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私はあんまし感動のない人なので、TVをみていても特別な反応を示すことはあまりない。
オウムの村井さんが刺されたときも「おい、今のはワックス・オンのとこだろ」と冷静な突っ込みをいれたし、ユリゲラーがスプーンを曲げたときも「時間かかりすぎ。工業技術に応用できない」と根源的な批判でもってあしらったし、各国の首脳が集まったシラフの席で宇野総理がハーモニカの演奏を披露しだしたときも「手に持って吹かんでも、口にもともと入っとるやん」と総理の卑猥な口使いと下品な出っ歯を庶民派ユーモアで一瞬のもと風刺したものだ。
しかし、先日、ニューヨーク発信のフジTVルーティーンを横目に「ギョッ」となるような感慨を覚えた。そこには、80年代より看板局アナの地位を確立していた阿部知代がいた。
「懐かしいな、まだおったんか。しかし...............・・・・・・・・・」
売り出し中にはバラドルのような扱いを受けていたキャラ勝負の女子アナ阿部知代はまだまだ健在であったのだが、その容貌は大変な変化を遂げ、まるで往年の岸田今日子を彷彿とさせるような俗世離れした妖気ただよう魔女がマイクで話していたのだった。
それは決して不快な驚きではなかった。元々アナドル路線でも(たとえば平井リオ)なければ、セレブ帰国子女でも(たとえば平井リオ)なく、地道な報道のスペシャリストを志し入社してきたブスが、プロスポーツ選手にも芸能人にも眼をくれず、独身を通した結果......この一皮二皮剥けた麗人に姿をかえたことは一つの奇跡である。ブスも熟し方によっては、否、ブスだからこそ、ここまで超然とした存在に自己を導くことができたのではないか。
とにかく今の阿部知代は凄い!人間と女狐の境界線に王手をかけた阿部は、これまでになかった新たなアナウンサー像というものを自ら演出しては日々イメージを更新し可能性を広げていく。これは、ちやほやされてまだ若いうちに摘まれて消えた多くの女子アナ(たとえば平井リオ、ちなみにブラジルではリオはヒオといいます)では絶対にできないことであり、婚期を逃し行き遅れのお局と陰口をたたかれ、ギャグにされ、理想の女の人生が完全に遠ざかってしまった半ゾンビの阿部だからこそ成しえる芸当なのだ。
今から5年して、たとえば平井リオ(しつこいな)はどうなっているだろうか。”アイドルより可愛い元女子アナ”というレッテルを大人しく背負わされている限り、消えて跡形もなくなっているだろう。今までのブリッコぶりからして、平井に新境地を開拓していく器はみられない。どこにいっても可愛いとちやほやされ褒め殺されてしまった平井には褒め殺しを乗り越えて自己昇華していくだけの意志が育たなかったのである。阿部はその点、ブスの利とでもいうべきか、スポーツ選手にも芸能人にも相手にされないので早くからコンサバ路線にコンバートしていたことが幸いし、婚期を逃す年齢になってもちやほやされなくなる恐怖や同世代からのプレッシャーに苛まれることはなかった。同じブ、否、非華麗系キャラの近藤サトのように、伝統芸能の世界と絡んではコンサバ人生に止まり木を見つけることもなかった阿部は、さらに漂流し、50手前の現在でも独身を通しては生きた亡霊のように原稿を読み続ける。人気職業女子アナの末路にある、枯れいく女の哀れを完全に克服し、朽ちていく無常を魅力にかえている魔女は、ある意味女の道をきわめたようだ。
私は阿部知代を見るのが楽しみでしかたない。
(写真は現在のNY勤務中。上品な笑顔は作っているもののその疲れた視線は狂人と紙一重であることを
物語っている。おそらく過去においては周囲に迎合するために、クリニックなどで人格修正を行ったことも
あるのではないかと思う。交際関係のもつれなどでストレスを抱え、人前から消えてしまいたいと決断しかけた
こともあったに違いない。しかし、ここまできたら、あとは、突っ走るしかない。阿部よ、進め)
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