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あれはー誰だ誰だ誰だあれはニビルニビルマーンニビルマーン
裏切り者のー名をー受けてープライド捨ててー笑わす男ー
ニビルー隕石神の杖、ニビル津波は核爆弾、ニビル地震はハープだよ
じじいの依頼ー引き受けたー奴等のヒーローニビルマンニビルマーン
という訳でニビルもキロンも天体詐欺で想定外キャラクターは飛び出すかもしれないが地球外生命体のニビル人もキロン人も
とりあえずはおらず連中が借金を踏み倒す為に隕石がぶつかるぞー宇宙人が攻めてくるぞーと大騒ぎしているだけであり多重
債務者の常套句である。
お花畑系のなんとか星からきたなんちゃらも武富士星人やプロミス星人やアイフル星人で貸した金返せよーというかご返済は
計画的にの金融系偽ユダヤのギャグである。
日本は戦争系偽ユダヤと金融系偽ユダヤの仲の悪い団結に生じる隙間をついてしたたかに生き延びねばならず難しい舵取りを
迫られるがモーゼの十戒がベースと思われる武士道や教育勅語を総称した大和魂を発揮すればそれが可能なのであり要は真面目
に普通に生活すればそれが連中にとって一番手強いのであり普通を続ければいいのである。
日刊ゲンダイと正反対に腐り果てた週刊現代が偽イスラエルのマグナ社をとうとう報道したが先日の小泉の甥の逮捕といい偽
ユダヤも偽キムチも追い詰められているようである。
日本でこれだけばれているという事は英語圏ではその何倍もくそじじいの悪行が告発されているという事でありローマ法王の
司法取引的退位もカソとプロと問わずキリスト教がハチャメチャになっている事が想像されくそじじいの仕込みにも思えるが
裸の女子集団が乱入する事が珍しくないようで私も洗礼を受ける事に決めた次第であるがパイプオルガンでタブーが演奏され
加藤ちゃんがちょっとだけよあんたも好きねえと踊ってもおかしくないぐらい乱れているようでもはや教会ではなく道頓堀劇場
である。
それも当然で有色の聖職者のキリストなりモデルとなる複数のキャラなりがあって日本にも小麦色のキリスト達が大勢来ていた
ようだが献血を終えたイケメンのバスケの選手みたいのが磔にされているのを拝めと言われてもオバタリアンだったらキリ様ー
とか心の中で叫びながら祈れるだろうが男連中からしたらエマニエル夫人の磔姿だったら拝みたくなるがフブサメンからしたら
こいつ超ムカつくーとか思えてしまいお祈りどころではない訳である。
大作もよく創価おばちゃん達のホストみたいな事を言われていたが要は教祖というのはジャニーズみたいなもので熱狂している
ババア達からすれば教義などどうでもいいが亭主に説明がつかないからああたらこうたら書いてある教本を勉強しているフリを
しているが夫婦喧嘩一つ治らない訳でこれからの宗教詐欺ビジネスをコンサルすると石原プロの連中をぶっこ抜いて日替わり教祖
を用意してできればAKBみたいに男女の教祖を48人ぐらい用意すれば価値観の多様化に対応でき座談会もアリーナ席とかA席
とか有料にして寄付や新聞の売り上げ落ち込みをカバーすればよくいっそ吉本とかと提携すれば生き残れる筈である。
スカートめくりを始めてかれこれ半世紀が経つがこれまでの人生でいろいろと喜怒哀楽があったが全てとは言わないがやはり自分
も家族も友人も幸不幸の波が人並みにあったが悩みのほとんどは経済でありその原因を辿っていくと偽ユダヤのくそじじいが不必要
に富を独占しなければ何も問題なく世界は回るのでありキャバ嬢にふられたーとか冬のゴミ捨てやだよーとか部下にアホだと思われた
よーとか経済以外の問題は大した悩みではなく会員制宗教クラブに入らなくても自分で克服できるものであり全ては偽ユダヤのくそ
じじいの矯正か排除にかかっている訳である。
連中も我々の世代が偽ユダヤのくそじじいみたいにでかい家に住みたいよーとか霊柩車みたいに長い車に乘って女房以外の女子を乗せ
たいよーとか東京靴流通センターじゃない靴履きたいよーとか思っていた時は優越感にひたれて楽しかったと思うが氷河期世代という
宿命のライバルが現れて全部いらなくねとか言われてガキがオモチャにはしゃいでいるのと大差ない事がばれて優越感という喜びを
失ってしまった訳で憎まれるわ嫌われるわ馬鹿にされるわで連中もそろそろ偽ユダヤ劇場をたたみたくなって氷河期世代みたいに貧乏
ごっこをしてみたくなってしまったものであり無いものねだりや隣の芝生が連中の原動力になっていた訳で実に下らないのである。
幸福感は財力や武力に必ずしも比例しないからわれわれのささやかな幸せの方が密度が濃く上質な訳である。
連中がスティルス戦争や天体詐欺に走ったが氷河期世代には見向きもされずサイレントテロに敗れたという訳である。
これは頭にチップを埋め込もうがマイナンバーで我々を管理しようが連中には充実感はないからなにをやろうと無駄である。
連中が幸福になるには下らない執着を捨てる以外になく我々に強制されるものでもなく連中自体が気付く以外にないが氷河期世代の
発泡酒パーティーや自転車をピカピカに磨く姿が手本となる筈である。
連中のいけない所は他人を支配というか他人の事ばかり気になって自分への関心がおろそかな事であり仏教的になるが内なる宇宙に
こそ目を向けるべきでありそれが疎かだから我々をいじめてサド的な刹那的な快感を求めて走り続けているが他人の事はどうでも
いいから自分に関心を持つ事でありそうすればやる事が一杯あって他人に意地悪などしている場合ではなくなるのであり本当に困った
くそじじいである。
しかしそろそろ連中も馬鹿馬鹿しくなってきたみたいでもう少しの辛抱である。
連中は自分との戦いに負けているから他人との勝負には絶対勝てないのである。
モーゼの十戒優等生の日本人は劣等生の連中を命懸けで教育する使命があるようである。
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