児童はいない。現場の撮影を行ったのは事件の後に到着した警察や報道陣のはずだ。ほら撃たれたガキの血痕だ!あとでアップするぞう!などといってシャッターを押しているような奴がいることのほうがおかしい。
イラクで拉致された米人や韓国人や日本人などの「首切り」動画を当たり前のように鑑賞してきたネット人種は、映像が精神的外傷を生み出す危険性について理解していない。凄惨な画像を簡単に記事や投稿にして一般公開するのは非常に危険なことなのだ。
南京レイプ問題で常に日本側と確執関係にあった中国系米人ジャーナリストのアイリス・チャン氏が戦時中の蛮行について調査しているときに虐殺写真のせいで精神を病み生気を失い、やがて自殺に至ったことは記憶に新しい。噂によると、一部ではチンパンジーが3匹で生きた人間の子供を食べているビデオが出回っており、かなりの確率で発狂者がでたのだともいう。
どうしてもグロ映像がないと事件が信用できないのなら、各自が警察・FBIにコネを作り、特別に極秘ファイルを開示してもらうことだ。銃弾をあびて亡くなった無垢な子供達の死顔をみることでそんなに満足なら、そうすればいいだろう。
A 「第二、第三の被疑者がいた」
実際のニュースの映像などを引用し、キャンパスの外にある茂みで成人男性が逮捕されていたという市民の証言を出してきてはアダム・ランザの単独説を覆そうとする陰謀論者達。
緊急体制をはりめぐらせ、事態の収拾に全力を注いでいた警察が周辺にうろつく不信な人物をパクることは、実に自然な手順である。捕まえられた人間にすればたまったものではないが、あとで疑いははれたことは間違いない。
もし事件がやらせだったとすれば、はじめから当局は犯行の全容を把握しているわけであり、ランザ以外の人間を逮捕する必要など全くなかったわけだから、逆に「第二の被疑者の逮捕」は警察が情報的な混乱状態にあったことを示す証拠である。
B 事件の数日前に犠牲者基金のアカウントがFacebookに登録されている。
私もこの見出しを見たときは思わず首をかしげたが、これは単純な連中の早とちりであった。基金受付が発表されたのは事件後であり、そのアカウントの持ち主が偶然数日前に別件でFacebookに登録していたため開始日が先立っていただけであった。誤解をさけるため、新たに新規アカウントを作成すべきであったのだろうが、それにしてもとんだとぱっちりである。騒ぎのため、アカウントは後日消去されたが、今度は「Facebookに権力者から圧力がかかったため削除になった」などと鬼の首をとったように陰謀論者は叫びだすのだ。諸君、喜劇は続行中だ!!
C 被害者の家族が悲しんでいない。
横山やすし氏の葬儀で弔辞を詠んだ元・相方の西川きよしが、実はカメラマンと打ち合わせしてキューの合図で無理矢理に即席で悲嘆するフリをしていたことを、居合わせたビートたけしが「TVタックル」で告発していたが(ネタにきまってるが)、まさにこれが起こったのがサンディ・フックの親族記者会見。
カメラがすでにまわっていることに気付いていない犠牲者の父親が、まわりの人間と談笑しながら、マイクに近づき、オンエア本番開始の前に急にシリアスな表情にかわり、「役作り」をして悲しみの演技に持っていくところの一部始終が無編集画像としてネットに出回っているのだ。
私も見てみたが、確かにわざとらしい芝居をしている。わざとらしすぎて、同情する気が失せてしまう。本当に愛娘を失ったばかりの中年男には見えない。陰謀論者は、この男だけでなくメディアに登場した他の犠牲者の家族の淡々とした態度をとりあげては「誰も泣いていない。少しも傷ついているように見えない」と指摘し、被害者の心理に少しも映し出されることのない大惨事の効果に疑いをかけた。やはり国家の指導のもと、小学校を舞台にして行われた芝居だったのか・・・・。
これに関しては、あまり日本人には聞きなれない説かもしれないが、実は私はアメリカという国にある特有の演劇体質というものを解答に持ってきたい。なにもハリウッドのスターを目指してオーディションに備えている層のことを言っているのではなく、ごくありふれたアメリカの一般市民についての話だ。アメリカ人は、ドラマチックに話す練習を子供の頃から学校で課されていて、たとえば「悲しい思い出」について5分の演説を即興でするような訓練が国語教育の一旦に義務づけられているのである。無論、聞き手の心を打つため、大袈裟な感情表現が評価のポイントになる。そういった土壌で成長したアメリカ人からすれば、たとえ肉親を失った後に行うスピーチであろうと、一つのプロジェクトとしてこなす社会表現でしかないのである。そういう場所で、我が子かわいさに冷静さを失って泣き叫ぶような行為は教養のないマヌケな人間だという烙印につながる。これがアメリカという国なのであり、遺族の不可思議な態度は、この国ならではの情動管理のなせるわざなのだ。(いい加減、こんなことを有名ジャーナリストが誰一人教えてくれないということに気付いてね!)
D 受け持ちの教室の生徒を独自の判断で洗面所に非難させ怪我人を出さなかったことで英雄あつかいされた女性教師は、実は他州のエージェントに登録されたミュージシャン・俳優だった。
私も、児童を守ったことよりもむしろ、こんな美人が小学校で先生をしていることのほうに驚いた。学生時代モデルやエキストラの仕事をしていたといっても誰も疑わないだろう。しかし、彼女がサンディ・フックに勤務していることは最低でも数百人〜数千人の関係者が証言できることなので、ごまかすことは不可能だ。エンターテイメントの世界にいるタレントは他人の空似であることはいうまでもない。
メディアのインタビュー用に雇われた役者で「小学校の先生になりすまして台詞を言った」のだとすれば、当然、児童の親などからクレームがつくだろう。
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他にもいたるところに難癖がつけられ、サンディー・フックは権力による仕込みだったと唱える陰謀論者は後を絶たないが、どれも真剣に受け取らざる得ないほどの決定打を持っていないため私は既に『無理のある陰謀説』のファイルのほうに蔵入りさせてしまった。
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