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残りの65区は他党との候補者調整だと思うがそうでないならばかかしでも犬でも猫でもいいから擁立する事である。
それぐらいの突風というより竜巻が起こったのであり今回の選挙はトルネード選挙であり野茂も擁立すべきである。
多分身体検査に引っ掛かるが旬を過ぎてから後輩に見せつけるように惨めな姿を晒しながらメジャーは遠くないと姿で教えた
暴れん坊江夏も個人的にはお願いしたい。
私は彼がいなければ野茂も松井も松坂もイチローもいなかったと思っている。
しかし比例との合計ではなく選挙区で245人擁立とは小沢も三度挑戦するという事であり一度目は自民党の出鱈目さと官僚の
腐敗を国民に教え二度目は偽ユダヤが偽キムチを使って日本を支配してきた事を教え三度目の今回は偽偽コンビとの金網デス
マッチであり興行のデスマッチではなく日本人が死ぬか連中が死ぬか出ていくかの死闘である。
245人擁立とは民主や維新は論外だがパシリの自民党を本気で消滅させるという事であり投票日が角栄の命日であり本当は馬鹿
娘と弔い合戦にしたかったが所詮は政治家・田中角栄の後継者は小沢でありもっと言えば小沢も日本列島改造論の後の日本改造
計画の後の日本一新をかだフィーに託したようである。
小沢ももう70歳であり60代の女小沢一郎が誕生したのだから50代、40代、30代のプチ小沢も育てるべきであり今度の
選挙で多数誕生する筈である。
賛否はあるが民主の一年坊主も今回気持ちいいぐらいにぼろ負けして尚も政治家を目指したいという事であれば未来党で拾って
やればいいのである。
こんなに短期間で天国と地獄を味わうというのはなかなかできない事であり落選後に伸びるかクズになるか見極めて使える者は
早速、参院選に使ってもよいだろう。
今度の選挙は政権交代を狙うなどというチャチなものではなく日本の支配構造を国民が理解した上でそれを根本から変える事に
取り組むか面倒だから米国の奴隷のままでいいかを決める選挙である。
前者は大変な困難を伴い後者は中期的な死を意味し当然前者でしょうとも言い切れない困難を伴うから政治家は提示するだけで
あり選ぶのは国民である。
賢明な過信が信長の援軍を諦めて致命的なダメージを喫する前に撤退を進言したのに対し前回のように逃げ出したら自分は終わり
だと勝算もなく援軍を待った家康は緻密な計算でもなく信長への信頼だけでもなくここで死ぬなら本望と覚悟を決めたから奇跡が
起きたのであり今回、国民にはその覚悟が求められるのである。
それでこそ民主・自公・維新・みんなを討ち果たして日本の仕組みをガラッと変える事ができるのである。
偽ユダヤと偽キムチが起こした311の被災地は故意だから当然だが復興どころか廃墟化しつつあるようで対処法も治療法もある
が福島から関東への被爆は洒落にならないようである。
経済も簡単に回復させる事ができるが偽ユダヤがわざと日本を弱体化させようとしているのだから自公や民主や維新が枝葉の人気
取り政策など掲げても何の足しにもならないかかえって悪くなるだけである。
若者が持ち家離れや車離れやブランド離れやテレビ離れをしているうちはバブル世代の反動でそれもよかろうと思っていたがどしゃ
降り世代が氷河期世代になり凍死代が出てきそうな雲行きで子供や結婚まで諦めて賢明な判断だが草食の一言で片付けられて可哀想
でありもはや相討ち覚悟で突き進む以外にないのである。
しかし私が絶対宿題をやらなかったように押し付けではいばらの道をゴールまで完走するのは無理であり有権者が自分の意思で毒入り
のぬるま湯を出る覚悟を決めねばならないのであり束の間のぬるま湯を選ぶのもありである。
小沢も後10年は政治家を続けられるだろうが江夏と同じでいわゆる小沢戦略という大勝負をする気力が続くのは今回が最後である。
かだフィーが松明を受け取ったが小沢レベルに達するとは思えず所詮は女性である。
サッチャーだメルケルだと持て囃された所で彼女達も大物ストッパーではあるが完投型のエースではない。
小沢の気力の低下をかだフィーが補ってくれている間に我々有権者が足軽から下級武士くらいの意識にならなければ小沢の20年の
挑戦は無駄に終わるのである。
ウルトラマンで言えば小沢はゼットンに倒されたのでありゾフィーが再度命を吹き込んでくれたが科学特捜隊が自らペンシル爆弾で
ゼットンを倒さねば日本も地球もはいそれまーでーよなのである。
知事戦で惜敗した飯田を安倍にぶつければ落とせるだろうしかだフィーの姉を枝ブーにぶつければ落とせるだろう。
B級候補も束になればペンシル爆弾となり民主の偽キムチ閣僚を全員と自民党五役を全員落とす事ができ民主も自公も機能不全に陥ら
せる事ができるのである。
民主の雑魚や維新の雑魚など落ちようが大量当選しようがどうでもいいのである。
有権者が小さな怒りに割く無駄なエネルギーを両党の大将首を取る事に専念できるかどうかが勝負の分かれ目である。
鶏が先か卵が先かという話だが大将首を全部取れば他の候補者は戦意を喪失しドミノ倒しで落とす事ができるのだが有権者が理性的な
行動を取れるかどうかはかだフィーの軍配と有権者が下らない怒りを捨てられるかどうかが鍵だが五分五分である。
もはや自公や民主や維新など関係ないのであり有権者それぞれの自分の低さとの闘いである。
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