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まあ、カトリック教会が人々を型っ苦しく支配していてそれに対してマルティン・ルターやその他カトリック教会に反発した人たちを書いている。そのような運動の市民レベルがイルミナティ=フリーメイソンなんだそうだ。フリーメイソンについての言及は少しだけである。フリーメイソンが一般に言われているレベルでももう少し書きようがあったのではないのか?と突っ込みが入る文章である。
では、転載開始
キリスト教から蔑まれ嫌われた都市の商人たち
カトリック教会と貴族たちへの反感と敵意からイルミナティ=フリーメイソンに加わったモーツァルトたちの行動は、それより600年遡る、12世紀のテンプル騎士団=シオン修道院の運動を脈々と受け継いだものである。テンプル騎士団Knight Templar の成り立ちと経緯についても、7月号で説明した。そして、それから400年後の16世紀にキリスト教の正統(オーソドキシー)であるカトリック(ローマ教会、ローマ法王が統率する)に対して“抗議する者たち(プロテスタント)”の勢力が台頭し始めた。
1517年に、マルチン・ルターMartin Luther(1483〜1546)が「95ヶ条の明大(質問状)」をヴィッテンベルグ教会(大修道院。初期の大学でもある)の正門の扉に張り付けた。ルターが34歳の時である。ヴィッテンベルグはベルリンの西方150kmの北部のドイツ都市デアル。ルターがここで、宗教改革の狼煙をあげた。ルターはこのあと開明派の講釈であるフリードリヒ賢明候(ザクセン選挙候)に救われて、ヴィッテンベルグ城に匿われた。この運動も、のちのイルミナティ運動と同じように燎原の火のようにものすごい勢いで全欧州の各都市の広がって行く。政治思想や宗教というものは、ある時、爆発現象のように人間たちの脳を捉え、爆風のように広がるものであるようだ。その時代のほとんどの人が、その宗教(教え、思想)に急激に感染していく。仏教もキリスト教もイスラム教も、そして後世の共産主義(社会主義。貧しい人たちを救済せよという平等思想)もそのようにして一世を風靡して世界に広がった。資本主義(金儲けを肯定する思想)も本当は、あれらの大宗教と同じものかもしれない。そして16世紀にはそれぐらいローマ教会への抗議心と不満は、ヨーロッパ全土で留まって、すごいものだった。
ルターは、このあつ1525年(42歳の時)に、「私はもう、我慢しない」と言って、尼さん(正確には元修道女)と結婚した。日本で言えば親鸞聖人(1173〜1262)と同じように、“肉食妻帯”の破戒僧となった。親鸞聖人が妻の恵心尼と結婚したのは流罪になった先の越後で、1207年、34歳の時である。カトリックの僧侶は、今でも絶対妻帯、結婚してはいけない。女性に触れてはいけない。僧侶の性欲は厳禁とされている。だから近年、アメリカ合衆国を中心にしてカトリックの僧侶(神父)たちの中の少年淫行の問題が騒がれている。現在のローマ法王のベネディクト16世は、この不祥事を覆い隠した責任が追及されている。ベネディクト16世の顔つきは最近どんどん暗く、キツくなっており、法王辞任(ふつうはできない。終身職だ)するのではないかと噂されている。
ルターは63歳で死ぬまで北ドイツの貴族(大公)たちの庇護の下で、プロテスタント運動を続けた。有名は「95ヶ条の命題」には、有名な免罪符の売買を非難しただけでなく、ハッキリとではないがそれとなく、「私たちはもう我慢しない。カトリック教会は偽善(ウソつき)をやめるべきだ。信徒の金儲け行動(商業活動、人間の金銭欲望)と僧侶の結婚を禁圧する教義は、現実に合わない。私は自然な性欲と金儲け活動という人間にとって重大な2つの行動を正直に肯定する態度でこれからは生きゆく」と宣言して、ルター派(ルーサラン、ルーテル教会)をつくった。これに続いて、ジャン・カルヴァンが21年遅れて1538年に、滞在していたスイスのジュネーブで、新教征運動(教会改革)という別のプロテスタント運動の火の手を挙げた。これが後に、カルヴァン(カルヴィン)派(イギリスでは長老派と呼ばれる)で、ここからより過激なピューリタン(清教徒)という宗派も生まれた。
