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医者という職業はブルーカラーだという説がある。
つまり医師免許を取得しインターンを経て高給を稼ぐドクターになるまでにどういう特権教育を受けたか、又、医師として社会的にどれだけの格別な身分が保障されるか、そういった職業の背後にある諸条件を別にして考えたとき、日々の労働内容を単純に品目化してみれば実にキツイ、キタナイ、キケンを満たすブルーカラー作業がもっぱらだということが理解されるということだ。・・・・・
歯科・耳鼻科などはその適例であり、実際にアメリカをみてもヨゴレを専門的に扱うそれらのフィールドを目指す医学生は白人でなくマイノリティー移民によって独占されつつあるのである。
そんな中、殆ど手を汚すこともなく、あぐらをかいてふんぞり返ることが許されている医師がいる。精神科医と、外注委託専門のホームドクターの二種類である。彼らは、患者(客)と話をして処方箋を書くだけの業務なのでホワイトカラーのステータスを維持することができるのだ。
戦後を代表する日本女優の岩下志麻さんは学生時代、精神科医を目指して猛勉強したあげく眼を壊し断念したという逸話があるが、楽して格好つけていられる精神医療界を目指したのが将来の河原、否、・・・・・・・芸能人だというのは実に納得のいく話である。
さて、医学コミュニティーというものは長い間、聖域におかれていた。古くは支配階級の武士のみに許された職務であり、いまでも学年で成績が1,2番のエリートが進むキャリアであり、歴然とした一般層との距離があることと、又、強制加入の官製保険によって市場原理が捻じ曲げられているところも医療に特別な格付けを与える所以である。それだけに、実際現場でなされていることに一般市民は異議を唱え、物議をかもすことが殆どない。広域暴力団でさえ医者にすごむことだけはしないのである。
だが私は以前より、精神医療無用を唱えている。知恵遅れや、キチガイや、鬱病や神経症といったものに一番必要なことが西洋医学的治療だとはとても考えられないからである。これらに対処するのは宗教や福祉の役目であり、それ以上のものを医学が提供することは実際にはないのだ。精神分析というものが完全に論破されつくし問診が心療に与える効果が完全に見切られた現在、いまだにディーゼル車やカセットテープのように廃れることがない精神科というものはまさに不可触な特権の極みである。ただのクスリ屋(authorized hard-drugs dealer)だということはもうばれているのに、医療の権限をみにまとい続ける道化師たちは、格好よくて汚れない聖域に必死でしがみついて高給をむさぼる餓鬼である。彼らは他の医者のように患者の生き様に接し、体液にまみれ、運命を感じあい、生死を左右するだけの責任を持つことを知らない。好き勝手に雑談をしたあげく自分でも効能のよくわからないクスリを配っては、それを任務遂行だとバックレる。たとえ患者が自殺しても「もともとバカですから」と責任を回避する。年間3万人の自殺者がでようがお構いなしの公認ペテン師たるヤクの売人達、その仕事ぶりをモニターする機会があってもよいのではないだろうか。
そこで登場する今回の主人公は、マスコミにも広く名前の知れ渡った精神科医の和田秀樹。彼の専門分野たる老年医療というものがいかなる技術体系を誇るものか、それをあらわす国際レベルの学術論文がアメリカのアカデミック専門書Progress in Self Psychologyに出ているのを見つけたので取り寄せてみることにした。
The applicability of Self Psychology to Psychotherapy with the Elderly: With Emphasis on Twinship Selfobject Needs and empathy as a Mode of Observation などという大袈裟なタイトルで書かれた和田の論文を一読。そのあまりのトホホさに驚いてしまった。私はすでに心療は宗教や福祉の役目で、西洋医学に介入する余地はないという真実を知っているので、精神科医の臨床報告が必然的にそれを再証明する内容であるということには驚きもしないが、その学術的アプローチの稚拙さ、論理的な抽象度の低さ、人格的な卑小さには「これが天下のメニンガー・クリニックの水準なのか」と仰天するほかなかった。思考力にすぐれた高校生くらいでも、もう少しましなことが言えるだろうに。
あまりにスカスカの内容なので、レビューには値しないが、一応刺してタマ獲っとかないと後になって負けず嫌いを爆発されても困るので、スカスカ論文を批評することにする。
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ケースの概要:介護施設で暮らす84歳の老婦が、妄想症で診察にやってきた。相部屋をしている別の老婆に身辺の物品を盗まれていると言い出した為、施設のスタッフが持ち物チェックをしたところそういう証拠はでてこなかったので、被害妄想だという判断に至ったのである。虚偽申し立てをしたとの謗りを受けることに圧迫を感じ体調を崩す患者。
