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卑弥呼の都、邪馬壱国の住所は、「鹿児島県霧島市隼人町内2496」
http://www.asyura2.com/12/cult10/msg/832.html
投稿者 会員番号4153番 日時 2013 年 3 月 24 日 10:57:19: 8rnauVNerwl2s
 

GHQの焚書である三島敦雄の「天孫人種六千年史の研究」(八切止夫復刻『天皇アラブ渡来説』)を読んだ。この本はGHQに徹底的に焚書され、古本屋でも、なかなか、売っていない。

三島氏は、三島神社神官で、日本の都は古代の一宮にあるという主張をしていて、バビロニアから移住してきた我らの祖先は、鹿児島に建国し、大隅国一宮である鹿児島神宮が太古の都であるとした。

そしてその鹿児島神宮の住所が「鹿児島県霧島市隼人町内2496」。

邪馬壱国については諸説紛々だが、正確に歴史を復元できる人達は九州が邪馬壱国だと主張している。

まあ、地図を見て、参考リンクを読んで悠久の歴史に思いを致してください。

オリエント歴史回廊(遷都):(ウバイド・シュメル)から
http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-date-201212.html


・・・
卑弥呼の遷都は、近親である高句麗王・位宮や、

 それまで保護者として畏敬してきた公孫氏が、

 次々に魏に侵略され国を奪われた惨劇を身近に感じた卑弥呼が、

 切迫する戦禍対策として打った対魏親善外交と表裏一体をなす、

 他に選択の余地のない非常行動だった。

 これは彼女の女王国が朝鮮半島と隣接していたためであって、

 はるか東方の奈良が都だったのなら、

 遠く離れた朝鮮で何が起こっていようと、

 七万戸=百数十万人もの人々 を、

 はるばる水行10日、陸行1か月もの遠距離へ

 大変な苦労を重ねながら大移動させる必要はない。

 だから『倭人章』が書く彼女の遷都は、

 都が九州で、絶対に奈良ではないという証拠である。

 『倭人章』はその遷都を詳細に記録している。

 それは梯儁の拜仮が伊都時代を記録。

 張政の水行10日が八代を記録。

 陸行1 カ月が隼人・国分を記録。

 そこにウワイ=「倭」という国名への邦文の当て字「上井」が、

 今もなお地名として残っているのだ。

 さらに「女王の所都」と張政が書いた「邪馬壹国」の名もまたそこに残っている。

 邪馬壹は唐代以後は読み方がヤマイチと変わり、

 ヤに八、マに助詞のンが付けられて幡、イチも市の字が当てられて

 八幡市(はまんち)という宗教商工都市として栄えた。

 そこには今もそのままハマンチ(浜之市)という地名が遺り、

 最古の八幡宮である元「大隅一之宮」=鹿児島神宮が遺っている。

 ※出典:加治木義博「言語復原史学会・大学院講義録40:13頁」
・・・


親魄(にきたま)に逢う蔵書から
http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/30955162.html


「『女王の所都=邪馬壹国』は隼人町一帯」
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:28頁

 鹿児島神宮が鎮座する字の名は「内(うち)」だから、ウチナ=沖縄からきた遷都を物語っている。大御神=卑弥呼を祭る伊勢神宮のある宇治山田の宇治は、このウチに対する当て字でウチと発音しなければいけない。これも卑引呼が鹿児島神宮の鎮座地と姫木山にいた証拠である。

 では壹與は卑弥呼の死後、女王になって何処に都を置いたのか?これがヤマタイ論争の究極の主題『女王の所都=邪馬壹国の所在』 なのである。
 『三国史記』にある壹與の「新羅本紀」の名乗りは赫居世だが、この居世は、重箱読みされたイセに対する当て字の一つであり、居西干=イセカンと号したとあるから「伊勢神=伊勢の大神」が彼女の名乗りで、卑弥呼の次の天照大神になったことが判る。
 そして彼女は徐那伐=ヨナバルを国号にしていたという記事があるから、沖縄の与那原で即位している。

 沖縄人だから、やはりウチナで、鹿児島神宮も伊勢神宮もどちらも彼女を祭っている。
 鹿児島神宮には彼女が神功皇后として鹿児島にやってきたときの遺物である
 「潮干るの珠、潮満つの珠」が神宝の中にあり、私は戦後すぐそれを計測し、写真に撮らせて頂いた。だから、壹與は間違いなく政変後は鹿児島神宮が鎮座する「内(うち)」に居た。

 張政が書いた『女王の所都=邪馬壹国』の中心=皇居は、時間帯からみて、ここ以外にはあり得ないのである。
・・・・・・・・・・・・・・・


<参考リンク>

◆「日本人シュメール起源説」の謎
 http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb301.html