「95ヶ条の命題」と同じ年の1517年に、ローマ郊外で、第五回ラテラノ公会議が行われている。この宗教会議で、ようやく「利子を取る商業活動を教会は認める」ことがハッキリ決議された。この年までは金利(利子)を取ることは強欲という宗教上の罪(シン)に当るとして認められなかったのである。だから私は、1517年をもってヨーロッパ近代の始まりの都市だと定義している。今から500年前のことである。人類(人間)の近代というのは、ちょうど500年前に生まれたのだ。この事実を私たちはハッキリ知っておくべきである。
こうして、プロテスタント(抗議派、新教徒)の思想が始まった。キリスト教は、総本山のローマ教会が恩寵(grace 神からの愛)の思想を説く。しかし「貧しい者たちへの愛の思想」を言いながら、教会自身は自分達を特権化する。イエス・キリスト本人の思想から離れてゆく。キリスト教の僧侶たちは威張り腐るだけで、現実の人間(信者たち)を救おうとしない。日本の仏教も神道も同じだ。教会やお寺に「助けてください」とすがりついて来る人々をどこの宗教団体も実際には救済しない。よくて話を聞いてあげるだけだ。お布施・ご供養・喜捨・法要と言って、信者たちからお金を集めることばかりする。だから私は、ここまでハッキリと断言する。現実の人間たちは商売(営利活動、金儲け)を実践しなければ、生きてゆけない。それと自然な男女間の性欲がある。この現実を肯定して、16世紀から人類は、近代(だから1517年に成立)を始めていったのである。
このことは別の見方からすれば、プロテスタントは、キリスト教の僧侶(や神学者)たちが独占していたローマ教会の教義を解釈し直して、イエス・キリストという偉大な人物が元々持っていた素朴さに戻ったと言える。同時にプロテスタントはユダヤ教(ユダヤ思想、金銭欲望の肯定)に再び近づいていったのだと言える。この点が重要である。イエスは当然のことだがユダヤ人である、ユダヤ教の一派であるエッセネ派という清貧と無欲を重視する宗派に属した人である。この事実は1947年から1956年にかけてイスラエルの北方の死海のそばの洞窟で発見された『死海文書』“The Daed Sea Scroll”の解説から明らかになった。
イエス自身は「商売(金儲け)をするな」とは一言も言ってなかった。結婚も認めていた。ただし、周りの人々を苦しめる、あまりにひどい金儲け活動(強欲)はするなという教えを説いたのだ。
事実、キリスト自身も結婚していた。真実のイエス・キリストの奥様は、マグダラのマリア(マグダレーナ
マリア)であり、2人の間にはサラという娘がいた。この学説を私は支持している。イエスが処刑(西暦30年ぐらい36歳)された後マリアとサラは他の使徒たちと地中海を船で渡って南フランスに渡ったとされる。それがダン・ブラウンの大作『ダヴィンチ・コード』が描きあげた大きな真実である。
だから、「聖母はマリア」とはイエスの母親のマリアではなくて、実は、イエスの奥さんであるマグダラのマリアである。このマグダレーナ・マリアを崇敬する人々の熱烈な運動が、世界中のキリスト教の国々に歴史上たくさん起きている。世界各国のキリスト教の国々歴史上たくさん起きている。世界各国のキリスト教国で沸き起こる聖女崇拝の伝統はマグダラのマリアへの強い思慕と敬神の念の表れである。
だから、この世界民衆の動きを抑制するために、カトリック教会(ヴァチカン)はマグダラのマリアを異教徒の悪女であり、売春婦であた、として聖書を捻じ曲げて解釈して本当のマリア様を激しく貶めてきたのである。自分たちの神だと崇めて祀っているイエス・キリストが結婚していて子供まで作っていたという事実(真実)が、ローマ教会の独善的な僧侶たちにとって極めて都合が悪かったのだ。
それでも荘厳な秩序を築き上げてきたローマ・カトリック教会が現在もキリスト教の正当派である。今の日本の官僚(幹部公務員・高級公務員)たちと同じように、隠された腐敗を抱えている。このあと。プロテスタント(以後、ユダヤ商人たちもこの中に隠れて行動するようになった)の方が、米英(アングロ・アメリカ)は北ヨーロッパでは多数派ということになっていった。そして、「プロテスタンティズムこそが近代資本主義の精神をつくったのである」と、マックス・ウェーバーという20世紀初頭の大学者の学問成果となったのである。