背景説明の曖昧:妄想だと決め付けるだけの材料はあがっていない。でっちあげ半分である。誰しも、他者に懐疑的になることはあり、されていないことをされたと主張し、計画されていないことを防止せんとやっきになる、などという防衛機能が働くことがあり、それらが必ずしも異常とはいえない。また、本当に盗難が行われていて調査が失敗した可能性もあり、「妄想」と決め付けるには、いくつもの決定的なサポートを欠いていることは指摘しうる。まずは本当に患者の持つ観念が妄想であるのか、ないのか、それを討議、判別するプロセスがあるべきであろう。
和田の治療技能(あくまで主治医和田の言い分に基づく治療の経過のまとめ。一応成功したとのことだが、verifyする手段はない):
@和田は「被害妄想に精神分析は効力を持たない」と言い問診が解決ではないことを真っ先に認めているので、月並みの医師のように「投薬による妄想の軽減」という診断にたどりつくのかと思いきや、彼はその方法をとらなかった。
A 客観的な事実分析で問題を言い当てるのではなく(つまり盗難などないのだといいきかせること)、患者の主観世界に転移し妄想の原因を治めてやることなら解決につながる。と言い出す。精神医療の定番であるが、これは宗教的なアプローチという他ないだろう。悪い奴に悪いところを改めろ、というかわりに「お前の中に潜む原罪と一緒に戦おう」というのが牧師の仕事であり、彼らは和田ら精神科医など比較にならないほどそれに長けている。
B 和田の診断によると、そもそも被害妄想が出てきた原因は、患者がそれだけ「自分が相部屋の相手より価値のある人間で嫉妬されている」ことを周囲に認めさせたいという欲求を持っているからなのだということらしい。嫉妬のあまり相手が盗みを行っているという事実を示すことで、患者の優位が公認される。はあ、さて、高い税金が投入された医療の場で、こんな安物のドラマみたいなブンセキ、果たして必要だろうか。
C 和田のとった療法とは、患者の持つ「自分のほうが相部屋の相手より優れている」という自負を徹底的に認めてやり、彼女の自尊心、自己愛を満足させてやることだった。個人的な思い込みを満たされることで、それ以上、妄想を育んでまで他者にうったえる必要がなくなるというわけである。これが精神科医が下す診断の目的達成かと思うと情けないものを感じてしまう。これではヨイショのプロである太鼓持ちか、弱者の長所を発見して褒めてやることを趣味とするサヨク偽善者の専売特許を借りてきているようなものだ。これでは本当に医者としての専門知識が必要になってくる仕事だとは思えない。
Dこれらの医療行為を和田が行った理論的な裏づけは、全てハインツ・コフートなど過去を生きた有名心療家の語録にすぎない。語録や仮説を持ってきて応用してしまえばいい、という発想が宗教そのものだ。科学的手段でありえるわけがない。
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世間話をして薬を出すだけで、何もしない精神科医。クスリを出さない場合もやはりなにもしないで変質者の絵空事につきあうロールプレイをこなすだけの香具師なのである。
こんな職業はいらない。宗教のほうがよっぽど奥深く根源的に患者のおかれた状況に答えをもっているだろう。詳しく書いている暇はないが、和田たちが切り札のようにありがたがっているTwinship Selfobject experience や Selfobject Transference といった馬糞のような心療テクニックというものも、実は神という代数を加えたほうがずっと効率よく問題を消化できるのである。神は自他との関係、因果に関与するそれぞれの要素を全包括する仮定概念だから一つの意志作用の方向にまつわる分別と逆算を飲み込んだままに存在意志を絶えず有化する特権を行使するので、当然解釈の混雑による時間の停滞を突破する能力を持つからである。
最後に、私なら84歳の老女にどういった処方箋を作るのか。私はこの話には妄想というものを認めないので、まずは「何を取られた、失ったと思うのか」を具体的に思い出させることからはじめる。つまり被害届を製作させ、現実の盗難犯罪の枠組みを構築させることで、如実な社会意識を持たせるのだ。社会意識が持てないようならそれは痴呆であるので、それ以上に医療費を使ってはいけない。血税を使ってはならない。納税者の努力の結晶である税金を使って医療行為を行っているという現実を見つめるなら、被害届が書けない(取られていないのなら書きようがないことは自明だ)というところで盗難を追求・糾弾する資格がないということを患者に宣告しケースを閉じるべきである。もし、それでも老婆の精神状態が気になり、なんらかの助けになりたいのであれば、そこから後は介護の仕事として、もしくはボランティアーの慈愛活動としてやるべきである。それでいいのであれば、痴呆の相手をするのに妄想解除などという名目を与えていくら時間を使おうと誰も文句はいわない。
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