まず、三島氏はいう。

「古語に天皇をスメラミコトとも、スメラギ、ミカド、明津神とも申しあげることは、国家としてはかつて国の基底であった。なのにこれら原始時代の言語は、すでに遠く古代においての言義を忘失し、ために我々が民族史も国語の理想信仰も、不徹底ならざるを得なかった。しかしその語源を徹底研究することによって、われらが日本人の本源は、さながら暗雲を破れる旭日を仰ぐ感じでわかってくるのである。」

この語源とは何か。

「スメ(皇)、スメラ(天皇)とは古代バビロニア語のスメル(Sumer)と同語で、ル、ラは助辞の変化、シュメールとも発音された。このスメとは神の意で、ラテン語のスメ(Summae)も至上至高の意で同系語である。スメ(皇)をすべ(統)の意に解して“統制”の意にするのは、はなはだしい間違いで、天皇=神であり、スメル国は皇(スメ)国と一致して神国ということなのだ。また、スメラギとはスメル、アグ(AK)の複称であり、ミコト(尊、命)、ミカド(天皇)の言語はミグト(Migut)の転訛で“天降る開拓者”すなわち神ということ。明津神とは、シュメール語の日神ウツ(Ut)の御子たる火神アグの権化として、この国土に降りたまわったのだ。」


すなわち、三島氏によれば天皇の古語はすべてシュメール語で解釈でき、いずれも“天から降られた神”を意味している。とすれば、古代の日本に天皇をいただいて天降った(=渡来した)民族は、シュメールの王族とその民だった──ということになる。

また、古代バビロニアの日像鏡、月像の首かざり、武神のシンボルである剣は、日本の三種の神器に一致し、古代バビロニアに多く見られる菊花紋は旭日を美術化したもので、皇室の菊花紋章に一致する──とも指摘して、証拠を次々に突きつけている・・・

なお、八切止夫氏の『天皇アラブ渡来説』によれば、三島氏の著作『天孫人種六千年史の研究』は、昭和10年代には陸軍大学、陸軍士官学校の課外読本の一つに採用され、ペルシャ作戦、アラブ侵攻計画といった机上演習もなされたという。つまり、昭和11年以降、三島氏の本は時代の流れの最尖端を行く超ベストセラー(合計100万部近い)であったという。

しかし、1945年8月の敗戦後、アメリカの占領軍は、この本を1冊残らず探しだして没収し焼却した(焚書)、と八切氏は述べている・・・


◆「帯方郡から女王国まで1万2千余里」の正しい計算法(2)
 http://matmkanehara.blogspot.jp/2012/01/blog-post_19.html


◆鹿児島神宮 - Wikipedia
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%85%90%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E5%AE%AE

鹿児島神宮(かごしまじんぐう)は、鹿児島県霧島市隼人町内(はやとちょううち)にある神社。式内社(大社)、大隅国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 別名として大隅正八幡宮とも。


◆浜之市
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E4%B9%8B%E5%B8%82

浜之市(はまのいち、はまんち)は、鹿児島県霧島市にあり鹿児島湾に面した港湾およびその周辺の地名である。隼人港(はやとこう)、浜之市港(はまのいちこう)とも呼ばれる。

1223年(貞応2年)の記録によると、小渡の津、姫木が浦とも呼ばれていた[1]。江戸時代には浜之市村を名乗り、1889年(明治22年)の町村制施行に伴い西国分村(後の隼人町および霧島市)の大字となった・・・


◆文化財【隼人】
 http://www.city-kirishima.jp/modules/page045/index.php?id=4


◆西海道の一宮
 http://www45.tok2.com/home/todo94/ichinomiya-saikai.htm


◆卑弥呼時代の旁国所在地一覧リスト
 http://momohahamatmkanehara.blogspot.jp/2012/09/blog-post_27.html


◆扶余は南風(ハヤ・ふぇー)。ギリシャから来た日本人
 http://www.asyura2.com/12/cult10/msg/766.html


◆天皇は朝鮮人!?それでもいいけど古代朝鮮は倭人が建国したんだよね。
 http://www.asyura2.com/12/bd61/msg/111.html


◆位宮が垂仁天皇だった証拠
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-entry-1397.html


※韓国人の大好きな「桓檀古記」は、韓国人が漢字が読めないので、鹿島昇氏が
 現代語訳したわけだが、ネタ本の三国遺事には、わずかな記載があるだけだ。
 内容は三国史記と一緒で日本書紀を翻訳したようなものです。

 熊と結婚する話が出てくるが、そんなはずはないので、熊=「クマン」=「熊毛」
 種子島、屋久島辺りの話です。

 

 

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