人間の自然な性欲と金銭欲望を、神父(僧侶)たちに厳禁して、今も認めないのがカトリックの教義であると言えば本当に偽善だ。それでも欧米世界では、カトリックの僧侶たちは、禁欲を貫く偉いお坊様ということで、現在でも牧師(クラージーマン。プロテスタント系)たちよりは、欧米世界の一般大衆から今でも高く尊敬されている。この一点は極めて大事である。この簡単な事実が、日本では長年全く知られていない。学者・知識人でも知らない。誰も教えない。カトリックの僧侶は「清貧と禁欲(貞節)の誓い」を今も守っている。だから今も人々から立派な人間として尊敬されているのだ。
ところがところが、その一方でやっぱり隠されてきた不都合な事実が浮かび上がってくる。個人差もあるが、性欲は我慢できないのだ。神父たちにホモ(ゲイ)が多くなるということが隠せない問題として表面化している。「神父は神と結婚したのだから」と今でも説明する。かなり気持ちが悪い。
今でもカトリック教会は、避妊や人工中絶を認めない。安楽死も認めない。「人間の命を人間が決めてはならない。人間の生と死は神に属する」と、今も頑固に主張している。一方でカトリックには温厚で穏やかな良さもある。世界中にカトリック教徒は公称12億人いる(実際にはこんなにはいない)。カトリック教会は、ユダヤ教の拝金主義や、強欲な金儲けの精神を、やんわりと批判する。ユダヤ教の拝金主義をひどく嫌う(そのために誕生したのだと言っていいくらいの)イスラム教徒は世界中に18億人いる。(本当にこれぐらいいる)どうやらイスラム教だけが今も世界中で増加し拡大しつつある大宗教らしい。日本人にはイスラム教は、まだ理解できない。カトリック教徒は、欧米白人世界では「貧乏人の子だくさん」とも呼ばれている。避妊を勧めないからだ。西洋世界の下層の白人勢力であるアイリッシュ、イタリアン、ポーランド人と南米白人たちが中心である。
カトリック教団の内部は歴史的にベネディクト派、ドミニコ派、フランシスコ派などの宗派に分かれている。イエスズ会も本当は「イグナチオ派」(創立者のイグナチオ・デ・ロヨラの名から)と名乗るべきなのだ。それなのに英語ではThe Society of Jesus と言って、平信徒の団体のふりをする。イエスズ会の会士(神父)たちの中には、多くの隠れユダヤ人たちがたくさんもぐりこんでいると言われている。だから、こういう熾烈な内部の闘いを、法王ベネディクト16世(俗名ヨーゼフ・アロイス・ラッツィンガー。イエスズ会士であるかどうかは不明)は調停している。しかし、彼は前のヨハネ・パウロ2世のような敬愛はされていなくて評判が悪い。こう言う世界規模で宗教上のさまざまな対立がある。
このようにして、キリスト教から、下賤なる者たちとして侮蔑されてきた都市の有能な市民や商人たちの一部は、自分たちを、フリーメイソン=イルミナティとして組織していった。だから、8月号で(その2)説明した偉大なる音楽家のモーツァルトの思想や活動に見られたとおり、1776年から一斉にヨーロッパ中の諸都市に成立していった。彼らは昼間は、普通のキリスト教徒として振る舞ったが、夜になると自分たちだけで密かに集った。集会(crowd 会衆)を開いた。
この自主的な会衆は次第に独特の儀式を行うようになり、教会と別個の独自の会と規則の規律を持つようになった。ルシファー(Lucifer 明けの明星のこと)という自分達の神までつくった。当然彼らは聖職者(僧侶)ではない。聖職者出ない者たちが教会の建物ではない秘密の場所に集まって、自分たちだけの独自誓約と祈りを捧げるようになった。彼らは決してキリスト教(クリスチャン)であることを止めた訳ではない。決して自分が所属するカトリック教会に公然と反旗を翻したわけではない。そんなことをしたら破門(追放)されてしまう。
今から200年前はヨーロッパ社会でも「宗教の自由」はなかった。教会から追放されるということは、日本で言えば江戸時代のお寺の宗旨人別帳から外されるということだ。非人にされてしまう。
そして、死んだときにも、教会の神父から終油の儀式をしてもらえない。教会に葬式をしてもらえないのだから都市の中にある墓地に埋葬してもらえない。「地獄に落ちろ」と言われるに等しいことだった。現代なら別に恐れないが、当時はそうはゆかない。人間は、その時代囚われ人である。前号で述べたモーツァルトは現に、神父(僧侶)たちに嫌われて、ウィーン都市の外(郊外)の貧民用の墓穴に遺体を投げ棄てられた。
だから、教会からの迫害を恐れたフリーメイソンの会員は自分たちの信念と誓いを作り、密かに自分たちだけの共同利益を追究する集団となり、ヨーロッパ全体の横のつながりをつくっていった。彼らは、だから日本で言えば、仏教の僧侶や神道の神主たちの言うことを聞かなくなった平信徒や氏子たちの集まりである。この思想をセキュラリズム secularismと言い世俗主義という。この世俗(重視)という考えは教会中心の神聖性(holy divinity 神性)という考えを真っ向から対立する。そして、フランス大革命(1789年〜)以降、世界はどんどん世俗主義になっていった。今からほんの65年前(1945年の敗戦)に天皇神聖体制から自由になった私達の日本も今は、世俗主義の世界である。
そしてまさしく、このイルミナティ=フリーメイソンの思想は日本にも伝わって今はロータリークラブとライオンズクラブになっている。ロータリークラブは、日本全国の都市にあり、その数は2310クラブを数える。東京なら800ぐらい、大きな地方都市にも30くらいある。彼らは「我らは商工者として互いに支え合い。共に栄える」という思想である。そのような歌を歌う。独特の傍や徽章と征服を持っている。上の方は世界規模の大きな組織となっている。フリーメイソンは36階級に分かれている。下の方の1〜3階級までがロータリークラブなどの商工業者を取り込むための慈善団体が位置する。ちなみに36階級の最高位を持つ者はベルギーのエティエンヌ・ダヴィニオン子爵(ビルダーバーグ会議の名誉議長)であるとされる。
フリーメイソンという秘密結社は、自分達の金儲け肯定の思想を根本を、ラシオリズムあるいはリーズン(合理主義、思想崇拝)だとする。彼らは自分たちの生き方が、教会へ神父たちから唾棄され、毛嫌いされたことへの、激しい反発と怒りに密かに待ち続けている。こういうことのなのである。このことが分からないと、西洋白人世界の、この200年間というものの重要な点が分かったことにならない。私、副島隆彦はこれらの重要な知識が日本国内で文献(書物)に全く描かれていないことが全く不思議であり、ずっと不満だった。
だから、国内文献に頼らないで、直接、欧米人の友人たちからこれらの大きな真実を聞きだして、自分で30年間研究を続け、勉強を重ねて、50歳を越してから、ようやくこうやって日本人に分かりやすく大きな真実を伝えることができるようになった。このように私が日本語で書いて残せば、やがて大きく日本中にこれらの真実が徐々に広がってゆく。
転載終了
>フリーメイソンという秘密結社は、自分達の金儲け肯定の思想を根本を、ラシオリズムあるいはリーズン(合理主義、思想崇拝)だとする。彼らは自分たちの生き方が、教会へ神父たちから唾棄され、毛嫌いされたことへの、激しい反発と怒りに密かに待ち続けている。
>ようやくこうやって日本人に分かりやすく大きな真実を伝えることができるようになった。このように私が日本語で書いて残せば、やがて大きく日本中にこれらの真実が徐々に広がってゆく。
なんでフリーメイソンが自分の金儲けの思想を持っていることを教会に否定されいることに恨みに残っていることが真実だとしてを知らせないといけないのか?
なんだか意味が良く分からん。戦後鳩山家にみるように日本の属国化を促進させた組織としてのフリーメイソンの一面がある。
そのフリーメイソンの副島氏の知り合いがペラペラ本当のことを喋るのだろうか??
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